アオイホシ・グルメレポート ~火星ディストピア飯ネイティブ世代、地球料理にハマる~【連作短編】

井二かける

Report 0. 愛しのサイコロ肉

 火星歴141年20月17ソル。地球暦でいえば、2413年9月9日。


 その日、私ことルキア・レッドフォードは食堂に急いでいた。今日は待ちに待った「市民食レシピN-5」の日だからだ。一番乗りで昼食を取るつもりが、分からず屋の上官のせいで、こんな時間になってしまった。火星の空は夕陽に青く染まり始めている。あともう少しで、火星コロニー中の街灯が灯るだろう。


 食堂に到着すると、私に向かって大きく手を振る小柄な女が目に入った。私は駆け寄って謝罪する。


「ごめん、お待たせ」

「遅いよ、ルキア!」


 そう頬を膨らませるのは、同僚のミンユェ・リー少尉。私の幼なじみだ。まあ、火星コロニーじゃ、同年齢はだいたい幼なじみみたいなものなのだけど。


 息を整えながら言う。


「ここじゃ、大尉と呼びなって」

「え~細かいこと気にしない~。そんなことより、早く食べようよ!」

「そうだった! ヘイ、アシスタント! 二人分!」


 いつものように、コンピューターが無機質な声で応答する。


『レプリケートを開始します』


 低い共鳴音と共に、光る粒子がテーブルの上に集まってゆく。一分ほどかけてワンプレートの料理が徐々に実体化していった。


 金属の仕切り皿に、ピンク一色の立方体が三個並ぶ。そう、これが週に一度のお楽しみ。我らが火星一般市民の愛する通称「サイコロ肉」なのである。そして、付け合わせはライムグリーンの栄養補給ゼリー、黄褐色のプロテインスコーン、そして錠剤サプリメント。お馴染みの顔ぶれだ。


「いっただっきま~す!」


 さっそく、口の中にサイコロ肉を一つ放り込む。


 均一にすり潰された滑らかな口当たりに、ほのかな塩味。舌の上で融ける脂――。


「うまぁ~」


 ミンユェと声が揃う。


 肉の味、幸せの味。これこれ、これなんだよ。これのために私は生きてるんだ。心の底から幸福感が湧き上がった。


 ミンユェはあっという間に二個目、三個目のサイコロ肉に手を出しているが、私はあとの楽しみに取っておくことにする。先に栄養補給ゼリーだ。栄養補給とデザートを兼ねているそれは、様々な栄養素が詰め込まれているためか、透明度は高くない。だが、スプーンの裏で叩くとぷるんぷるんと揺れるのがゼリーの証拠である。口に含むと、控えめの甘さと、オレンジジュースに似た香りが広がる。遅れてやってくるスッキリとした酸味が、実はサイコロ肉と良く合うのである。二個目のサイコロ肉を少し囓り、口の中でミックスする。これが通の食べ方だ。


 だが、ミンユェは疑いの目をこちらに向けている。


「前から思ってるんだけどさ~、その食べ方美味しいの~?」

「疑うなら試してみたら?」

「貴重なサイコロ肉をそんな実験に使うわけないじゃ~ん」


 ミンユェは身を乗り出して続ける。


「――でも、サイコロ肉一個くれるなら試してみてもいいよ~」

「少尉、冗談でも言って良いことと悪いことがあります」

「ムキにならなくてもいいじゃん」


 どんな理由があれども、サイコロ肉は誰にも譲らない。


 ミンユェが小さな声で毒づいた。


「Vi estas tre avara.〈どケチ〉」


 だが、聞き漏らさないのが私である。即座に反撃する。


「Kion vi jxus diris?〈今何て?〉」

「……あ」


 ミンユェが、引き攣った表情で固まった。


「学生時代の、忘れてないんだけどなぁ?」


 私が満面の笑みで畳みかけると、ミンユェは震える手でスプーンをカタカタと鳴らせた。


「ひぃぃ」


 ……まあ、怖がらせるのは、これぐらいにしておこう。食事中だからね。


 再びゼリーに手を伸ばしたとき、にわかに食堂の入り口が騒がしくなった。手を止めて目を遣ると、入ってきたのは三人組。その無粋で興醒めな光景に、ミンユェが顔をしかめる。


「……ねぇ、何か来たよ。アレ」


 ミンユェが小声で、その三人組を指差した。


「ああ、地球人? 試験列車で派遣されてきたっていう、二世紀半ぶりの来訪者」


 私たちが勤めるアストロ・レールウェイは、火星と地球を結ぶ惑星間鉄道だ。人類が火星コロニーに入植後、約二世紀半続いた地球との断絶を埋めるために、私たちはその開業を急いでいる。火星側と地球側それぞれに公団がある。私たちより一歩先に有人試験運行に成功した地球側は、その便で火星に職員を派遣してきたのである。それがあの二人らしい。


 ただ、気に入らないのは連んでいる相手である。


「早速、お貴族様の取り巻きかぁ。幻滅~」


 と、ミンユェは溜息をついた。


「だね」


 そう、地球人の女二人を引き連れているのが、高貴なお貴族様であらせられるところの公爵令嬢、エレノア・ブライトン少尉だ。


「ヘイ、アシスタント。三人分の食事をお願いしますわ」


 彼女はコンピュータに対してまで高飛車な態度である。


 貴族階級であれば自室でフードレプリケータを使用できるのに、わざわざこうして毎日のように職員食堂を利用して、高みの見物に興じておいでである。まさに嫌味としか言いようがない。こんな奴、相手にする価値もない。


「あーあ、どうせ自室で良いもん食べてるんだろうな。サイコロ肉十個とか、二十個とか」


 ふと、想像してしまう。山盛りのサイコロ肉を前に、高笑いするエレノア・ブライトンを。


『平民風情にはサイコロ肉三つで充分ですわぁ~! オーッホッホッホッホッホッホッホッホッ』


 あー、普通に気分が悪いなこれ。


 そんなことを考えながら、私たちは地球人達の会話に聞き耳を立てていた。


 そのときだった。突然、地球人が素っ頓狂な声を上げる。


「Cxi tio estas distopia mangxajxo, cxu ne!? 〈ディストピア飯じゃないか!〉」


 ディストピア飯!? 聞き間違えだろうか。いや、でも、「distopia」だけはハッキリと聞こえた。それは――理想郷の逆、すなわち暗黒郷を意味する言葉だ。


 地球人はなおも不平不満を漏らしている。


「Cxu nur tiajxon mi povas mangxi? Merdo!〈こんな物しか食えねェのか。クソッ〉」


 こんな物しか食えない、だって!? 代々受け継がれてきた私たちのソウルフードを、こんな物呼ばわりするなんて!


 怒りに任せて、最後のサイコロ肉を口に放り込む。だが、彼女たちの心ない言葉が頭をぐるぐる巡り、まったく味がしなかった。


――せっかくのサイコロ肉が、すっかり不味くなってしまったじゃない。


 サイコロ肉こそ正義。それをディストピア飯などとこき下ろすなんて。そう思っていたのだが……。


 しかし翌日、そんな想いは打ち砕かれることになる。

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