赤鬼伝

夏目べるぬ

第1章「地獄里の炎魔」

 夕焼けに染まった赤い空の下。

 緩やかな風が吹き、短く茂った草を撫で付けている。

 川原の涼やかな水音だけが、辺りに響いていた。

 そこに、木刀を持って対峙する二人がいた。少年と老人だった。

 少年は、鮮やかな赤い髪をしており、瞳は緑色だった。

 緑の目で、目の前の老人を射るように睨み付けながら、先の尖った木刀を構えていた。

 体中がぴりぴりと張り詰めたような、硬い姿勢だった。

 一方、老人の方は一見、隙だらけのように見えるほど、ゆったりとした構えだった。

 長い白髪を後ろで束ね、優し気な表情をした柔和な老人であったが、どこかつかみどころがなく、そして老人とは思えないくらいに逞しい体つきで、全身に覇気が漲っていた。

 老人は、ただ笑みを浮かべて立っているだけに見えた。まるで杖でもつくような手つきで、木刀を片手に持って。

 少年が、一歩踏み出した。

「らあっ!」

 大きな掛け声とともに、老人に向かって木刀を振り下ろした。

 だが、一瞬早く老人が軽やかに身をかわした。

 少年の動きは俊敏だったが、乱暴で無駄の多い動きだった。懸命に木刀を振り回していたが、極力体力を使わず、軽い身のこなしで攻撃を避ける老人には、一太刀も当てることが出来なかった。

