第七章 やっぱりルージュが好き(後編)


1


ライアンたちと別れて2分程度で、古代竜たちの集落上空を通過した。

一瞬見下ろして確認したが、そこに件のアークデーモンと思しき巨体が確認出来た。

そいつは何をするでも無く、ただ青い竜の体に腰掛けているだけだった。

……ヴァイスイート……。

少し振り返ってクロの様子を確認すると、ぎゅっと目を瞑り、何かに耐えるようにして俺に付いて来ている。

クロも、あれを見たのだろう。

ヴァイスイート、お前が遺してくれた希望、お前が与えてくれたチャンス、決して無駄にはしないぞ。

さらに西進を始めたところで、一条の光が上空の悪魔たちを消滅させた。

オルヴァドルが、攻撃を開始したようだ。

あれは、アストラル・レイ(光属性の光術(光線状の攻撃魔法))だな。

高位の神聖魔法にも対悪魔に特化した攻撃魔法は色々あるが、これだけの数を相手にするとなると適当では無い。

このアストラル・レイは神聖魔法では無く物質魔法だが、光属性を持つので悪魔にも効果が高い。

主にアストラルサイドへの攻撃力を有する光線状の魔法で、本当の光ほど速くは無いがかなりの攻撃速度を誇り、改良さえすれば軌道も変えられるし、照射し続ける事で照射箇所を移動させられるので、命中精度も高い。

躱すのは至難の業で、高位魔法としてとても有能だ。

問題は、照射し続けている間、MPが急速に失われて行く事。

だから、人間の魔導士が使いこなす事は難しく、一瞬だけ照射してダメージを与える形で使用する為、光の帯として視認する事は珍しい。

だが、魔法に近しい神族であり、且つその中でも特別強い力を持つオルヴァドルなら、光の帯を照射し続け悪魔を薙ぎ払う事も出来るのだ。

見る間に空が顔を出し、行く手の青は5分ほどとなった。

これなら、悪魔はかなり数を減らして行くだろう。

オルヴァドルが攻撃を開始したのと時を置かず、2体のアークデーモンの気配も消えた。

ライアンとアスタレイも、順調のようだな。

もちろん、その先が難題だ。

あの最強の矛たるヴァイスイートですら、返り討ちに遭ってしまったのだ。

絶対に、無理だけはしないでくれよ。


島は、ドワーフと古代竜たちが住む草原地帯を抜けると、鬱蒼と茂る森林地帯となり、さらに西へ進むと岩肌が姿を現す。

ここら辺りから竜の姿のまま暮らす古代竜たちの巣があり、見ればあちらこちらで悪魔と戦う竜の姿が確認出来る。

生き残った古代竜たちも、まだまだ戦い続けているのだ。

陽に照らされたエンポリュスの山が大きくなって来た。

もう少しで奴に届く、そんな時だった。

頭の中に、何者かの声が聞こえて来たのだ。

これは……祝詞?……儀式の詠唱か!

何故、こんなものが聞こえるのか。

それは判らなかったが、俺は心の中で耳をそばだてた。

「……して、聞き届け賜ふ。我、其方の僕にして全てを捧げる者なり。其方は、気高く天空を舞いし翼にして毒蛇を喰らう浄化の者たり。その心眼で全てを見通し、三つ組の逞しき腕にて六つの独鈷とっこ用い邪なる者祓いて、その背に孔雀の如き羽を負いし堕落せし王。期満ちたるは此方へ顕現せし、その糧としてここに在りし竜の体奉るもの也。我、望みしは……。」

……聞こえなくなった。

どう言う事だ?……いや、そんな事はどうでも良い。最悪だ!

アストンヘイトンに取り憑いた悪魔は、よりにもよってあんなものを喚び出そうとしているのか!

しかし、このタイミング……、もう間に合わない。

例え今この瞬間、儀式を阻止出来たとしても、すでに贄は捧げられた事になるだろう。

……、……、……そう言う、事なのか……?

これはお前の意志なのか?……それとも、他の誰かの……。

「……ュ!……ージュ!……ルージュ!」

「は?!」と気付けば、クロが俺に呼び掛けていた。

「おい、ルージュ!どうしたんだ!何かあったのか?!」

……少し、思考があっち側へ行っていたようだな。

「……大丈夫、何でも無いわ。そう、何でも……。」

今のが夢幻ゆめまぼろしで無いのなら、儀式の阻止は失敗した。

これで世界は終わり……のはずなのだが、多分チャンスは残っているはずだ。

ならば、まずはさっさと野暮用を済ませよう。

もう、エンポリュス山は10km圏内。

「クロ、飛ぶわよっ!」そうひと声掛けて、俺は新型テレポートで一気にその場へ飛んだのである。


そこは、エンポリュスの火口周り、俺たちから見て右手奥に、ドルドガヴォイドが意識を失くして横たわっている。

そして、俺たちの眼下にひとり、マントをまとった見慣れない男。

金髪から羊のような角を生やし、黒い肌には魔術的な紋様が刻まれた、見るからに純魔族と言った風体。

奴が、アストンヘイトンだった悪魔だろう。

その悪魔が、こちらに気付いて俺たちを見上げる。

その顔には不敵な笑み。儀式は滞り無く終了したのだ。

その瞬間、俺は短距離空間転移でその悪魔の懐に飛び込んだ。

そして、猛虎硬爬山の形で腕を突き出し、掌底では無く貫手にして悪魔の胸部へ突き立てた。

貫手の先端には、闘気と魔力を全力で集中し、胸部へ突き立てた瞬間爆発させる。

悪魔の胸部は、何も無い空間となった。

悪魔が取り憑いた魔族の体だ。多少の怪我なら瞬時に再生する事も可能だったろう。

だから、心臓ごと胸部の物質体とアストラル体を消し飛ばした。

再生出来無いどころか、アストンヘイトンの体どころか、取り憑いた名も知らぬ悪魔諸共、一瞬で存在を消し去った。

すでに、魂の抜けたただの肉塊となったアストンヘイトンだった物が、静かにくずおれる。

「や、やったのか、ルージュ?!これで、これで爺ぃは助かったのか?」

クロが、俺のすぐ横へと飛来する。

「!……ルージュ、お前、その手……。」

クロが絶句するが、俺の右手の先が失くなっているだけだ。

俺は貫手の先端に、闘気と魔力を全力で集中して爆発させた。

そう、全開では無く全力でだ。

あの一瞬、多分このアーデルヴァイトで最強の力が、あの一点に集約されていただろう。

そんな力に、俺自身の体が耐えられる訳が無い。

右手の四指が、アストラル体ごと欠損していた。

指の物質体だけで無くアストラル体まで失われているから、俺の再生力を以てしてもこの指は治らない。

後でアストラル治療を施し、欠損した指はホムンクルスコピーの技術で作製すれば元通りに戻せるが……、ま、しばらくはこのままだから、利き手で得物を握る事も出来無いな……些細な問題だが。

