第29章「最後の戦い」

 大きな風に運ばれて、エンマと小太郎は、瞬時に天霊山を飛び越え、人間の国へ到着した。

 しかし、人間の国とは思えないほど、空は灰色に曇り、激しい暴風雨が吹き荒れ、ごろごろと雷が鳴っていた。

「うわっ!」

 突然、風の力が止んで、エンマと小太郎は空中に投げ出された。

 しかしエンマは飛天術で体勢を持ち直して、更に瞬足術を使い、落下している小太郎を抱き止めた。

「おめーは里に戻っていろ。こっからは、俺の戦いだからな。」

 地面に着地すると、エンマは小太郎にそう言って、頭を撫でた。

 小太郎は、風の匂いを嗅ぐように鼻を上に向けて動かし、寂しそうに吼えた。

「フータは風になっちまった。」

 エンマは、荒れ狂う空を見上げた。

「こんなふうにしてんのは、アイツの力のせいだ。だからフータも途中で邪魔されたんだろう。さっさとアイツを倒さねーと!フータの風を取り戻すんだ。」

 飛天術を使って空中に浮かび上がったが、体勢を維持するのも難しいほど、激しく風が吹きつけていて、大粒の雨がエンマの体を打つように降っていた。

 知らず知らず自然に、エンマの中から、神力が湧き出してきていた。

 紫の光がエンマの体を包んで、邪悪な嵐から守っていた。

 ふと大気の中に、フータの心を感じた。

 すると吹き荒ぶ嵐の音さえ、この広い世界の全てが味方になって、雷鬼を倒してくれと合唱しているように聞こえた。

 最早自分一人だけの戦いではなくなっていた。

 人間が滅びるかどうかという瀬戸際にあるのだ。

 人間が滅びれば、この国は魔物の天下となるだろう。そうすれば、この国の美しい自然も魔物の毒に侵されて、汚く醜い世界に変わってしまうだろう。

 最初はただの憎しみだった。

 だが今は、未来を守りたいから、雷鬼を倒すのだという気持ちがエンマを突き動かしていた。

 人間の国上空。

 強烈な黄金色のぎらぎらした光と、白銀に燦然と輝く光とがぶつかり合っていた。

 雷鬼と夜鬼が戦っているのだ。

「苦しそうだな、夜鬼。もうそろそろ、楽にしてやろうか。」

 雷鬼は、勝ち誇った顔をして、夜鬼を上から見下していた。

「あたしは死なないよ。あんたを殺すまではね。」

 夜鬼は雷鬼を見上げて睨み付けたが、もう夜鬼には雷鬼を倒すすべなど何一つ残されていなかった。既に様々な妖術を出し尽くしてしまい、それでも雷鬼には敵わず、僅かな時間稼ぎにしかならなかった。

