第19章「吸血族」

 黄泉の国の地下世界から、夜鬼の住む宮殿へ。

 ずっと暗闇にいたせいで、エンマは、螺旋階段を昇って宮殿に戻って来た瞬間、あまりの眩しさに、目をぎゅっと強く瞑った。眩しいくらい強い光など、黄泉の国にはないのだが。むしろ黄泉の国はいつも霧に包まれたようにぼんやりとしている世界なのだ。

「なあっ、柘榴に聞いたんだけどよ、この黄泉の国ってのは、お前が前の王を倒して新たに王になったんだって?」

 エンマは夜鬼に尋ねた。

「ああ、そうだ。前の王は顔も心も醜い男でね。柘榴を妻にしようとしてここへ連れて来て、騙してあそこに閉じ込めたのさ。かわいそうに、柘榴には婚約者がいてね。その男が柘榴を連れ戻しに来たときには、既に柘榴の姿は、ここで食事をしたせいで醜く変わってしまっていたのさ。それを見て、男は恐怖に駆られて逃げていったんだ。以来、柘榴はずっとあそこで呪い、憎み、恨んで生きていた。そして、人の憎しみや悲しみといった、負の心から生まれる気を食らう魔物へと変わっていったのさ。」

「…そんなことがあったのか。」

「でもあたしが来て、前の王を倒してからは、この黄泉の国も少しはましになったのさ。この宮殿だって、わざわざあたし好みに作り変えたりしてね。前の王は、死のケガレってものに満ちた、死そのものの存在だったんだが、あたしは吸血族っていう、魔物の中でも特別で、わりと歴史の浅い新しい種族だからね、あんまりこの黄泉の国の古いルールとかには縛られていないんだ。それにあたしは再生の力を持っているしね。死だけの存在じゃないってことさ。」

「ふーん…。で、吸血族ってのは、お前の他にもいるのか?」

「ああ、いるさ。あたしがそいつらの長なんだ。ただ、ここには住んでいないよ。人里に紛れて暮らしてるんだ。そうしないと生きていけないからね、普通の吸血族は。人の生き血を吸って生きてるんだから。」

「そうか、だから人を滅ぼされると困るってわけだな。」

 合点がいったように、エンマは頷いた。

「そういうことだ。」

 夜鬼は微笑んだ後、急に鋭い目つきになった。

「さて。お喋りはこれくらいにして、そろそろ、修行に入ろうか。」

「おお!」

 夜鬼はエンマを大広間へ連れて行った。床が大理石で出来ていて、壁も柱も何もかもが白く光っていて、美しかった。地下世界の湿った暗い場所とは、大違いだった。

「よーし!やってやるぜ。」

 やる気に満ちた目を光らせて、エンマはうずうずしたように体を動かしていた。

「ふっ、よっぽど修行が好きなんだねえ。それとも、ケンカするのが好きなのかい?このあたしと、試しに戦ってみるかい?」

 夜鬼はにやりと笑った。

「て…てめえと?」

「何びびってんのさ。いずれお前は、雷鬼を倒さなきゃいけないんだよ。あたし相手にびびってちゃ、雷鬼になんか到底敵わないね。」

「…んだと!」

 かちんと頭にきたエンマは夜鬼を睨み付けると、刀を抜いて夜鬼に切っ先を向けた。

「遠慮はいらないよ。その刀でかかってきな。どうせあたしは死なないんだ。斬られたって平気さ。ま、そんななまくら刀で斬れればの話だけどね。」

「なめやがって!」

 エンマはすっかり頭に血が昇って、夜鬼の挑発に乗っていた。

 刀を振り回して乱暴に夜鬼に向けて当てていったが、そのような手当たり次第の攻撃が夜鬼に当たるはずもなく、そのうちにはっとエンマは我に返り、冷静さを取り戻した。

 ふうっと息を吐いて構え直すと、エンマは、ただ突っ立って腰に手を当て、嘲るような微笑を浮かべている夜鬼に向かい、疾風のような速さで駆け抜けながら、刀を一振りした。

 だが、夜鬼は相変わらず馬鹿にしたような顔をして、すり抜けるように攻撃をかわした。

 並大抵の相手ではないと、エンマにも勿論分かっていたが、全く歯が立たないとはこのことだと感じた。

 どんなに会心の攻撃を繰り出したと思っても、全てかわされて、まるで霧や煙を相手に戦っているようだった。

 霊力を使っていても無駄だった。霊気を纏った刀であっても、まるで当たった感覚もなく、夜鬼の方は、ただ腕を組んで立っていて、その場からほとんど動いていなかった。

 夜鬼を見定めようと、心眼を使おうとしたが、その修行もまだ途中であったことをエンマは思い出した。伝視術すら、まだろくに使えないのだ。蓮花に言われたことを思い出して、開眼しようと試みたが、そう上手くはいかなかった。

