恋するジャム屋と美女の秘め事

小桃 もこ

第1話 これは厄介事フラグ



 ──ねえ。ケーキいらない?



 五年前の話になる。

 まだ成人はおろか、学生すらでなく、ハナタレ小僧の生徒だった頃────。


 下校途中、自宅の最寄り駅だった。


「キミ、甘党でしょ」


 真横からいきなり掛けられた声は、ハナタレ小僧の僕にとっては聴いただけで鼻血を目先2メートルほどまで噴射しそうなくらいに大人の雰囲気を漂わせていた。


 共に下車した数人の中から突如現れたその人は、ミステリアスな美女だった。


 長い黒髪はつややかで、朝から活動していたとしたらくたびれているはずの午後6時このじかんでもさらっさら。しかもフローラルな香りを放っている。妖艶に光る漆黒の瞳。ぷっくりとした唇。耳にはゴールドのピアスがチラっと揺れる。夏の暑さが抜けてきたというのに肌の露出が多めだからか、身体は細いのにふくよかな……ええと。なに。そこがやたら目につく。でも品はある。ぜんぜん下品じゃない。


 その謎にエロいお姉さんがじっと見つめつつ指さすのは、僕が握りしめていたグミ菓子の小袋だった。


「甘党でしょ」


 念押しなのか同じ問いを繰り返す。グミを持ってるからって甘党とは限らないぞ。だけど。


「ねえ。ケーキいらない?」


 そんなわけのわからないことを言い出すから思わず歩みを止めてしまった。


 お姉さんが取り出したのは、ケーキの箱だった。……んだけど。


「え、ホールケーキ!?」


 目が飛び出てスーパーボールみたいに駅構内を跳ね回るかと思った。こわ。


「そ。持って帰っても誰も食べないし。ゴミになるから」


 ははあ。これはフラグだな。

 この後なんらかの事件に巻き込まれることを示唆する〈厄介事フラグ〉だ。


 咄嗟にそう判断して【関わりません】の札を心に掲げる。


「いらないです」


「そこの百円ショップでフォーク買えば食べられるよ。場所ならそこの自販機の横にベンチがあるし。よし。じゃ行こっか」


 下手な宗教勧誘よりも怖かった。


 そうして今、僕の目の前に、どどん! と和太鼓の効果音が出そうなほど大きくてまっ白いホールケーキが置かれている。


「はいフォーク。好きなだけ食べて。残りもあげる」


「いや……あの」


「あん。いらなかったら捨てといて」


 それじゃ。と立ち去ろうとするから慌てた。


「こ、困りますっ! あの、見ず知らずの人からこんなのもらえないし、た、食べ切れないしっ!」


「だから。いらなかったら捨ててってば」

「そんなことできませんよっ」


「じゃあ全部食べれば?」

「いや、だから……」

「なに」

「あの……う、疑うわけじゃないですけど、その、ど、毒とか、ないって言い切れないし」


 本気で疑ったわけじゃなく、断る口実だった。


「だって、こんなの変じゃないですか、会っていきなりケーキ食えだなんてっ」


 それもホールのケーキを!


 すると謎のお姉さんは「それもそうか」という顔になって「じゃあ付き合うよ」とケーキを挟んだ隣に腰を下ろした。短すぎるショートパンツからにょっきり伸びた足が際どく組まれて慌てて視線を逸らす。


 お姉さんはそんな僕をよそにおもむろに、そして豪快にプラスチックフォークをケーキにぶっして、ぐお、と口にねじ込んだ。無言でもぐもぐ。


「あ……あの」


 話し掛けると「ほれ、あんたも食べな」という視線が向けられた。


 駅前の、バス停近くの自販機の横にあるボロい水色のベンチ。謎のお色気お姉さんと並んで座って、二人の間のホールケーキをつつく。


 なんだよこれ。

 こわすぎだろ。


「私ね、専門学生なの」


 口の中がすいたらしいお姉さんが話し始めた。


「製菓専門学生」


「セーカ専門学生……?」


 字が浮かばず聴こえたままに繰り返すと「そ」と短く返事があった。


「パティシエールのたまご」


「パティシエ……」


 言葉を聞いて、脳で検索して、該当があって。そうしてそれと目の前の物とを照合すると、ある予想が立った。ピコーン。


「え、これ、お姉さんが作ったんですか?」

「まーね」


 まじ。すごくね? プロじゃん。

 目を見開いたけど相手はなんでもない事のように食べ続けている。


「授業でね。ひとりずつこうやって作って持ち帰らされるんだけど。うち、誰も食べないから」


 結局いつも捨てることになるんだよね。

 なんの感情もない顔のまま淡々と言った。


「ね。キミ、名前は?」


「え……と」

「私はミナミ。20歳ハタチ


 こうなれば僕も答えるしかなかった。


「アレン。……15」


「15歳!?」

 そんなに驚くか。


「老け……大人っぽいね」

「『老けてる』って言った?」

「言ってないよ」


 くくく、と握った手を口もとに当てて上品に笑った。



 これが、僕とミナミさんの出会い。



 それから何度か駅で遭遇する度にミナミさんは作ったケーキを僕に食べさせてくれた。定番のケーキから見たこともない外国のケーキまで幅広くたくさん。他愛のない会話、くだらないことで笑い合う、少し不思議な、楽しい時間だった。


 だけど季節が変わってピンクの花か咲く頃になると、その姿はぱったりと見なくなってしまった。


 専門学校を卒業したのか。とにかく僕はミナミさんと会えなくなった。


 会えなくなってから彼女の連絡先やフルネームさえ知らないことに気がつく僕はなかなかの阿呆だ。


 ケーキのお礼も、なにも出来ていないのに。





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