これで終わり?まさか。

「……まだ終わりじゃないわよ、クロ。いいえ、これから始まるの。儀式は完遂された。私はそれに全力で対処する為に、邪魔な奴を手っ取り早く始末しただけ。だから気を抜かないで。ここからが、本当の地獄よ。」

「何だ。どう言う事だ。こいつは倒したんだろ。爺ぃもあそこに無事でいる。だったら、もう終わりだろ。」

そんなクロの言葉を遮るように、火山が鳴動を始め、火口からこの世のものとも思えぬ瘴気が吹き上がる。

いや、実際に、この世のものでは無いのだ。

今、エンポリュスの火口は、真なる魔界と繋がったのである。


2


それまで火口の深い場所にあったマグマがせり上がり、その一部が大きく飛沫を上げる。

それは噴火の兆候では無く、内より這い出そうとする何者かがいる為だ。

飛沫を上げたマグマの中から逞しい腕が伸びて来て、火口の縁を掴む。

まとわりついたマグマが流れ落ちると、その闇色の肌が露わとなる。

闇色に光を照り返す肌の上には、玉虫色に表情を変える紋様のようなものが刻まれているのが見える。

そんな腕が、マグマの中から次々と突き出され、火口の縁を掴んで行く。

それが六本この世と繋がった後、その腕たちは本体を引き上げた。

ざばー、とマグマを帯びたまま一気に火口から這い出したそれは、そのまま火口の縁に腰掛けた。

そのまましばらく呆然と眺めていると、徐々にマグマが流れ落ちて行き、その巨大な姿が明らかとなって行く。

全長は20mくらいだろうか。

いつか見たお台場ガンダムが腰掛けたなら、丁度同じくらいの大きさだろう。

闇色の肌を持つ全長20mの巨人で、腕は6本。

その額には第三の目が開き、身に付けた装束は仏教や密教の明王を思わせる。

背には七色に輝く闇色、と言う不可解だがそうとしか形容し難い色をした翼を持ち、マグマを払う為一度大きく羽ばたかせた。

その翼には、孔雀を思わせる飾り羽が生えていたが、本当の孔雀とは違い尾では無く背中の翼に生えている。

当然かも知れない。このような存在が、雌に求愛などするはずも無いからな。

この飾り羽は、象徴に過ぎないのだろう。

この存在が、そう呼ばれる由縁としての……。

ダークピーコック、闇孔雀。

俺は過去に、文献で知った闇孔雀の事を、インキュバスへのはったりとして使った事がある。

不思議な事に、現世での孔雀明王では無く、俺が大好きな漫画孔雀王で描かれた孔雀王に似た特徴を持ち、嬉しくなって良く覚えていたのだ。

だが、当然ながら招喚などした事は無いので文献の記述でしか知らないし、どれほどの大悪魔かなんて目にした今思い知っているところだ。

……冗談では無い。

何だ、これは……。

俺は過去、或る大悪魔に遭遇している。

そう、真なる魔界の7大悪魔のひと柱である、奈落の巨人アヴァドラスだ。

再会した時には、ヨモツヒラサカの鏡越しだったが、誤って招喚したあの日の邂逅では、受肉させた訳では無いから本来のアヴァドラスのままだったろう……顔だけだったが(^^;

だから、少なからずアヴァドラスの桁違いの強大さは身に沁みて知っている、つもりだ。

目の前の化け物は、そんなアヴァドラスですら軽く超える。

アヴァドラスから見た俺は面白い玩具程度の存在だが、では闇孔雀から見た俺はどれほど矮小な小石なのだろう。

この圧倒的な存在力と、魂すら凍て付かせるような瘴気の渦は、俺の体を縮こませる。

……それでも、それでも動ける。

俺はまだ、何とか動ける。

これも、アヴァドラスの瘴気に曝された経験が生きているのだろう。

見れば、クロは完全に背を向け、必死に耐えるのが精一杯のようだ。

不味い……、この瘴気が広まれば、他の者にまで影響を与えかねない。

ネームドと戦っている最中、この瘴気に曝されたりしたら、ライアンたちは……。

……まぁ、ネームドも畏怖してどっこいかもな。

先程まで火口近くにいた悪魔たちの内、レッサーどもは瘴気に耐えられず死滅した。グレーターたちは逃げ出した。

この強烈な瘴気は、同じ悪魔であっても低級な者たちには耐えられないほどの毒となる訳だ。

……本当に、冗談では無い。

俺は今からこれを、何とかしなければならないのだ……。


俺のそんな決意を感じ取った訳でもあるまいが、闇孔雀の第三の目が、ぎょろりとこちらを向いた。

そして、口を動かした風も無いのに、頭の中に闇孔雀の声が響く。

「……面白い人間族がいるな。悪魔も古代竜も震え上がる私の瘴気の中で、平然としている。こちらを睨み付けている。……そうか。そういるはずが無いな。お前があの忌まわしい巨人が語っていた人間族か。なるほど、確かに面白い。」