「そんなもんかい。じゃあ、今度はあたしの番さ!」

 突然、夜鬼がエンマに飛び掛かってきた。

 エンマを床に突き倒すと、エンマの片足を掴んで投げ飛ばした。エンマの体は壁に叩きつけられて、ずるりと床に転がった。

「いてて…。」

 エンマがよろよろと立ち上がるのを待っていたかのように、夜鬼は、立ち上がったエンマの腹をすかさず蹴った。

「ぐおっ!」

 思わず内臓を吐き出しそうになるくらい、重い一撃だった。あまりの痛さに、エンマは刀を落として両手で腹を押さえた。

「へへへ…痛いかい?」

 夜鬼は残酷な笑みを浮かべて言った。

「くっ!」

 エンマは緑色の目で鋭く夜鬼を睨んだ。

「いいねえ!その目!あたしの嗜虐心が刺激されるねえ!アハハッ!」

 夜鬼は高笑いして更にエンマの腹を膝で蹴り上げ、両手を重ね合わせて作った拳でエンマの背中を思い切り殴った。

 殴られて、うつ伏せに倒れたエンマの髪を引っ掴むと、夜鬼は大理石の硬い床に何度もエンマの顔をぶつけた。

 そして、血まみれになったエンマの顔を見ようと、夜鬼はエンマの体を足で転がして仰向けにさせ、腹に自分の片足を乗せて踏み付けた。

「うう…。」

「フフフ…。お前みたいな生意気な餓鬼をいたぶるのは楽しいねえ。さっきまでの威勢はどうした?ほらほら、もっと暴れてあたしを楽しませておくれよ。アハハハハハ!!」

 夜鬼は、ぐいぐいとエンマの腹を踏み付けながら、残虐な目で見下していた。

「刀がないと、なんにも出来ないのかい。だらしがないねえ。」

「ちっ!ずるいじゃねえか!いくら何でも…。てめえは妖術が使えんだろ!俺をいじめて楽しんでるだけじゃねえか!」

 エンマは精一杯声を振り絞って叫んだ。

「アハ。バレたか。」

 夜鬼は舌を出した。

「この変態が!」

「でもねえ…、こうしてお前をいじめていれば、またお前の妖力が湧き上がって、いきなり妖術が使えるかも…とか考えてたんだけどねえ。いちいち教えるのも面倒だからさ。自力で出来るようになってもらえれば、こっちとしては楽だし、いじめる方が教えるよりも楽しいしね。」

「教える気ねえんだな…。ったく、所詮てめえは魔物だからな。てめえを信用した俺がバカだったぜ。てめえは、俺が苦しんでるのを見て喜んでるだけなんだろう。悪趣味な奴だ。」

「確かにそれはそうだね。あたしは、お前が苦しむ姿を見るとゾクゾクするのさ。でもそれ以上に、あたしは雷鬼が苦しみ悶える姿を見たいんだよ。そのために、お前にはなんとしても強くなってもらわないとね。」

