【短編】お姉様は愚弟を赦さない

宇水涼麻

【短編】お姉様は愚弟を赦さない

「エミリア! お前とは今日限りで婚約を破棄するっ! そして、まるで聖女の如き心を持つナターシャと婚約する! 私の真実の愛の乙女だ」


 声の主はロイズ国の第一王子ザリトだ。王族の血を引くことをしっかりと表すように、金髪碧眼。男性らしく短めな金髪は少し硬そうで、碧眼は少し吊り目であるが間違いなく美男子である。

 

 そんな彼がこの貴族学園の夏休み前に行われる定期ダンスパーティーで、突如舞台のすぐ前に女性を抱くようにエスコートして現れ叫びだした。

 その女性ナターシャ男爵令嬢はふわふわなピンクブロンドの髪と緑色の大きな瞳、そして、豊満な胸を持つ彼女は大変魅力的な容姿を持つ女性だ。


 叫びだしたのは突如であるが、ここ一年ほど学園内のそこここでザリトの不貞は誰もが見ており、その関係は一般的には理解不能だ。

 ただ、みんなが『今日かぁ』と残念に思った。


 名指しされたエミリアは公爵令嬢で、国王陛下が決めたザリトの婚約者である。

 婚約者の不貞を目にしてもその美しい仕草を損なうことなく、前へ出て丁寧にお辞儀をした。その仕草を見て、男女問わず感嘆のため息が漏れる。

 エミリアは普段は下ろされているサラサラな銀髪をハーフアップにして、今日はことさら紫の瞳が輝いている。瞳は特に大きいわけではないが、すべてのバランスがキレイに整っており、誰にも文句の一つも言えない完璧な容姿であり、仕草も完璧な淑女であった。


かしこまりました。では、わたくしがここにおりますのもみなさまのお目汚しになりますので、お先に失礼させていただきますわ」


 エミリアがもう一度お辞儀をする。


「待て! 逃がすわけがないだろう! ここでキッチリと罪を認めてもらおう!」


 ザリトとそこに侍る二人の男子生徒はニヤリと下卑げひた笑いをして、ザリトに肩を抱かれるナターシャはわざとらしく震えていた。


「罪……でございますか?」


 エミリアは表情に出さないという教育をしっかりと受けているので何を考えているのかはわからないが、美しさに損ないはない。対して、舞台前の男たち三人は卑しい笑いをしていて、底が知れる。


「そうだ。お前のっ……」


 バン! ――バン! ――バーン!と、ザリトの言葉をさえぎるように三度の強烈な衝突音の後、一番大きな正面のドアが勢いよく開いた。体を使って無理矢理開けたようで、甲冑を着た者が二人、転がり混んできた。


「「きゃー!」」


 女子生徒の悲鳴があちこちで響く。


 しかし、そのドアから次に入ってきた人たちを見てみなが息を止めた。


 三人の優雅な大人の女性が魅惑的な笑顔で入場してきたのだ。歩いているだけなのに高貴な方だとわかる貫禄があり、会場の生徒たちは姿勢を正して誰かの言葉を待った。


「あ、姉上……」


 ザリトの声は震えていた。女性たちはエミリアたちの近くまで来ると優しく微笑む。


「少し、遅刻かしら?」


 真ん中の女性が扇を開いて口元を隠したが、エミリアに向けた瞳は柔らかい。


「ご機嫌麗しく。ララネイ王女殿下」


 先程のザリトの呟きとエミリアの挨拶で、真ん中の女性が王女殿下であることを知った学生たちは一斉に頭を下げた。

 

「エミリアったら。ララでいいっていってるのに。もうとっくに嫁いでいるの。王女じゃないわ。

みんなも面を上げて」


 みなが頭を上げると、ララネイは妖艶な笑みを見せ、生徒たちは男女問わず感嘆のため息をついた。

 ララネイはザリトの姉だけあり、金髪碧眼であるが、腰元までの髪はサラサラで大きな碧眼は優しく目尻を下げていた。


 確か、すでにお二人のお子さんを持つご婦人のはずだが、均整の取れたスタイルはそれを感じさせずお肌もツルツルで、自分たちより上の年に感じさせるのはその大人の艶めかしさだけであった。