……アヴァドラスとお知り合い、って訳か。

その口振りだと、余程自慢気に俺の事を語って聞かせていたようだな、アヴァドラスの奴。

それだけ魔界ってのは、楽しみが少ないんだろう。

「……だ、……誰が震え上がってるだって?!……ふざけるなよ、悪魔めっ!」

背を向け必死に耐えていたクロだったが、慣れて来たのか、闇孔雀の言葉に奮起したのか、小刻みに震えながらも、目は合わせないようにして闇孔雀の方へ何とか向き直る。

凄いぞ、クロ。あのオルヴァドルですら、鏡越しのアヴァドラスに遭遇した折、俺の背中へ隠れてしまったのに。

そのアヴァドラス以上の大悪魔を前にして、根性を見せている。

「ほう……、確かにこれは失礼したな、真なるドラゴンの末裔よ。さすが、アーデルヴァイト最強の生き物だ。お前も面白いな。」

闇孔雀は、その額の目だけで無く、両の眼もこちらへ向けて、体ごとこちらへ正対した。

「それでどうする。悪魔を野放しにはすまい。最強たるドラゴンよ。お前は私をどうするのだ?」

より一層、瘴気が濃さを増した。

俺は思わず眉間に皺を寄せたが、クロは思いっ切り嘔吐した。

根性だけではどうにもならない。体が拒絶する。

「おや、これは済まない事をしたな。あんまりにも久しぶりのアーデルヴァイトだ。私も勝手が判らん。魔界にいれば、漏れ出る瘴気など気にしないからな。」

すると、瘴気が少し薄まった。

いや、正対する前と同程度になっただけだ。

決して、俺たちの為に瘴気を抑えてくれるほど、親切な訳が無い。

多分、クロと普通に話せる状態に戻したに過ぎないのだろう。

あくまで、俺たちに興味を持っているだけの話で、それ以上でもそれ以下でも無い。

闇孔雀が興味を失った瞬間、俺たちはより濃密な瘴気に包まれて、その生涯を終えるのだろう。

「グフッ……、ガハッ……、ハァハァ……、ふざ、けるな……。ふざけるなよ、この化け物がっ!」

クロの気勢が、一気に膨れ上がる。

体中の力が、同時に膨れ上がった胸部へと集中して行き、クロの息吹きを破壊エネルギーへと変換する。

駄目だ、クロッ!……しかし……。

カッ!と開いた口腔から放たれた赤い塊が、煮え滾るマグマよりも熱く闇孔雀の体へと浴びせ掛けられる。

その灼熱の抱擁は十数秒も続き、明らかにライアンとの戦いで見せた、強化されたファイアーブレスをも凌ぐ威力だった。

この世界、アーデルヴァイトにおいて、今現在考え得る限りで最強の攻撃。そう言っても過言ではあるまい。

息吹きが尽きたクロはその場で崩れ落ち、辛うじて意識を繋ぎ止めているような状態だった。

正に、全身全霊を込めた、最強最後の一撃。

巻き起こった蒸気の先には、少なからずダメージを受けた闇孔雀の姿があるはず……そうクロは思っているだろう。

……俺には、そんな姿は微塵も想像出来無いが……。

やがて、白い蒸気の壁が消え去り、その闇色の肌が再び露わとなる。

闇孔雀は、敢えて避ける事も受ける事もせず、素直にあの一撃を受けた。

その肌には、一条の傷も見当たらない。

「……グゥ……嘘、だろ……。まるで効いてねぇ……。」

……違うよ、クロ。お前の一撃は、ちゃんと闇孔雀にダメージを与えている。しかも、この世で考え得る最大のダメージを。

ただ、圧倒的に足りないだけだ。

例えば、この世に生きる生物の内、Lv50の壁を越えていない者の力の上限を999としようか。

壁を越えた者は、その上限が9999となる。

今のクロの攻撃は、1000を超えるダメージを叩き出す一撃で、壁を越えていない者は決して耐えられず、超えた者であっても大概はその一撃に屈するレベルだ。

だが、物質界の理を超えた存在は、1万以上となり得る。

9999の壁すら超えてしまう。

神や悪魔、真なる古代竜、原初の精霊たちは、それほどの存在である。

そして、闇孔雀を数値化するなら、きっと65535。

あぁ、65535って数値は、古参ゲーマーにとって馴染み深い数字ってだけで深い意味は無い。ただ、途轍も無い数値と言うだけの意味だ(^^;

その65535の闇孔雀に、クロの一撃は確実にその威力を発揮した。

ただ、仮に1000ダメージ与えたとて、大して堪えていないだけ……。

全身全霊を込めて、発すればもう動けなくなるほどの一撃を、あと60発以上叩き込めれば倒せぬまでも退かせる事は出来るかも知れない……、と言う、絶望である。

闇孔雀がその気なら、躱す事だって受ける事だって出来るし、この程度のダメージなら一瞬で再生もするだろう。

端から、倒そうなどと考えるような相手では無いのだ。

「……素晴らしい攻撃だ、ドラゴン。何、これは嘘でも憐みでも無い。本当の気持ちだ。この1万年、私は痛みなど忘れていた。それを今、思い出させてくれたのだからな。称賛に値するよ。」

クロが静かに目を閉じる……大丈夫、まだ生きている。意識もある。だが、もう限界だ。

「……さて、面白き人間族よ。次はお前の番だな。そのドラゴンへ敬意を払い、お前のやる事も邪魔はしない。好きなようにするが良い。……ただし、一度だ。お前に私が与える機会は一度だけ。善く善く考えるが良い。時間ならいくらでもある。好きなだけ考えると良い。」

……やる事を邪魔しない、か。

次はお前が攻撃する番だ、では無くな。

やはり、さっきのは闇孔雀が?……それは少し違うような気もするが……。

「……その前に、少し話しても良いかしら。こう見えて私魔導士だから、知的好奇心が強いのよ。聞いておきたい事があるの。」

すいっ、と目を細める闇孔雀。

「ほう……、これはまた、面白い事を言い出す人間族だ。構わないぞ。退屈な永遠の、ほんのひと時の暇潰しだ。何でも聞くが良い。」

これだ。闇孔雀には、降臨を急ぐ素振りも、降臨を喜ぶ様子も見られない。

まるで、魔界から喚び出された事を厭うように。

「……本当の名前は知らないけど、アストンヘイトンと言う魔族に憑いた悪魔によって儀式は遂行され、真なる古代竜に一番近い希少な古代竜を贄として得た。貴方にその気があれば、このアーデルヴァイトを滅ぼす事も、アーデルヴァイトに生ける者どもを鏖にする事も、簡単なはずよ。……何故、そうしないの?」