「魔物ってのは…。やっぱり、まともじゃねえな。歪んでらあ。」

 エンマは夜鬼に踏み付けられたまま、自分を見下して笑っている魔物の姿を見上げて、奇妙な怖気を感じていた。

「そう。歪んでいるのさ…。」

 不意に男の声がして、エンマはその方へ顔を向けた。

「誰だ?」

 広い部屋の奥の方の、白い柱の陰から、一人の青年が現れた。

 非常に美しく、整った顔立ちをしており、一瞬見ると男か女かも判別がつかないくらい麗しい姿をしていた。

 髪は銀色に光っていて、瞳は琥珀色に潤んでいた。

 近付いて来て見れば、その青年の顔は夜鬼によく似ていた。

「何故お前がここに…。」

 夜鬼は彼を見て眉をひそめた。

「僕は死鬼シキ。夜鬼の弟さ。」

 死鬼と名乗った青年は、エンマを見て言った。

「弟か。どうりで夜鬼にそっくりだと思ったぜ。」

「君も、雷鬼にそっくりじゃないか。…エンマ。」

 死鬼は、じっとりとした暗い雰囲気を纏い、じっとエンマを見つめていた。

「死鬼。用がないなら、ここへは来るんじゃないよ。」

「夜鬼が楽しそうにしていたわけは、こいつがいたからだったんだね。本当に、雷鬼に似ている…。」

「何が言いたいのさ。」

「エンマ。君は夜鬼にとって、雷鬼の代わりなのさ。」

「ああ?そりゃ、どういう意味だ。」

 エンマは、夜鬼に踏まれたまま聞いた。

「夜鬼にとって雷鬼は、殺したいほど好きな相手なのさ。」

「…え?殺したいほど…何だって…?意味が分からねえな…。」

 エンマは死鬼の顔を不思議そうに見ていた。

「だから歪んでるんだ。」

 死鬼は少し、微笑んだように見えた。

「ふん。何をバカなことを言ってるのかね。エンマ、こいつの言うことは気にするな。少しイカレてんだよ。」

 ようやくエンマを押さえつけていた足を離して、夜鬼が言った。エンマは腹をさすりながら起き上がって、座ったまま死鬼を訝しげに見ていた。

「分かってるくせに。夜鬼。こいつを使って、昔の再現をしようとしているんだろう。」

「死鬼!お前は黙れ。あたしは今、こいつに妖術を教えるんだからね。」

「そう。昔もそうやって、夜鬼は雷鬼に教えていた。」

「なにっ!?」

 それを聞いて、驚いたようにエンマは夜鬼を見上げた。

「ちっ…。余計なことを言うんじゃないよ。」

「じゃあ、夜鬼。てめえは、雷鬼の師匠だったっていうのか!?」

「師匠ね…。まあ、そんな所かな。あたしは弟子に裏切られたのさ。」

「それもただの弟子じゃないんだ。夜鬼は、優れた力を持っていた雷鬼に、心底惹かれて…愛してしまったのさ。」

「お黙り!お前に何が分かるってのさ、死鬼。」

 夜鬼は、死鬼を睨み付けた。

「僕は雷鬼が憎いんだ…。夜鬼の心を奪った雷鬼がね。そしてその子のエンマ。君も…君も僕から、夜鬼を奪うのかい。」

「は?マジで意味が分からねえんだが。おめえ、大丈夫か?」

 エンマはすっかり、この死鬼という男は頭がおかしいのだと思っていた。

「…ハア。」

 夜鬼はため息をついていた。

「あはっ!いい匂いがするわあ!」

 今度はどこから現れたのか、底抜けに明るい声を上げて、小さな少女が走って来た。

 肩よりも少し短いくらいの、美しい黒髪をさらさらと揺らしながら、少女はエンマに向かって駆け寄って来た。

「なんだい、お前まで来て。」

 夜鬼は少女に向かって言った。

 しかし少女は夜鬼を無視して、いきなりエンマに飛びつくと、首元に噛み付いた。小さな口を大きく開けると、そこから鋭い牙が現れ、その牙を、エンマの首筋に突き刺して、ずるずると血を吸い始めた。

「うわあっ!!」

 エンマはびっくりして声を出した。

「おええっ!!」

 少女は顔をしかめて、今吸い取ったばかりの血を全部吐き出すと、エンマから離れた。

「なにコレ!?なんてまずい血なの!匂いはすごくいいのに…。なんて酷い味!!」

「こいつはエンマだ。半分の血は雷鬼なのさ。」

 夜鬼が言った。

「うえっ!?じゃあまずいはずね。」

「フ…。」

 死鬼はその様子を見て、微かに笑っていた。

「ひどーい!死鬼、あんたは気付いてたんでしょ!早く言ってよ!あんまりいい匂いがしたもんだから、つい襲っちゃったじゃないの。」

 少女は頬を膨らませた。

「いてて…。なんだ、この餓鬼は。」

 エンマは、まだどくどくと血が出ている首筋を押さえながら言った。

「餓鬼ですって?あたしはあんたなんかよりずっと年上なのよ。夜鬼よりもね。」

 少女は、腰に手を当てて偉そうにしてみせた。どう見ても、フータと同じくらいか、それより幾分かは上くらいの年頃の女の子にしか見えなかった。真っ白な肌に桜色の小さな唇、大きな黒目勝ちの瞳。この少女もまた、非常に美しかった。

