第23章「フータのことば」

 それからしばらく毎日、蘭丸の家の庭で、エンマと蘭丸が木刀を振るって修行する傍ら、フータも風を操る術――風術の修行に励んでいた。

 また、フータはエンマのいない半年の間に、動物も使役出来るようになっていた。

 ある日エンマはフータに連れられて、氷助の訓練所へ行った。

 フータがどうしても、見てもらいたいからというからであったが、エンマは、氷助の訓練所へ行くことに、あまり気が進まなかった。というのは、そこに出入りしている蘭丸目当ての娘たちに辟易していたからなのだった。

「あっ、エンマ。蘭丸君は?一緒じゃないの?」

 そのうちの一人が、エンマが来るなりそう尋ねてきた。

「あいつは訓練所だ。」

「なあんだ、がっかり。どうせなら、蘭丸君を連れて来て欲しかったなあ。」

 その娘は恨めしそうにフータを見た。

「悪かったな、俺が来て。フータ、さっさと行こうぜ。うるさくてしょうがねえや。」

 エンマは娘を一瞥すると、不機嫌そうにして動物小屋へ向かって歩いていった。

「よくあんな怖い奴に話しかけられるわね。」

 他の娘が、エンマに話しかけた娘に言った。

「え?別に怖くないけど。見た目ほど怖くないんじゃないの。」

「あいつ、半年も行方不明になってたんでしょ。魔物に捕まったとかって。」

「蘭丸君も必死に探してたわよね。本当に優しくてかっこよくて…。」

 娘たちは、エンマが来たことも忘れて、いつものごとく、蘭丸の話題で盛り上がっていた。

 動物小屋では、フータが一匹の大きな犬の所へ、エンマを連れていった。

「こいつ、小太郎だよ。おいらの言う事を聞いてくれるんだ。」

 フータは、自分よりも大きな犬の頭を撫でながら言った。

 その犬は、赤褐色の毛色をしており、顔から胸、腹にかけては白い毛に覆われ、三角形の厚みのある耳がぴんと立っていて、尾はくるりと巻いていた。体はがっしりとして引き締まっていて、背中にフータが乗れるくらい大きかった。

「小太郎って、もっと小せえ犬じゃなかったか?」

「大きくなったんだ。」

「ええ!?マジでこいつが小太郎なのか!?でっかくなったなあ!」

 エンマは驚いて言った。

 前にエンマが見たときには、両手で軽く抱き上げられるほど小さな子犬だった。それが、半年でこんなに大きくなるとは、思いも寄らなかったのだ。

 小太郎は、真っ黒で円らな瞳をエンマに向けて、尻尾を振っていた。

「こいつ、兄貴のこと覚えてたよ!すごく喜んでる!」

「へえ。よく覚えてたなあ。そうか。俺だっておめえのことを忘れてなかったもんな。だったらおめえだって俺のことを忘れるわけねえよな。」

 エンマは小太郎の頭を撫でながら、嬉しそうに言った。

 小太郎は尻尾を激しく振りながら、エンマの顔を舐めたり、じゃれついてきたりして、すっかりエンマに懐いている様子だった。

「ハハハ。かわいいもんだなあ。蘭丸の鈴蘭や、みぞれの竜胆とはまた違うな。あいつらはこんなふうにじゃれてきたりしないもんな。」

「うん。おいら小太郎がかわいくて気に入ったから、いっぱい話しかけてたら、氷助に、こいつのアルジになってみろって言われてさ。アルジって言われてもよく分かんないけど、おいらは小太郎の兄貴分になったんだ。おいらと兄貴みたいにさ。おいらが兄貴で小太郎がおいらって感じ。」