「くっ…。あたしは、あんたをこんなふうに育てたつもりはなかったんだけどねえ…。アハハッ。」

 夜鬼は絶望を通り越して、最早笑いたい気分だった。

「あんたに奪われるために、力を与えたんじゃないのにねえ。アハハハハ!」

「もうお前には飽きた。再生できないくらい粉々に壊してやろう。」

 雷鬼は天のいかずちを右手に集め始めた。

 いかずちがバチバチと大空に轟音を響かせた。雷鬼は、いかずちを纏った右手を剣のようにして、夜鬼を狙って振り下ろしてきた。

 しかし、いかずちの剣は、紫の光を纏った刀に受け止められた。

「エンマ!」

 夜鬼の前にエンマが立って、雷鬼の攻撃を紫炎刀で受け止めていた。

「雷鬼ッ!!」

 エンマは雷鬼を真正面から鋭く睨み付け、大声で叫んだ。

 奥底から体が震えて魂が燃え上がり、血管に点火、心臓到達まで一秒とかからない。

 爆発のとき。

 全てをぶつけるときがきた。

「死ね!!」

 受け止めたいかずちを、そのまま刀ごと雷鬼に向けて大きな力で押し返した。

「む…!」

 雷鬼は自らのいかずちをその身に食らったが、それは雷鬼自身には何のダメージも与えなかった。

 しかし雷鬼は驚いていた。夜鬼を殺そうと放った渾身の力を受け止められ、更に押し戻されたのだ。

「ほほう…。少しは成長したようだな。」

 紫に輝いているエンマの姿を見て、雷鬼はにやりと笑った。

「エンマ…!それは神力じゃないか。」

 夜鬼も驚いて、エンマを見つめていた。

「へへ…。俺はてめーなんかに比べりゃ全然、ネズミ以下の力しか持ってねー。でもこれは俺だけの力じゃねえんだ。この力は俺だけのもんじゃねー。それを理解したんだ。理屈じゃなく、体全体でな!」

「ふん。弱いものが幾ら集まろうと、所詮ゴミくずの寄せ集めでしかない。」

 突如稲妻が走り、エンマの体を引き裂いたかに見えた。が、エンマは素早くかわして、雷鬼の上に躍り上がって、紫炎刀を振るった。

 紫炎刀から青と赤の二つの炎が上がり、ぐるぐると螺旋状に回転しながら、二つの炎が混ざり合って紫の炎となり、雷鬼を直撃した。

 霊気と妖気が合わさり、それらを超越したエネルギー――神気しんきとなったのだ。

 神気の炎は、雷鬼の全身を包み込んで、紫から白い光に変わり、世界中を照らす太陽のように輝いた。

「カアーーーッ!!」

 雷鬼は大声を発した。それは大地を震動させるほどの轟音だった。

 その音とともに、あれほど大きく燃えていた神気の炎は瞬時にかき消されてしまった。

 雷鬼は胴体を覆っていた鎧を焼かれたくらいで、ほとんど無傷だった。

「ハハハハハハ!!神力だと?これが人と魔物の力だというのか?」

 楽しげに笑っている雷鬼を見て、ここまで築いてきたエンマの強い意志がぐらついた。

「神などいない!いるとしたら、それはこの俺のことだ!俺を超える者はいないのだ!」

 神力はとてつもなく大きな力だが、同じくらい脆いものでもあった。

 長い時間、敵を目の前にして、何にも囚われず、何にも恐れない強い意志を維持することは、どんな者にも難しい。まして、エンマは、フータを失った悲しみがまだ消えていなかった。それを一旦心の奥底に封じ込めていたのだ。

 圧倒的な雷鬼の力を前にして、少しの心の揺らぎが引き金となって、意志が崩れていく。丁度、たくさんの石で積み上げた不安定な逆三角形の、一番上段の石が端から崩れ落ちていくように。

「まずい…!」

 夜鬼は、エンマの力が急速に弱まっていることを感じ取った。

「エンマ!何くじけてんだ!お前しかいないんだよ!お前がやらなきゃこの世は終わりなんだよ!」

 早くも勝利に酔っていた雷鬼の僅かな隙をついて、夜鬼は、雷鬼の背後に回って、両手から茨のつるを出して雷鬼の全身に巻き付け、雷鬼の体と自分の体とを縛り付けた。

「エンマ!あたし共々こいつをやるんだよ!早く!」

「夜鬼…!」

 雷鬼は不意を突かれて振り返り、夜鬼を睨み付けた。夜鬼の妖気から生まれた茨のつるは雷鬼の体を締め付けて体の自由を奪っていて、容易には逃れられなかった。

「フフ…。実は待っていたのさ。エンマが来るのをね。そのときのために、力を残しといたんだ。最後の切り札ってやつさ。」

 茨はどんどん育って増えていき、複雑に雷鬼と夜鬼の体に絡みつき、細かい棘が全身に突き刺さって、二人の妖力を吸収していった。

「こんな技で俺を倒せるとでも思っているのか。」

 雷鬼は全身に力を込めて、茨を引き剥がそうとした。しかし、同時に妖力を奪われているため、先ほどのように、一喝して瞬時に爆発的な力を発して茨を逃れる、という手は通用しなかった。さらには、背中に夜鬼がぴったりとくっついて、雷鬼の動きの邪魔をしているのだ。