「え…?夜鬼よりおめえの方がババアなのか?」

「そういうこと。…って、ババアって何!?失礼ね!」

瑠璃るり。どうしてお前たちがここに…。一体何しに来たんだ。」

 うんざりしたように、夜鬼が言った。

「だって、死鬼が突然夜鬼に会いたいって言い出したから。夜鬼の所に、変なのが来たとか言い出して。」

「変なのって、俺のことか!」

 エンマがぼやいた。

「死鬼は夜鬼のことが大好きだから。嫉妬してるのよ。」

 瑠璃という吸血族の少女――実際の年齢はともかくとして――は、困ったような顔をして言った。

「全く、そういうことならもううんざりさ。いつまで、お前はあたしから離れられないのさ。あたしはお前の母親じゃないんだよ。変な嫉妬だって、やめてもらいたいね。気持ち悪くて仕方がないよ。」

 吐き捨てるように、夜鬼は言った。

「はっきり言って、迷惑なんだ。あたしは雷鬼を倒すことしか考えてないってのに、ああだこうだとおかしな妄想を勝手にしてさ。邪魔なんだよ。雷鬼を倒す力も持ってないくせにさ。」

「そうだね…。僕には、雷鬼を憎む心はあっても、あいつを倒す力はない…。」

 死鬼は目を伏せて、下を向いた。

「ち!なんだよ、暗い奴だなあ!」

 苛々したように、エンマが声を上げた。

「なんか知らねえが、シキって、おめえ…、雷鬼が憎いっつってたな。だったら、強くなってあいつを倒そうって思わねえのか!?俺はあいつのせいでじじいを殺されたり、里を滅茶苦茶にされたりしたから、あいつに復讐してやりてえ。だから今、こうやって修行に来てんだ。俺が夜鬼といるのが気に食わねえってんなら、てめえもここで修行でも何でもして、夜鬼に力を認めさせりゃあいいじゃねえか。」

「エンマ。勝手なことを言うんじゃないよ。あたしはこいつらが邪魔なんだ。出て行ってもらいたいんだよ。」

「でもよ、姉弟なんだろ、お前ら。死鬼が夜鬼と一緒にいてえなら、それでいいじゃねえか。なんだってそんなに弟を邪険にするんだ?てめえは。」

「…エンマ、お前は人間の里で暮らしてたから分からないだろうけどね、姉弟といっても、人の世界と魔物の世界じゃ、違うんだ。あたしたちの世界じゃあ、親兄妹なんて、ないものに等しいのさ。だいたい、こいつは弟といっても、双子だからね。まあ、妖力は全てあたしが親から引き継いでしまったために、こいつには何も残らなかったから、昔は面倒をみてやったこともあるけどね。」

「そんなものなのか…?じゃあ、てめえらの親ってのはどうなってんだ?」

「物好きな吸血族がいてね。どこぞの人間の女の腹を借りて、あたしたちは生まれてきたのさ。だけど、吸血族は不死の魔物だからねえ、増えるなんてことは有り得ないんだ。あたしたちの親は、不死の権利を失って、あたしたちに血を全て与えて消滅したのさ。だからあたしは親なんてものも知らない。魔物なんてそんなもんだよ。同じ腹から一緒に生まれたとしても、ずっと一緒に暮らすなんてことはないんだ。だからこいつは異常なんだ。それにね、あたしは自立も出来ないような奴は嫌いだよ。いつまでもべたべたと。吸血族は、そんな弱い種族じゃないはずだろ。死鬼、お前に言っているんだよ。」