「ララ様、本日はなぜゆえにこちらに?」


 エミリアが生徒を代表して聞いた。というか、ここでは愛称呼びを許されていいるエミリアか弟であるザリトしか聞けないだろう。


「愚弟共が、最近悪さをしていると聞いたから……ねぇ」


 ララネイは目を細めて口角を上げザリトを見た。先程までの笑顔と異なる笑顔に、みなが震えた。震えていない数少ない人物が声をかける。


「ララ様。お先に失礼してよろしいでしょうか?」


 ララネイと一緒に入場してきた女性の一人がうやうやしく一礼していた。精悍に結われたポニーテールがサラサラとなびく。


「マリアナ。よろしくてよ。うふふ」


 マリアナと呼ばれた女性はザリトの隣に立つ体の大きな男子生徒ベイガの前まで進んだ。二人共、真っ赤な髪に真っ赤な瞳、そして長身な体躯はよく引き締まっている。


「姉さん……」


 マリアナは淑女らしからぬパンチをガスッと音をたてていきなりベイガの腹に決めた。ベイガが「うっ」と一言呻き、前のめりに倒れそうになったのをマリアナが後ろ首の襟を抑えて食い止め、膝立ちの状態になった。


「今日の警備はお前に任せたはずだ。父上の顔に泥を塗ったな」


 マリアナはベイガの襟を絞り上げた。


「そ、そんなことは……」


 口を開こうとしたベイガの頬に拳が飛ぶ。ベイガーは後ろ襟を取られているので、攻撃を緩和することもできず頭をふらつかせた。


「大扉の鍵をかけるように指示したのはお前だな」


 ベイガが震えながら頷くと横っ腹に拳が飛び体が傾いだ。


「これだけ大勢がいる会場の大扉に鍵などかけて、もし災害でも起こったらどうするんだ?」


 先程、騎士が体で無理矢理開けたと思われる扉にはそういうわけがあったようだ。


「あちらもこちらも鍵が閉められていたな。もし、乱入者が私達でなく、賊であったらどうするつもりだったんだ?」


 ガツンと音がしてベイガのもう片方の横っ腹に拳が入ると二人の顔が近づく。


「酒臭いな。警備の責任者がパーティーで酒を飲んで良い訳がないだろう?」


 もう一発、顔を近づかせるなと言いたげに顔の正面にパンチを入れる。それでも後ろ襟を離さないので、当然クリーンヒットとなる。


 十六歳で飲酒が許されているので、学園パーティーでもお酒は出される。ただし、飲みすぎによる悪行行為があった場合、家に報告され学園でも処罰を受ける。

 ベイガはそこまでは飲んでいないが、マリアナには赦せないことのようだ。


「室内警備が0などありえないだろう?」


 もう一発。


「全体の警備も少ないのは、バカをやらかすためか?」


 さらに一発。


「早馬隊も待機なし。王城に報告されたくないんだな?」


 パンチは止まらない。


 ベイガは言い訳もさせてもらえずサンドバッグになっていた。言い訳したところでパンチが一つ増えただけだろうが。


「ああ、もうとっくにやらかしてるんだったな」


 マリアナが一言言うたびに、ベイガは腹や顔を殴られ、最後の一撃は脳天に肘鉄だった。


 手を離すと前のめりに倒れた。最後の一撃はオマケのように聞こえたが、誰も何も言えない。これで意識があったら化け物だ。


 ベイガの家は侯爵家で代々騎士団団長を排出している。ベイガは跡取りであったので、このパーティーの警備を模擬として担当していたのだった。

 姉マリアナも女性騎士で、子供が生まれるまではララシャールの専属騎士であった。現在は、副団長である伯爵の次男に嫁いでおり、その伯爵ご子息はすでに隊長職だ。


 マリアナも学生のころに、父親からの指令でこの警備の計画や手配などを行ったことがあるので、今回の警備の杜撰ずさんさはよくわかってしまう。


 ベイガは今回のエミリアをおとしめるくわだてのために、警備を減らしたり、外からの邪魔を入れないために鍵をかけさせたりしていた。「鍵をかけるから、警備は少なくていい」と説明していた。

 しかしよく考えればマリアナの言った通りで生徒たちはゾッとする。


 マリアナはすでに伸びているベイガーの横っ腹をヒールの先で蹴り上げ、ベイガーは腹ばいから上向きにされた。完全に白目を剥いている。

 ベイガを一瞥してララネイの元まで戻ってきたマリアナは、一礼すると再び後ろに控えた。


 ララネイはもう一方の女性にチラリと視線を向けた。その女性がにっこりと笑った。


「フィリーさんもお先にどうぞ」


 ガシャンと音がして皆がそちらへ向くとナターシャの隣にいた男子生徒ビルが後ろの椅子を倒していた。どうやら後ろに逃げたかったようだがすでに騎士たちが数名並んでいてできなかった。


