第2章「炎の目覚め」
月明かりに照らされて、夜桜の花びらが、青い闇に舞い踊っていた。
桜の霞に煙る里、花霞の里である。
その里の門から外へ、一人の若者が出てくる所だった。
年は十六、七か。背が高く、端正な顔立ちをした少年であった。
少年は、大きな白い狼を連れて歩いていた。
「いつもと様子が違うな…。」
少年の名は、
蘭丸は、里の外へ出る前から、異変に気付いていた。
腰に差していた刀を素早く抜き、蘭丸は鋭く視線を走らせた。銀色の刀身が光ったかと思うと、それは暗闇に弧を描いて煌めき、闇に潜んでいた魔物を二つに引き裂き、その醜怪な肉を、星屑のごとく散らせていった。
一瞬の間の、鮮やかな技であった。
魔物を斬った刃は、青い燐光を帯びていた。
そして蘭丸は霊術の一つ、「
次々と襲い来る魔物たちを、蘭丸はその流麗な刀さばきで薙ぎ払い、煌めく砂に変えていく。魔物の肉は青い燐光に焼かれて、跡形もなく消えていった。
だが、魔物の数は一向に減る気配がない。むしろ増える一方のように感じた。
「これではきりがない!何故こんなに…。」
蘭丸は、連れていた白い狼の背にひらりと飛び乗ると、その場から離れていった。
「ふん。幾ら何でも、里へは入り込めないさ。」
後ろを振り返りながら、蘭丸はそう呟いた。
花霞の里には、魔物が入り込めないよう、結界術が施されているのだ。
「しかし何故あんなにうじゃうじゃと。まるで誰かを待ち伏せているようだったな。まさか…。」
蘭丸は指笛を吹き鳴らした。すると、どこからともなく空から一羽の鷹が飛んできて、蘭丸の差し出した腕に止まった。
「
そして乗っている狼に向かって言った。
「
エンマは、蓮花と共に花霞の里へ向かっていた。
「何かしら…?」
蓮花は、遠くの異変を敏感に感じ取っていた。
「また魔物が襲ってくるかもしれないわ。エンマ、気をつけて。」
「バカにするな。俺だって、戦えるさ。」
「まあ…。どうやって?あなたに何が出来るの?」
蓮花は、呆れたように言った。
「俺は、じじいから剣術を叩き込まれた。剣術なら、誰にも負けねえ!…じじいには、結局勝てなかったけどな。いつか、じじいに勝つのが俺の夢だった…。」
そこまで言って、エンマは口をつぐんだ。
「そう…。でも、魔物には通じなかったでしょ。」
「う…。それは…。」
「普通の者に魔物を倒すことは出来ないわ。私たちのように、霊術を使える者でないとね。」
「レイジュツ…?なんだよ、それ。」
「里に着いたら教えるわ。口で説明しても、あなたには理解出来ないだろうから。」
蓮花にそう言われて、エンマはむっとしたように蓮花を睨んだ。
(なんかムカつくな、こいつ…。)
そこへ、蘭丸の放った鷹、電光丸が飛んできた。
「あら?あれは蘭丸の…。」
電光丸は、空中で翼を大きく広げて静止し、蓮花に視線を向けた。
すると蓮花の脳に、花霞の里の周辺にいる魔物の群れが見えた。
蓮花は、電光丸が脳から伝えてきた記憶の映像を瞬時に受け取ったのだ。
伝心術。これも霊術の一つであった。
「どうして魔物が!これじゃエンマを連れて行けないわ。…そうか、先回りして待ち伏せているのね。」
「いきなり何だってんだよ。この鳥は…?」
エンマには、蓮花の突然の言葉の理由が分からなかった。
「知らせてくれてありがとう。蘭丸にもそう伝えて。」
電光丸は、クルリと回って、高く飛んで引き返していった。
「仲間から知らせを受けたのよ。魔物が私たちを待ち伏せしてるって。ここから里まで、あと二週間はかかるわ。私だけなら、五日もあれば行ける距離なんだけど…。その間に、魔物がもっと集まってくるかもしれない。そうなったら、幾ら私でも倒しきれなくなるわ。ぐずぐずしてられない。エンマ、急ぐわよ!」
蓮花にそう言われても、エンマはその場に立ち止まっていた。
「ちょっと待ってくれよ。俺には…何が何だか…。俺は魔物と人間の子で、そのせいで俺は魔物に狙われ、じじいは巻き込まれて殺された…。そんでもって、あんたは、俺を守れと言われて来た。そこまでは分かったけどよ。その、花…なんとかって里に行って、俺はどうなるんだ?」
「花霞の里よ。そこへ行けば、とりあえずあなたの身は守られると思うわ。」
「けど、なんであんたらが、俺を守る必要があるんだ?俺は、半分魔物なんだぜ。あんたらにとっちゃ、俺だって魔物の一種なんじゃねえのか?」
エンマは、だんだんと、疑いの目を蓮花に向け始めた。
「それは…。」
「俺は、地獄里でさんざん、鬼だの妖怪だのと罵られてきたんだ。なのに、いきなり知らない奴に守るって言われても…。あの時はじじいを殺されて混乱してたけど、よく考えたら変だろ。俺を騙そうとしてんじゃねえのか?」