 今まで回避に徹していたと見えた老人は、息を切らし、疲れを見せ始めた少年の手から、するりと木刀を奪い取り、その柄で少年の腹を突いた。

「ぐはっ!」

 少年は尻餅をつき、そのまま仰向けに倒れこんだ。

「どうした。もう降参か?だらしがないのう…。」

 老人は余裕の笑顔を見せ、少年から奪った木刀を投げ返した。

「ち…!ま…まだだ…!」

 少年は立とうとしたが、体が思うように動かず、よろけて転んだ。

「無駄じゃ。今のお前ではわしには勝てんよ。」

「くっ…。」

 悔しそうに少年は唇を噛み、老人を上目遣いで睨み付けていたが、急に、その場にばたりと倒れこみ、そのまま寝息を立て始めた。

「ふふ…。余程疲れたと見える。じゃが、本当に、逞しくなったものよ。」

 老人は呟いて、少年がまだ赤子だった頃を懐かしく思い浮かべた。

 この川原に捨てられていた赤子を拾い育てて十五年の歳月が経った。

 老人の名は、木霊草吉こだまそうきちといった。

 昔は武士としてどこかの屋敷に仕えていたが、今は山奥に住んで木こりをしていた。

 武士だった頃は、剣豪としてその名を知られるほどの使い手であった。

 老人とは思えないくらいの精気に満ちているのは、そのためだろう。

「さて、そろそろ帰るか。」

 星が瞬き始めた空を見て、老人は、広い背中に少年を背負って歩き出した。


 地獄里じごくざと

 草吉の暮らしている山のふもとにある里の名前だ。

 地獄里の山で拾ったから、少年に「エンマ」という名をつけたのだった。

 草吉は、エンマと二人で山奥の小さな家で暮らしていた。

「ほれ。メシじゃぞ。」

 夕餉の支度を終えた老人は、まだ眠っていたエンマを叩き起こした。

 エンマは、飯の匂いを嗅ぎつけると、がばと飛び起き、がつがつと飯を食らった。

「じじい!明日また勝負しろ!」

 飯を平らげると、エンマは草吉に言った。

「無理を言うな。お前の体が持たんだろう。」

「へっ!このぐれえ、どうってことねえぜ。俺は負けてねえ!まだ勝負はついてねえぞ。」

「威勢だけはいいがな。それだけではこのわしには勝てん。」

「せいぜいほざいてろ、くそじじい。」

 エンマは憎まれ口を叩くと、ごろりと横になり、すぐに眠り始めた。

「修行もいいが、少しはわしを手伝え。全く、毎日毎日遊び歩きおってからに。年寄りを労わる気持ちってもんが…。」

「じじいぐれえ元気な年寄りなんて見たことねーよ。」

と、エンマは片目だけ開けて言った。

「かっかっか!言えてるな。」

 草吉は大声で笑った。


 翌朝。

 乾いた木の割れる心地よい音が、辺りに響き渡っていた。

 草吉が庭先で薪を割っていたのだ。

 道具も何も使わず、素手で割っていた。

「ほいっ!」

 掛け声とともに右手をさっと振り下ろすと、不思議なほど綺麗に薪が二つに割れていく。

 どのような技を使っているのか、見当もつかない達人の技であった。

「エンマ!どこへ行くんじゃ。」

 家を出てどこかへ向かおうとするエンマを見て、草吉が呼び止めた。

「ふん。どこへ行こうと俺の勝手だろ。」

「悪さをしとるんじゃなかろうな。わしがお前に剣を教えとるのは、そのためじゃないぞ。分かってるだろうな。」

「…分かってるって。」

 エンマは、山奥から人里へと降りて行った。

 地獄里の中心部には、人々が大勢暮らしていた。

 たいして栄えている所ではないが、近くに山も海もあり、人々が飢える心配のない里であった。

「赤鬼だ!」

 エンマを見て、誰かが叫んだ。

 人々の視線が、エンマに集中した。敵意や、恐れの目だった。

「ふん。」

 エンマは、人々を鋭く睨んだ。