「あら? 逃げたいようですわよ?」


 ララネイが演技で心配そうに呟く。

 フィリーはララシャールには笑顔を向け、ビルに顔を戻すと表情がない。『自分がビルでも逃げるな』と男子生徒は思った。女子生徒は羨望の眼差しで淑女たちの動向を見守っている。


「ビル。その紙を見せなさい」


 フィリーが右手を前に出し一歩一歩ゆっくりとビルに近寄るが、ゆっくりであるのにブレない体幹。シフォンベージュの髪はキレイにまとめられていて、橙色の瞳が鋭く射抜いているのは誰にでもわかる。

 ビルが首を左右に振りながら一歩下がる。フィリーと同じ橙色の瞳はすでに潤んでいる。


 しかし、それを察知していた騎士の一人がピッタリと後ろにおり逃げ道がなく、その騎士に紙をとられた。

 フィリーは騎士から紙を受け取り、それをさっと読むと眉根を寄せてビルを睨んだ。


「お母様に恥をかかせたかったの?」


 フィリーがキョトンとした目で訪ねた。ビルは思いっきり首を左右に振った。後ろに撫で付けられていたダークブラウンの髪が乱れる。ビルにとってはなぜここに母親が出てくるのかも理解できない。それを無視してフィリーは扇でビルの右頬を打った。


「何? これ? 悪口を言った?」


 これまた言葉のたびに扇が振るわれる。


「陰口を叩いた?」


「教科書を破いた?」


「ドレスを汚した?」


 紙を読みながら扇を右に左に奮っていき、ビルの頭や顔に赤い筋がついていくが、後ろを騎士に押さえられていて逃げられない。

 扇をビルの顎に当ててクイッと前を向かせた。


「だからなに? これしきのこと……」


 フィリーは顎を上げて自分より背の高いビルを見下すように目を細めた。ビルの頬に涙が伝う。


「女の社交場を舐めてるの?」


 ビルは何を言われているのかは不明で目を虚ろにしながらもぷるぷると首を左右に振り続けた。


「こんなものは、社交界ではかわいいじゃれ合いよ」


 ガツンという音をさせてビルの額に扇を刺し、騎士がすぐさまビルの頭を支えると、また言葉と扇のコンボが始まった。


「エミリア様は公爵家のご令嬢なのよ」


「エミリア様が本気なら、相手はとっくに学園にいないわよ」


 エミリアは少しだけ眉を寄せた。でも口出しはしない。やってはいないが、やる気になれば可能だから。

 コンボは続く。


「今どきっ」


「こんなっ」


「幼稚なイジメっ」


「痛くないように怪我のないようにとした、自作自演しかありえないわよっ!」


 何度も何度も額に扇を刺した後、右頬を払った。


 フィリーとビルの母親は、公爵夫人である。良いにせよ悪いにせよ社交界のリーダーだ。母親は社交界の裏で行われている足の引っ張り合いもよくわかっているし、社交界での口の応酬も熟知している。そこに君臨しているのだ。


「こんなバカらしいことを告発しようとするなんて……。どうやら、お父様にも恥をかかせようとしたようね」


 二人の父親は裁判官長である。日々証拠や平等について家でも語っている。

 ビルの鳩尾に扇を突き刺した。騎士がビルの手を離すとその場に崩れ落ちた。意識があるかはわからない。


 フィリーは身を翻して戻ってきた。ララネイに笑顔で一礼しエミリアにも笑顔で一礼した。エミリアは先程のフィリーの言葉の後なので苦笑いを返し、フィリーはそれを楽しそうに受け止めた。


