第五章 とりえんてぃぬすエレジー


1


ようやく朝晩の寒さも和らいで、本格的な春を迎えた4月。

あれもこれもまだまだ時間が掛かるけど、ただぼ~と待つだけでは退屈だ。

まぁ、ライアンとまったり過ごしても良いのだが、キャシーに頼まれていた希少試料の内、古代竜の鱗はすでに渡したし、拠点に魔族の分は保管してあるし、先日訪れた際にオルヴァドルから爪を切って貰った。

残りはハイエルフだけだから、ジェレヴァンナの了解を取り付けがてら、久しぶりに森を訪ねてみようと思う。

その前に、あれやこれやをもう一度整理しておこうか。


あの後、エッデルコ夫妻に荷造りするよう申し伝え、一度古代竜の村へと戻った。

お爺ちゃんの治療は、基本的にはいつもと同じ。

ホムンクルスによる複製を創って、そこにアストラル体を移植する方法だ。

あの集落の中で、飛び抜けて強い気配を有していた事からも判る通り、お爺ちゃんのアストラル体はまだまだ元気。

どうやら、物質界に縛られて物質体が老化して行く傾向が、長命種にも見られるようだ。

物質体は老化していても、アストラル体はまだまだ若い。

ジェレヴァンナもそうだったし、人間だがキャシーにもその傾向は見られた。

今は神族であるデイトリアムも、アストラル体より先に物質体が朽ち掛けてあの状態になったんだしな。

生命の本質は、アストラル体、そしてその核である魂にこそあるのかも知れないな。

しかし、今回は少し問題がある。

複製体の素体であるホムンクルスは、俺の、と言うか勇者くんの精液から作られている、言わば人間族の素体だ。

姿形がそう違わないハイエルフの場合、あくまで素体であって複製化する時にはジェレヴァンナの遺伝情報を基礎にするので問題無く複製出来たんだが、古代竜となると話が違うと思う。

問題は、その産まれ方だ。

そう、古代竜は、卵で生まれるのである。

その成長プロセスも、人間族を含めた亜人種とは全く違う。

多分、恐竜同様鳥類の方が近いんじゃないだろうか。

その為、今回俺は、古代竜の繁殖について詳しく聞き取りをした上で、お爺ちゃんの精液から作ったホムンクルスを受精卵にまで還元し、人工子宮では無く人口卵の状態で培養する事にした。

都合良くお爺ちゃんが繁殖期に入っている、なんて事は無いので、外科的方法で精液の採取をしたが、この辺人型のような羞恥心が無い為抵抗されずに採取出来たのは幸い。

女医の格好をして扱き出すプレイにも興味は……、いや、何でも無い(^Д^;

とまぁ、理屈は一緒なんだが初めてのケースなので、念の為5つほど卵を培養している。

素体から何から全てお爺ちゃん用に創っているから、余っても使い途は無いんだけども。

今回は、俺主導で行ったが、キャシー邸の研修施設を使い、キャシーを助手として全ての工程を一緒に行った。

これも、キャシーのアルケミー修行の一環となっただろう。

実際にお爺ちゃんのアストラル体を移植するのは、もう少し育って卵から孵った後が望ましい。

その為、最短でもあと2週間、ひと月程度の培養期間は必要なので、この先の培養管理はキャシーに託し、俺は他の事に取り掛かる。


エッデルコはライアン邸に帰り着いてすぐ、ライアンの装備一式に取り掛かった。

ファイファイチュチュも、すぐに俺の採寸に取り掛かる。

古代竜の雛創りに2週間ほど費やしたが、その間もふたりの作業は続いていて、まだまだ完成は遠そうだ。

ライアンの装備はロングソード、ラージシールド、プレートアーマーとその下に着るチェインメイル、兜と籠手とブーツにもそれぞれ違う能力を考えているそうで、下手をすれば数年掛かりになりそうだ。

俺の方は差し当たって、着回す事も考慮して5着ほど仕立ててくれるそうだ。

俺自身が立ち会うのは、最終工程である魔法付与の時だけで良いから、しばらくこちらは放置で大丈夫そうだな。

ライアンの装備用の素材は、エッデルコが自身で所蔵していた魔法金属や希少鉱石も使うが、古代竜の鱗がメイン素材となる。

クロにも提供させたが、ついでにヴァイスイートとメイリウムスにも提供させた。

ヴァイスイートは青竜で風属性、メイリウムスは赤いけど鉄壁だけあって地属性で、鱗にもそれぞれ特徴が出るそうだからな。

ちなみに、クロは黒竜だが暗黒属性、闇属性なんて事は無く、あくまで無属性だ。

暗黒、闇ってのは、悪魔の象徴。

別に邪悪って訳じゃ無いが、光の神、闇の神の双方から迫害、追放された真なる古代竜の後裔たる古代竜たちは、光の力も闇の力も借りたりはしない。

シロだって、そりゃもう神々しいばかりの純白の白竜だけど、光属性では無いのだ。


その古代竜たちだが、クロは準備が整うまでお爺ちゃんの傍にいる事にして、ヴァイスイートとメイリウムスも村で暮らす事になった。

ふたりの変化はまだまだだったけど、お爺ちゃんやクロの手解きを受け、当面は人間変化の修行をするようだ。

まぁ、変化自体は皆すぐ覚えるようだし、それは問題無いだろう。

問題はその先だ。

何しろ、長老たるお爺ちゃんですらアストラル体は食み出しまくっており、少しも力を抑え込んではいなかった。

島の古代竜には、その概念が無いのだ。

シロの小竜変化、そして小さな体に一所懸命アストラル体を仕舞い込んでいたのは、彼が島を出てから身に付けた、古代竜にとっては相当高度な能力だったと言う事だな。

今はクロにも出来るのだから、あのふたりが人間に変化出来るようになった後は、クロがふたりを指導するだろう。

結果的に、彼ら三体が力を合わせて戦うチームとなれば、正に古代竜最強チームの誕生だ。

……そんな彼らが活躍する機会など、まず訪れやしないだろうが。


と言う事で、古代竜の雛創りで2週間ほど忙しくしていたから、満足にライアンといちゃいちゃ出来無かったけど、この件が片付くまでは仕方無いな。

後の事はキャシーに任せたし、エッデルコたちもしばらく動きは無し。

移住の件は急ぐような話では無いから、エッデルコをゲイムスヴァーグに引き合わせる時で良いだろ。

あれから色々あったから、ジェレヴァンナの意見も聞いてみたい。

ハイエルフの試料の件もあって、俺は久しぶりに森へ飛ぶ事にしたのだった。


2


いつものように遅く起きた俺は、ゆっくり遅めの朝食を済ませ、後を女中に頼んでから……彼女たちの仕事だからだぞ(^^;

本当は、使った食器くらい自分で洗いたいんだが、さすがに何度もキンバリーさんに怒られたから、今では彼女たちに多くの事を任せている。

ライアンに手料理を振舞いたいから、厨房にだけは立たせて貰うけどな。

ずっとやらないでいると腕が鈍ってしまう。

それは、何事もそうだ。

料理だって、殺人だって、な。

その後俺は、ステルスを発動して屋敷から消える。

新型テレポートで盗賊ギルド上空まで飛び、地下道に潜ってオルヴァ拠点へ。

念の為、予備体の保管室まで行き、そこで胡坐を搔きアストラル体で抜け出し、結界を張って感知を行ってから、ジェレヴァンナの森研究施設内の予備体保管室へ。

こちらにも結界を張って……、何だか騒がしいな。

何かあったのかな?

思えば、俺自身はいつでも世界中どこへでも行ける訳だが、その俺が伝令役となる事で情報も簡単にやり取り出来る反面、俺が飛ばない場所の情報は簡単にオルヴァまで伝わって来ない。

最近は、オルヴァを根拠に、キャシーに逢いにモーサントへ、オーガンに逢いにタリムへ行く事はあっても、ジェレヴァンナの森やニホンへ行く機会は少ないし、それ以外の拠点にはほとんど足を運んでいない。

予備体にしろ食料にしろ、時間凍結してあるから問題無いとは思うが、拠点内は結構埃が溜まっているかも知れないな。

今度、マジックアイテムとしてロボット掃除機でも作ってみようか……とか、そう言う事言ってる場合じゃ無いだろ(^^;

結界内を感知、本体を招喚、すかさず本体に入り込み、俺は研究施設の外へと急ぐ。

……近くにボワーノの気配は無い。

他のコマンダーたちもいない。

お、この気配はジェレヴァンナだ。

こちらへ転移した時点でもうステルス状態では無かったから、結界の主だけに俺の来訪に気付いたようだな。

程無くして、ジェレヴァンナが空から俺の目の前に降り立った。

「久しいな。丁度良いところに来てくれた。」

「えぇ、久しぶり。積もる話もあったんだけど、何かあったの?」

「あぁ、あったよ。今もエルフやゾンビたちが対応しているが、敵襲だよ。」

「敵襲?だって、結界は問題無いんでしょ。人間は入り込んで来られないはず……、まさか!?」

「いいや、人間だよ。ただね、森に入り込んで来た訳じゃ無い。頭が良いのか悪いのか、とんでもない事を思い付くものだね。森に火を放つなんて、エルフには思いも寄らない事だよ。」


話を聞いた後、俺は現場である森の南東部へ向かった。

ジェレヴァンナの森は、帝国からトリエンティヌス王国中央付近まで、東西800kmに及ぶ大森林だ。

縮地によって短時間で抜けられるし、普段エルフの集落付近しか出歩かないのでそんなに広く感じないが、実際には地球の南米アマゾンの熱帯雨林並み、とまでは言えないが、それほどに広大である。

集落は森の中央部に位置する為、南東部までは400km弱もある訳だが、縮地によって1時間ほどで辿り着く。

本当に、魔法とは偉大なものだ。

「こちらです、ルージュ様。」

ボワーノが、俺を見付けて駆け寄って来る。

「丁度今、スニーティフ殿とディンギア殿が作戦会議をしています。」

「そう、それじゃ案内して。」

そうして、森の一角に設営されたテントへと案内される。

「おぉ、来てくれたのか、クリムゾン。」

「ルージュ。今の私はルージュだってば。」

「ふん、私の目には変わらずクリムゾンとして視えるのだ。構わんだろう。」

この姿になってから何度か森へも訪れているが、スニーティフだけはずっと俺の事をクリムゾンと呼んでいる。

まぁ、間違ってる訳じゃ無いから良いんだけど。

「それで、ルージュ様。状況の方はどこまでお聞きになられましたか?」

ディンギアの方は、ちゃんとルージュと呼んでくれる。

「ジェレヴァンナから、人間が森に火を放っているとだけ。その後すぐ駆け付けたから。」

「うむ、確かにその通りだ。ジェレヴァンナ様の結界のお陰で、奴原めは森に入って来れぬ。ならばと、森の外縁部に火を放ちおったのだ。如何にも、野蛮な人間のやりそうな事だ。」

「心外ね。森に火を放つなんて、まともな神経の持ち主なら、人間だってやらないわよ。」

「現在、エルフと魔族で精霊魔法を使って消火を進めていますが、あまり森の端まで近付き過ぎると奴らは矢を射かけて来て、思うように捗りません。幸い、クライド様たちが守って下さるので、怪我人こそいますが死者は出ていません。」