「赤鬼め。もうここへは来るなと言ったのに、またのこのこと現れやがって!」

 屈強そうな大男が、エンマの通り道を塞ぐようにして立ちはだかった。

「うるせえ!人を鬼だの妖怪だのと。俺は人間だって言ってんだ!」

「目は緑色で、耳は獣みてえにとがってやがるじゃねえか。おまけに赤い髪ときてる。てめえみたいな人間なんざ見たことがねえ。魔物が人間に化けてるに違いねえ!」

「なにい!」

 エンマは怒り、大男に向かって拳を突き出した。

 大男は、エンマの腕を捕らえ、投げ飛ばそうとした。が、いつの間にか背後にエンマが回っていて、大男の頭を肘で殴った。そのまま、大男はあっさりとその場に倒れた。

「こ、殺しやがった…!」

 人々が恐れたようにエンマを見ていた。

「殺してねえよ。気絶させただけだ。」

「恐ろしい…。やっぱり鬼だ。」

 遠巻きに見ている人々の言葉を聞いて、エンマは悔しそうな顔をして俯いた。

「ちっ…。何べん言ったら分かるんだ。俺は鬼なんかじゃねえ!」

 水溜りに映った自分の姿を見て、エンマは叫んだ。

「姿が人と違うだけで…。」

 ぽつぽつと、雨が降り出してきた。

 雨はだんだんと激しくなり、人々は急いで家へ入り、エンマ一人が取り残された。

 誰もいなくなった景色の中で、エンマは雨に打ちひしがれていた。

 雷が鳴り、雨はますます強くなってきた。


 エンマは、雨が降ってぐしゃぐしゃになった山道を、ずぶ濡れで走っていた。

 その泥だらけの足がふと、止まった。

 ゆっくりと歩を進めたエンマは、水溜りの中に倒れている小さな一羽の鳥を見つけた。

 そっとその小鳥を両手に抱えると、エンマは再び急いで走り出した。

「じじい!」

 家の戸を開けるなり、エンマは叫んだ。

「なんじゃ、そんなに泥だらけになって…。」

「こいつ、怪我してたんだ!」

と、エンマは草吉に手を開いて見せた。エンマの手の中で、小鳥はぐったりとしていた。

「どれどれ…。ふむ、羽が折れとるのう。命はあるようじゃが。」

 草吉は、エンマの手から静かに小鳥を受け取って、丹念に小鳥を調べていた。

「助けらんねえのか?」

 エンマは、心配そうにして草吉の顔を窺った。

「手当てをしよう。しばらくすれば、飛べるようになるさ。」

「良かった…。」

 ほっと胸を撫で下ろしたように、エンマは大きく息を吐いた。

 草吉は、そんなエンマの様子を見て、優しく微笑んだ。

「珍しいのう。お前が親切をしてやるとは。」

「だって、たまたまこいつが倒れてたのを見つけて…。いくら何でもほっとけねえだろ。鬼じゃあるまいし…。」

 エンマはぷいと横を向いて言った。

「赤鬼、と呼ばれとるのを気にしてるのか?」

「な、何でそれを知ってんだよ!」

 驚いたようにエンマは草吉の顔を見た。

「このわしだって、ひと月に一遍ぐらいは里に出るわい。お前のことが随分噂になっとった。」

「……。」

 エンマは、下を向いた。

「人の言うことなんか、気にするな。人に認められたいなんてちゃちいことを考えるな。お前はお前なんだ。わしは、お前を立派な人間に育てたと思っておる。」

「じじい…。」

 顔を上げたエンマの目に、涙が光っていた。

「かっかっか。強がってはいても、やはりお前はまだ子供だな。そんな些細なことを気にしていたなんてな。わしにも、そんなときがあった。誰でも悩むもんだ。自分は何者なんだろうとな。今まで生きてきて、わしにも自分がよう分からん。じゃが、エンマよ。人と違うことを恐れる必要はないぞ。むしろ誇りに思え。お前のその姿は誰にも真似できん。それが個性というものじゃ。”赤鬼”という通り名まで付けられて、お前はすっかり、地獄里の有名人じゃねえか。」