 ララネイは倒れている男二人を軽蔑の目で見てから、改めてエミリアを見た。


「エミリア。お話はどこまで進んでいるの?」


 打って変わってその目は優しさに満ちている。


「はい。ザリト様とわたくしの婚約破棄と、ナターシャ様と婚約をなさるそうです。力が足りず申し訳ございません」


 エミリアは伏し目で答えた。


「貴女が気にする必要はないわ。誰がおバカさんかなんて、気がついていないのは本人だけよ」


 ララネイが『おバカさん』という言葉と共に、会場の生徒が軽蔑の眼差しでザリトを見た。

 視線とこの場の緊張感に耐えられなくなったザリトが声を出した。


「ナターシャのお腹には……こ……子が!」


 さすがにこの発言には、まわりもざわつきエミリアも目を見開いた。まさか、不貞もそこまでだとは思っていなかったのだ。


 だが、ララネイは平然としていた。


「ナターシャとやら、発言を許しましょう。それは誰の子です?」


 ララネイの言葉にナターシャの肩が揺れた。答えたのはナターシャではなくザリトだった。


「も、もちろん、私の子です!」


 ララネイはにっこりと笑うがあまりの笑顔の恐ろしさに、ザリトは仰け反って口をパクパクとさせた。


「そこに寝ている二人も含めて、知っているだけでも、この学園内に十人は父親候補がおりますよ」


 目を細めて二人を見下ろすララネイの目元は笑っているが、目は氷のようだ。


「ザリト。あなたの真実の愛の聖女様は、お心だけでなくお体もみなさんに分け与えているそうよ」


 ザリトと目を合わせたララネイは、恐怖の満面の笑みであった。

 ザリトは目を見開いて、ナターシャを見た。ザリトにしてみれば自分の言葉が激痛のブーメランになってしまった。

 ナターシャは瞳に涙を溜めて小さく首をフルフルとさせていた。


「市井にも父親候補がいるらしいの。誰の子かもわからないのに王族を騙られるのは困るのよねぇ」


 ララネイが顎に扇を当てて小首を傾げた。


「う、うそだ……」


 ザリトの言葉に力はなく碧い瞳は明らかに揺れていた。


「もちろん、お前には警備がついているわ。だから、お前とその者との不貞はよぉくわかっているの。

お前がその者と戯れるようになってから、その者に調査員が付くことになったのよ。こうして『王族の血』だと騒がれないために、ね」


 ザリトはナターシャの手からスッと離れた。ザリトはララネイが何の証拠もなくそんな戯言を言う人でないことも、王族の調査員が腑抜けではないことも、よぉく知っていた。

 ナターシャは縋るようにザリトを見ているが、ザリトが手を差し伸べる気配はない。


「王族を誑かし国家転覆を狙う者を捕えなさい」


 ララネイの静かな声の命令で騎士が即座に動きナターシャが捕縛された。ナターシャが伸ばした手をザリトは取る素振りも見せない。


「国家転覆など考えておりません! この子はザリト様のお子です! お願い! 信じ……」


 喚くナターシャは猿轡をされ引きずられていった。


 マリアナがララね……に果実水を手渡した。ララネイは一口飲んでにっこりとマリアナに笑顔を返してグラスも渡した。


「ザリト」


「私は…… 私は…… 騙されていたのです!」


 ララネイに話しかけられ、ザリトは言い訳にならない言い訳をした。


「あなたが不貞を働いたことには変わりはありません。もし逆の立場なら、エミリアは流産処理された上、国外追放になっているのですよ」


 女子生徒たちが震えた。それは随分残虐だとは思うが、エミリアがナターシャのようなことをしていた場合、王族乗っ取りと取られて当然だ。


「す、すみません。心をいれ……」


「ありえません!」


 ララネイはザリトの言葉を途中で切り、強めに言った。


「でも、でも……。姉上も、エミリアの悪口に何も言わなかったではないですか!」


 エミリアが動転した。『もし、そうなら……』エミリアが不安そうに俯いた。


「何を言ってるの? わたくしは、エミリアを気に入っていましたよ。だからこそ、愛称呼びも許しているのです」


 ララネイの言葉にエミリアは安堵した。エミリアにとって、ザリトはただ国王陛下に決められた婚約者でしかないが、ララネイとは親睦を深め『この方の義妹になれるのなら、ザリトとの婚姻も我慢できる』とさえ思っていたのだ。


「だって、私がエミリアが傲慢だと言っても、高飛車だと言っても、高い物を買い漁ると言っても、笑っていたではないですかっ!