 どこか得意気に、フータは言った。

「小太郎。外に出よう!」

 フータは小太郎の背中に飛び乗り、小屋から外の牧場へと飛び出して行った。

 緑に輝く草原の中を、小太郎に乗ったフータは元気に駆け回り、それを見つめるエンマの心は、ほのぼのと温かくなってくるのだった。


 ある日蓮花は、芭蕉の家へ行き、フータのことを話していた。

「フータはもう、飛天術も瞬足術も使えるんです。それに、風を操る術のようなものも。」

「ほほう。やはり、フータは普通の子供ではないと思っていたが…。風…か。」

 芭蕉は顎に手を当てて、何か考えていた。

「長老様。フータも、私たちの班に加えてはいかがでしょう。フータもそれを望んでいます。」

「うむ、いいだろう。まだ小さな子供とはいえ、そこまでの力を持っているのなら、心配はいるまい。」

 芭蕉の了解を得ると、蓮花は喜ばしい気持ちで部屋を出て、玄関に向かっていった。

「あの…。」

 玄関近くで、芭蕉のひ孫の葵が蓮花を待っていたように、おどおどとしながら声を掛けてきた。

「葵ちゃん。」

「あ、あの…、この間、来たときに…、本当は謝りたかったんですけど…。あの人に…。どうしても…出来なくて。」

「あの人?もしかして、エンマのこと?」

「は…はい。行方不明になっていたそうですけど…、戻って来たって聞いて。前に、失礼なことをしてしまったから…。ずっと気になってて、それで謝りたくて…。」

 葵は、目に涙を溜めていた。以前エンマを見て、気を失って倒れたことを気にしていたのだ。

「そんなの、もう気にしてないわ。エンマはそんなことで怒ったり恨んだりするような奴じゃないのよ。別に謝ることだってないわ。」

 蓮花は、葵の肩に手を置いて、明るく言った。

「で、でも…。」

「それじゃあ、一緒に謝りに行きましょうよ。」

「え…。」

「ここで一人うじうじしててもしょうがないわ。皆にも、ずっと会ってないでしょう?葵ちゃんが来たら、きっと蘭丸も喜ぶわ。ね、行きましょう。」

 蓮花に元気づけられるように言われて、葵はこくりと頷いた。

 そして蘭丸の家まで二人で歩いて来た頃には、日が傾いて夕方になっていた。

 門の前まで来て、葵は緊張した面持ちで立ち止まった。

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。」

 蓮花は、無理に連れて行こうとしたりせず、葵が自ら足を踏み出すのを待っていた。

「何してんだ?そんな所で。」

 いつの間にか二人の後ろに、エンマが木刀を持って立っていた。

「あ…ごめんなさい!!」

 怯えたようにして、葵は震えながらその場に土下座した。

「え?何なんだ、こいつは…。」

 エンマは戸惑っていた。

「長老様のひ孫の、葵ちゃんよ。覚えてないの?」

「ひ孫?」

 エンマは首を傾げていた。

「前に会ったときに、エンマを見て倒れたことを、謝りに来たのよ。」

「ああ!思い出したぜ。俺を魔物だと思ったんだろう。いちいちそんなことを謝りに来たってのか。」

 エンマは可笑しそうに笑っていた。

「ちょっと!葵ちゃんは真剣に謝ってるのよ!笑うことないでしょうが!」

 葵は頭を地面につけたまま、震えていた。

「いや、俺を鬼だの妖怪だのと文句付けてくる奴は大勢見たけど、こうやって謝ってくる奴なんて見たことがねえからな。ついおかしくなっちまって。ハハハ。」

「葵ちゃん!こんな奴なのよ、エンマは。気にする方がバカみたいでしょ。もう謝らなくていいわ。…全く、人の気も知らないで。」

 蓮花は葵を立たせながら、エンマを睨み付けた。

 涙でぐしゃぐしゃになった葵の顔を見て、さすがにエンマは罰が悪そうにしていた。

「悪かったな。でも、わざわざ謝ってくれたのは嬉しいぜ。他の奴は文句言ったって謝りもしねえし気にもしねえんだからな。おめえは優しい奴なんだな。」

 エンマは普段の乱暴な口調を控えて、精一杯穏やかな優しい調子で、しくしくと泣いている葵に向かって言った。

「お、エンマ。女の子を泣かせるたあ、ひでえじゃねえか。」

 そこへ、訓練所から帰って来た氷助がのしのしと歩いて来て言った。

「泣かせたわけじゃ…泣かせたのか…。」

 エンマは困り切ったように額に手を当てた。

「葵ちゃんじゃねえか。久しぶりだな!元気そうで良かったなあ。わははは!」

 葵は慌てて氷助に頭を下げた。

「お、お久しぶりです…。」

「そんなとこに立ってねえで、中に入れよ。夕飯も食ってけ。」

「あらあ、葵ちゃんじゃないの!」