こんな事を言って、そうかならそうしよう、なんて返事を返されたら一巻の終わりなのだが、俺には確信がある。

確信があるからこそ、敢えて聞く。

「……そう言えば、あの巨人はお前の事を、賢しい、と評していたな。面白がりながら。気に喰わないが、と言って、それで私が考えを改めるのもまた、気に喰わない。本当に賢しい小僧だ。……実に面白い。これは暇潰しだ。ならば応える方がより面白い。そうだ。その通りだよ、小僧。私はアーデルヴァイトへの降臨など望んでいない。それこそ、魔界の淀んだ空気の中で、ひっそりと暮らしている方がまだ心地が良いと言うものだ。」

……やはり、何かが違う。あれは、闇孔雀の意志とは食い違う。

「だからと言って、勘違いするな。いいや、お前は解っているのだろう。その通りだよ。望まぬ降臨だとて、私は素直に魔界へ還るつもりは無い。私にとっては、本当に些細な事なのだ。このまま魔界へ還りいつもの生活に戻る事も、アーデルヴァイトを滅ぼし物質界を新たな魔界にする事も、どちらもどうでも良い些末な事なのだ。……敢えて本音を言うなら、私も昔は神だった身。子供らを無下に滅ぼす事を心より望むものでは無い。だからこそ、お前にも機会は与えるのだ。お前の行動如何によって、アーデルヴァイトの行く末が決まる。その小さき肩に、アーデルヴァイトを背負わせてやるのだ。是非、愉しむが良い。闇の神として与える、試練と心得よ。」

……しかし、悪魔の中には、お前と違ってアーデルヴァイトの大地を愛している者もいる……と言う事か。

気が合うな、闇孔雀。俺も気に喰わねぇ。気に喰わねぇが、それに乗るしか手が無いのも事実だ。

「……ありがとう、闇孔雀。ちょっと引っ掛かる事があったんだけど、納得したわ。」

「ほう……、では、お前の手並み、見せて貰おう。」

けっ、そう言うお前だって、機会を与えると言いながら、答えはひとつしか用意していないんだろう?

判ってるよ。矮小な俺には、人間には、物質界の生き物には、本当の意味ではお前たちに対抗する術なんか無いって事はな。

「……行くわよ。私は明日も、明後日も、これから先もずっと、ライアンといちゃいちゃし続けるんだからね!」


3


さて、では始めるとしよう。

絶対に間違える事の出来無い、全生命の賭かったパズルを。

まず、俺の手持ちの最強攻撃力の確認だ。

多分それは、アストラル・レイ、だけで無く、ダークネス・レイ(闇属性の光術)の同時発動。

光術は物質魔法なので俺でも使えるし、アストラル体へのダメージが特に優れたアストラル・レイ、及びダークネス・レイこそが、手持ちの魔法では最強となるだろう。

まだ実践していないのだが、二重詠唱により同一発動地点からふたつの光術を発動する事で、相互作用によって威力や性質にも変化が加わる事が期待出来る。

これをツイン・レイとしていつか試そうと思っていたのだが、ぶっつけでもこれに勝る攻撃能力を、俺は持っていないだろう。

最悪、相殺されて発動が失敗する事もあり得るし、単にふたつの属性効果を持つだけの光術にしかならないかも知れない。

さらに、孔雀王同様闇孔雀も光の神が堕天したものならば、光耐性と闇耐性を持ち合わせているかも知れず、そもそも悪魔は魔法耐性そのものが高い。

良くて、クリティカルヒットしたとて、先のクロが放った最強のファイアーブレス並みの威力となれば御の字だ。

そう。闇孔雀を倒すなんて、無理なのである。

少年漫画のように、死ぬ気で頑張れば、仲間と力を合わせれば、諦めずに死力を尽くせば、死地を乗り越え眠っていた力に覚醒すれば勝てる……なんて展開はあり得ない。

これは、漫画では無く現実だから。

しかも、仮にそんな展開を迎えてさえ、闇孔雀にはまるで通用しない。

次元が違うのだ。

今すぐ俺が神にでもならない限り、力でどうこう出来る相手では無いのだ。

だから、倒さない。

何か他の方法を見出すしか道は無い。

そこで問題になるのが、闇孔雀降臨の儀式の最後、突然聞こえて来た詠唱内容だ。

アストンヘイトンに取り憑いた悪魔は、何と唱えていたのか。

そこに、答えがある。いや、そこにしか答えは無い。

その唯一の選択をもたらした者は、闇孔雀自身では無いだろう。

ならば、俺のやる事を邪魔しないと言ったが、慎重に慎重を期さねばならない。

だからお前には、これをくれてやろう。

「豊穣の女神、我らが願い聞き届け給へ、雨季の恵みをもたらし、大地に癒しを与え給へ。」

敢えて口に出して詠唱した魔法が発動し、俄かに暗雲が上空を覆う。

その隙間から光が漏れ、ゴロゴロと猫が喉を鳴らすような音が響き渡る。

「……雷雲?お前の選択は、雷撃魔法か?」

雲を見上げ、つまらなそうに闇孔雀が呟く。

べちゃっ、とその顔に何かが当たり、そのまま地面へと落下した。

その落下した物体は、地面でひしゃげて「ゲコッ」とひと声鳴いた。

「これは……、蛙……だと???」

あんまりにも不可解な現象に微妙な表情を作る闇孔雀の体に、次々と空から蛙が降り注ぐ。

大量に降って来る蛙たちが、ゲコゲコ鳴きながらひしゃげて行く。

この魔法は、魔導士たちの失敗を集めた魔導書によって後世に遺された魔法のひとつで、以前ニホン帝国エドミヤコの忍者ギルドで披露したものと同種の魔法だ。

この魔導士は女神に祈りを捧げたが、ご存知のようにアーデルヴァイトにはすでに神はいない。

普通なら失敗で終わるところを、悪戯好きな精霊が女神の振りをして応え、蛙を降らせたのだ。

アーデルヴァイトにも、雨蛙のように雨を連想させる蛙がおり、雨季の恵みとして降らせた訳だ。

ひしゃげた死体は、分解されて大地の肥やしにもなろう。

まぁ、地球の雨蛙よりも牛蛙に近い大きさなので、当たると結構痛いけどな(^^;