「火の方は?」

「結界内の木々はすぐ消し止められるから、延焼は広がっておらん。しかし、奴原めらが諦めて引き下がる様子は無いな。消しては燃やされ、その繰り返しだ。忌々しい。」

「そいつら何者?」

「どうやら、トリエンティヌス王国軍のようです。潜伏して調べてみましたが、第二王子ファーディアル・セト・トリエンティヌスが直接指揮を執っているようです。親衛隊100騎の他に、歩兵がおよそ2000。」

「ちょっと、それじゃ歴とした軍事行動じゃない。どうなってんの?」

「判りません。親衛隊には魔導士も数名随行していて、私では天幕まではとても侵入出来ず、不甲斐無い。」

「……ボワーノは、魔法苦手だもんね。それに、王子様がいるからこそ、警戒が厳しいんでしょうね。」

「どうする、クリムゾン。討って出るか?いや、その気ならお前ひとりでも簡単に殲滅出来るだろう。問題は、殺しても良いのか、と言う事か。」

「……何が不味いんですか?スニーティフ殿には何度も止められているんですが、それは私の力不足かと思っていたんですけど……違うみたいですね。」

「ディンギアだけでも、2000人程度の人間の軍隊は敵じゃ無いでしょ。それに、こっちにはボニーとクライドたちもいる。ボワーノが正確な情報も把握してくれる。それこそ、魔族軍対トリエンティヌス王国軍として事を構えるだけなら、簡単に勝てるわね。」

「あぁ、だが、正式に相手をしたのでは再度進軍して来るだろうし、まかり間違って王子を殺しでもしたなら、総力を挙げて攻めて来るかも知れん。むしろ、それで良いのかね、魔族としては。」

はっ、と何かに気付くディンギア。

「そうか……、我々にとって脅威では無いトリエンティヌス王国が弱体化するのは望ましく無い、と言う事ですね。すみません、私は視野が狭かったようです。スニーティフ殿は我々魔族の事を考えて下さっていたんですね。」

「魔族あっての我々だからな。もうジェレヴァンナの森のエルフは、魔族の一員のようなものだよ。」

「駄目!」

「何?!」と驚くスニーティフ。

「迂闊な事は言わないで。魔族の呪いの正体、判ってないのよ。もし悪魔の仕業なら、どこで聞き耳立ててるか判ったもんじゃ無い。」

「む……、お前が言うならそうなのかも知れんな。悪魔か……、本当に恐ろしいのだな。」

少なくとも、正式に魔族に迎え入れられたダークエルフたちは、しっかり呪いで苦しんでいるんだ。

あり得ない話では無い。

魔族にとっても、あくまで同盟者としてジェレヴァンナの森のエルフたちが健康でいてくれた方が、都合も良いだろう。

「とにかく、厄介な相手って事ね。本当、殺しちゃって良い相手なら楽なんだけど、まずは事情を詳しく調べるのが先か。……スニーティフとディンギアは、このまま消火を続けて。ボワーノ、貴方は敵の監視を続けて、皆に的確な情報を伝えてあげて。それから、ボニーたちにもエルフと魔族の警護を続けるように言っておいて。」

「判りました。それで、ルージュ様は如何なされるので。」

「取り敢えず、王子に会って来る。それから、お城まで行って内情の調査ね。はぁ、王子殺してお終い、ってなってくれると助かるんだけどね。嫌な予感がするわ。」


3


50人ほどの兵が森へ火を掛けていて、その後ろから100人ほどの弓兵が森の中へと矢を射掛けている。

物資にも限りはあるから散発的だが、継続して森への嫌がらせを続けるつもりのようだ。

魔族が森から討って出て来た時の備えとして、1000人ほどの歩兵が弓兵と共に控えている。

そこから少し距離を取って陣は敷かれていて、残りの歩兵と親衛隊、魔導士、王子たちはその陣にいる。

俺はステルスを発動してその中を歩いて行き、つぶさに様子を窺ってみた。

歩兵たちは練度の低い弱兵で、寄せ集めのようだ。

と言って、粗野な振る舞いが見られたり、場慣れしていない初々しさも感じないので、囚人を駆り出したり徴用した新兵とは思えないから、多分半農半兵や予備役と言ったところだろう。

親衛隊と魔導士を従軍させる王子の部隊、の割りには、構成兵力が貧弱過ぎるな。

しっかりと準備を調えて進軍して来た訳では無さそうだ。

親衛隊の方は、普段から王子付きの精鋭のようで、強さも装備も軍馬に至るまで、充分一線級と言える。

魔導士の方も宮廷魔導士を引き連れて来たのか、少なくともゴーレムを作る事にさえ四苦八苦していた、神聖オルヴァドル教国の魔導士たちとは雲泥の差だ。

数は10人にも満たないが、ひとりひとりがどこかのギルドマスターを務めていてもおかしく無いレベルと思えた。

彼らが打ち揃って火の上位魔法でも撃ち込んで来たなら、スニーティフひとりでは消火も大変だろう。

まぁ、4属性の上位精霊を完全支配しているスニーティフなら、大変なだけで凌ぎ切れると思うけどな。

余談だが、高位の精霊使いであるスニーティフは精霊を支配して使役しているが、俺は精霊と仲良くなって助けて貰う。

その為、精霊が発する力自体はスニーティフの方が強いのだが、反面支配が及ばぬ精霊の助力は得られない。

俺の場合、助けて貰うから気紛れで効果にむらが出るものの、ほとんど全ての精霊から助けて貰えて、そこには上位精霊を超える精霊王たちも含まれる。

結果的には、俺の方が大きな精霊魔法を行使出来ると言う訳だ。

そして、問題の第二王子、ファーディアル殿下だ。

「戦況はどうなってる!」

「はっ、状況に変化無く、結界の外の樹木はかなり燃えましたが、内部まで延焼が広がりません。」

「奴らは出て来んのか!」

「はっ、一向にその気配はありません。魔法によって消火している模様ですが、反撃して来る様子はありませんし、討って出て来る者もおりません。」

「くそっ!重要な戦略拠点である森を燃やされて黙っているなど、魔族と言うのは腰抜けばかりなのか!」

現在、天幕内で作戦会議中だ。

どうやら、挑発行為として森に火を放っているようだな。

まぁ、森の広大さを思えば効果的とは思えないが、一応考えてはいるようだ。

「シグマ!貴様たちの魔法で何とかならんのか!」

「はっ、殿下。我々は魔族が討って出て来た時、迎え撃つ為に魔力を温存しておきませんと。それに、森から引きずり出さねば、奴らに地の利があり過ぎます。」

「えぇい、不甲斐無い!直接剣を交えれば、この俺が斬って捨ててやるものを!」

……確かに、このファーディアル殿下、決して弱くは無い。

建国王には遠く及ぶまいが、話に聞いていた凡庸な子孫たちの中では、かなりまともな戦士なのだろう。

意気軒昂で自信に満ち溢れており、こちらもどこかの戦士ギルドでギルドマスターを務めるくらいは出来そうな実力と見た。

が、それだけだ。

たった一騎で戦況を引っ繰り返せるほどの英傑には程遠く、10年前のライアンやクリスティーナにも及ばない。

その戦略、知略、用兵に特別光るものも見受けられないし、凡庸とは言わずとも良くて中の上。

正規兵を敵に倍する陣容で引き連れるならば、充分王者の戦いを演じもするだろうが、つまりはお膳立てされた勝ち戦でも無い限り、軍の命運を託せるような名将の器では無いと言う事だ。

「くっ……、森を何とかすれば、後顧を憂えずウォーデンス砦攻略にも取り掛かれるものを。魔族さえ討ち払えば、きっと父も俺を王太子としてお認めになられるはず。あの暗愚な兄になど、この国は任せられぬわ!」

そう言って、椅子を蹴り飛ばすファーディアル殿下。

そう言う事なのか。

こんな勝算の無い急な進撃を始めたのも、継承権争いの一環と言う事らしいな。

……魔族の内情を知らなければ、そう言う考えにもなるか。

魔族にとって、与しやすいトリエンティヌス王国は敢えて攻めず、戦力を帝国へ回しているだけなのだが、当のトリエンティヌス軍から見れば戦い方次第で勝算があるように思えてしまうんだな。

であれば、点数稼ぎとしては、それほど的を外しているとも言えない訳か。

まぁ、致命的に現実が見えていないんだけどな。

ジェレヴァンナの結界を破る事など不可能だし、仮に戦力を調えてウォーデンス砦に攻め込めても、形勢が不利になれば魔族軍は本格的に援軍を送って来るだけだ。

まともにやり合えば、トリエンティヌス軍など魔族軍に太刀打ち出来無い。

殿下の思い描く青写真が、実現する未来など絶対に訪れない。

「仕方無い。それでは、ここに砦を築け。木組みの簡単なもので良い。材料ならいくらでもあるのだから、ここよりウォーデンス砦までの間に、いくつか簡易砦を築いて、有事に備えられるようにしよう。これだけ挑発しても出て来ぬなら、森には討って出るだけの戦力が無いのやも知れぬ。ならば、別の手を打つまでだ。」

「ははっ、それでは早速取り掛かります。」

……やれやれ、こいつは長く居座るつもりか。

完全に彼我戦力を見誤っている事を除けば、そこまで的外れで無いだけに、少し厄介な奴だな。

まぁ、良い。事は権力争いのようだから、城の方を探ってみれば、何か取るべき道も見えそうだ。

次は王都へと向かう事にし、俺はそのまま天幕を後にした。


あくまで俺のアバウトな観測によるが、北方三国はそれぞれ東西1000kmほど。

トリエンティヌス王国の中央辺りまでジェレヴァンナの森は広がっているので、王国の生活圏は大雑把に言うと逆L字型をしている。

北東部にウォーデンス砦に対抗する為のオスロバーヌ城塞都市があり、王都はその南方300km程の位置、魔界からも森からも南にあるトリステン王国からも海からも、適度に離れた場所にあった。

建国王ヴォイドバーヌ・ガフ・トリエンティヌスから名を取った王都ヴォイドバーヌも、その弟の名を冠したオスロバーヌ城塞都市同様、堅固な城壁に囲まれた城塞都市だった。

しかし、魔族との戦いに疲弊し、凡庸な王が代々治め続けて来た結果、トリエンティヌス王国は衰退の道を辿っている。

それは王都にも見られ、堅固な城壁も所々崩れていて、東の一画は完全に崩壊している。

そこから城塞外にスラムが広がっており、城塞内の方は治安の悪い暗黒街の様相を呈していた。

現在王都からは兵の姿が消え、他の区画でも治安の悪化は見受けられ、王城にほど近い富裕区画さえ、かなり荒廃した雰囲気を感じさせる。

数百年の歴史を誇る伝統ある国家、と言うよりも、老いて今にも倒れそうな国家、と言った方がしっくり来るほどだ。

森の前線から王都まで200km余り、新型フライで1時間も掛からず辿り着き、俺はそんな王都の様子を少し見て回った。

一応、盗賊ギルドにも立ち寄ってみたが、暗黒街の中にあってこの国の色に染まっており、他の国のギルドよりもかなり雰囲気が悪かった。

だから冷やかしてすぐ出て来たが、美人女盗賊である俺の後を5~6人追って来たので、ステルスを発動してさっさとその場を後にした。

仕方無いので冒険者ギルドの方へ寄って情報を集めてみたが、進軍中なのは第二王子だけでは無かった。

第一王子ウェンガルス・メソ・トリエンティヌスと第三王子マリステム・モス・トリエンティヌスのふたりは、一緒に南の小国トリステン王国へと進軍中との事。

ふたりは第二王子ファーディアルと仲が悪く、第三王子マリステムは元から第一王子ウェンガルスに取り入っていたそうで、ファーディアルの勝手な進軍に対抗する為に、仲の良かったトリステン王国にいきなり軍を向けたのだとか。