そうだと認めていたということでしょう?」


 ザリトは縋るようにララネイへ訴えた。


「もちろんですよ。それが、公爵令嬢という立場ですもの」


「は?」


 ララネイとザリトの考えは全く一致していないようだ。ララネイは小さくため息をついた。


「では、男でも女でも構いません。下の爵位の者にペコペコしている高位貴族を見たことがありますか?」


 ララネイは噛み砕いて説明を始めるとザリトはポケッとした。もちろん、そんな高位貴族はいない。


「お父様は国王ね。この国で1番上だわ。誰にもペコペコしないけれど、お父様は傲慢なの? 高飛車なの?」


 口をパクパクさせている。


「エミリアは高いクリームを大量に買っていましたね」


 ララネイはエミリアに確認のように聞いた。エミリアがコクリと頷く。


「そう! それです!」


 我が意を得たりとザリトが顔を上げた。


 一人の男子生徒が人をかき分けて慌てて前に出てきた。


「貴方はヨグール伯爵家のご子息?

発言を許しましょう」


 ララネイはその男子生徒に頷いた。


「は、はいっ!

僕の、いえ、私の家は父が詐欺にあいまして、我が家は困窮しました。その時、高級クリームの買付でどうにか持ち直したのです。それを助けてくださったのが、エミリア様のロイサーヌ公爵家です」


「あ、あのぉ……」


 女子生徒がおずおずと手をあげた。


「どうぞ」


 ララネイが笑顔を向け、女子生徒はホッとして頷いた。


「そんな理由のものとは知りませんでしたが。それ、エミリア様にいただきましたクリームではないでしょうか?」


 多くの女子生徒が手を上げた。みな、男爵令嬢か末端子爵令嬢だった。

 

「うちも!」


 女子生徒が一人手を上げた。


「貴方はオリキール伯爵家のご令嬢かしら?

いいわよ」


「わが家も我が領地の危機をエミリア様に助けていただきました。流行病が蔓延しその治療薬がとても高く領民に分け与えることができなくて諦めていたとき、ロイサーヌ公爵領の薬師様がいらしてくれたのです。そして、エミリア様に頼まれたと……」


 その女子生徒はそこで泣き崩れた。


「もう! もう止めてくださいっ!」


 エミリアには珍しく声を張り上げた。


「うふふ、どうしたの? エミリア?」


 ララシャールは嬉しそうだ。


「もう、恥ずかしいですわ。わたくしの家はたまたまお金があるだけですの。わたくしに何かがあるわけではありませんわ」


 エミリアが顔を両手で覆った。ララネイはエミリアに寄り添った。


「そうね。

でも、そのお金をどう使うかが問われているところなのよ。あなたは、高級クリームや高級丸薬を買い漁っているという噂が広まっても、それに言い訳をするでなく、凛としていたわ。おバカさんには、それが高飛車に見えたのでしょうね」


「それに、フィリー様のカザール公爵家も助けてくださいましたわ」


 エミリアは真っ赤な顔をララネイに向けた。


「まあ、ふふふ。そうね。

うちは噂に惑わされずに真相を確かめておりますもの。お手伝いできることなら、お手伝いするに決まっておりますわ。

家族の中に、噂に惑わされるおバカさんがいたことは本当に残念ですけどね」


 フィリーがクスクスと笑いながら答えた。


「噂だけを信じる者は傲慢でひけらかしと見たのでしょう。少し調べればわかることですのに。

それさえせずにエミリアを罵るなど、愚か者のすることです」


 ララネイはエミリアに向けていた視線をザリトに向けた。一瞬で冷気を伴う視線になり、ザリトは震えた。


「エミリアの資質についてはわかりましたね」


 ザリトは何も言えず、何も見ておらず、ただただ震えていた。


「お前の資質についても話しておきましょう。お前が調べもせずにエミリアを罵る愚か者であることは、説明しましたね。

さて、お前はこの婚約が政略的なものだとわかっていますか?」


 ザリトはハッとした。


「ロイサーヌ公爵がエミリアのワガママを聞いたためと……」


 エミリアが瞠目した。ララネイは、ため息をついた。


「それも、一人か二人に聞いた戯言ですわね。国中の貴族の力関係をきちんと考察すれば、わかることですのに。

ロイサーヌ公爵家は王家の力などなくとも自立できる領ですし、ご当主は王城の政務に携わらないようにしています。現在の力関係を崩したくない国王陛下がお望みになったのです」


 ララネイはザリトを睨みつけた。


「ザリト、お前の不貞が噂になるたびに、ロイサーヌ公爵家からは婚約白紙の打診がされました。それを国王陛下が窘めて窘めて、ここまできたのです。さらにエミリアが、お前の不貞より国民の安心をと願ってくれたから、ロイサーヌ公爵が折れてくれたのですよ」