もちろん、こんな魔法で闇孔雀をどうこう出来る訳じゃ無い。

いや、闇孔雀は呆れて、今注意が削がれている。

それが狙いだ。一応念の為、本命から目を逸らさせたのだ。

俺の本命はこっち。

闇孔雀は、俺の黙詠唱も二重詠唱も知らない。

敢えて口に出したフロッグギフト(蛙の贈り物)の裏で、もうひとつ描いた魔力回路。

それを、何の動作も無く、目標を見る事無く、今、発動した。

曇天の中央が盛り上がり、そこから巨大な切っ先が現れる。

それは一気に地上へと突き下ろされ、暗雲から巨大な剣とそれを掴んだ巨大な腕が降って来る。

フロッグギフトが呼んだ雷雲は、こいつのカムフラージュでもあった。

その巨大な剣先は、闇孔雀がいる場所では無く、俺たちの右手奥の火口の縁へと突き立つ。

外れ?まさか。狙い通りさ。

そう、俺は闇孔雀を狙った訳じゃ無い。

どんな最強魔法を当てようとも、奴は倒せない。

だから、奴は倒すんじゃ無い。お帰り頂くのだ。

今もそこにある、生贄を消し去って。

その剣は、寸分違わずドルドガヴォイドの体を貫いた。

最強竜撃魔法ドラゴンバスター。アーデルヴァイトの生物の鱗の内、最高硬度の鱗で覆われた竜を滅する事に特化した魔法。

アストラルダメージが皆無と言う訳では無いが、物質ダメージに偏っている為、純粋な攻撃魔法としてはアストラル・レイなどには遠く及ばないし、単純質量による破壊エネルギーならメテオ(隕石を招喚する魔法だが、アーデルヴァイトでは隕石に見立てた岩塊を上空に招喚して落とすだけ)の方が遥かに勝る。

竜と戦う機会もそうそう無い事から、かなりのマイナー魔法でもある。

だが、今唱えるのに最適の魔法だ。色々な意味で、な。

ドルドガヴォイドの体は、剣が突き立った箇所から徐々に塵と化して行く。

……これで、捧げられた贄は消えた。

いつの間にか蛙も降り止み、ひしゃげた死体が辺り一面を覆っているだけ。

エンポリュス山上空は、すっかり蒼穹が顔を出していた。


「……じ、爺ぃ……、クソッ……、クソーーー!」

まだ動けぬまま、クロが悲壮な声を上げる。

そんなクロには目もくれず、静かに俺を睥睨する闇孔雀。

「なるほど。あのおかしな魔法は、ただの目眩ましか。邪魔はしないと言ったはずだが、そう言えば悪魔の言う事など信じぬ賢しい人間だったな、お前は。……正解だ、人間よ。何故判った?」

「……贄として捧げられたのに、ドルドガヴォイドの体はそのままそこにあったわ。貴方は受肉している訳でも無い。今この時、この場に居続ける。たったそれだけしか叶わなかった。満足に時間も掛けていない儀式と、老いた古代竜の体では。もちろん推測に過ぎないけど、そう言う事なら消してやれば良い。貴方が今この場に居続ける、約束の印を。」

「……苦しいな。しかし、そう言う事にしておこう。お前の行動は称賛に値するからな。ただの目眩ましだが、確かに意識は殺がれた。贄を消すと言っても、一撃で古代竜の体を消し去るなど、簡単な事では無い。お前は、唯一の答えを見抜いただけで無く、それを実際にやってのけた。面白き見世物であったよ。」

気付けば、闇孔雀の足の先が消えている。

この世界に、アーデルヴァイトに在り続ける根拠が喪われ、精霊界を通して魔界へとその存在を帰還せしむる。

「闇孔雀……、貴方にその気があったら本当は……。いいえ、止めておくわ。悪魔は約束だけは絶対に守る。そうよね。」

「……ふん、何が言いたいのか判らぬな、小僧。」

「真なる魔界の7大悪魔のひと柱アヴァドラス。それほどのモノすら凌駕する存在。そんなモノ……、それって……。」

「もう二度と遭う事もあるまい。遭いたくも無い。私はお前の事など忘れるよ。だから、お前も私の事なぞ忘れる事だ。余計な事を考える必要など無い。」

……孔雀王は、光の神が堕天した闇の盟主だった。

真なる魔界で闇を統べる者、となればそれは……。

それ以上、闇孔雀は何も語らず、そのまま静かに消えて行った。

……世界は、何とか一命を取り留めた。


闇孔雀が消えても、未だ火口には瘴気が薄く残っていた。

闇孔雀が消えた今ならば、多分応えてくれるだろう。

「……いるんでしょ。もうじき接点が切れるわ。聞きたい事があるから、さっさとその大きな顔を出しなさいよ。」

そう呼び掛けると、マグマの表面が平らかになり、まるで暗黒の鏡面のように変化する。

そして、そこからひょっこり、ひとつの大きな顔がせり上がって来る。

言わずと知れた、アヴァドラスである。

「さすがに気付いたか。しかし、気配は消していたつもりだがな。」

確かに、気配や瘴気を感じた訳では無い。

「……あれ、貴方でしょ。と言うより、闇孔雀自身の仕業じゃ無さそうだったから、他にいないのよ。」

「はて、何の事かな?」

「はぁ、良いわよ、そう言うの。闇孔雀とは違い、アーデルヴァイトの大地を愛する優しい悪魔さん。」

アヴァドラスは、心底嫌そうな顔をする。

「……本当に賢しい人間だ。しかしな、私は手懸りを示したに過ぎない。ただ、それだけだ。」

……あの時、儀式の最終段階に間に合わなかった時、アストンヘイトンに取り憑いた悪魔が唱える詠唱の文言を俺に聞かせたのは、やはりアヴァドラスだった。

「貴方って、予知の類も使えるの?それとも、あいつをそう誘導したの?」

「私はそこまで有能では無いよ。ただ、聞かせただけだ。きっとお前なら何とかする。そんな馬鹿な事は考えたがな。」

本当、何が真実で何が嘘なのか。

「……結局、貴方たちの掌の上って訳ね。闇孔雀がその気なら、ドルドガヴォイドの体を結界で守れば良い。自らの体内に取り込めば良い。それだけで、降臨を妨げられる者などこの世には存在しない。闇孔雀は降臨など望んでいなかった。貴方もアーデルヴァイトの大地を破滅させたくは無かった。生きるも死ぬも、私たちちっぽけな存在は、貴方たちの気持ち次第……。」