その際、王都に残った兵のほとんどを動員した為、今現在王城に残る一部の兵を残し、王都はもぬけの殻状態だ。

……確認するまでも無い。第一王子と第三王子は、確かにファーディアルが言うように暗愚なのだろう。

とは言え、戦況の確認の意味でも、後で様子は見に行こう。

その前に、このような暴挙を許している国王の方だ。

ギルド情報によると、時の国王アンドリュス・エト・トリエンティヌス陛下も暗愚な王で、耳障りの良い事を言う臣下ばかりを重用している。

しかし、そんな無能どもはおべっかばかりでまともに仕事などせず、結果出世出来無い有能な臣下が仕事をさせられる事から、意外にも政治的には平均的な成果を挙げている(^^;

ただし、不満は国内に渦巻いている。

冷遇されている有能貴族たちは、領地に引き籠り独自の政策を行っている為、兵力も各地に散らばっている。

第一王子たちが王都の虎の子1万ほどの正規軍を動員した為、今王都は空なのだ。

下手をすれば、魔族軍や他国が手薄な王都を攻め滅ぼす以前に、不満が募った有力貴族が簒奪を企てる方が先かも知れない。

だが、このような状況の王国を、火中の栗を、一体誰が拾いたいだろう。

アンドリュス王は70代、王子たちは40~50代。

暗愚な王だが、この付けを払うのは次の世代で、幸せなまま往生を迎えるのかも知れないな(-ω-)

まぁ、実際に見てみない事には判らない事もある。

その阿呆面を、拝んでおくとしようか。


4


王城の中は実に豪奢な造りで、とても疲弊した国の佇まいとは思えなかった。

内装に使われている物は一級品揃いだし、城勤めをする人々の衣服も高級感溢れている。

王城に残った兵士たちの装備に至るまで、王家の威光を示すような贅を凝らした逸品で固められている。

食事も豪勢で、摘まみ食いをしてみたが、味も一流シェフによる高級感のある味わいのようだった。

ここは王の居城に相応しい素晴らしい城だ……、目に見える範囲に限れば。

一歩裏へ回れば、つまり王が立ち寄る事の無い使用人たちだけの空間を見れば、その様相は一変する。

過日のエーデルハイト領主館と同じく、使用人たちの手により手入れは行き届いているものの、満足に修繕もされておらず、所々破損したまま捨て置かれている。

表へ出ない使用人たちの衣服は見た目から非道く、使い古しをいつまでも着回しているように見える。

エーデルハイトとは違い、金が無い訳では無い。

王の目に付くところ以外には、金が回って来ないのだろう。

何と無く、三国志で見た事のある、自分たちの事しか考えていない宦官たちに周りを固められていた皇帝、が思い浮かんだ。

正確な情報は自分のところまで上がって来ず、甘言を鵜呑みにして天下が太平であると信じたまま贅を尽くす。

ある意味、可哀想な裸の王様なんだが……、その気になれば本当の事を知る事だって出来るのだから、やはりその人格を疑わざるを得ないよな。

衆愚の代表だって愚かだから、民主主義で選ばれた首長ならばもっと良い政治が出来る、とも限らないが、世襲には何の利も無いだろ。

優れた人間の子供、子孫は、同様に優れている、ってのは、一種の選民思想なのかな。

昔の王、貴族ってのは、神に選ばれた尊い人間だから、人々を支配する権限がある、なんて考えだったらしいが、仮に最初のひとりが相応の人物だったとて、それが子々孫々受け継がれたりなんかしない。

現に、この国では建国王の血筋がこの有り様だ。

自分が裸である事にすら気付けないのだ。


俺はひと通り城内を見て回った後、謁見の間へ赴いてみる。

まだ昼下がり、公務の真っ最中で現在何者かが謁見中だ。

それを見学させて貰う。

玉座に御座す国王陛下は、意外にも肥え太った豚では無かった。

いや、もしかしたら昔はそうだったのかも知れないが、すっかり痩せ細り老いさらばえている。

俺の見立てでは死期が近い訳では無いのだが、年相応に弱っているようだ。

それは多分精神にも及んでいて、とても今回の騒動の黒幕とは思えなかった。

だが、元凶はこの場で見付けた。

どう見ても、奴が問題だろう。

玉座の脇で、王より威厳ある態度で謁見を受けている、宮廷魔導士か宰相のような男。

えぇっと……、しまった、そんな奴がいるとは思わなかったから、名前すら調べていなかった(^^;

しかし、間違い無い。こいつが問題なのだ。

何しろ、その背に怨霊を背負っているのだから。

その怨霊は、若くして死んだ女性に見える。

かなり強い妄執を感じるが、ゴーストとして強い訳では無い。

普段、この手のモノが視えない者には視えない程度の怨霊だ。

この場に、怨霊の姿が視えている者はいないようだ。

……この男自身はどうだろう。

仮に宮廷魔導士ならば、怨霊くらい視えるだろう。

しかし、だとすれば放置しているのはおかしい。

まぁ、良い。取り敢えず、ひとつ可能性は消えた。

俺は、この手の騒動の裏にはまた悪魔がいるんじゃないかと勘繰っていたんだが、今回それは杞憂に終わったようだ。

むしろ、王にグレーターデーモンでも取り憑いていた方が、判りやすかったけどな。

人間の体を隠れ蓑にすれば、アスタレイたちの目も誤魔化せるかも知れないし。

この場合、この怨霊男が王を操って、何かを企んでいると言うのが正解だな。

ならば、この男の事を調べなければ。

「今回の進軍、ファーディアル殿下の作戦は対魔族として判らなくはありませぬが、ウェンガルス殿下、マリステム殿下は何故友好国であるトリステン王国を攻めねばならぬのか、納得行きませぬ。王都まで無防備となってしまい、さすがにお止めすべきかと存じます。」

今発言した男は、その格好や進言内容からすると、有能故冷遇され領国に帰還している貴族のひとりで、国を憂いてまかり越した、と言ったところか。

一応、玉座の王に対し語り掛けているし、それなりに忠誠心のある貴族なのだろう。

当の国王は、その言葉を聞いているのかいないのか、理解出来ているのかいないのか、怪しい感じだな。

その国王は臣下に目もくれず、代わりに怨霊憑きの男が言葉を返す。

「王都が無防備なのは、諸卿が国許へ兵をお引きになっておられるからでは?ガルドリン男爵、卿が軍を率いて王都をお守りになっては如何かな。」

「……宰相閣下、お言葉ですが、私のような若輩者が、このような時に軍を引き連れ王都へ赴いたのでは、反逆と勘違いされかねません。まずは、無謀な進軍を続ける殿下たちをお諫めして、王都へお戻り頂く事が肝要かと。」

「ふむ……、しかし此度の進軍は王もお認めになられた正式な軍事行動ですぞ。無謀な進軍とは、些か口が過ぎるのではありませんかな。」

「い、いえ、決してそのようなつもりでは……。宰相閣下は聡明な軍師でもあります。此度の進軍には思うところも御座いましょう。」

「……そうだな。では王と善く善く相談の上、今次作戦の是非を再検討してみよう。卿の注進により国が救われるやも知れぬ。大義であった。」

まだ言いたい事がありそうなガルドリン男爵であったが、言葉を呑み込み王へ一礼してその場を辞する。

あぁして会話を断たれては、位の低い男爵がさらに言葉を続けるなど、それこそ王への不敬となりかねない。

「……男爵が無事に領国へ帰還出来れば良いですな、陛下。」

宰相がそう口にした後、柱の陰に控えていた者が数名、姿を消した。

……はぁ、取り敢えず、それは止めておくか。

俺は急いで、ガルドリン男爵の後を追った。


男爵は待機していた数名の騎士たちと共に、すでに城の外へ出ているようだ。

「帰るぞ!あれでは話にならん!」とか憤慨して、足早に城を去った光景が目に浮かぶ(^^;

しかし、王都は今治安が悪いとは言え、いきなり街中で仕掛けるかな?

いや、男爵たちが騎馬で上洛したなら、街の外へ出しては面倒か。

すでに取り囲んでいるし、すぐに仕掛けて来るかも。

俺は視界に捉えた男爵のすぐ後ろへ短距離空間転移し、敵の襲撃に備える。

襲撃者は、いち、にい、さん……、10人か。

こちらは、供回りが3騎の計4人。

実力は……お供よりは強いから、この男爵は騎士さんか。

「どうした!馬番はどこにいる。ガルドリン男爵だ。すぐに馬を引け!」

どうやら、乗って来た馬はどこかへ移動されてしまったようだな。

手際が良い……、こんな事は良くあるって事か。

「男爵様、これはもしや……。」

「馬鹿な!ここはまだ王城の目の前だぞ!まさかこんな場所で……。」

男爵を中心に、騎士たちが周りを固める。

うん、実に真っ当な騎士たちだ。

主君を命に替えて守ろうとする。

良し、全員助けてやるか。

ひゅっ……と音がして、矢雨が四方から降り注ぐ。

本当に、街中どころか城の目の前で襲って来たな。

国を憂う有能な臣下を討ち取って行けば、国が滅ぶ事になるってのに……、それが狙いか?

俺は、風の精霊にお願いして、ウィンド・プロテクション(風の守護)を掛ける。

飛来した矢が、全て狙いを外して地面に突き刺さる。

「な、何だ!一体どうなってる!」

男爵が驚いているが、むしろ襲撃者たちの方がもっと驚いた事だろう。

何しろ、相手は4人とも騎士なのだ。

アーデルヴァイトでは、クラスによる制約を受けずに魔法も修得出来るが、スキルポイントは得意分野に集中するのが普通だから、重装備の騎士たちが魔法を使うなんて想定外だろう。