 草吉はそう言って笑い、エンマの肩をぽんぽんと軽く叩いた。

「じじい…。俺は別に、姿のことなんか気にしちゃいねえ。ただ、皆の俺を見る目が気に入らねえんだ。」

「お前は、里の者と仲良くなりたいのか?」

「誰が!あんな奴ら…。」

「お前がそう思っている限り、皆の目は変わらんだろうな。ま、わしは皆にどう見られようとどう思われようと、どーでもいいがな。」

「…つまり、何も気にすんなってこと?」

「そうさ。堂々としてりゃあ、お前は、里一番のかぶき者ってトコだろう。」

 がはは、と草吉は大きく口を開けて笑った。


 朝になり、昨日の大雨が嘘のように、からりと晴れ渡った空が広がっていた。

 エンマは、いつもより早く起き出して、手当ての済んだ小鳥の様子を見ていた。

「こいつは、風太ふうただ。」

 風太、とエンマに名付けられた小鳥は、籠の中でうずくまったまま、じっとエンマの方を見ていた。

「エンマ、早起きしたんなら、手伝え!」

 外から草吉の大声が飛んできた。エンマはうるさそうに顔をしかめたが、薪割り用の斧を持って外へ出て行った。

 素手でいとも簡単に薪を割る草吉を見て、エンマは、持っていた斧を脇に置き、すうっと深呼吸をしてから、勢いよく右手を薪に向かって振り下ろした。

「いってェーーーっ!!」

 エンマは、あまりの激痛に、右手を押さえてそこらへんを飛び跳ね回った。

「ばかもの。わしの真似などするからじゃ。お前には無理だ。」

「ちくしょう。じじいに出来て、俺に出来ねえなんて…。」

「お前にゃ、百年早い。」

「じじい…何千年生きてんだよ。」

 エンマは仕方なく、斧を再び握って、薪を割り始めた。

 草吉はその横で、切り株の上に腰を下ろして、右手に小刀を持ち、左手に持った木に何かを彫っている。

「じじい、何彫ってんだ。」

「これか?これはな、山の神様じゃよ。」

「山の神?見たことあんのかよ。」

「ああ。ある。」

「マジかよ!」

「ハハハ。正確には、見たような気がするという所かのう。これはわしの頭の中で想像した神様の姿じゃよ。」

「すげえな。こんなに細かく…。」

 感心したように、エンマは草吉の彫り物に見入っていた。

 草吉の木彫りの腕前は相当なものであった。

 木に彫り込まれた山の神の表情は穏やかで、愉快な笑みを浮かべており、どこか草吉に似ているように、エンマは感じた。

「お前は不器用じゃからのう。こればっかりは、わしにも教えられん。」

「悪かったな!」

 エンマはふんと鼻を鳴らして、力を込めてどかんと薪を割った。


 その夜。

 夕餉を済ませた後、薪を火にくべて風呂を沸かし、まず草吉が風呂に入っていた。

「極楽、極楽…。地獄里なのに、極楽気分じゃわい。」

 風呂の外で、エンマが時折竹筒を吹いて火を保っていた。

「じじい。」

 薄い壁の向こうから、エンマが声を掛けた。

「ん?」

「明日こそ、じじいに勝つからな。」

「何が?」

「何って、明日、勝負だってさっき言っただろ!」

 エンマは窓枠の間から顔を出して言った。

「ああ。そうだったか…?」

「いきなりボケたんじゃねーだろうな。」

「とにかく、エンマ。わしは、今幸せじゃ。ずっと、この先もずっと、こんなふうに暮らしていけたら、いいじゃろうなあ…。」

 星を眺めながら、草吉は、しみじみとそう言った。


 天霊山てんれいざんという山が、この国の中心部にあった。

 その山々はまるで、何者かの侵入を拒むかのように、ある地域を囲むようにして連なっており、それを天霊山脈といった。

 地獄里は国の南方の端にあるので、天霊山からは、かなり離れた所である。

 天霊山脈の向こうには、人外の者――魔物が住む「根の国」があった。

 そして、天霊山の麓、丁度根の国とこの国との境界に、花霞はながすみの里という隠れた人里があった。

 不思議なことに、花霞の里は、年中、冬でも夏でも、桜が咲いていた。そのため、「花霞」という名がついた。年中、薄桃色の花霞を纏った世にも美しい里であった。

 また、そこに住む者たちには、「霊力」――本来人が持っているが隠された力――が備わっていた。彼らはそれを「霊術」として修行し、根の国の魔物を追い払い滅することが出来た。

 人の住む国に魔物が簡単に侵入出来ないのは、天霊山の構造ばかりでなく、彼らの働きのおかげでもあった。

 花霞の里は、簡素な藁葺わらぶき屋根の家々が点在し、田畑があり、年中桜が咲いているということ以外には、他の人里とたいして変わりはない。里の奥には、簡素な石造りの神殿が建っており、その脇に、里の長老の家があった。