「こうなったら、心中してやるよ。地獄でも戦いの続きが出来るだろう?…エンマ!さっさとやれ!!」

 夜鬼の覚悟の叫び声が、エンマの弱まりつつあった力を引き戻した。

 心は空白だった。

 意識はエンの中心にある。

 エンの上下左右の空間。そこから邪を排除する。

 刀。これで邪を払おう。邪を滅ぼそう。

 大きな意識の中で、エンマは、紫炎刀に神力を込めて、邪に突き刺した。

 そして、意識が己の小さな体に戻ると、神力を纏った紫炎刀が、雷鬼と夜鬼を串刺しにしているのを見た。

 その瞬間、黒い闇が世界を覆い、巨大な邪気が雷鬼の体から溢れ出してきた。邪気は神力に抵抗するように、激しく苦しみ悶えていたが、やがて雷鬼の体は神気の炎に焼かれて、黒い砂となって、邪気と共に散っていった。

 そのあとには、白い、眩しい光が世界に満ち溢れて、荒れ狂っていた灰色の空が、爽やかに晴れ渡った青空へと変わった。

 ――邪はいなくなった。

 アイツはいなくなった。

 助かった。

 でも、フータはいなくなった。

 風のどこかに、空のどこかに…。

 戦いが終わっても、雷鬼を倒しても、エンマの心は満たされなかった。

 嬉しくもなかった。

 草吉が帰ってくるわけでもない。

 ただ涙が出てきて、エンマは雷雨に濡れてぐしゃぐしゃになった地面に這いつくばっていた。

「何泣いてるのさ。」

 気が付くと、エンマの横に、夜鬼が立っていた。

「…おめー、死んだんじゃ…?」

「フフフ…。何とかうまく再生出来たんだ。心中とか言ったけど、やっぱりそんなのはごめんだね。あたしは生きてたいんだ。都合よくアイツだけ死んでくれて良かったよ。神力ってのは、かなり…きつかったけどね。」

 夜鬼の姿は、何事もなかったかのように元に戻っていた。

「そうか。俺は雷鬼だけ死ねばいいと思ったから、それでおめーは助かったのかもな。」

 エンマの心が、徐々に落ち着きを取り戻してきた。

「蓮花たちはどうなったかな…。」

「ああ、あいつらか。ヤトの中にいるんだろ。」

「なんで、てめーがヤトを知ってんだ!?」

「さあ…。」

「とぼけんな!てめーがヤトを知ってたんなら、何で今までほったらかしにしてたんだ!?てめーがもっと早くヤトをどうにかしてれば、こんなことにはならなかったんじゃねーのか!?」