使ったとしても、普通は聖騎士が神聖魔法を使う程度だし。

まぁ、実際にはこの場にいない、いるけど姿が視えていない、俺が掛けたんだけどな。

さて、襲撃者の方には魔導士も含まれるので、俺は素早く次の行動に移る。

短距離空間転移で魔導士が潜んでいる路地の建物の上へ飛び、そこからサイレントノックアウトを発動。

今ほど強くなると、力を加減して殺さないようにするのも難しい作業なので、オートマさんにお任せして気絶させる。

襲撃者の内、魔導士は3人。

三方に分かれていたが、混乱から立ち直る前に全員気絶させた。

気付くと、男爵たちも戦闘を開始していた。

退路を切り開く為に南側へまとまって移動するところを、襲撃者たちの内4人が塞ぎ、後ろから残り3人が挟み撃ちする格好になっていた。

……口を割るとしたら、さっき昏倒させた魔導士たちの方だな。

残りは、多分この街の盗賊だ。

ご同業とは言いたく無いようなチンピラたちだから、単に金で雇われているだけで、何も知らないだろう。

いつでも切り捨てられるように、俺だったらそう使う。

だからこいつらに、手心を加える必要は無いって事だ。

挟み撃ちに遭うと覚悟した騎士のひとりが、背後の3人をひとりで迎え撃とうとするところを、俺が一瞬で3人とも背後から斬り伏せる。

その血煙の中でステルスを解き、「助太刀するわ、男爵様。」と声を掛けた。

俺は後背を受け持とうとした騎士に目配せすると、俺の意図を察したその騎士が前面の盗賊へ強襲を掛けた。

挟み撃ちが失敗に終わり、数の優位を失って強襲された盗賊たちは、まともに斬り結ぶ事も無く敗走を開始。

あっと言う間に、襲撃は失敗に終わった。


5


気絶させた魔導士たちを縛り上げ、それを騎士たちが担いで場所を移す。

没落貴族の元邸宅だろうか。

中に誰もいない大きな廃屋がすぐ近くにあったので、そこに運び込んで貰う。

白いシーツが掛けられていたが、家具はそのまま残されていたので、応接間に捕虜を転がした後、俺と男爵はテーブルセットに腰を落ち着けた。

戦って疲れただろうに、男爵を守るように周りを固めて立ったままの騎士たちは、腕だけで無く忠誠心も大したものだ。

「ふぅ……、少し落ち着いた。助けてくれてありがとう。私はガルドリン男爵だ。えぇと、ミス……。」

「……ミセスよ、男爵。でも、ごめんなさい。正体は隠させて貰うわ。通りすがりのただの冒険者。そう言う事にしておいて。」

「……判った。私はそれなりに腕に自信がある。だから、相手の力量も測れるつもりだ。君の助けが無ければ私たちは死んでいただろう。ここは、敵では無いと判断させて貰おう。」

「賢明ね。この国の貴族が貴方みたいな人ばかりだったら、トリエンティヌス王国が今日のように凋落する事は無かったでしょうに。」

「お褒めの言葉と受け取っておくが、耳に痛くもあるね。」

俺はそこで、魔導士たちの方を見やる。

「ところで男爵様。貴方、拷問はお嫌い?」

男爵も魔導士たちの方を見やり、「そう言う趣味は無いが、職務としては何度か経験があるよ。」と合わせて来る。

「へぇ、騎士様も色々なのね。私は盗賊系冒険者だから、多分男爵様よりも経験は豊富よ。あぁ、でも、私にも他人をいたぶって喜ぶ趣味は無いわよ。……ただ、3人も必要無いわね。」

そう言うと、魔導士たちが芋虫のように這いずって、3人して喚き出す。

「た、助けてくれ。」「何でも話す。」「私だけでも助けて下さい。」

ぎゃーぎゃー喚くのを放置して、睥睨しながら静かになるのを待つ。

ひとり、またひとりと、その俺の態度に気付いて口をつぐむ。

「……わ、私が話す。全部話す。何でも聞いてくれ。」

「……はぁ、残念。折角の魔導士相手、アストラル体を斬り刻むか、いつも通り内臓をひとつずつ取り出して行くか、どんな風に虐めてあげるか考えてたのに、拷問する前に素直になっちゃうなんてね。」

ごくり、と唾を呑み込む音が6人分。

さすが男爵、彼だけは俺の雰囲気に呑まれていない。

そう思って振り返ると、思いっ切り男爵は引いていた(^^;

「あ……、じょ、冗談よ、冗談。私は魔導士でもあるから治療も得意なのよ。だから、抜き取った内臓はちゃんと元に戻してあげるし、素直に吐く相手は殺したりしないわよ。」

「……それ、冗談じゃ無くて、内臓は抜き取るって事じゃ……。」

今度は、騎士も揃って4人がドン引きしていた(-ω-)


「さて、やっぱり宰相様が黒幕で間違い無かった訳だけど、男爵様はこれからどうするの?」

ひと通り尋問した後、俺は男爵と今後について検討を始める。

「……しかし、話を聞いた今でも信じられん。まさか、救国の英雄ベステミリア伯爵が何故……。」

「ベステミリア伯爵?それが宰相様の名前なの?」

「ん?君はこの国について詳しく無いのか?」

「そうね。こっち側・・・・の事は、ほとんど知らないわ。宰相様って、国を滅ぼすような人物じゃ無い訳?」

「……私もまだ幼かったが、昔この国は、魔族の猛攻に苦しめられていた。一時期、オスロバーヌ城塞が陥落してもおかしく無いと噂されるほど戦況が悪化したが、それを盛り返したのがベステミリア伯爵だ。その戦功が認められ、大将軍として軍事一切を取り仕切るようになってから、政務でも実績を重ね宰相となった御仁だ。」

「それだけ聞くと、本当に救国の英雄様ね。ま、その挙句が今の状況なんだけど。」

「ふむ……、しかし、宰相閣下であれば今次作戦の無謀さなど判り切った事。だからこそ、進言すれば判って貰えると思ったのだが……。」

「それは簡単な話よ。」

「どう言う事だ?」

「判った上での判断。つまり、彼は負けると判っていて作戦を認めたって事ね。」

「何故?!そんな事をして何の得があると言うのだ!」

「あるんでしょ、彼には。……彼が国、もしくは王様に恨みを抱くような覚えは無いの?」

「……無い。少なくとも、表舞台に立ってからのベステミリア伯爵にはな。」

「それ以前の彼は?」

「判らない。」

「判らない?どう言う意味で?」

「そのままの意味だよ。ベステミリア伯爵以前の事は全く知られていない。」

「……詳しくお願い。」

「……本当なら、外部の人間に話すような事じゃ無いんだろうな。先代のベステミリア伯爵には子が無かった。だから、彼は養子と言う事になるが、その出自が不明なのだ。」

「出自が判らないの?伯爵家の養子なのに?」

「あぁ、普通じゃ考えられないな。親類縁者、もしくは家格が上の家から次男坊、三男坊が請われて籍に入るのが一般的だし、外交を考えて他国から迎え入れる事もある。家臣の娘を養女にして嫁に出す、なんて話ならあるが、世継ぎとなるとな。それに、家臣の身内なら記録くらい残る。」

「妾の子か、そうで無ければ庶民?訳あり過ぎね。それでも問題にならなかったのは……。」

「対魔族の戦功あっての事、だな。もう二十年ほど前の話だ。私も噂でしか聞いていないから、真相は判らないがね。」

何かあるとすれば、やはり何も判らない出自絡みか。

こうなってはもう、直接本人に問い質す他あるまい。

宰相本人、よりも、その後ろの本人。

多分、そっちに話を聞けば、色々判るはずだ。

後は、先々の事も考えないとな。

俺は席を立ち、男爵の傍へと歩み寄る。

「男爵様、少し宜しいかしら。」と横へ座る。

何かを察した男爵が、騎士たちに目配せする。

「宜しいのですか?」と、騎士のひとりが心配して問い返す。

「良い。私はこの女性を信じる事にしたのだ。」

「……判りました。レディ、失礼致しました。」

俺に一礼してから、他の騎士と一緒に席を離れる。

「本当に良い部下たちね。これだけ慕われてるって事は、それだけ貴方が良い御主人様って証ね。」

「そうでありたい、と思って努力はしているよ。……それで、どんな話かな。」

俺は遮音の結界を、ふたりを囲むように張る。

「貴方は信用出来そうだし、この先の為の布石を打っておきたいと思ってね。」

「この先の為、ですか?」

「そう、この先の為。まずひとつ目の可能性、国王も宰相も殺して、この事件を強制的に終わらせる。」

ガタッ、と音を立てて腰を浮かすが、音は結界の外までは聞こえない……ま、騎士たちはこちらの様子を窺っているから、音は聞こえずとも男爵の動きには気付く訳だが(^^;

一瞬、騎士たちが駆け付けようと動くが、それを手で制して再び腰掛ける男爵。

「すまない……、その選択肢は当然だな。私には無理だが……、君にはそれが可能と言う事だな。」

「まぁね。それに、あくまで選択肢のひとつよ。何がどう転ぶか判らないから、宰相閣下を説得して無謀な軍事行動を撤回させ事態を終息させる、って可能性もあるわ。」

「……しかし、国への恨みからの行動ならば、それは難しい、か。」

「そうかもね。でも、何事も蓋を開けてみるまで判らない。で、問題はその先。……良い、ここだけの話よ。貴方自身がどう動くかの検討材料にして貰って構わないけど、決して他言は無用よ。」

ごくり、と今度は男爵様も唾を呑み込む。

「わ、判った。君に救われた命だ。他言しないと誓おう。」

「……私は正真正銘の人間族だけど、ジェレヴァンナの森……あ、迷いの森の事よ。ジェレヴァンナの森にはエルフたちが住んでいて、その長老の名を取ってジェレヴァンナの森と呼んでるの。私は、彼らと仲が良いのよ。」

「……迷いの森にエルフが……。確かに、ハイエルフが住むと言うおとぎ話は聞いていたが……。」

「そのエルフたちが魔族と同盟関係にあるから、森を通って魔族が進軍して来れるの。だから別に、魔族が支配してる森じゃ無いのよ。ファーディアル殿下の嫌がらせは、エルフにとっては非常に迷惑。魔族に背中を襲われたく無いってのは判るし、エルフも魔族に味方してるから仕方無いけど、私はエルフたちの為に森を守ろうとしてるの。」

「なるほど……。森の主であるエルフの許しがあるから、魔族だけは森を通れるのか。」

いや、実際には人間族用の結界だから、人間だけが通れないんだけどな(^^;

そこまで詳しく教えてやる必要は無い。

「そして、本当の内緒話はここから。実はね、お友達って訳じゃ無いんだけど、私は魔族にも知り合いがいて、魔族について詳しく聞いた事があるの。……魔族にはね、トリエンティヌス王国を滅ぼすつもりなんて無いのよ。」

「なん……だと?」

「良い?今のトリエンティヌス王国の戦力は、正直建国当時と比べればあんまりにも貧弱でしょ。だから、ある意味魔族は手抜きが出来るのよ。弱いトリエンティヌス王国へは最低限の兵を差し向け、魔族軍の主力は……。」

「帝国!そうか、グランダガーノ帝国に主力を当て、こちらには兵力を集めない。魔族にとっては、王国が滅んで東まで帝国領土が拡大し、戦線が広がる方が不味いんだな。」

「さすがね、男爵様、その通りよ。魔族軍にも余裕は無いのよ。残念だけど、トリエンティヌス王国への余裕じゃ無くて、帝国に対する余裕が無いの。だから、確かに宰相閣下の活躍もあったんだろうけど、魔族にとっては渡りに船だった。膠着状態こそ、魔族側にとっても都合が良かったの。」

「……それでこの先、か。」

「本当、頭の良い人と話すのは楽で良いわね。その通りよ。宰相閣下が死のうと改心しようと、今回の騒動が収まれば問題になるのがファーディアル殿下。事実を知らない彼は、魔族軍へ攻勢を掛ける好機、なんて勘違いしかねないわ。下手に藪を突いても良い事なんて無い。魔族をその気にさせたら、弱体化したトリエンティヌス王国軍なんて簡単に壊滅させられちゃうわよ。」

「オスロバーヌだって、今は帝国の軍事支援と技術協力があって、何とか均衡を保てているに過ぎないからな。と言って、ウェンガルス殿下、マリステム殿下……えぇい、馬鹿馬鹿しい。あの馬鹿王子ふたりになど国は任せられん。上手くファーディアル殿下の手綱を握れ、そう言う事か。」