 氷助の大声を聞きつけて外へ出て来たみぞれが、葵を見て嬉しそうに顔をほころばせた。

「よく来たわねえ。何年ぶりかしら。前に会ったときは、あんなに小さかったのにね。こんなに大きくなって…。」

 みぞれは優しく葵の頭を撫でていた。訓練所から帰って来た蘭丸も、葵が来たことを喜んでいた。

 その夜は、葵も加わり、皆で夕餉の時を楽しく過ごしたのだった。

「それじゃ、葵ちゃん。今日は私の家に泊まっていってね。」

 蓮花が言った。外はもうすっかり暗くなって、月明かりが道を照らすばかりになっていた。

「ありがとう。」

 葵は最早怯えた様子もなく、穏やかな微笑みを浮かべていた。

「良かったなあ。」

 去って行く蓮花と葵を見送りながら、蘭丸は呟いた。

「葵ちゃんは、小さい頃に魔物に襲われて以来、ほとんど外にも出られなかったんだ。それが、エンマ。お前がきっかけで、外に出て来れたんだ。ほんとに良かったよなあ。」

 家の中に戻って来た蘭丸は、しみじみとエンマに言った。

「そうだったのか…。この里にも、そういう奴がいるんだな。皆がおめえや蓮花みたいに強いってわけでもねえんだな。まあ、子供の頃に魔物に襲われてひでえ目に遭ったってなら、嫌な記憶になって、ずっと忘れられねえのかもな。だから俺を見て倒れたのも仕方がねえよな。」

「今日がきっかけで、葵ちゃんも前みたいに皆と遊んだり、霊術の修行をしたりするようになればいいんだけどな。…それにしても、エンマ。お前もすっかり里に馴染んできたみたいじゃないか。昨日の椿との勝負や、俺との勝負を見て、皆お前の強さを認めたようだよ。もう、お前のことを魔物だとか言う奴もいないんじゃないか。」

「そんなことは、あんまり気にならなくなったからなあ。別にもう俺は、魔物と言われようがどうでもいいぜって感じだな。」

 エンマは眠そうに大きな欠伸あくびをしながら言った。


 フータもエンマたちとともに魔物退治や、見回りに行けることになり、フータは大喜びだった。早速、蓮花や椿、楓もやって来て、五人は見回りに向かうことになった。

「やったー!おいら、兄貴のために頑張るからさ!」

「おいおい、小鬼君。僕らは魔物から弱い人間たちを守るために、闘うんだよ。赤鬼君一人のために頑張るってのはちょっと違うねえ。」

「うるせえ!おいらにはおいらのやり方ってもんがあるんだい!」

 フータは椿を睨み付けた。

「まあ、いいじゃないか、椿。やる気満々で頼もしい限りだね。あたしは楓というんだ。よろしく、フータ。」

「おめえが楓か!兄貴から聞いてるよ!言葉で魔物をやっつけたり、傷を治したり、すげえ術が使えるって!」

「そんなに大したことはないよ。」

 楓は涼やかに笑って言った。

「それにしても、久しぶりだね、エンマ。見ない間に、背が伸びたんじゃないか?前は、あたしと同じくらいだったのに。」

「そういや、そうだな。どうりで、蓮花がますますチビになったと思ってたんだ。」

「ちょっと!」

 蓮花が頬を膨らませて、悪戯っぽく笑っているエンマを睨んだ。

「楓、おめえも俺を探してあっちこっち飛び回ってくれたんだってな。すまなかったな。けどもう、俺はあのときみてえにおかしくなったりしねえからよ。」

「ああ、分かるよ。あたしには、エンマの気が前と違うってことは、一目で分かったから。」

「赤鬼君。僕だって一応、君を探したんだけどねえ。」

「そうだったな。ありがとな、椿。」

「ちぇ、なんかつまらない奴になったな。僕に勝ったから、もう僕なんかにからかわれたって平気ってわけかい。」

「てめえのからかいには、もう慣れっこになっちまってな。残念だったな。」

 エンマの余裕な表情を見て、椿は面白くなさそうに豆を取り出してぽりぽりと食べた。

「フータ。里の周りを魔物がうろついたりしてねえか、俺たちは見回るんだ。気合い入れて行こうぜ。」

「いえっさあーーっ!!」

 フータは小太郎を連れて来ていて、その背中に乗って勇ましく返答した。


 夜になり、川辺で焚き火をして、皆そこで交代で寝ることにした。

 黒い木々の影が取り囲む森の上には、満天の星空が広がっている。

 それを、エンマとフータは毛布の上に仰向けに寝て、見上げていた。

「きれいだなあ…。」

 フータは空を見て呟いた。

「フータ。おめえは、不思議な奴だな。」

 エンマが言った。

「なんで?」

「いや、風の力を使うってのも驚いたけど、俺なんかのために頑張るとか…。どっちかっつーと、あんときおめえの命を助けたのは、蘭丸の力のおかげなんだぜ。俺はあんときはなんにも出来なかった。」