「長老様。お呼びでしょうか。蓮花れんかです。」

 長老の家にやって来たのは、一人の可憐で美しい少女だった。

 さらさらと流れるような黒髪を、頭の高い所で真ん中から二つに分けてまとめていた。黒い大きな瞳は、白い肌の上で、夜空に浮かぶ星々のごとく煌めいていた。

「おお、蓮花。よく来てくれた。早速だが、地獄里へ行ってもらいたい。」

 頭のつるりとした、白い髭を長く生やした長老が、皺に埋もれた細い目で蓮花を見て言った。

「地獄里、ですか。ここから南の方ですね。」

「うむ。そこに、エンマという少年がいるはずだ。」

「エンマ。その者が、何か?」

「わしがずっと探していたのだ。そして蓮花、お前の夫となるべき者なのだよ。」

「は?」

 蓮花は、戸惑ったように目を瞬かせた。

「いや、その話は後にしよう。とにかく今は、エンマに危険が迫っているのだ。お主に、エンマの身を守ってほしい。」

「お言葉ですが、長老様。自分の身を、自分で守れないような者を、私の夫に…とは、どういうわけなのですか?」

「いや、今はまだ弱い少年だが、いずれ、誰よりも強くなる存在なのだ。蓮花、お主よりもな。そしてゆくゆくは、お主と共に、根の国を治めてほしいのだ。」

「わ、私と、その者が…ですか…!?」

 今まで落ち着いていた蓮花は、これには驚いたようだった。

「うむ。だが今は、その話は後だ。エンマを助け、ここへ連れて来なさい。そうすれば、全てを話してやろう。」

「ちょっと待って下さい。はっきりとした理由がなければ、私は納得出来ません。どうして、エンマという者が、根の国の王となれる器だというのです?」

「それはな、エンマが、あの雷鬼ライキ菖蒲アヤメの息子だからだ。」

「!!…アヤメ様の…。」

「うむ。これで分かっただろう。急ぎなさい。エンマの身が危ない。」

「分かりました。」

 蓮花は一礼して長老の家を出ると、風のような速さで走り始め、あっという間に里の外へと出て行った。

 地獄里へ向かい、疾風のごとき速さで駆ける蓮花の姿は、霊力を持たない人間には見えず、一瞬つむじ風が通り抜けたとしか感じないだろう。

「一体、長老様は、何を考えていらっしゃるのかしら…。」

 蓮花は、長老の言葉を思い出していた。

「エンマ…。そんな会ったこともない、知らない奴と結婚なんて、絶対に嫌。だけど、アヤメ様の息子ってことだけが気になるわね。一体、どんな奴なのか…。」


 夕暮れの薄暗い空の下。

 いつもの川原で、エンマは一人、草吉が来るのを待っていた。

 もう二時間以上は待っていた。

「じじい、おせえな…。まさか、また忘れたんじゃねーだろうな。」

 夜になりそうなので、仕方なく、エンマは家へと帰った。

 家へ戻っても、灯りもついておらず、真っ暗で、しんと静まり返っていた。

「なんだ…?灯りもつけねえで。真っ暗じゃねえか。おい、じじい!すっぽかしやがって!ずっと待ってたんだぞ!」

 急に、エンマは何かにつまずいた。ふと足元を見ると、そこに何かが倒れていた。

 エンマは急いで灯りをつけて、つまずいた場所を振り返って見た。

「じじい!!」

 そこには、草吉が倒れていた。

「…エンマ…。に、逃げろ…!」

 草吉の体は血まみれだった。

「な、何でこんな…!」

「待っていたぞ、エンマ。」

 草吉の倒れている場所のすぐ背後の壁から、ぬうっと、黒い人影が現れたかと思うと、それは、影からはっきりと目に見える姿に変わった。

 体は人間とほとんど変わりはなかったが、頭には二本の獣の角が生え、尾骶骨のあたりから牛の尾のようなものが生えていた。

「鬼…!?」

 エンマは、人々に「赤鬼」と自分が呼ばれたことを思い出した。

 その鬼の目も、エンマと同じ、緑色をしていた。だが、鬼の髪の毛は黒く、体も黒い体毛で覆われていて全身黒かった。

「エンマ…!こいつは、魔物じゃ。わしでも倒せんかった…。こいつは、お前を狙っておる!逃げろ!」

 草吉は声を振り絞るように叫び、魔物の太い足首を必死に掴んだ。

 しかし、草吉の手に掴まれたかと見えた魔物の足首は黒煙のようになって霧散し、次の瞬間には、そこに魔物の足首はおろか、魔物の姿もなくなっていた。

「まだ生きていたか。」

 魔物の声が上から聞こえた。エンマが天井を見上げると、魔物が天井から顔だけを出して、こちらを見て笑っていた。

「逃げるんじゃ!エンマ!」

「じじいをほっとけねえよ!」

「わしはもうだめだ!早く逃げろ!!」

 草吉は、駆け寄ろうとしたエンマを足で蹴り飛ばした。

「な、何しやがる!じじい!」

「逃げろ!エンマ、お前は生きるんじゃ!絶対に死ぬな!」

「くそ!」

 エンマは木刀を抜き、魔物めがけて力一杯振り切った。が、またも魔物は霧散し、木刀はかすりもせず、当たった手ごたえも何もなかった。

「まとめて死なせてやる。」

 魔物は口から火を吐き出し、たちまち火が燃え広がって、家は炎に包まれた。

「じじい!」

 エンマは、倒れている草吉を抱き起して、逃げようとした。だが、魔物が立ち塞がり、エンマを蹴り飛ばした。

 そして、わざと見せつけるように、エンマの目の前で、草吉の胸に鋭い爪の生えた手を深く突き刺して、心臓を抉り取った。

「あ…うあああっ…!!」

 エンマは絶叫した。魔物は、草吉の死体を燃え盛る炎の中に投げ込んだ。そして、血の滴る草吉の心臓を、牙の生えた口に入れ、不快な音を立てて喰らった。

「エンマ、お前の心臓も頂くぜ。」

 魔物は、紫色の舌を出して、ぺろりと口の周りの血を舐めとると、緑色の鋭い目でエンマを睨み付けた。

「よくも…よくもじじいを…!殺しやがって!!」

 エンマは木刀で魔物に殴りかかったが、あっけなくかわされ、逆に魔物に捕まった。魔物は片手でエンマの首を掴み、もう片方の手でエンマの心臓を抉ろうと、肉に深々と爪を立てた。