「……ま、まぁ、そんなとこだけど、やっぱり救いようの無い馬鹿王子なのね、そのふたり(^^;」

「あぁ、そうだ。あれに頭を下げるのがどれほど苦痛か。あのふたりは、まるで国王陛下の生き写しだ。おひとりだけ性格の違うファーディアル殿下であるが、殿下も王妃様に似たご様子では無いし、陛下の中にもあのような猛々しさが眠っておられるのかも知れんな。」

若い頃は建国王のようになりたいと奮闘したが、そんな理想に現実は付いて行かず、いつしか諦めの境地から堕落した生活に浸って行った。

そんなとこかな。

偉大な祖先を持ち、周囲の大き過ぎる期待に応えられない自らの不甲斐無さから目を逸らす。

判らなくも無いが。

となると、いつかファーディアルすら歴代の王たち同様、腐って行くのかも知れない。

「さてと。判断材料は提供したから、後は捕虜の処遇だけど……。」

と、視線を魔導士たちに向けると、声は聞こえていないのにビクッと体を震わせた。

余程、俺の事が怖いみたいだ(^^;

俺の問い掛けには答えず、男爵は席を立ち魔導士たちの前に立つ。

もう内緒話は終わりなので、遮音の結界は解除する。

「お前たち、私に付いて来ないか。」

「え!?」と、驚きの声を上げる魔導士たち。

「どうやら、こちらのお嬢さんのお陰で、この国は変わる事になりそうだ。国を立て直すには力がいる。お前たちの魔法も役に立つ。」

顔を見合わせる魔導士たち。

「私の暗殺に失敗したのだ。戻っても良い事なんか無いだろう。最悪、殺されかねないぞ。」

「そ!……それは、多分そうだろう。宰相閣下相手の点数稼ぎになると筆頭宮廷魔導士ダンゲル様はお考えになって、我らのような出世からあぶれた連中に声を掛けたのだ。」

「こうして秘密も洩らしたし、今更戻っても口封じされるのが落ちか……。」

意気消沈する魔導士たち。

「お前たち、少しは国に仕えようと言う志はあるか?」

「も、もちろん!そのつもりで宮廷魔導士になったのです!……正直、栄達を求めるだけなら、他の国へ行きます。魔族と戦争をしていない平和な国なら、私程度の魔導士でもギルドマスターくらい務まりますよ。」

確かにな。こいつらの魔力は決して低くは無い。

事、戦闘だけに限れば、キャシーにだって後れは取るまい。

さすが、最前線たる北方三国の宮廷魔導士だ。

ゴーレムすらまともに作れない、オルヴァの宮廷魔導士とは物が違う。

「ならば力を貸してくれ。私と共に、このトリエンティヌス王国を護る同志として。」

3人は縛られたまま居住まいを正し、「承知致しました。」と恭順の意を示す。

……ま、男爵がそう決めたのだから文句は無いが、少しだけ念押ししておくか。

俺は、魔力だけを二割ほど解放する。

途端、ビクッとして俺の方を凝視する3人。

「……その言葉に嘘は無いと、私も信じるからね。もし裏切ったらどうなるか……判るわね?」

そうして、とても優しい笑みを浮かべる。

魔力を感知出来無い男爵や騎士たちには、思わず頬を染めるような愛らしい笑顔に見えた事だろう。

しかし、俺を見詰める魔導士たちの目は、恐怖を色濃く映していた。

3人は、頭を床に擦り付けるほど畏まって、「決して、決して裏切るような真似は致しませぬ……。」と消え入るように呟いた。

声を出すのも苦しい、そんな感じで。

男爵がそんな俺たちを見て、「……何かしたのかい?」と俺に問い掛ける。

俺は魔力を抑えてから、「いいえ、別に何も。」と素っ惚けた。


あ、そう言えば。

「ねぇ、貴方たち。宰相様には会った事ある?」

まだ少し怯えた様子の魔導士たちだったが、おどおどしながら答える。

「え、えぇ、会ったと言うより、お見掛けした程度ですが……。」

「貴方たちくらい魔力があれば、当然視えてるわよね、あれ。……何だと思う?」

顔を見合わせる魔導士たち。

「あれ……、と言うのは、その、ゴーストの事でしょうか。」

「そうよ。あの女性の怨霊。貴方たち、何か心当たり無い?」

「じょ、女性ですか?すみません。私はそんな事まで視えませんでした。」

「わ、私も、恐ろしいゴーストが取り憑いているように視えただけで……。」

「……同じく。性別など、とても判るような姿には視えず……。」

そうか。ま、視え方は人によっても違うしな。

「気にはならなかったの?……とは言っても、聞けるような立場でも無いか。」

「は、はぁ、さすがにそんな失礼な事は言えませんし……。何より、こちらに害が及ぶのではと、恐ろしくて……。」

ふむ、あれだけの妄執に囚われた怨霊なら、周りに祟ってもおかしく無いもんな。

「しかし、多分宰相閣下はお気付きになっておられるようです。良く背後を気にしておいででしたから。」

「それに、宰相閣下は魔導の使い手のはずです。戦場では剣をお振るいになるだけで無く、魔導でお味方を援護もなさったと聞いております。」

「わ、私が聞いた話では、筆頭宮廷魔導士ダンゲル様とは、同じ師に習った同門だとか。それがご縁で、後にダンゲル様は宮廷入りしたと。」

「……あれが憑いてるの判ってて放置してるのね。やっぱりあれが鍵ね。」

「何の話だ?」と、黙って聞いていた男爵が問い掛ける。

「……いいえ、何でも無いわ。それじゃあ、この子たちを上手く使ってね、男爵様。私は城に戻るわ。」

「そうか……。判った。君の厚意に、改めて礼を言う。ありがとう。気を付けて。」

「えぇ、こちらは任せて。そっちも頑張ってね。」

最後に男爵と握手を交わし、俺はその場を後にした。


6


名前が判ったのはつい先ほどなので、空間感知では居場所が判らない宰相閣下だが、怨霊憑きの人物なんか滅多にいないので、アストラル感知で特定出来た(^^;

今は、謁見の間の奥にある大きな部屋の中に、ひとりでいるようだ。

王は上の階の方にいるので、自室に戻って休んでいるのだろう。

王は所詮傀儡だから、取り敢えず放置で構うまい。

そう考えて謁見の間の奥へと進むと、そこは作戦指揮所のようになっていて、テーブルに広げられた地図には駒のような物が並び、その配置からオスロバーヌ、ファーディアル軍、馬鹿王子軍、トリステン王国軍の戦況図と見て取れる。

今はその傍の椅子に腰掛けている宰相閣下だが、目頭を押さえて疲れた様子を見せていた。

単に疲れているだけか、それとも怨霊の影響か……。

俺は遮音、そして出入り禁止の結界を部屋に張り、ステルスを解く。

「宰相閣下、少し宜しいですか?」

宰相ベステミリアは、一瞬ビクッとするが、静かに顔を上げてこちらを見やる。

「……何者だ?まるで気配を感じなかったが……、その姿、盗賊か。報告に参ったのか?」

「報告?……そうね、確かに報告する事があるわ。……ガルドリン男爵は無事よ。襲撃は失敗に終わったわ。」

「何!?」

「私が皆倒しちゃったから。駄目よ。彼みたいな憂国の騎士を殺しちゃうなんて。」

「……貴様、何者だ?雇った連中では無いな。」

「あんなのと一緒にされたく無いわね。私は真っ当な冒険者だもの。」

宰相は居住まいを正して、改めて俺を睨め付ける。

「……では暗殺者か?男爵に雇われたか。ここまで気付かれずに侵入出来るとは、なるほど手練れだな。どうだ、私に付けば……。」

「却下。」「何?!」

「金も権力も思いのままだぞ、とか安っぽい事言うんでしょ。そう言うの、間に合ってるから。」

「では何が望みだ。言ってみろ。私が叶えられる望みなら、一考してやっても良い。」

「そうね……。そもそも、私が用があるのは、貴方じゃ無くて彼女なの。彼女の正体とか、教えて貰えると助かるんだけど。」

おもむろに立ち上がった宰相は、怒りの形相で腰の剣に手を掛ける。

「貴様……、これが視えるのか。」

「ごめんなさい、私こう見えて魔導士でもあるの。少しでも魔導の心得があれば視えて当然でしょ。まぁ、私にははっきり視えるけどね。」

「……確かにな。貴様は今、彼女と言ったからな。」

何か腑に落ちたのか、宰相からは鬼気が消え、再び椅子へと腰を下ろした。

「……それで、貴様にはこれがどう視えているのだ。」

「どうって……、貴方にも視えているんでしょ。」

「……残念ながら、私はそこまで魔法は得意では無くてな。私には、ただただ凄まじいエネルギーを持った怨念の塊にしか視えぬ。」

「……でも、私が彼女と言った事には疑問を挟まなかった。心当たりはあるんでしょ。」

「……貴様にそこまで話す謂れは無い。」

「私ね、まだ態度は決めかねてるけど、貴方、私がその気ならどうなるか、判る程度にはお強いはずよね。」

そう言って、闘気と魔力を二割ほど解放する。

元とは言え、救国の英雄であれば、俺の実力が肌で感じられるはずだ。

「最悪、このままそれを除霊して、貴方と国王陛下を殺してお終い、でも良いのよ。いいえ、むしろその方が簡単だわ。その後馬鹿王子ふたりを殺してファーディアルは生かしたまま返り討ちにすれば、さすがに国の立て直しに奔走するようになるでしょ。そうすれば、当面森へ手を出そうなんて考えないはず。私の目的は達成されるわ。」

慄き冷や汗を掻きながら、苦虫を噛み潰したような表情で、宰相は苦しい言葉を紡ぎ出す。

「……か……彼女は、……、……私の妻だ。」

……まぁ、想像した通りか。

この男は何か思い違いをしていそうだが、彼女がこの男に憑いている時点で、ある程度想像は付いた。

だが、この男がどう捉えているかは、確かめておきたい。

「何故……、奥さんが怨霊なんかになってるの?」

「……まだ私がただのいち市民に過ぎなかった頃、私の妻は、カトリーヌはある男に乱暴されたのだ!そして、それを苦に自ら命を……。」

「……その相手が、現国王陛下、ってところかしら。」

「あぁ、その通りだ!だから私は、復讐の為にベステミリア伯爵に取り入り、上手く養子になった後は必死に戦い戦功を挙げ、伯爵を早々に隠居へ追い込み家督を継いで、運も味方して救国の英雄として国の中枢へと潜り込めた。アンドリュスの奴を殺すだけでは妻の無念は晴らし切れぬ。だから、この国も一緒に滅ぼしてやる事にしたのだ。王太子の仕出かした事だからと、事件を揉み消した王国も同罪だからな!」

「そう……、大体思った通りだったけど、復讐なんて奥さん望んでいないわよ。」

「ふん、復讐など無意味だ、止めておけ、そんな綺麗事を言うのだな、貴様も!」

「違うわよ。私は別に、復讐を否定する気は無いわ。確かに、復讐なんかしても救われない、意味なんか無い、って言う人もいるけど、私はそうは思わない。少なくともその人の気持ちにけじめが付くし、人の心は弱いもの。復讐がその人の心を支え、生きる力を与える事だってあるわ。復讐大いに結構。相手がそれだけの事をしたなら尚更ね。」