 厳しい口調で言い、夜鬼は死鬼を睨み付けた。

「…どうして、手に入れられないと思うと、それが無性に欲しくなってしまうんだろう…。ねえ、夜鬼。何故なんだろうね…。」

 死鬼は妖しい微笑を湛えて、じっとりとした目つきで、夜鬼を見ていた。

「てんで、人の話も聞いてねえな、こいつは…。」

 呆れ返ったようにして、エンマは死鬼を見ていた。

「そんな目で見ないでおくれよ!全く、寒気がしてくるね。おい、瑠璃。このイカレ頭を何とかしてくれ。あたしの視界に入らないようにさ!」

 夜鬼はそう言って、広間を出て行った。

「おいっ!修行はどうすんだ!?」

 エンマは立ち去る夜鬼に向かって言ったが、既にその姿は消えていた。

「ち!てめえらのせいで…。俺はさっさと修行して力を身に付けて、里に帰りてえってのに!」

「ね、どうする?死鬼。帰るの?」

 瑠璃は死鬼の顔を下から覗き込むようにして言ったが、死鬼は瑠璃を見ようともしなかった。

「エンマ。君のことは僕が見てあげるよ。」

「は?」

「退屈なんだ。僕も夜鬼も。夜鬼は退屈を紛らすために、雷鬼を倒すなんて言ってるけど。」

「でも、てめえは弱いんだろ。さっき夜鬼が言ってたじゃねえか。」

「強いとか弱いとかは関係ないのさ。」

「関係なくねえだろ。妖術の使えねえ奴から何を教われってんだ。」

「教わるってことが間違いなのさ。自分で見つけるんだ。夜鬼もそのつもりで出て行ったのさ。夜鬼を攻撃することは出来なかっただろう。無理さ。それに、夜鬼をもし傷付けたら僕は許さない。僕や瑠璃のことは傷付けたって構わないさ。」

「ひどい!」

 瑠璃が死鬼を睨んだ。

「そんなの、弱い者いじめみてえで何だかな…。だがしょうがねえ。自力で見つけろってんなら、見つけてやろうじゃねえか。」

 エンマには、既に何らかのイメージがあるようだった。

「君の中に…炎が燃えているね。」

 死鬼が、唐突に言った。

「よく分かったな。俺は今から炎を出そうと思ったんだ。妖術ってーと、それしか思い浮かばねえし。」

「僕は妖術も使えないし、夜鬼が言うように、とても弱いよ。でも、吸血族という魔物の、生まれつき持っている能力というものは当たり前に持っている。君もそうじゃないかい。人と魔物両方の能力が使えるはずさ。人の中で育ってきたから、自分を人だと思い込んで、その枠の中でしか出来ないと思っているだろうけれど、君の場合は違うんだ。魔物の力を使うためには、自分が魔物であることを自覚しなければならないのさ。意味が分かるかい?」

「俺は魔物なんかじゃねえ!」

「そう思っている限り、君は妖術を使うことは出来ないだろうね。だけど、もう既に、君は妖力に目覚めている。それは、どこかで自分が魔物だと思っているからさ。もう、心の底では分かっているんだ。でもそれを認めたくない。認めたくないという思いが、君の邪魔をしているんだよ。どうして、ありのままの自分を受け入れないのさ。僕のようになればいい。僕は弱い自分のままでもいい。夜鬼に冷たい目を向けられてもそれでいい。僕は夜鬼だけを見ていたい。夜鬼だけを愛していたい。それでいいじゃないか…。」

 死鬼の目は、あらぬ方向を見ていた。

「途中まではなるほどって思ったんだけどな…。やっぱり気持ち悪いぜ、こいつは…。」

 エンマは辟易したように言った。

「死鬼は、あんたに興味を持ったのよ。こんなにしゃべるなんて、滅多にないことだもの。夜鬼以外に興味がないから。」

 瑠璃がエンマに言った。

「瑠璃、とか言ったな、おめえ。おめえは、なんでこんな変な奴といるんだ?」

「だって、一人じゃかわいそうでしょ。それに、夜鬼に頼まれたのよ。夜鬼がこの黄泉の国の王になったときにね。これからはここで暮らすからって。それでもこうして時々、死鬼は夜鬼に会いに来るのよ。迷惑がられるのも分かってるのに。困ったものだわ。」

 そう言って死鬼を見る瑠璃の表情は、優しく穏やかなものだった。

「…おめえはやっぱりババアなんだな…。フータと同じ餓鬼かと思ったが…。」

「ちょっと!ババアってさっきから何なの!?どう見たってババアじゃないでしょ。あたしはこの姿が気に入ってるんだから!」

「なあ。ふと思ったんだが、吸血族ってのは、一体、どういう種族なんだ?親兄弟が関係ねえとか、どう見ても餓鬼のおめえの方が、夜鬼よりも年上とか…。訳が分からなさすぎるぜ。」