すいっ、と目を細めるアヴァドラス。

その表情は、不思議と慈愛に満ちているように見えた。

「……少しだけ違うな。彼奴はどうか知らんが、私はアーデルヴァイトを愛している。確かに、そこに生きる神々の子供たちには興味無かったが、今は少し違う。この1万年、何も無い退屈な日々だった。しかしな、お前に招喚されてからの短い時間に、何と面白き事が続く事か。お前は特別だよ……、ふむ、ルージュ、と呼ぼうか。本名は特別のようだからな。」

ちっ、本当にどこまで見透かしてやがるんだ。

人間族の交尾なんて、お前は覗き見したって面白くもあるまいに。

「ルージュのお陰で楽しい毎日だ。それをもたらしたのは、他ならぬアーデルヴァイトの子供である人間だ。確かにルージュは元来この地の者では無いが、それでもこの地の儀式が喚び出した特異点。であれば、アーデルヴァイトの子供たちがもたらした奇蹟だろう。少し見直したのだ。少し愛着が湧いたのだ。少しだけ、我が子らに優しくするのも悪く無い。」

……面白い玩具も、壊れたなら仕方無い。捨てて終わり。

しかし今は、その玩具が壊れないように気を付けたり、壊れたら修理を試みる。

その程度には、愛着も深まった。と言う事かな。

相変わらず、俺たちの命など路傍の石ころに過ぎない。

それでも、世界ごと失くしてしまうのは惜しいと思える。

元々光の神であり、堕天したとは言え悪魔の前身は闇の神々だから、アヴァドラス同様闇孔雀にも、そう言う気持ちがほんの少しはあるのかも知れない。

「ふぅ~……、とにかく今回は助かったわ。ありがとう。貴方は悪魔だけど、その行為は善意からでは無いけれど、それでも……ありがとう。」

するとアヴァドラスは、鼻から下を鏡面に沈めた。

何だろう。まさか照れてるとか?

「そうだ。ついでだから聞いちゃうけど、闇孔雀って貴方より強いわよね。」

「……忌まわしい事だが、認めよう。それこそ、あいつが本気で降臨しようと思ったなら、私でも力では抑えられん。お前が戦いを選ばなかったのは正解だ。」

「真なる魔界の7大悪魔アヴァドラス。多分、多少の差こそあれ、7大悪魔って序列で分けられるほど力の差は無いはずよね。そんな貴方よりも明確に強い存在。そんなモノって……。」

「……そうだ、と認めても、違う、と否定しても、お前は信じまい。私は悪魔なのだからな。」

はぁ……、それはもう答えたと同じ事だよ、アヴァドラス。

「それに、そんな詮索をしたところで無意味だ。出遭う事は無い。知る必要も無い。違うかね?」

その通りだな。アーデルヴァイトに生きる俺には、関係無い話だ。……関係あってはならない話だ。

「さ、それじゃあ還って。そろそろこの子が、貴方の瘴気に耐えられそうにないから。」

俺と話している間、アヴァドラスは以前同様、瘴気で蝕もうとして来ていた。

何気無く気さくに話している風でも、隙あらば弱らせて自分の思い通りにしようとは目論む。

どこまで行っても、悪魔は悪魔なのだった。

そして、その瘴気に当てられて、クロが苦しみ悶え始めたのだ。

ただでさえ、闇孔雀の瘴気に曝されたばかりだ。

耐えられている俺が異常なんだ。

「ふん、仕方あるまい。まぁ、そろそろ時間切れだしな。奴の残滓も消え掛けている。私も還るとしよう。ではルージュ、またヨモツヒラサカで逢おう。私は、楽しみにしているぞ。」

そうして、巨大な顔は鏡面へと沈み、暗黒が去るとマグマがボコッと弾ける。

元の火山に戻った。

アストラル感知によると、ライアンたちは無事ネームドアークデーモンを倒したようだ。

まだレッサーやグレーターは残っているものの、これで悪魔の脅威は去った訳だ。

こうして、長い悪夢は終わりを迎えたのであった。


4


結局俺は、ほぼ戦いらしい戦いはしていないので、体力的には疲れなかった。

しかし、精神的な負荷はデカかった。

だが、俺の仕事はまだ終わっていないので、ここで気を抜いて倒れる訳には行かない。

取り敢えず、俺は傍らのクロに歩み寄り、ヒールを掛けてやる。

クロも怪我をした訳では無いが、全身の力を解放した反動もあって、体は悲鳴を上げている事だろう。

それに、闇孔雀とアヴァドラスの瘴気に曝されたのだ。

精神的にも、疲弊しているはずだ。

「どう?動ける?立てる?」

クロは厳しい表情で俺を見上げ、苦しい言葉を絞り出す。

「ルージュ……、何故だ!?何故、爺ぃを殺した?!俺たちを、爺ぃを助けてくれるって言ったじゃないかっ!」

……あぁ、そうか。古代竜って、普段はそうだったな。

「あのね、クロ……。」

「いや、すまん。判ってる。判ってるんだ、頭では。あれしか方法は無かったんだって。あれほどの化け物だ。俺の全てを込めた一撃すら、かすり傷ひとつ付けられなかった相手だ。倒すなんて考える事が間違いだ。あれしか……、あぁするしか無かったんだ……。」

「クロ……、疲れてるから余計気が回らないんだろうけど、良く聞いて。お爺さん、まだ死んで無いわよ。」

「……、……、……へ?」

大粒の涙を竜の瞳からボロボロ零しながら、間の抜けた声を上げるクロ(^^;

「あの時、アストンヘイトンに取り憑いた悪魔が捧げたのは“ここに在りし竜の体”よ。だから私は、その“竜の体”を消し去った。確かに賭けだったけど、悪魔は約束を絶対守るし、ドルドガヴォイドは老いてもアストラル体は未だ壮健だった。勝算が無かった訳じゃ無いわ。」

「ど……どう言う……。」

「良く目を凝らして御覧なさい。古代竜には必要無いから普段アストラル体を視ようとしないで生活してるけど、視ようと思えば視えるでしょ。今も貴方を心配して、ほら、そこにいるわよ。」