「でもおいらは兄貴が好きなんだ。だから兄貴のためなら頑張れるよ。おいらは兄貴を守るために生まれたんだ。」

「よくそんな恥ずかしいことを言えるな…。まあ、おめえだから言えるんだろうが。」

 エンマは苦笑した。

「だって、本当にそう思うんだ。おいらの記憶がないのも、おいらが何にも食べられないのも、何かわけがあるんだ。でもそんなのはおいら、どうでもいい。おいらの気持ちは、いつでも兄貴にあるから、兄貴のために頑張るのが、おいらの…うーん…。…言葉が見つからないや。」

 フータは頭を掻いた。

「けど、フータのそういう言葉を聞いているとな、いろんなことに気付かされるんだ。今の俺はおめえと違って、じじいの仇を討つとか、自分の恨みや憎しみのために生きて、闘っているんだ。今はそれでもいいだろうが、もし、あいつを…雷鬼を倒したら、俺はそれから、何のために生きて、何のために闘えばいいんだろう。そう思うとな、フータ。おめえのような考えが正しいような気がしてくるんだ。俺もそんなふうになれればな。…とかな。」

 どこか照れくさそうにして、エンマは笑った。

「おめえや、蓮花たちといると、時々、雷鬼なんかどうだっていいって気もしてくるんだ…。花霞の里で、毎日楽しく生きていられりゃあ、それでもいいってな。でも、俺はじじいのことを思い出せば、今でも怒りが込み上げてきて、やっぱり雷鬼は許せねえし、あいつを倒さなけりゃ、いつか人間も滅ぼされちまう。だから今はなんにも考えねえで、ひたすら修行して、雷鬼を倒すことだけ考えていたい。おめえのような考えになるには、俺にはまだ早すぎる。俺にはまだ、守るための闘いなんて出来ねえ。ましてや、守るための生き方なんてのもな。」

 エンマの話を、フータはじっと真剣な顔をして聞いていた。

「…って、ぐだぐだとなんか語っちまったな。こういう星空の下にいると、どうにも心ってもんが解放されてくみてえで。」

「うん。きれいだね。」

 フータの黒い瞳に、輝く星々が宇宙のように大きく映って、煌めいていた。

「…ん?」

 穏やかだったエンマの緑の目が、急に鋭く光った。

「お出ましのようだな…。フータ、他の奴を起こすなよ。」

 そう言って、エンマは一人で森の奥へと入って行った。

「えっ…?兄貴、どこに行くんだよ。」

 フータもエンマの後を追いかけて行った。

「兄貴!」

「魔物がいるぜ。」

 そう言って振り返ったエンマの目は、緑色ではなく、黄色に光っていた。

 暗闇の中で、黄色に光るその目は、緑色よりももっと魔物らしく見えた。

「びっくりするなよ。この目は、魔眼て言ってな。魔物の目なんだ。俺はこの目で、魔物の姿を捉えて攻撃出来る。黄泉の国の修行で身に付けたんだ。」

 驚いたようにしているフータに、エンマは説明した。

 森の奥から近付いて来た一匹の黒い魔物は、四肢を持つ獣型の魔物で、目が緑にぎらぎらと光って、大きく開いた口からだらだらと涎を垂らし、口の中から鋭い牙と、赤黒い舌が覗き見えていた。

「早速、霊剣を試させてもらうぜ。」

 エンマは刀を抜き、青い霊気を刀に纏わせた。

 そして、魔物の胴体に向かって刀を一振りし、その体を真っ二つにした。

 魔物は斬られた場所から白い灰になって消滅していった。

「よし。これで俺にも霊剣が使えるってことが証明されたぜ。」

 魔物自体は弱かったが、エンマは今まで霊剣で魔物を倒したことがなかったので、確実に魔物を仕留められたことは、一つの自信となった。

 ふっと、エンマの目の色がもとの緑色に戻った。

「大丈夫だったみたいね。」

 そこへ蓮花がやって来た。

「なんでえ、俺とフータじゃ心配だってーのか?この通り、魔物は倒したぜ。」

 蓮花を見て、少し不満そうにしてエンマが言った。

「それほど強い妖気は感じなかったから、そんなに不安はなかったけど、一応。エンマも霊剣を使えるようになったのね。」

「ああ。もうこれで、おめーらの足手まといにはならねーぜ。」

「それは頼もしい限りね。」

 笑い合う二人を交互に見て、フータはどこか所在なさげにしていた。

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