「私はそんな人間じゃないわ。そんなふうに見える?」
「俺はもう、何もかも信じられねえ。今までだって、そうだ。じじいしか信じられなかったんだ。だからもう、俺が信用できる奴は誰もいねえ。」
エンマに疑いの目を向けられ、蓮花の心に怒りが湧いたが、エンマの緑色の目の向こうに、深い悲しみが宿っているのが分かると、蓮花は同じように悲しい気持ちになった。
「…そうね。あなたがそういうふうに思っても、仕方ないかもしれない。私だって、同じ立場だったら、誰も信じられなくて、どうしていいか分からなくなるかもしれないわ。」
蓮花は、まっすぐにエンマを見て言った。
「でも、私はエンマが魔物だとは思ってないわ。だって、そんなに人間らしい心を持ってるんだもの。おじいさんを亡くしても、魔物だったらそんなに悲しんだりしないわ。それに、あなたが魔物だろうと人間だろうと、本当は、そんなことはどうでもいいことじゃない。あなたのおじいさんだって、そうでしょう?あなたが魔物だからとか、人間だからとか、そんなことはどうでも良かったと思うわ。」
「…あんたも、じじいと同じことを言うんだな…。」
「ほら、ね。正直言って、花霞の里の人たち皆はどう思うか、分からないわ。だけど、私はそう思ってる。それにね…、私はエンマのお母さんをすごく尊敬していたのよ。だから…。」
蓮花は、そこまで言うと急に恥ずかしそうな顔をした。
「と、とにかく、何が何でも里に連れて行くわよ。あなたに信用されなくたって、私は私のやるべきことをするだけなんだから。」
「…分かったよ。とりあえずそこに行くしか他に道はなさそうだしな。あんたを信じてみるさ。」
エンマは、少しだけ笑ったようだった。
夜が深まり、もう真っ暗で道が見えなくなった。
蓮花は、魔物の嫌う場所を選んで進んでいた。
水のせせらぎを聞きつけて、その音を辿った蓮花は、そうして辿り着いた川辺で休むことにした。
エンマは、疲れた体でぐったりと仰向けになった。
天には、星空が迫るように広がっていた。
数秒で眠りに落ちたエンマは、昨夜起こった出来事を、夢に見ていた。
業火に焼かれる家。黒い魔物。草吉。
魔物が、草吉の肉を食べていた。
草吉は生きていた。生きながら、魔物に喰われているのだ。
血と炎が混ざり合い、真っ赤になった家の中で、体のあちこちを食べられ、襤褸布のようになった草吉は、それでも生きていて、エンマの方を見ていた。
その顔が、爛れて溶け、崩れていく。
草吉の優しい顔が、醜い魔物と化していく――。
「うわああああーーーーーっ!!」
エンマは絶叫と共に飛び起きた。
心臓の鼓動がドクドクと頭に響いていた。
「エンマ?どうしたの?」
座ったまま、うとうととしていた蓮花は、目を擦りながらエンマの方を見た。
「な、何でもねえっ!」
エンマは、わざと乱暴に地面に体を叩きつけるようにして横になった。
忘れたくても忘れられない光景。
目を閉じても、赤い炎が見えてくるようだった。
冷静さを取り戻したつもりでいたが、簡単に切り替えられるほど、クールな性格のエンマではなかった。
――眠れない。
天を仰ぐと、星々の中に草吉の姿が見えるような気がした。
ドクドクと心臓の音が高鳴り、血が沸き立つような感覚を覚えた。
知らないうちに流れていた涙が、波のように視界をゆらめかせ、エンマに幻を見せていた。
平和な家と、笑顔の草吉。
もう二度と帰れない場所がそこにあった。
冷たい悲しみは、次第に熱を持ち、激しく燃える怒りへと変わっていった。
火が燈った。
小さな火が幾つも幾つも燈り、それらが中心に集まっていった。
エンマの魂の深くで眠っていた炎が目覚めた。
緑色の目は、何気ない景色の奥を捉えていた。
足は、怒りの方向へと駆け出していた。
どこを走っているのかも分からない。
しかし、その道を辿れば、敵が待っているであろうことは感じていた。
エンマは、己の火が照らす道を、ただひたすら走った…。
根の国。ここに、魔物の大半が棲んでいる。
魔物にも上級、下級と位があり、上の位ほど姿や知能が人間に近く、下の位ほど獣に近かった。
その上級の魔物の頂点に君臨する者が、根の国の王であった。
現在の王は、
雷鬼は、自分の父である天魔を殺して、若くして王となったのであった。
「雷鬼様。エンマは、雷鬼様の予見通り、花霞の里へ向かっております。既に数百の部下を里の周りに送り込んでありますので、エンマが死ぬのも時間の問題かと。」
顔色の青い、醜い老人のような魔物が雷鬼に告げた。雷鬼の側近、
「誰が殺せと言った。」
雷鬼は、玉座に座ったまま、床を乱暴に踏み鳴らし、大声を上げた。