そう。ドルドガヴォイドは物質体を失ったが、その強大なアストラル体はクロに寄り添うようにして未だ健在である。

生命の本質は魂であり、アストラル体はそれを保護する精神体。

そのアストラル体を保護するのが物質体だが、いつも俺がそうしているように、アストラル体さえ無事なら何とかなるのだ。

特に、ここまで規格外に強大なアストラル体なら、尚更だ。

「じ、爺ぃっ!」

どうやら、クロにも視えたようだな。

「やれやれ、随分成長したと思ったが、まだまだ子供だな。ガルド。」

優しく、慈しむように、ドルドガヴォイドはクロを抱き締める。

それにしても凄いな。

正直、賭けに勝っただけで無く、それ以上の成果を目にしているぞ。

やはり超越種と言うものは、最弱種たる人間とは違うのだな。

「ルージュ様……。」

ドルドガヴォイドが、畏まって話し掛けて来る。

「これでもう、思い残す事はありません。どうぞ、ガルドヴォイドの事を、宜しくお願いします。」

「ちょっ、ちょっと待て、爺ぃ。折角生き残れた……って言って良いのか良く判らねぇが、とにかく一応無事だったんだ。逝くなんて言うなよ。」

クロがまた泣きそうだ。

「……何言ってんの、ドルドガヴォイド。貴方、死なないわよ。」

「……へ?」

まるで、さっきのクロを見るような、間の抜けた反応をするドルドガヴォイド(^^;

「忘れたの?元々、貴方の老いた体を新調する為に、私が新しい体を用意するって言っておいたでしょ。」

「あ!」「あ!」と、ふたり同時に声を上げる。

「勝算はあったって言ったでしょ。まぁ、一度死んだ人間には死と言う属性が付いちゃって、そのまま物質体に押し込めてもダークヒューマンになっちゃうんだけど……。本当に凄いわね、古代竜って。ドルドガヴォイド、貴方には死と言う属性が付いてないわ。」

そう。俺が驚いたのはそこだ。

ドラゴンバスターで物質体を消滅させたのだから、形の上では確実に死だ。

最悪、オフィーリアの祝福でアストラル体を閉じ込め、簡単にアストラル体が抜け出ないようにして、ダーク古代竜(笑)としての生を生きて貰う事になると思っていたのだが、死と言う属性が付かなかった今のドルドガヴォイドなら、普通に古代竜として生き返る事が出来る。

これは、死と言う属性は俺が考えていたような一種の呪いなんかじゃ無く、死した魂が正しくアストラル界へ旅立つ為の目印なのかも知れない。

であれば、そもそも存在として強大な古代竜に、わざわざ迷わず成仏する為の道先案内など不要、と言う事なのではあるまいか。

だとすれば、一定以上の強さを持つ古よりの超越種、神族や魔族の場合も、死と言う属性は付かないのかも知れない。

まぁ、魔族の場合は微妙だけどな。

種としては呪いの所為で弱体化してるし、それを証明するように純魔族は神族と違って巨人じゃ無い。

神々の血が薄まった証左だ。

やはり、神族であっても主神、魔族であれば魔王、そして古代竜の長老たるドルドガヴォイドなど、神々の血が濃い者に限られるのかな?

う~む、死と言う属性が付かない理由。

それがはっきりすると、俺の研究の役に立つのだが……。

「……ージュ、……ルージュ!」

あ、いかん。またあっち側に行ってた(^Д^;

「ごめんなさい。ちょっと考え事してたわ。」

「あぁ、そう言う時のルージュは、いつもそうだ。で、爺ぃはどうなんだよ。本当に死なないのか?」

「えぇ、それは大丈夫。体の方も、多分もう使えるんじゃないかしら。すぐに取って来るわ。だからクロ。お爺さんのアストラル体を、しっかり捉まえといて。さっきまで成仏する気満々だったみたいだから、消えないように注意しておいてね。」

「え?!じ、爺ぃ!消えんなよ!すぐルージュが何とかしてくれるから!」

慌ててドルドガヴォイドに抱き付こうとするクロ。

そして、しっかりアストラル体を掴もうと意識出来ていない為、空振りするクロ(^^;

まぁ、半分冗談だ。

これだけ強いアストラル体なんだ。簡単に消えたりはしない。

少しはしたないが、俺はその場でどっかと胡坐を搔き、いつもそうするように上半身を前に倒してから、アストラル体で抜け出しモーサントへと飛んだのであった。


モーサント上空へ着くと、俺はすぐさまキャシー邸へと転移する。

キャシーは……、いた。食事中かな。

俺はキャシーのすぐ傍へと転移すると、果たしてそこに、机に突っ伏したキャシーを発見する。

……あぁ、また徹夜で研究していたな。

皿の上にはまだ食べ掛けのスクランブルエッグが残っており、食事中に力尽きた事が窺える(^^;

勝手に持ち出しても良いのだが、共同研究、且つ責任者はキャシーなのだから、ひと言断りは入れておかないとな。

「キャシー……、起きてくれ、キャシー。」

俺は念動の要領で物質に干渉し、キャシーの肩を揺すりながら念話で直接呼び掛けた。

「ん……う~ん……、はい、……試験薬D-183の突然変異については、後日改めてご連絡差し上げます。卵が先か鶏が先かは、スクランブルエッグが美味しいので卵が先だと思います……。」

うん、完全に寝惚けてるな(^^;