 ザリトの不貞は今回が初めてではない。エミリアもいるお茶会で女性と消えることなど当たり前のようにしていた。男女関係はともかく、手を繋ぐ口づけをするなどはザリトはまるで挨拶のようにしていた。エミリア以外には。


「う、嘘だ! エミリアは、私のことがっ!」


「不貞は働く、蔑ろにする、信じてくれない。

そんな婚約者を愛する女などこの世にはいません!」


 ララネイはこれまでで一番大きな声で言った。


「何が『真実の愛』ですか? 王族なら自分の愛より国民の平和、つまり、政略結婚を大切にするのです。自分の気持ちを優先させる王族に国民はついてきません!」


 ザリトは舞台に寄りかかるように倒れた。


「お前の資質もわかりましたね。今よりお前は平民です。好きなように『真実の愛』とやらを探しなさい。

連れていきなさい」


 騎士がザリトの脇を抱えて外へと連れ出した。ビルとベイガも連れ出された。


 三人が連れ出されたドアが閉まった。


「みなさん、ごめんなさいね。この代わりは、夏休み明けの最初の週末に王家主催でパーティーを行うわ。

今日は短い時間になってしまったけれど楽しんでくださいね」


 ララネイが手を上げれば曲が流れ出す。


 顔を合わせた数名のカップルが場を和ませようと踊りだした。戸惑っている他の者も追々踊ることだろう。


 ララネイの誘いで学園の控室に四人は移った。四人はソファーについた。


「エミリア。ごめんなさい」


 ララネイはエミリアの頭を撫でながら一筋の涙を流した。


「ど、どうして、わかったのですか?」


「気がついてくれたのは、マリアナよ」


 エミリアがマリアナに目を向けると、マリアナが笑顔で一礼した。


「今日のパーティーの警備がおかしいって気がついたそうなの。以前から、あの三人が問題を起こしそうなことはわかっていたから。

何もなければそれでいいという気持ちで、わたくしたちは来たのだけれど……」


 実際に問題を起こしていたということだ。以前から気をつけていてくれたことはナターシャの不貞の話でわかっていた。エミリアはそうした手配をしてくれたことには王族に感謝はしていた。


「エミリア。今までよく我慢してくれたわ。ありがとう」


 エミリアは堰を切ったようにララネイの胸で泣いた。公爵令嬢として振る舞ってきたエミリアは自室以外でこんなに泣いたのは初めてであった。

 ザリアートのことは何とも思っていないが、苦労したここまでの日々、女子生徒として楽しめなかった学園、未来の王妃として怠惰なことは許されない生活、全てが無駄になった。


 ザリト、ビル、ベイガ、ナターシャは学園を退学した。


 ビルはカザール公爵領最端の小さな村の村長になった。ビルは次男だ。カザール公爵家には立派な長男がいる。


 ベイガは侯爵領の門兵となった。氏を名乗ることは禁止されていた。氏を名乗ったら、国外追放だと言われている。ベイガには男兄弟はいない。マリアナが結婚していた副団長の次男が侯爵家の婿養子になった。すでに隊長になるほどの実力者なので問題ない。


 ザリトは言葉通り平民に落とされ、王家領の小さな町に置き去りにされ、王都へ入ることは禁止された。ザリトが今後結婚してもザリトの子孫が王族を名乗ることがないよう去勢処理がされた。

 王家の元執事が取り仕切っている町であることが温情だろう。


 ナターシャは2ヶ月監禁され、妊娠していないことが確認された。その後、最東にある規律の厳しい修道院に足枷をつけられたまま入れられた。本当に妊娠していると思っていたようで、王家に墮胎させられたのだと大騒ぎしており、修道院では収まりきらず、塔に幽閉されて早々に毒盃を賜った。


 グリバン男爵家は何も知らなかったこととナターシャが妊娠していなかったことが温情となり、爵位は剥奪されたが、金品の持ち出しは許され、領地の外れの屋敷も許された。贅沢をせず仕事を少しでもすれば、十分に生きていける。


 ララネイが生徒たちに約束した夏休み明けのパーティーが開かれることになった。エミリアはエスコートの申し込みが殺到して困っていた。しかし、ララネイの願いで、とある転入生にエスコートしてもらうことに決めた。


 そしてパーティーの後、その転入生に本気で口説かれておりエミリアは困り果てている。


 ララネイが女王になったり、エミリアが大公妃になるのはその少し後。


 〜fin〜

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