「そうは言ってもねえ。あたしにも色々やることがあるんだ。ヤトをどうにかしろと言われても、あたしにはどうにも出来ないねえ。そこはお前ら人間にやってもらわないと。」

「ったく、てめーはテキトーな奴だな…。で、蓮花たちは死んでねーよな?」

「それじゃ、ヤトのトコまで行ってみるか。」

 夜鬼は、大きな猫の姿に変身した。

「さ、乗りな。これでヤトまでひとっ飛びさ。」

「しかし雷鬼といい、てめーといい…。反則技ばっかりだな…。」

 エンマは猫の夜鬼に乗って、ヤトへ向かった。


 空を飛び、山を越えて、海の上に出た。

 ここは、花霞の里からはかなり南の方に離れた場所だった。

「ヤトは…どんどん小さくなってきているな…。」

 眼下に広がる海を見て、夜鬼が呟いた。

「小さく…?どういうことだ。」

「ヤトは妖力を失って、元の小さな姿に戻ろうとしている。もう、根の国からも、人間の国からも、ヤトへは入れない。」

「それじゃ、蓮花と蘭丸は…!?」

「閉じ込められているのだろう。このままでは、例えヤトから脱出出来たとしても、海の中に出て、溺れ死ぬことになる。」

「くそ!それじゃ早く助けに行かねーと!」

「…お前は、さっき雷鬼を倒したばかりだというのに、まだそんな体力があるのか?スタミナバカだな。」

「そりゃー疲れ切ってるけどよ。命が懸かってんだ。疲れただの言ってられねーだろ!」

「…しかし、お前の心配は無用なようだ。」

 しばらくして、海上に、大きくて青く光った島のようなものが見えてきた。

 それは、ヤトだった。

「ヤト!」

 エンマは、フータが、ヤトを自分の仲間だと言っていたことを思い出した。

 大きなヤトの体の上に、蓮花と蘭丸が乗っていた。

「あ!エンマ!!」

 蓮花がエンマの姿を見つけて、手を振った。蘭丸も気付いて、大きく手を振った。

「おめーらも無事だったんだな!」

 ほっとして、エンマは夜鬼から飛び降りて、ヤトの上に着地した。

「見てたわ。空が真っ白に光ったけど、あれはエンマの力でしょ。ついに雷鬼を倒したのね。」

「ああ。」

「なんだ。あんまり嬉しくなさそうだな。やっぱり、自分の親だと思うと、気分が悪いのか?」

 不思議そうにして、蘭丸が尋ねた。

「そんなんじゃねー。別にあんな奴、親だとも思ってねーし。…ヤトがおめーらを海の上まで運んでくれたのか?」

 話を逸らすように、エンマが言った。

「ええ。魔物たちを倒したあと、ヤトが縮み始めて。だけど、ヤトが私たちをここに運んでくれたの。ヤトの天井に穴開いて、そこから出てきたら、いきなり海の上にいるから、びっくりしちゃった。」

 蓮花は微笑んで言った。

「その猫…は?」

 蘭丸が訝しげに夜鬼を見て言った。

「前にエンマを黄泉の国に連れてった女がいただろ。それがあたしさ。夜鬼だ。」

 夜鬼は猫の姿から、霧を纏って元の姿に戻りながら、ヤトの上に降り立った。

「あっ!あのときの!」

 蓮花は身構えた。

「大丈夫だよ。あたしはあんたたちの敵じゃないから。雷鬼を倒すのだって、あたしがいたから倒せたと言ってもいいんだからねえ。そうだろ、エンマ。」

「う…。まあな。」

「それじゃ、あなたは何なの…?」

 蓮花は夜鬼への警戒を解いていなかった。蘭丸は、別に警戒する様子もなく、じっと夜鬼を見ていた。

「あたしは黄泉の国の王さ。そして、吸血族の長でもある。エンマが妖力を抑えられるようになったのも、あたしがこいつに修行を課したおかげなんだよ。」

「…てめーは何もしてねーくせに、エラソーに…。」

 エンマは、ちらりと夜鬼を見て呟いた。

「だからね、エンマが神力に目覚めたのも、あたしのおかげなんだよ。あたしはずっと、雷鬼を倒したかった。雷鬼は人間を滅ぼそうとしていたからね。人間を滅ぼされたら、あたしたち吸血族の餌がなくなって困るんだ。そういうわけで、あたしはアヤメの子であるエンマに期待してたのさ。一歩間違えれば、エンマは魔物になりかねなかった。でも、お前たちがいたから、こいつは人間でいられたんだ。これからも、こいつと仲良くしてくれ。」

 夜鬼は蓮花と蘭丸を見て、艶やかに微笑んだ。

「なんでてめーがそんなエラソーなんだよ!」

「フフ…。あたしはお前の保護者だからねえ。」

「別にてめーに保護なんかされたかねーんだよ!」

 エンマは、夜鬼を睨み付けた。

「…全く、雷鬼を倒しても、お前はまだまだ餓鬼だねえ。あの神力は、マグレに過ぎなかったのかねえ。ま、それはともかくヤトもそろそろ限界だろう。あたしがお前たちを里に運んでやるよ。乗りな。」

 変身した夜鬼の背中に皆乗って、ヤトに別れを告げて、一路花霞の里へと向かった。

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