「そ……それじゃあ、どう言う……。」

「貴方は思い違いをしてるのよ。言葉通り、奥さんは復讐なんか望んでいないのよ。貴方、え~と、お名前は?」

「……ゴドバルト。彼女と共に在った時から、この名は変えていない。」

「そう。ゴドバルト、貴方も魔法を使うんだから、ゴーストの事は知ってるんでしょ。」

「……いや、そう詳しくは無い。私は力を求めて、必要だから魔法も身に付けたに過ぎない。学問としてちゃんと魔法と向き合った訳では無いからな。」

「……この世の生命の本質は魂で、魂こそがその人自身と言って良いわ。精神を司るのがアストラル体で、その核が魂。そして、魂とアストラル体の保護器が物質体、肉の体よ。ゴーストってのはね、その保護器たる物質体を喪う事で、アストラル体が段々維持出来無くなって行くの。物質体に守られていないと、かなり怖いらしいわ。だから、そのままでは正気でいられない。時間が経つに連れて、アストラル体が希薄になって行き、自我も失われて行く。存在し続ける為に恐怖を感じる心を忘れ、残るのは強烈な妄執だけとなる。そうしてゴーストは、長い時間物質界に留まると怨霊と化す。」

「だから、カトリーヌも恨みから怨霊となって、この世に留まっているのだろう。」

「そこが違うのよ。」

「……どう言う事だ。」

「良い?恨みで怨霊となったのなら、何故貴方に取り憑くのよ。憎い国王陛下に取り憑けば、取り憑かれた国王様は少しずつ生気を吸われて、こんな20年も30年も掛からずにとっくに取り殺されてるわよ。」

「……確かにそうだ……、一体どう言う事なんだ……。」

「奥さんの妄執、この世への未練は、恨みなんかじゃ無いって事よ。」

「それじゃあ一体、何でカトリーヌはこの世に留まっているんだ!こんなに苦しみながら……。」

「……それは、直接奥さんに聞いてみましょうか。」

「な、なんだと?!そんな事が出来るのか?」

俺はふたりに近付いて行き、奥さんへと手を伸ばす。

「私はこっちの専門家でね。さっきも言ったけど、ゴーストってのは弱って色々忘れちゃってるけど、それはつまり、元気になれば色々思い出すって事。」

そのまま手を伸ばして、奥さんのアストラル体に触れる。

「要はアストラル体治療と同じなのよ。私が奥さんのアストラル体を活性化させて、奥さんのアストラル体を強くする。そうすれば、怨霊化は治まって意識を取り戻すはずよ。」

そうして、アストラル治療と同じように、俺のアストラル体を使って活性化させる。

俺の体と奥さんのアストラル体が、淡い紫光に包まれ、数瞬後、そこには美しい妙齢の女性の姿が浮かんでいた。

「おぉ、おおっ、カトリーヌ!カトリーヌッ!!!」

感極まって呼び掛けるゴドバルトの声に、薄く目を開いて行くカトリーヌ。

「……ゴディ?……あぁ、ゴディ、今までどこにいたの?私、とても心配していたのよ?」

どうやら、カトリーヌは自我を取り戻したようだ。

まだ意識の混濁は見られるが、徐々に状況もはっきり認識して来るだろう。

「……そう、そうね。私、もうとっくの昔に死んでいたんだわ……。でも……。」

「カトリーヌ!お前はずっと私の傍にいてくれた。お前の恨みを晴らそうと頑張る、私の傍に!だから私は頑張って来られた。生きて来られたんだ!」

カトリーヌのアストラル体は、ゴドバルトの頬に両手を添えるようにして、愛しむような瞳を向けながらも首を横に振る。

「違う、違うの、ゴディ。私が貴方の傍にいたのは、恨みからじゃ無いの……。」

「……何故?何故だ!?お前は、お前はあの男に……。」

「えぇ、ゴディ。確かにあの事件は辛かった。結果として貴方を裏切ってしまった事が苦しくて、後ろめたくて、私はそれに耐えかねてしまった。でも、それで命を絶った私は、もう一度貴方を裏切った。一緒に、ふたりで一緒に耐えるべきだったのに……。」

そして、カトリーヌは泣き崩れる。

「良いんだ、良いんだよ、カトリーヌ。君は悪く無い。全てはあの男が悪いのだ。だからその恨みを……。」

「違うのよ、ゴディ。あんな男の事なんてどうでも良いの。……貴方よ。私は、裏切り傷付けてしまった貴方が、今でもいつまでも苦しみ続けている事が辛いの。私の所為で苦しめているのが申し訳無いの。貴方には、あぁ、ゴディ、貴方には私の分まで、幸せに生きていて欲しかった……。」

泣き出して、顔を覆ってしまうカトリーヌ。

愕然とし、膝から崩れ落ちるゴドバルト。

「そんな……。それじゃあ、私が、私自身が、ずっとお前を苦しめて来たのか。私がお前を縛り付けて、怨霊なんかにしてしまったのか……。」

そうしてふたりは、互いに謝り続けて、泣き続けて、触れ合う事も出来ずに、ただただ悲しみの中で震えているのだった。


ふたりが落ち着くまで、俺はそのまま何も言わずに待っていた。

ゴドバルトが救国の英雄になったのが20年ほど前だと言うから、事件はもっと前、彼らは30年は苦しみ続けて来た。

お互いがお互いを思いやりながらお互いを傷付け続ける、そんな30年。

俺の掛ける軽い言葉で、癒せるような傷じゃ無い。

だが、このままではいられない。

それは彼らも解っている、痛いほどに。

ゴドバルトは、未練を断ち切るように彼女から視線を外し、俺の方へと向き直る。

その顔から険は消えたが、同時に生気も消えていた。

まだ還暦前のはずだが、大分老けたように見える。

「……すまなかったな……、いや、ありがとう。もうこれで、私も思い残す事は無い。ふたりで共に逝くよ……。」

何か声を掛けようとするカトリーヌだが、伸ばした手を押し止める。

本当の気持ちは違う。だけど、これまでの事を思えば、仕方の無い事。

そう言う諦めの気持ちが、俺の心に流れ込んで来る。

ふぅ、やれやれ。人は何度でも同じ過ちを繰り返す。

理屈じゃ無い、感情の生き物だからな。

「……確かに、貴方のした事を思えば、裁かれるのが当然、と思うわよね。でもね、私にはそう言う人間の薄っぺらい倫理観なんてどうでも良いの。私にとって大事なのは、赤の他人じゃ無くて目の前の人間。事情を知ってこうして言葉を交わした貴方たちに情が湧くのも、実に人間らしいと私は思ってる。だから私自身の気持ちが間違ってるとは思わない。」

「私を……、許そうと言うのか。」

「許さないわ。でもね、それは主に、奥さんの気持ちを理解してあげられなかった事を許さない、って意味よ。」

「どう言う……事かな。」

「奥さんの想いは、貴方に自分の分も生きて、幸せになって貰う事だった。一緒に死んで欲しいなんて思って無いわ。」

「それはっ……、それは確かにそうなのかも知れないが、私はもう若く無い。多くの罪も犯して来た。今更幸せになるなど……。」

「そうね。私も、貴方を無罪放免にするのが正しいとは思わないわよ。この国の法に委ねるつもりも無いから、悪いけど私が裁かせて貰うわ。」

カトリーヌがゴドバルトに寄り添い、触れ合えないがお互いが手を取り合うようにして、神妙な面持ちで俺の言葉を待つ。

「カトリーヌには成仏して貰うわ。貴女を生き返らせるなんてさすがに私でも無理。貴女は30年も妄執に縛られて永らえて来たから、いくら私がアストラル体を活性化させたと言っても、気持ちが落ち着いた今、もう永くは持たないでしょう。だから消えてしまう前に、私が成仏させる。成仏する事と魂が消滅する事の違いまでは判らないけど、やっぱりちゃんと成仏してアストラル界に旅立つ方が、向こうでも平穏に過ごせそうな気がするからね。」

「私が……、私の魂が救われても良いのでしょうか。」

「仮に貴女が恨みから怨霊と化していたのなら、私は躊躇せず退治してたわよ。貴女が夫を想うその気持ち、今の私には少し解るから、貴女にはせめて安らかに旅立って欲しいと思うの。」

「あぁ、神様……感謝致します。」

う~む、そこで神に祈られるのは、少し嫌だな(^^;

「そして、貴女が安らかに逝く為には、ゴドバルト、貴方のこれからも大切なのよ。」

「私の……、これから、ですか?」

「そう。貴方には生きて貰う。それも、魂の抜け殻のような無気力に過ごす人生では無く、生気溢れる活気ある人生。これからの余生を捧げて貰うわよ、この国に。」

「この……国?」

「恨みを捨てろ、とまでは言わないわ。国王陛下は、殺したければ殺しても良いし、あんなゴミ、利用するだけして傀儡のまま死なせても良い。やり方は任せるけど、貴方が滅ぼそうとして弱体化したこの国を、貴方が立て直すのよ。残りの人生を懸けてね。」

「私に、この国を再建しろと。」

「仕方無いから、貴方にも内緒話をしてあげる。魔族はグランダガーノ帝国と戦う為に戦力をそっちに回したいから、この国を滅ぼす気なんて無いのよ。魔族にとって都合が良いのは、弱いこの国の軍隊と睨み合いを続ける事。このまま貴方の目論見通り国が滅んだりするのは、魔族と仲の良い私にとっても嬉しく無い話。それに、魔族が攻めて来る事は無いんだから、滅ぶとしたら内乱の方が有力ね。ガルドリン男爵のような国を憂う忠義者たちが、この国にだって少しはいるんだから。」

ゴドバルトの顔に、少し生気が戻って来ているように見える。

何だかんだ言って、彼も一端の将軍であり宰相であり。

そもそも、この手の話、男の子は大好きだからな。

「だから、魔族が本格的に攻めて来ない今、国を立て直す好機なのよ。国王でも馬鹿王子でも良いから傀儡にして、血気に逸るファーディアル殿下は上手く抑え込んで、トリステン王国との関係も修復してから、国内の状況改善に勤しんで、貴方の寿命が尽きる頃、見違えたトリエンティヌス王国をファーディアル殿下に引き継いで大往生。私が貴方へ与える罰は、そんな感じで如何かしら?」

「ゴディ。」と触れ得ぬその手で、夫の肩に手を置く妻。

奥さんの気持ちに、今度こそ応えてやれよ、ゴドバルト。

死者の心残りってのはきっと、残される者を心配する気持ちなんだ。

そして、少なくとも彼女にとっては、お前を心配する気持ちなんだ。

お前がこれからの人生に、何かひとつでも生き甲斐を見出せたなら、彼女は安心して逝けるはずだ。

「……判りました。その役目、いやその罰、謹んでお受けしよう。きっと役目を果たして、それから胸を張って彼女に逢いに行く。残りの人生、この国へ捧げましょう。」

うん、これでこのふたりは救われる。

……俺だって、アンドリュスの豚がやった事にはむかっ腹が立つ。

人妻に懸想して死なせるなんて、王家に生まれただけで何をやっても許されると思ってるクソ野郎は、この手で引き裂いてやりたいくらいだ。

30年苦しんだ被害者たちが、せめて最期に笑って逝けるなら。

力で解決するよりも、この方がずっと良い。

……力による解決も、時に必要だけどな。

「それから、今回森を襲ったファーディアル殿下にも、相応の罰は受けて貰わなくちゃね。大丈夫。彼は成長すれば良い国王様になれるわ。だから殺したりはしないけど、世の中の厳しさってもんを、教えてあげる必要はあると思うの。だから……。」