「ぐあああ…!」

 だがそれは、エンマの叫び声ではなかった。

 エンマの心臓を抉ろうとしていた魔物の片腕がすっぱりと切れて、切れた腕が土間に落ちていた。

「うぐぐう…。」

 魔物は、突然のことにうろたえて、エンマを掴んでいた腕を緩めてしまった。

 次の瞬間、エンマは何者かの力によって魔物の腕から逃れ、風のような速さで家の外へと移動していた。

「ここで待ってて。」

 エンマが顔を上げると、そこには一人の可憐な少女が立っていた。

 少女は、エンマを追って出てきた魔物を片足で蹴り上げると、小刀を一直線に振るって首をはねた。

 魔物の首が地面に転がり、それを拾い上げた少女は、顔色一つ変えることなく、魔物の首を頭上に向かってまっすぐに投げ、落下してきた所を自らの拳で砕いた。

 魔物の首は粉々になり、砂のようになったかと思うと、やがて消えていった。

 首のなくなった魔物の体も、砂のように跡形もなくなって消えていった。

 それを、エンマはあっけにとられて眺めていた。

「…ごめんなさい。来るのが遅かったみたいね。まさか、おじいさんがいたなんて…。」

 少女は、花霞の里からやって来た蓮花だった。

「…じじい!」

 はっとしたように、エンマは燃え盛る家の中へ飛び込もうとしたが、それを、蓮花が止めた。

「駄目よ。あなたまで死んでしまっては。おじいさんは、何とかあなたを助けようとしたのよ。」

「くそおっ!なんでじじいが殺されなきゃなんねえんだよ!なんで魔物が!」

 エンマは泣き喚いた。蓮花は黙ってエンマを引き止めているしか、なかった。


 長い夜が明けた。

 一夜にして、エンマと草吉の暮らしていた平和な家は焼けて灰となった。

 草吉の亡骸は、骨だけになって残っていた。

 エンマは、草吉の遺骨を、いつも草吉が腰かけていた切り株の下に、木彫りの山の神の像と一緒に埋めた。

「…じじい。勝ち逃げしやがって…。」

 蓮花は、エンマの隣に座って、手を合わせて祈りを捧げていた。

「あんたは…何者なんだ。」

 エンマは、蓮花の方を見た。

「私は蓮花というの。あなたがエンマね。」

「!?…なんで俺の名を…。」

「私は、花霞の里から来たの。長老様の命令で、あなたを守るようにって。」

「…どういうことだ?」

「詳しくは、里へ行ってから説明するわ。」

「今説明しろよ。俺には、何が何だかさっぱり分かんねえ。魔物に襲われて、こっちが攻撃しても、まるで歯が立たなかったってのに、なんであんたはあんなに簡単に魔物を倒せたんだ。」

「私には、魔物と戦う力と術があるの。あなたにはそれがないだけのことよ。悔しがることはないわ。」

「別に悔しがってなんか!」

「おじいさんのことは知らなかったわ。でも、エンマ。あなたのことは少しだけ分かるわ。おじいさんに今まで育てられてきたのね。それが突然魔物に襲われて…。本当に気の毒としか、言いようがないわ…。」

「……。」

「でも、それはエンマ。あなたが原因なのよ。魔物は、あなたを狙っていたの。」

「なんで俺を…。」

「あなたは知らなかったかもしれないけど、あなたのお父さんは魔物で、お母さんは人間。つまりエンマは、魔物と人間との子供なのよ。」

「…魔物と…人間…?」

「そう。魔物たちから見れば、それは認められない存在なの。だから、エンマを殺そうとしているのよ。」

「そうか。だから俺は、こんな姿で生まれちまったのか…。」

「突然こんなことを言われても、よく分からないと思うけど、事実よ。」

「いや…。なんとなく、分かってたんだ。俺は、皆と違うってことは。今の話で納得したぜ。俺は、人間であって、人間じゃねーんだな。」

「それは違うわ。エンマ、あなたはどう見ても人間よ。」

 蓮花は微笑んで言った。

「あんたは、俺が怖くねえのか?」

「怖い?私は魔物を倒せるのよ。怖いものなんてないわ。」

 自慢気な表情で、蓮花は言った。

「俺、地獄里の奴らには、”赤鬼”って呼ばれてんだ。」

「あはは。ぴったりじゃない。ステキなあだ名ね。」

「…花霞の里の奴ってのは、皆お前みたいなのか?」

「そうね。どうかしら。でも、地獄里の人たちよりは、魔物を見慣れてると思うけど。」

「でも俺みたいな人間なんていねえだろ。」

「まあ、赤い髪と緑色の目は不気味だけど、それくらいしか違いなんてないでしょ。気にすることはないわよ。」

「人の気にしていることをずけずけと…。」

 エンマは蓮花を睨んだが、蓮花はただ笑っていた。

 蓮花の言葉には、何の悪意も嘘も感じられなかった。

「さあ、そろそろ行きましょう。いつまでもここでメソメソしてても始まらないわ。」

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