「は?」
表情一つ変えず、邪蛇は雷鬼の顔を見た。
「エンマは殺すな。生け捕りにして連れて来い。」
雷鬼はにやりと笑って言った。黄金色の髪と、明るい緑色の瞳が生き生きと光り輝き、暗い湿り気を漂わせる邪蛇とは対照的に、雷鬼は陽気でどこか無邪気にも見えた。
「しかし、雷鬼様は殺せと命じたではありませんか。」
「気が変わったのだ。それに、俺がこの手でエンマを殺さねば気が済まん。くだらぬ予言を打ち消すためにな。」
「王がわが子に殺される…、この予言が本当なら、エンマに会うのは危険かと思われますが。」
「この俺が本当に殺されると思っているのか?」
「いえ…。しかし、万が一ということも…。」
「フフ。分かっているぞ。それを一番望んでいるのは、邪蛇。お前だということをな。」
「……。」
雷鬼は鋭い目で楽しそうに邪蛇の顔を見つめた。
「昔、アヤメを妻にしたときも、お前は誰よりも強く反対していたな。人間と仲良くするなど汚らわしいとな。それで、あのようなくだらない予言を流したんだろう。」
「予言は、私が言ったことではありません。」
「とにかくお前は、俺に死んでほしいと思っている。お前は、天魔の部下だった。俺は王位を奪うために天魔を殺した。それを恨んでいるのだろう。」
「恨むくらいなら、雷鬼様に仕えたりしません。」
邪蛇は、先程と変わらない無表情で言った。
「俺が天魔の部下を皆殺しにし、何故お前一人を生かしたか。それは、お前が一番、天魔に忠実だったからだ。」
「……。」
邪蛇の顔を覗き込むようにして見ると、雷鬼はククッと悪戯っぽく笑った。
「皆が俺に忠実であってはつまらん。皆が俺に従うばかりではつまらん。俺は、俺に敵対し反抗する者の全てをぶち壊して、絶望させた挙句、征服し、支配したいのだ。」
雷鬼は、にやりと不敵に笑った。今まで陽気に笑っていた顔に、恐ろしいほどの凄味が満ち溢れた。
「エンマか。面白い名を付けられたものだ。正直言って、俺はこの目で一度、エンマを見たいと思っているのだ。お前の言う、汚らわしい人間の血が混じった魔物だからな。興味がある。」
「しかし雷鬼様。直接会って、もし情がわいたりすれば…。」
「アッハッハッハッ!そんなわけがなかろう。お前も分かっているはずだ。俺は親を殺した男だぞ。まあ、エンマの方は、育てのじじいを殺されて、さぞや魔物を恨んでいるに違いないが。仇を討とうとしているかもしれん。人間とはそういうものだ。そんな人間こそ、殺しがいがある。」
楽しくてたまらないというように、雷鬼は笑っていた。
「エンマは殺すな。生け捕りにしろとの雷鬼様からの命令だ。」
玉座の間から出ると、早速邪蛇は手下の魔物に命じた。
「はっ。」
手下たちは黒い影となって飛んで行った。
「…雷鬼め。予言をも自らの楽しみにしてしまうとは。」
一人になり、邪蛇は不気味な微笑みを浮かべながら、そう呟いた。
蓮花は、目覚めてすぐに、エンマがいないことに気付いて慌てた。
油断していたつもりはなかったが、いつの間にか深く眠ってしまっていた。その間に、エンマがいなくなってしまったのだ。
「一体、どこへ行ってしまったのかしら…。伝視術でも見つからないなんて。エンマの足で、そこまで遠くへ行けるはずはないのに…。」
「蓮花!」
蓮花が途方に暮れていた所に、白い狼に乗って蘭丸が現れた。
「蘭丸!?どうしてここへ…?」
「お前が心配だったんだ。」
蘭丸は、狼の背から降りて言った。
「何言ってるの。この私が、魔物にやられるわけないじゃない。」
「いや、あいつのことさ。エンマとかいう…。」
「それが…エンマが、いなくなってしまったのよ!」
「エンマには会ったんだな。」
「ええ。でも朝になったら、エンマの姿がどこにも見当たらなくて。伝視術でも見つからないの。」
「ふん、いいじゃないか。そんな奴のことなんか。」
「よくないわ!長老様に連れて来いって言われてるのよ。」
「俺は気に入らないな。だいたい、そいつは半分魔物なんだ。お前がアヤメ様を尊敬しているのは分かるが、もう半分の血が、あの雷鬼だとは、ひどすぎる。」
「蘭丸。あんたはエンマに会ってもいないじゃないの。私は、そんなに悪い奴だとは思わなかったわ。」
「…まあ、長老様に逆らうわけにもいかないしな。」
蘭丸が指笛を鳴らすと、どこからかあの立派な鷹が飛んできた。
「電光丸。エンマっていう、ムナクソ悪い魔物野郎を探してきてくれ。」
蘭丸はクールに命じていたが、「魔物野郎」という部分を強調して言っていた。
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