俺はその後、カトリーヌを安らかに送ってやり、後の事はゴドバルトに全て任せ、皆が待つ森へと帰還するのだった。


7


男爵襲撃と宰相夫妻の一件で、少し時間を喰ったから夕刻となり、小一時間ほど飛んで森へ帰り着く頃には、もう陽が傾いて来てしまった。

戦闘としては、こちらは夜戦でも一向に構わないのだが、ファーディアル殿下には後学の為にしっかり見ておいて貰いたいと思っている。

だから、今日はこのまま森へ戻り、明日の早朝攻撃を仕掛ける事とした。

俺が森の前線テントへ戻ると、そこにはスニーティフとディンギアがいて、後からボワーノが姿を現した。

「おう、早いな。……そう言えばお前は、空を飛べるんだったな。」

「まぁね。でも、王都ヴォイドバーヌまで、小一時間は掛かるわよ。」

「小一時間しか掛からん、だ。全く、お前には常識が通じないな。」

「それでルージュ様、首尾は如何でしたか?」

ディンギアに促され、俺はテーブル上の地図を使って説明を始める。

「取り敢えず、ファーディアル殿下は厄介な相手ね。こっちの事情を知らない所為だけど、やる気満々な上そこまで的外れな戦略を練ってなかった。あ、もちろん、戦力的には論外よ。こっちの主力だけで2000人くらい簡単に殲滅出来る。」

「ふむ、その言い方だと、やはりそのまま奴原を殺して終わり、と言う話では無いのだな。」

「それは後で話すけど、ファーディアル見物の後私は王都へ向かったわ。そこで確認したんだけど、ファーディアルは跡目争いの点数稼ぎで、森を抑えた後ウォーデンス砦攻略を考えてる。それに対抗して、第一王子と第三王子が一緒になって、南の小国トリステン王国に進軍したのよ。」

「トリステンですか?トリエンティヌス王国の友好国じゃないですか。」

「その通り、本当馬鹿ね。こっちの馬鹿王子ふたりは、国王そっくりの盆暗兄弟。まともなのはファーディアルだけね。」

「国王も盆暗か。」

「えぇ、盆暗な上に、もう生ける屍みたいなものよ。宰相が全部取り仕切ってる状態。で、その宰相閣下と話して来たわ。何とか彼を説得したから、今回の件は上手く収めてくれるはずよ。後は、迷惑掛けてくれたファーディアル殿下にお灸を据えるだけ。」

「ほう、やはりやるのか。」と、スニーティフは楽しそうだ。

他のエルフたちと比べ、スニーティフは結構攻撃的な性格してるよな(^^;

「魔族としても、トリエンティヌス王国が倒れるのは本意じゃ無いでしょ。盆暗王子に跡を継がせて国を滅ぼす訳には行かないから、ファーディアル殿下は生かしておく。でも、その責任は取って貰わないといけないから、彼の部隊には全滅して貰うわ。その失敗で大人しくなれば、宰相閣下がファーディアル殿下の手綱を握りやすくもなる、って寸法よ。」

「そうか。本当に面倒な事だが、お前はちゃんと魔族の事まで考えておるのだな。」

「あくまで、森の友達の事だけよ。魔族そのものまで面倒見る気は無いからね。」

「はい、ありがとう御座います。ルージュ様に頼り切らないよう、これからも精進致します。」

「それでどうする。エルフが前線に立つか、コマンダーたちに任せるのか。それともお前ひとりで殺しまくるか?」

「人を殺人鬼みたいに言わないでよ。今回は、私がファーディアル殿下を特等席にご案内するから、戦闘は皆に任せるわ。スニーティフとディンギア、コマンダーたち、ボワーノ。貴方たちで、約2000人の歩兵と100騎の親衛隊を殲滅して。別に鏖にする必要は無いわよ。逃げたり死に損なったりした運の良い子たちは、そのまま放置してあげて。」

「ふむ、少数精鋭か。万が一にも、村の者に被害が出ぬように。ありがとうよ、クリムゾン。森の友達、か。」

「それでは早速……。」

「いや、攻撃は明日早朝。だろ?」

「えぇ、その通り。」

「どう言う事ですか?」

「クリムゾンが言ったであろう。あの王子を特等席にご案内するとな。つまり、見せ付けるのだ。あいつの部下が蹂躙されるのを。だがもう陽が暮れる。ただの人間たちには、夜は暗かろう。」

「なるほど。それで明日早朝ですか。」

「そう言う事よ。ボワーノ、皆にも伝えて来て。この騒動は、明日の朝終わらせるってね。」


静謐な空気が支配する森の朝は、やはり街中とは違う気持ちの良さがある。

……まぁ、いつもは明け方まで頑張っちゃって疲れてぐっすり眠ってしまうので、街中の朝だって最近はご無沙汰だけども(^^;

さすがに昨日は、帰れないとライアンに伝えに一時帰宅しただけで、村で一夜を明かした。

皆は不測の事態に備えて警戒態勢を続けているのに、そうと知りながらライアンと一緒に過ごすのは気が咎めるし、何より今日は朝早いから寝過ごしては不味い(^^;

ライアン邸で休む時以外は、今も物質体からアストラル体を抜いて就寝するので、今日も物質体の休息はばっちり。

黎明の空が明るくなる少し前に起き出して、小一時間掛けて前線まで戻り、5時頃にはテントまで辿り着いた。

「ボワーノ、王子様の様子はどう?」

俺は誰もいないテントの中で、ボワーノに呼び掛ける。

いつの間にか俺の背後で畏まっていたボワーノが、「変わりありません。一応歩哨はいますが、まだ寝静まっております。」と報告する。

「スニーティフとディンギアは?」

「はい、すでに出陣の用意を調えて、森の端まで移動済みです。」

俺も移動を開始する。

「コマンダーたちは聞くまでも無いわね。」

その俺に付いて来るボワーノ。

「はい、彼らはずっと待機していました。……ふたりは先程までいちゃついていましたけどね。」

ふたりってのは、当然ボニーとクライドだ。

まぁ、あいつらはいつもそうだから、別に不謹慎とか不真面目って訳じゃあ無い。

それがふたりのルーティーンみたいなものだし、ふたりの存在意義でもある。

「まぁ、いつもの事ね。首を撥ね合ってなければ問題無いわ(笑)」

俺たちは森の端まで移動して、無言でスニーティフたちと挨拶を交わす。

すでに作戦は昨日の内に打ち合わせ済み。

俺が行動を開始してから10分後、彼らの攻撃も始まる。

さて、ファーディアル殿下。これから一方的な蹂躙劇をご覧に入れますわ。


俺は、ステルス状態で短距離空間転移を発動して陣内へ突入、その後一気に王子様の天幕まで侵入する。

おや、随分早起きだな。

もうファーディアルは起きていて、天幕の中には側近の魔導士たちが集まっていた。

それから、親衛隊員もひとりいて、多分隊長なんだろう。

軍議を開いているって事は、何かしら行動を起こすつもりだったのかもな。

これは良いタイミングだったようだ。

本当は王子様おひとりご案内、ってつもりだったが、今後を思えば宮廷魔導士たちは生かしておいた方が役に立つだろう。

良し、これも何かの縁。ここにいる奴らだけは、全員助けてやろう。

そして俺は、天幕内を結界で覆い、1kmほど東に新型テレポートで転移した。

「……、……、……え?!」と驚き、辺りをきょろきょろ見回す一同。

今の今まで天幕内にいたのに、急に野っ原の真ん中だ。

そりゃ驚くだろうし、理解が追い付かないだろう。

「別に、夢でも幻でも無いわよ。」

俺は、ステルスを解いて姿を現す。

「なっ、き、貴様!一体何奴だ!」

さっ、と剣を抜きファーディアルを庇うなんて、さすが親衛隊だな。

当の王子様も、遅れはしたものの後に続いて身構える。

が、さすが宮廷魔導士。

本来、戦闘なんて不慣れなのだろう。

彼らは、いつまでもあたふたするばかり(^^;

「時間が無いから、失礼するわね。」

そう言って俺は、一気に闘気と魔力を50%ほど解放し、わざと見えるように得物で親衛隊の構えた剣の刃を、あの時ニホン帝国皇帝ヨウメイの剣をそうしたように、斬り飛ばしてやる。

「私がその気なら、貴方たちを簡単に殺せるわ。だから、今はその気が無いって事。お話、聞いて貰えるかしら?」

5人の魔導士たちは腰を抜かし、親衛隊は脂汗を掻きながら震えいているが、斬られた剣をそのまま構えて、王子を護り続けている。

うん、見上げた根性だ。

その親衛隊に護られた王子様は、こちらも渋い表情をしているが、その眼にはまだ力が感じられる。

こちらも、見上げた根性だ。

「……それで、話と言うのは何だ?」

その王子様が、絞り出すように声を出す。

「俺たちに何の用だ、魔族めっ!」

あぁ、このタイミングでこんな異常な攻撃を受けたら、俺の事を魔族と誤認してもおかしく無いか。

「取り敢えず、細かい話は後でするけど、貴方たち。」

と、俺は魔導士たちに話し掛ける。

「フライの魔法は使える?」

そう聞くと、少し間があってから、「わ、私は使えますが……。」「わ、私も、一応……。」と、2名ほど名乗り出る。

「それじゃあ、使えない子と騎士さんには、私が掛けるわね。ふたりは自分でフライを掛けて。」

そうして俺は、3人の魔導士と親衛隊にフライを掛ける。

「飛ぼうとしないで、その場で浮いてれば良いからね。下手に飛んじゃうと、一気にMP失くなって気絶しちゃうわよ。」

少し浮いた状態で、まるで初めてスケートをする子供のように、その場でわたわたする一同。

その後俺は、ファーディアルの背後に回って腰に腕を回す。

「うぉっ、何だっ?!何をする。」

「何って、別に何もしないわよ。殿下ってもう40代だったわよね。もしかしてまだひとり身?意外と初心なのね。」

と、耳元でくすくす笑ってやる。

「う、五月蠅いっ!俺は政略結婚など嫌なだけだ!初心でも奥手でも無いわ!」

俺はそんな王子の可愛い反応を無視して、フライを掛けた他の奴らも巻き込むように風の精霊にお願いして、新型フライで飛び上がる。

「ぬぉぅ、い、一体何事……。」と、驚きの声を上げる王子様。

他の、特に自分でフライが使えない魔導士と親衛隊は、思わず空中でくるくる回るのを止められないでいる。

「注意してね。今は風の精霊が浮かせてくれてるの。下手にフライの制御を誤って結界の外に飛び出したりしたら、MP切れて墜落するわよ。」

「ちょ、ちょっと待て!俺は魔導士じゃ無いんだ。こ、こ、このままではお、お、落ちてしまう……。」

まぁ、確かに、生粋の戦士系騎士様だったりしたら、魔法の制御なんか出来無いよな。

「私が絶対殺さないように気を付けるのはファーディアル殿下だけよ。他の子は、勝手に落ちて死ぬならそれまでよ。だから、体から余計な力を抜いて、ただ浮いてれば良いのよ。出来無い事を無理にやろうとしない。それだけの事よ。」