……緊急事態は解決した事だし、少し悪戯心が頭をもたげる。

俺は、キャシーの物質体では無くアストラル体を掴んで、少しだけ引っ張り出す。

「もしも~し、朝ですよ~。起きて下さ~い。」

ぼやけて薄く発光しているアストラル体は、その表情まではっきり見える訳では無いが、見る見る顔色が青ざめて行くのが判った。

「……っきゃあーーーーー!せ、せ、せ、先生ぇ~~~。ごめん、ごめんなさい~。戻して、すぐ戻してぇ~~~。」

……本当にトラウマなんだな。少しやり過ぎたか。

俺はキャシーのアストラル体を元に戻し、改めてキャシーに語り掛ける。

「キャシー、起きたか?すまんな。簡単に起きそうも無かったから、直接アストラル体に挨拶したんだが……、すまんな。」

ぐすっぐすっ、と泣きべそを掻くキャシー。

「いえ……、いえ、良いんです、先生。我ながら情けない……。自分の研究内容を思えば、幽体離脱くらいこなせるべきなのに……。」

まぁ、そうかも知れないが、むしろこのキャシーの反応のお陰で、俺はアストラル体でいる事が生命にとって特別異常な事態なんだと理解出来た訳だしな。

本当、自分ひとりでは判らない事ってのは、いくらでもあるものだ。

誰かと力を合わせる事は、とても重要なんだと思い知る。

「そ、それで先生、どうしたんです?」

「あぁ、そうだ。竜の卵の方はどうだ?」

「古代竜の卵ですか。さすがに殻を割って出て来たりしませんが、順調だと思います。そろそろ、次の段階に移す時期かと。」

「そうか……。それじゃあ折角だ、残り4つはそのまま研究を続けてみるか。」

「え?残り4つって……。」

「実はな、さっき世界が滅亡しかけて、何とか危機を脱したところでな。その過程で、急遽新しい竜の体が必要になったんだ。だから、ひとつだけすぐに持って行く。」

「へ?……え~と……、あぁ。また何かの冗談ですか?」

「ま、冗談みたいな話だってのは認めるよ。俺だって信じられないような体験だった。とにかくだ、すぐに卵が必要なんだ。用意してくれ。」

「わ、判りました!」

と、慌てて席を立ち、地下へと急ぐキャシー。

知り合ってから半年くらいか。

こう言う時の俺は冗談なんか言わないと、もうキャシーにも判るんだろう。

さて、キャシーが用意した卵にマーキングして、さっさとドルドガヴォイドの許へ戻ろう。


5


俺がエンポリュス山へ戻ると、クロがしっかりとドルドガヴォイドに抱き付いていた。

……うむ、まぁ、普段素直になれないクロが、思いっ切り祖父に甘えていると思えば、微笑ましい光景だな(^^;

俺は体に戻ると、スカートを直してから傍らに結界を張り、そこへマーキングした卵を招喚する。

ちなみに、現在卵は100cmほどの大きさで、多分体は人間の子供くらいだろう。

「さ、これで準備は完了よ。ドルドガヴォイド、こっちへ来て。」

そうして近付いて来たドルドガヴォイドのアストラル体を左手で引っ掴み、そのまま卵の中へと押し込む。

次いで、オフィーリアの祝福を発動すると、光るオフィーリアの御姿が卵を抱き抱え、そっと口付けをした。

その姿が消えた後、しばらくの沈黙が場を支配する。

「……な、なぁ、これ、どうなったんだ?」

耐えかねたクロが疑問を口にしたその時、パキッ、と音がして、卵の一部に亀裂が走った。

見る間に亀裂は広がって、それが半分ほどまで及んだ時、卵が砕けて中から何かが飛び出す。

「ピギャーーー!」

飛び出した小さな塊は、そう鳴き声を上げて全身を大の字に伸ばした。

それは美しく輝く緑色の鱗を持つ、エメラルドドラゴンの子竜であった。

そうか。ドルドガヴォイドの本来の姿はさっき見たばかりだが、年老いていた事もありくすんだ緑色に見えたし、コピーは卵の状態で育てたから気付かなかったが、ドルドガヴォイドって本当は綺麗なエメラルドの体をしていたのか。

「じっ……、爺ぃ?」

「ピギャッ!」と鳴くだけで、言葉を話さないドルドガヴォイド。

すると、頭の中に声が響く。

「何だ、これは!?子供の体ではないか。何と窮屈なんだ。言葉まで、上手く喋れないぞ。」

自分の体を眺め回しながら、文句を垂れるドルドガヴォイド。

「仕方無いでしょ、緊急事態だったんだし。一応、まだ他に4つほど卵はあるから、お望みならもう少し時間を掛けて、数m程度の大きさには出来ると思うわよ。……でも、その方が可愛いじゃない。」

「かっ……、う、うむ、すまん。確かに急を要したのだ。体が無いよりはマシだな。どわっ……。」

急に抱き締められるドルドガヴォイド。

人間の姿に変化したクロが、小さなドルドガヴォイドの体を抱き締めたのだ。

「良かった……、本当に良かった。爺ぃ……。」

抱き締められたエメラルドの小さな子竜は、静かに目を閉じ、その胸に体を預ける。

……良かったな、クロ。……せめて、お爺さんだけでも助かって。

そう、世界の危機は去ったが、犠牲は大きかった。

ヴァイスイートだけじゃ無い。

島にいた70体前後の古代竜の内、全員が助かったとは思えない。

ドワーフたちにも、たくさん死傷者は出ているだろう。

クリスティーナたちや神族の援軍が討ち漏らした悪魔どもが、どこかの街を襲撃するかも知れない。

そんな中、ライアンたちは生き残ったし、クロもドルドガヴォイドも、そして俺も死なずに済んだ。

今は、それを喜ぼう。

そして、亡くなった者たちを悼もう。

生き残った俺たちに出来るのは、しっかり明日を生きる事だ。

二度と、こんな事が起きないように祈りながら。

……俺たちの意志など関係無く、奴らの気持ち次第でこの世界はどうとでもなる。

だけど俺たちは、この世界で生きて行くしか無いのだ。

ライアンや家族と生きる、異世界じゃ無い、俺自身の世界で。


第二部・完


外伝へつづく


あとがき


本編としては、この第七章で第二部完結となります。

異世界なんて救ってやらねぇと心に誓ったユウでしたが、期せずして世界を救いました(^^;

ですが、様々な経験を通じ、大切な者が増え、掛け替えの無い存在と出逢ったアーデルヴァイトは、すでにユウにとって異世界ではありません。

……苦しいですかね(^ω^;

しかし、今でも本質的には、世界などどうだって良いんです。

ただ、自分の手が届く範囲だけ守れればそれで良い。

だから、正義の為に戦争を止めようとか、勇者として人々を助けようなんて、これからも絶対に考えません。

ただただ、ライアンたちと平和に、幸せに過ごせればそれで良い。

そこにほんの少し、知的好奇心を満たす冒険があると尚良し。

そして出逢うのです。

この世界で出逢うはずの無い、もうひとつの存在に……。


と言う事で、第三部ではさらなる変化を遂げ、後、運命の刻を迎える事になります。

ここからが本番です。

楽しみにお待ち頂ければ幸いです。

その前に、外伝が1本挟まりますが。

次章の外伝は、第六章、第七章の番外編です。

直接繋がったお話なので、合わせてお楽しみ頂けたらありがたいです。

どうかこれからも、宜しくお願いします。

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