第一章 終末世界の魔術師
第1話
異世界へと繋がる不思議な穴を見つけ、色々な知恵と知識を授かったあの日から数日が経ち……俺は埼玉の自宅で相も変わらず引きこもり生活を送っていた。
と言っても、以前のように日がな一日ボーっとしたり、大して面白くもないパズルで暇つぶしをしていたわけではない。
空いた時間のほぼ全てを魔力操作の練習に充てていたのだ。
俺はアルさんから『浄化のアミュレット』という対グール最強兵器みたいなアイテムを貰った。
しかし、残念ながら俺の技量の方が全く追いついていなかった。
帰宅してから、復習がてら浄化のアミュレットを起動しようとしてみると、アミュレットはうんともすんとも言わなかったのだ。
こちらの世界では使えないのかとめちゃくちゃ焦ったが、都合十二回目のトライで何とか起動することに成功した。
どうやらアルさんに手ほどきされた初回はたまたま上手くいっただけらしく、アミュレットの中心部の透明の石――正確には、そこに刻まれた文字あたりに魔力を注がなければダメで、これが中々にコツのいる作業だった。
その後も何度か試したが、成功率は十回に一回がいいところ。
しかも十秒程度しか持続できず、これでは全く使い物にならない。
そんなわけで、まずは確実にアミュレットを起動させ、なるべく長時間持続することを目標にして練習に励んだ。
練習が思いのほか楽しいのもあったが、自分の命にかかわることでもあるので、そりゃもう一心不乱に取り組んだ。
その甲斐もあって、三週間ほどでアミュレットの起動自体は十回中十回――ほぼ確実にできるようになり、持続時間は約三分まで伸びた。
しかし、それがどうやら俺の魔力量の限界だったようだ。
合計三分を超えると、しばらくの間魔力が使えなくなるうえ、無理に絞り出そうとしたら途轍もない悪寒に襲われ、「あ、これあかんやつ」と一発で察した。
一応魔力は徐々に回復していき、半日ほどで全快するらしい。
使い切ったら動けなくなるような仕様じゃなくて助かった。
ちなみに魔力量というのは生まれた瞬間にはほぼ決まっているが、魔力を持った生物を倒すことで僅かながら増やすことができる。
アルさん曰く、倒した生物の保有していた魔力が自身に流れ込むことで、保有魔力とその最大値が上昇するとのことだ。
それなら死体の一番近くにいた人間に流れ込むのでは? と思って尋ねてみたが、遠距離から仕留めても倒した本人にしか流れ込まないらしい。また、複数人で倒すと与えたダメージによって配分されるとのこと。
原理を聞いても全く分からなかったが、とりあえずゲームで言う経験値みたいなものだと理解した。
もっとも、それで得られる魔力は大したものではなく、グールなどの低級アンデット程度ではあまり効果を実感できないだろうと言われたが。
しかし、それを聞いて俺は思った。
世界の総人口は八十億人弱。その半分がグールになっているとして、そいつらを片っ端から浄化していけば、俺の魔力量も凄いことになるんじゃないだろうか? と。
とはいえ、今の俺の魔力は小指の爪。
この状態でゾンビの溢れる街に出るのは無謀が過ぎる。
というわけで、何か策はないかと頭を捻らせた結果――アミュレットが起動するギリギリの超微量の魔力だけ注ぐことを思いついた。
グールは光に触れるだけで浄化されるので、大きな結界は必要ない。
アミュレットの表面だけに結界を張り、あとは手に持ったアミュレットをグールに押し当てればいいだけだ。
身体全体を覆う結界だと三分が限界だが、最小魔力の結界なら、もっとずっと長時間使えるはず。
早速とばかりに、いつもの半分くらいの魔力で試してみると、思いの外簡単に成功した。維持できた時間は六分強だ。
これならアミュレットを起動しながら長時間グールを駆除することができる。
あとはこれをより細かく、より最小の魔力を見極めて調整するだけだ。
「……よっし」
いっそうやる気が漲ってきた俺は、魔力操作の修練により深く没頭していった。
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
アルさんが言うには、あの時の手ほどきは、魔力を目覚めさせたというわけではなく、魔力の出し方を教えただけらしい。
俺が度々言っている『小指の爪』というイメージは、正確には魔力を出力する栓の大きさであって、魔力量とは全身を流動的に流れる魔力の総量のことだ。
魔力量と魔力出力は比例しているため、魔力量が増えれば出力できる量も増える。
ちなみに、栓を体外に指定すれば魔力は減っていくし、栓を体内で調整する――出力操作の訓練だけをしている分には魔力は消費しない。
アミュレットを起動させる練習は魔力がなくなるまでしかできないが、この出力操作は体力が続く限りいくらでもできるので、寝食も忘れてやり込んでしまった。
結果、一週間が経つ頃にはアミュレットを起動させる最小魔力を見極め、二時間以上結界を持続することができるようになった。
……これでようやく準備が整った。これまで探索していたのはせいぜい町内まで。グールの多そうな場所は意図的に避けていた。
だが、今の俺には浄化のアミュレットというグールに対する最強の対抗手段がある。
もう一つの手段は魔力の少ない現状では無理だろうが、グールを倒して魔力を増やしていけば追々手を付けることもできるだろう。
手始めに、この町を徘徊しているグールを一掃する。