 エンマは、頬を膨らませている瑠璃を気にも留めずに尋ねた。

「あんたは、確か雷鬼とアヤメの子供で…、魔物のこともよく知らないんだったわね。それじゃ、簡単に説明してあげる。…っていうか、そんなことも言ってないの?夜鬼は。全くもう、適当なんだから。」

 瑠璃は呆れたように言った。

「吸血族は、元々人間から発生した魔物なのよ。他の魔物との大きな違いは、そこね。他の魔物は、ほとんど獣から発生したのよ。」

「え?それは…、吸血族は人から生まれた魔物ってことか?」

「生まれたという言い方は正しくないわね。突然変異した…という表現をすればいいのかしら。一部の人間が吸血族に突然変異したの。そして、その突然変異した最初の吸血族たちは、自分たちは異端の人間だとしか自覚がなかった。魔物だと思ってなかったのね。そのときは彼らはまだ完全には魔物ではなかったし、吸血族としてもまだ未完成だった。単に人の生き血を吸う異常者という感じで、不老不死でもなかったの。でもやがて、吸血族はその数が増えるに従い、進化を遂げて、新鮮な生き血を吸収して不老不死を保つ能力を手に入れて、今に至ったわけ。」

「ちょっと待て。吸血族は増えないとか、さっき夜鬼が言ってたが…。」

「だから、不死の力を手に入れてからよ、増えなくなったのは。考えてごらんなさいよ、死なない奴らが、どんどん増えてったら、どうなるか。さすがにいくら魔物でも、自然の摂理には敵わないってわけ。あたしたちが生きている世界の容量には限りがあって、その限られた中で生き物が生きていくためには、ある程度の数を保ちつつ、ある程度は死んでもらわないと困るわけ。増えすぎても困るし減りすぎても困るから。人間には寿命があるから、人間としての種族を維持するために、子供を生み増やす必要があるけど、実際、ただ増えてるわけじゃなくて、人間が生まれた分、どこかで人間は死んでるの。例えば、どこかで老人が死んだとき、どこかで赤ん坊が生まれたりしてるってわけ。そうやって、バランスがうまく調節されているのよ。誰が仕組んだか知らないけど。まあ、とにかくあたしたち吸血族は、生物として反則的な、不死という能力を獲得したから、これ以上増える必要もなくなったの。夜鬼と死鬼の親のような例外はあるけどね。でもそれだって、親の吸血族は消滅したんだから、自然の摂理的にはプラマイゼロよね。まあ、双子ってことで、一人多くなっちゃったかもしれないけど。」

「うーん…。なんか分かったような、分からないような…。まあ、要するに吸血族は年も取らなくて、死なねえ奴らってことか。…ん?待てよ。じゃあ、夜鬼とかおめえは一体何歳なんだ?」

「細かい数字は忘れたけど、あんたより何百年も長く生きてることは確かね。」

「ええっ!?何百年て…。それじゃ、マジでババアじゃねえか!」

「またババアって!吸血族に、年は関係ないの!」

「びっくりだぜ…。てっきり、夜鬼は二十代だと思ってたんだが…。あれは姿だけで、中身はババアなんだな。どうりで…。」

 何か納得したというように、エンマは一人頷いていた。

「…なんか、失礼なこと考えてない?」

 訝しげに、瑠璃はエンマを見て言った。

「いや、吸血族ってのは、面白いな。姿を好きなように変えられるとは。」

 誤魔化すように、エンマは笑って言った。

「姿を変えるってのも、ちょっと違うわね。維持する、って言った方がいいわ。あたしは、この姿が気に入ってるから、このままでいるのよ。成長を止めたの。」

「そんなチビっこい姿がいいのか。…いろいろだな。」

「なによー。まさかいやらしいこと考えてないでしょうね?夜鬼がセクシーだからって。」

「別に。嬉しくもなんともねえぜ。ババアなんだろ。」

「あー!そんなこと言っちゃって!夜鬼に言うわよ。」

「…エンマ。夜鬼のことをそんなふうに言うのは、やめてくれないか…。」

 死鬼の目は、あらぬ方向を見たまま、微かに微笑んでいた。

「あ?…ああ…。」

 不気味な死鬼の表情を見上げて、エンマは背筋がゾクリと寒くなるのを感じた。

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