本当はさっさと移動したいが、少しだけ待ってやる。

さすがに宮廷魔導士たちは浮くだけならすぐに慣れて、俺の言う通り大人しくしている。

親衛隊だけ少しふらふらしていたが、諦めて全身の力を抜いたところで上手く安定した。

良し、もう大丈夫だろう。

10mほど上空に飛び上がったが、さすがに1kmは遠過ぎた。

陣が小さく見えているので、少し近付くように移動を開始する。

「殿下はさっき、私の事を魔族呼ばわりしたけど、私は歴とした人間よ。縁あって、森の住人たちと仲が良いの。だから、神聖な森に火を放った殿下を、放置出来無かった訳。そこで、私は昨日、王都まで飛んで状況を確認して来た。跡目争いの点数稼ぎに殿下は魔族に対抗しようと森へ進軍したようだけど、馬鹿な兄君と馬鹿な弟君はその殿下に対抗して仲の良かった隣国トリステンへと兵を出した。それを諫める立場の国王陛下はもう耄碌しちゃって、宰相閣下が裏で全部取り仕切ってる。それが今のトリエンティヌス王国。」

「……、……、……返す言葉も無いな。だがな、だからこそ……。」

「殿下、貴方はふたりの馬鹿王子よりは聡明ね。でも、真実が何も見えてない。」

「何だとっ!一体、何が見えていないと言うのだ!」

「それをこれからお見せするわ。私は昨日王都で宰相閣下を説得したから、彼はこの国を立て直す為に尽力してくれるわ。ガルドリン男爵のような憂国の騎士たちも手伝ってくれる。耄碌国王と馬鹿王子ふたりはどうとでもなるけど、貴方は別。本当は邪魔になるんだけど、立て直した国を継ぐのは貴方にしか務まらない。だから殺さないし、その時の為にも現実ってものを知って貰う。何より、これだけの事を仕出かした責任は取って貰わなくちゃならないでしょ。そこで、殿下の兵に死んで貰う事にしたわ。この失敗を以て貴方にはしばらく大人しくしていて貰って、その間に宰相閣下主導で国を再建する、と言う訳ね。」

「……なん……だと?今、今何と言った……。」

会話をしている間に、俺たちは陣が良く見渡せる場所まで移動していた。

「あら、丁度頃合いみたいね。それでは殿下、眼下で繰り広げられる一方的な蹂躙劇、とくとご覧あれ。」


森の端から陣地までは、大体100mと言ったところか。

その100mを、一気に突風が吹き過ぎる。

その突風は陣の柵を吹き飛ばした後、近くのテントを中でまだ寝惚けていた数名の兵ごと八つ裂きにした。

これは、スニーティフが唱えた中位の精霊魔法ウィンド・ブレイド(風の刃)だ。

本来は風の中位精霊シルフの力を借りて行使する魔法だが、スニーティフは支配している風の上位精霊ジンの力で行使する。

その為、中位魔法でありながらその威力は上位魔法に匹敵し、最早ウィンド・ブレイドと言うよりもウィンド・ミキサーとでも呼びたいほどだ。

喰らった相手は、細切れになるまで斬り裂かれ、それが人間だったかどうか判別出来無い状態の肉塊と化す。

その凄惨な光景を呆然と見詰める歩哨だったが、はたと気付いて敵襲を知らせるラッパを手にした瞬間、その首に1本の矢が突き刺さった。

ボワーノがどこからか狙撃したのだろう。

そうして奇襲にまだ気付かぬ陣地へ向けて、4体の巨大なゾンビが突撃を開始した。

テムジン、ミシェル、サンダース、テルミットの4人だ。

彼らが先陣を切って突撃し、その後ろからゆっくりボニーとクライドが付いて行き、左右に展開したスニーティフとディンギアも進撃を開始する。

歩哨の報せは響かなかったものの、最初の一撃の破砕音が戦闘開始を告げているので、兵たちはのろのろと起き出して、少しずつ事態に気付き始めた。

その中でも、さすが親衛隊は反応が素早く、100名の騎士たちが王子の天幕に集結しているが、そこにいるはずの警護対象の姿は無く、指示を出すはずの隊長の姿も見当たらない。

集結は素早かったが、次の行動に移れずにいる。

そうこうする内、何とか態勢を整えた最初の兵たちがコマンダーたちと会敵し、あまりに巨躯なゾンビを目の前にして棒立ちなまま、一撃で4~5人ずつ薙ぎ倒されて行く。

そうして正面から対峙したコマンダーたちの脇を擦り抜け、ボニーとクライド、そして左右から展開していたスニーティフとディンギアが、天幕前の親衛隊へと迫る。

親衛隊員たちは、他の歩兵と比べ物にならないほどその練度は高く、南方国家のギルドにあればひとりひとりがマスターを務めてもおかしく無いほどの手練れであったが、それでも相手が悪かった。

ボニーとクライドの相手は、ひと太刀ごとに腕が飛び、足が飛び、最期に首を裂かれて死んで行く。

スニーティフはその身に4属性の精霊を纏い、触れずして目の前の騎士を焼き、凍らせ、引き裂き、押し潰して行く。

ディンギアの幼さに気を抜いた訳では無かろうが、不用意に正面から斬り掛かった騎士は、見た目からは考えられない膂力に弾き返され、一刀の下に斬り捨てられる。

精兵たる親衛隊すら、瞬く間に死を重ねて行く。

ふと気付けば、その陰に隠れるようにして、魔法を唱えようとしている魔導士の姿が3つほど確認出来た。

どうやら、天幕に集まっていた魔導士が全てでは無く、寝坊したのか別行動だったのか、まだ陣内に魔導士が残っていたようだ。

こちらの戦力の内、特に強化を施さなかったボニーとクライドも含め、全員が高い魔法防御力を誇る為、彼らの魔法が発動してもどれほどの効果を上げるかは疑問だが、発動すら出来無かった。

ひとりの魔導士の首が、いきなり切り裂かれたのだ。

うむ、素晴らしい。

サイレントキルを発動してすら、その気配を消したまま維持されている。

そう、ボワーノだ。ボワーノがどこかに潜んでいて、魔導士の背後から首を掻き切ったのだ。

詠唱に集中していた魔導士たちは、そんな事には全く気付かず、そのまま3人とも首を裂かれて死んだ。

……そんな出来事が、眼下で5分もしない内に起こった。

風の結界内には声も無い。

ただただ、眼下に広がる光景を信じられずに見詰めているだけ。

数で言えば200倍、第二王子を常に護り続ける精兵たる親衛隊100名、魔法の権威宮廷魔導士すら就いている。

急ごしらえの陣容であっても、決して弱い部隊では無い。

充分、魔族と渡り合える戦力。そのはずだった。

だが、これが現実だよ、王子様。

確かに、本当の魔族はディンギアしかいないし、そのディンギア含め俺の仲間たちはゴブリンやオーガのエリートたちよりよっぽど強いが、それでも仮に魔族100人の部隊と会すれば、やはり同じような運命を辿った事だろう。

それほど、人間族と魔族の軍隊の力には、開きがあるのだ。

今この国があるのは、魔族にその気が無いだけの話。

それが現実なんだよ、ファーディアル。


この凄惨な蹂躙劇は、たった30分足らずで終わりを告げた。

逃げる者は追わなくて良いとは言ったが、逃げる事すら叶わない戦場だった。

死屍累々の陣地跡に、俺たちは降り立つ。

親衛隊員すらがっくりと膝を落とす中、踏ん張って立ち続けるファーディアル殿下。

今、その胸中に何を思うのか。

「……どうやら、何人か生存者がいるようね。……歩兵が5人と……、あら優秀。親衛隊の方は、1/4くらい生きてるわ。貴方たち、回復魔法は使えるでしょ。運の良い生存者たちを助けてあげなさい。」

言われて、慌てて立ち上がりおろおろ辺りを見回す魔導士たち。

命を取り留めるかどうか、それは俺には関係無い。

ほら、頑張れ、宮廷魔導士。さて……。

俺は仰々しく、ファーディアルの前に畏まって膝を突く。

「殿下、これでお判り頂けましたでしょうか。もう森へは手をお出しになられませぬよう、お願い申し上げます。魔族にも、軽々にお仕掛けにならぬ方が身の為と存じますよ。此度、運良く生き残りになられた30名ほどの部下とともに、早々に王都へとお引き遊ばされませ。後の事は、善く善く宰相閣下とご相談のほどを。……では。」

俺はその場で、ステルスを発動して姿を消す。

思わず腰が砕けそうになるのを堪え、ファーディアル殿下は一度も地に伏せる事は無かった。

この男なら、いつか建国王に負けず劣らぬ立派な王となるのかも知れない。

まぁ、俺にとってはどうでも良い、下らない話だ。


8


と言う事件は終わり、俺はいつもの日常へと戻った。

それから2週間ほど経ち、古代竜の雛は大分大きくなったが、未だ卵を割って出て来る気配は無い。

まぁ、疑似卵だから自ら割って孵るのかどうかも判らないし、ドルドガヴォイド用の体とするにはどの道若過ぎると思うので、より大きな人工子宮へ移してもう少し成長促進させた方が良いかな。

その辺はもう少し様子を見て、キャシーと相談して決めよう。

エッデルコは職人気質で、ライアン装備一式はやはり数年掛かりになりそうだ。

まだひと月程度では計画を練る段階でしか無く、何ひとつ形になっていない。

対して、チュチュの方はもう試作品が完成しそうだ。

数日前、俺も立ち会って魔法付与をしたのだが、驚くほど高性能なミニスカボディコンワンピースとなりそうである(^^;

各種能力値補正効果に対物理、対魔法防御力も軽装鎧を凌ぎ、そうして付与済み魔力の他に、上書きでもうひとつ魔力付与枠も加わった。

試作の時試してみたが、これはもうひとつの魔力回路保持にも流用出来そうだ。

デイトリアムがアルドローデスの思考領域を利用したようには行かないが、例えば新型フライに際し、フライをワンピースに掛けて発動状態を保持する事なら可能だ。

つまり、フライを普通にワンピースに掛けた後、風の精霊に働き掛けながらもうひとつ魔法を詠唱出来るので、魔法による空中戦が可能になるだろう。

自分で魔力回路を描く肩代わりは無理だし、イメージ伝達を続けなければならない風の精霊への働き掛けはワンピースに任せられないので、全てが自由に行える訳では無いのだが、それでも一歩、とは行かないが、半歩は前進する。

性能に優れるだけで無く、俺の戦術の幅まで広げてくれるのだから、チュチュの技術は格別である。


さて、そろそろ3時か。

今日も、ライアンに美味しい手料理を振舞う為に、女中たちと調理の下ごしらえを始めるか。

そんな時だった。

街中の人間のアストラル体がざわめき出す。

そして、何かが街の上空を進んで、すぐ近くまでやって来た。

……この気配、間違い無い、クロだ。

どう言う事だ!?

街の反応を鑑みれば、クロが竜の姿のままでやって来たと判る。

何故そんな不用意な事を……。

俺は慌てて玄関を飛び出すと、果たして上空に漆黒の古代竜の姿を捉えたのである。

「クロー!」

俺が声を掛けると、クロは急速に人間の姿へと変じて、そのまま街路へ落ちて行く。

ドーン!と轟音と振動を響かせて、街路の石畳を割ってクロが着地する。

俺はその場へ駆け付けると、「クロ!一体どうしたの?!」と声を掛けた。

何度もクロの泣きそうな顔を見て来たが、クロが本当に泣くところは見ていない。

そのクロが、大粒の涙を流しながら、顔を上げて俺に懇願する。

「ルージュ……、助けて。ぼくたちを助けて……。」


つづく

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