理想は徒歩3キロ圏内にあるホームセンターまでだ。
あそこを行き来できるようになれば、俺が求めてやまないカセットコンロを手に入れることができる。
家に米の備蓄はあったものの、火が使えないので炊くことのできない状態だったのだ。
パンデミックが起きてから、主食はもっぱらカロリー豊富なブロック食料と常温保存のレトルト食品、あとはスナック菓子の類ばかり。
いい加減、温かい食事……特に白米が食べたいという欲求は日に日に増していた。
「やってやる……絶対に、ホッカホカの白米にカレーをかけて食ってやる」
俺ってこんなに食い意地張ってたか?と思わなくもないが、まあ世界が変われば人も変わるだろう。
さあ、いざ往かん。
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
十一月十日。
空は快晴。季節は初冬――と言っても、関東のこの時期は普通に暖かく、上着を着こむ必要はない。
俺は暑がりなので半袖でも問題なく過ごせるくらいだが……グールの歯が肌に触れたら一発アウトなので厚めのパーカーを着用。
万全を期すなら腕に丸めた雑誌でも装備したいところだが、流石にそこまでする必要はないだろう。
「……見える範囲にはいないか」
玄関のバリケードを一旦外し、周囲を見渡してみても、グールは一匹も見つからなかった。
グールには扉を開ける知能がないので民家の中にはいないはずだが、何かの間違いで遮蔽物の多い屋内に潜んでいたら怖いので、基本的には路上を探す。
三回ほど角を曲がり、普段の探索範囲ギリギリくらいに差し掛かった頃……そいつを見つけた。
グールだ。
こちらに背を向けている、ストライプのシャツを着た白髪頭で腰曲がりの老人。
グールだと分かる理由は、ふらふらと頼りなく歩いていることもあるが、肌の出ている首筋と手が生気のない土気色をしているからだ。
直射日光を浴びているからか、わずかに体表から湯気のような蒸気も浮かんでいる。
この町に住んでいた者が噛まれてグールになったのか、余所の町からやってきたのか……それは知る由もないが、グールとして町を徘徊するのは本人としても不本意だろう。
はやく成仏させてやるのがいい。
浄化=成仏なのかは分からないが、そうでも思わないとやってられない。
「リラックス、リラックス……」
口の中でそう繰り返す。緊張すると思わぬ失敗をすることがある。
中学から高校の途中まで続けていた野球はベンチウォーマーだったので公式試合にすら出たことがないが、緊張しいのチームメイトは人の字を掌に書いて飲み込んでいたのを思い出す。
俺も見習うべきか……と思って右手を見れば、浄化のアミュレットによって手は塞がれていた。
そりゃそうだ。
よし、気を取り直して……。
浄化のアミュレットはあらかじめ起動しておき、グールの背後から、足音を消してそーっと近づいていく。
あいつらは鈍いので、物音でも立てなければ気づかれることはない。
グールまでの距離は、10メートル、5メートル、3メートル、2、1……。
どくどくと心臓の音がやかましい。
この音でバレるのではないかという馬鹿な考えを振り払い、右手のアミュレットを押し当てて――
「……あ」
魔力の制御が、乱れた。
アミュレットは光を失い、しかも致命的なことに、俺自身も間抜けな声も漏らしてしまった。
いや、マジで何やってんの俺。
背中を押されたグールは、グリン!と振り返り、落ちくぼんだ死者の両目が俺を射抜く。
「ひっ」
ヤバいヤバイヤバいヤバイヤバい。
初めてグールと真正面から向かい合った恐怖で、思わず倒れて尻もちをついてしまう。
足元の餌を食おうと、こちらに覆いかぶさってくるグール。
「アアアァ……」
「ひぃっ……!」
全力で後ずさったことと、小柄な老人だったことが幸いし、なんとか回避できた。
しかし、絶対に逃がすまいと、老人の右手は俺の左足首を掴んでいる。
ぎりぎりと足首が軋む。
握力つっよ……! 痛い痛い折れる!!
「離せ……! このっ……!!」
足を掴むしわしわの手を全力で蹴る。パキッと嫌な音を立て爪が一枚剥れたが、指は全く離れる気配がない。
それどころか、顔を寄せて……俺の足を噛もうとしている。
「やめっ……ろ!!」
本能が警鐘を鳴らし、老人の顔面を蹴った。何度も、何度も。
目に当たった一撃で、老人の目玉がポロンと外れ、顔の前でプラプラと左右に揺れる。
「ひっ……ご、ごめ……!」
ごめんなさい、と意味のない謝罪が口をついて出る。
スプラッターシーンには耐性があるつもりだったが、映画と実際に見るのでは大違いだった。
その時、俺はようやく右手の浄化のアミュレットの存在を思い出した。
老人が俺の足に歯を立てる寸前、持てる最大魔力――小指の爪ほどの魔力をアミュレットに込める。そして――
「アアアァ……!」
ジュワアアと熱したフライパンで肉を焼くような小気味良い音と共に、老人のグールは灰となって消え去った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
あとに残されたのは老人の草臥れた服と、汗だくで倒れる俺一人。
達成感も何もあったものではない。
……うん、悲しい事実が発覚してしまった。
俺、超ビビり。しかも本番に弱い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます