第五章 思春期だけが青春じゃ無い


1


日本であれば、そろそろ麦を播く季節。

こちらの農業には詳しく無いから、今何の作業をしているのか良く判らないが、あちらこちらで農民たちが忙しそうに働いている。

収穫時期の違いから、何かの作物を収穫する者、畑を耕す者、種を蒔く者、水を撒く者、草を刈る者、様々な仕事に精を出している。

大変そうだが、辛そうでは無い。

体付きも健康そうで、笑顔も見える。

10年前とはまるで違う。

ここエーデルハイト領の農民たちは、決して裕福そうでは無くとも、幸せそうに見えた。

領主が変われば、こうまで違うものなのだな。


俺はクリスティーナたちと別れてから、一番近くの拠点へ向かい、そこからガイゼル王国の拠点へと転移した。

当時の後継者争いも収まり、今は平穏を取り戻したガイゼル王国は、神聖オルヴァドル教国の隣国であり、オルヴァの辺境に当たるエーデルハイトの北東に位置する。

オルヴァへ戻るに当たり、その後が気になるエーデルハイトには立ち寄りたかったので、ガイゼル拠点を選んだ。

グリフォンを使えばあっという間に首都まで飛べるが、エーデルハイトの状態をつぶさに見る為、昼は徒歩、夜にはアンデッドホースで移動する。

農民たちも忙しく働いているし、旅人や商人たちの往来もあり、街もそれなりに活気付いている。

辺境である事に変わりは無いので、他と比べれば貧しい土地だが、あの頃の惨状を思えば充分に復興を果たしたと言えよう。

さすがはセバスチャンだ。

そう、今エーデルハイトを差配しているのは、当時伯爵の執事をしていたセバスチャンである。

あの後しばらくは領主代行の代行として、首都からの指図を上手く捌きながら、“伯爵の遺した財産”を使って何とか領地運営を維持し続けた。

その後、領主と領主代行が正式に引き継がれた時、一度はお役御免となったのだが、さらにその後現在の領主に引き継がれた際、セバスチャンには爵位が与えられ、エーデルハイト男爵として領主代行に任ぜられたのである。

どうやら、セバスチャンは元々良家の出であり、血筋や家柄自体は貴族に相当したようだ。

過去の実績よりも家柄がものを言った形だが、セバスチャンへの叙爵はすんなり通ったと言う。

驚く事はまだある。

現在のエーデルハイトの領主であるエーデルハイト司教は、あのライアンなのである。

あの時、“伯爵たちを殺した”魔族であるヴァンパイアを、ライアンが討伐していた。

ふらりと現れた冒険者が一度は倒したが、実はそのヴァンパイアはまだ生きていた。……と言う形になる。

そして、その後他の場所でも騒動を起こしたらしい。

ヴァンパイアの件が表沙汰になった事で、最南端にある神聖オルヴァドル教国にも魔族の脅威は及び得ると証明。

一番目の勇者であるクリスティーナが敢えて中央諸国に留まり活躍している実績もあって、二番目の勇者ライアンは教国内を守護する勇者として信奉された。

名声が高まった事により、勇者としてだけで無く、神職としての地位も得る事となり、現在は勇者兼司教となっているのだ。

……どうやら、三番目の勇者については、この10年で忘れ去られたようである(^^;

それもこれも、ライアンのお陰のようだ。

ライアンは俺が出奔した後も気に掛けていてくれたらしく、だからこそエーデルハイトの一件にも気が付き、後にヴァンパイア討伐にも繋がったようだ。

司教となる前からエーデルハイトの復興にも尽力してくれたそうで、数年前司教となって拝領する時も、敢えてエーデルハイトを受領し、同時にセバスチャンを領主代行に据える為に徐爵の働き掛けも行った。

事件のあらましを知った上での起用だろう。

それから、イタミ・ヒデオ追討も公式には下知されていないかった。

もちろんマックスからの口添えもあったのだろうが、ライアンが自分の責任で事を荒立てないと約束した事が大きかったと聞く。

言ってみれば、イタミ・ヒデオの事には目を瞑る代わりに、ライアンは言い成りになると約束したようなものだ。

出奔直後に前教皇が崩御し、大司教筆頭だった矍鑠大司教が勇者ライアンの名を借りたかった事、イタミ・ヒデオの事を表沙汰にすれば新教皇の不手際とされかねない事から、不問とされたようだ。

色々迷惑を掛けたとは思っていたが、思った以上にライアンの世話になっていた事になる。

……俺はライアンに、そこまでして貰う価値のある人間なのだろうか。

自分勝手な事ばかりして、迷惑掛けているのに……。


ちなみに、この辺りの話は、エーデルハイト内の盗賊ギルドで仕入れた情報に基づくので、確かな話では無いけどな。

やはり、詳細は直接本人たちから聞いた方が良いだろう。

と言う事で、俺はエーデルハイト領内をあちこち見て回りながら、2週間ほどを掛けてようやく領都までやって来た。

セバスチャンに逢う為だが……、セバスチャンは俺が判るだろうか?

有能な男だったが、魔法に詳しいかは判らない。

そもそも、セバスチャンにはアストラル体を晒した訳じゃ無い。

と言って、勇者ボディでうろつく訳にも行かないしな。

上手く俺だと判って貰えるかどうか判らないが、取り敢えず逢いに行ってみようか。


2


辿り着いた領都は活気を取り戻していて、吸血鬼の街だった面影は無い。

街並みは華美な装飾が見られない古風な造りで、それは領主や領主代行の性格の反映だろうか。

その象徴たる領主の城館は、修繕こそしてあるがあの頃のままだった。

かの伯爵の質実剛健さを、そのまま受け継いでいるかのようだ。

あの時は塀を乗り越えて行ったが、今回は正門を守る守衛に声を掛ける。

「すみません、ちょっと良いかしら。」

俺を値踏みするように眺める守衛だったが、胸元へ目をやった後慌てて視線を逸らす。

どうやら、仕える人間もお堅めらしい(^^;

「な、何のご用でしょうか。」

「約束は無いんだけど、男爵様に逢いに来たの。共通の友人の紹介よ。クリムゾンの知り合いが訪ねて来た、そう問い合わせて来て欲しいの。逢って貰えないなら仕方無いけど、お伺いだけ立てて来て貰えないかしら。」

こう言う手合いには、賄賂は逆効果になる。

だから、お願いだけしてみる。

「や、約束が無いのなら難しいと思うが、ここエーデルハイトは民に広く開かれた土地であるからして、男爵様に確認だけはして来ましょう。クリムゾン様のご紹介、でしたな。」

「えぇ、10年前にお世話になった冒険者のクリムゾン。彼の代わりに窺ったと伝えて。」

「判りました。ここで少々お待ち下さい。おい、ここは頼んだぞ。それでは、行って参ります。」

もうひとりの守衛に後を任せ、その守衛は足早に門の中へと駆けて行く。

さて、あの時一応名乗っておいたが、クリムゾンの名は役に立つかな。

取り敢えず、ここでしばらく待つしか無いが……と、もうひとりの守衛の方を見やると、俺の方をちらちら盗み見ている。

うむ、お堅いがむっつりだ(^∀^;

完全に無視されたり、下卑た視線で嘗め回されるよりよっぽど良いし、俺にも覚えはある。

若い頃は、興味津々でも恥ずかしいから、見たくてもまともに見られないなんて事は健全な男子だからこそだ。

見たいと思えるほど魅力的だと言われているようなもんだから、悪い気もしない。

ただ、女盗賊が視線誘導しているんだから、それに引っ掛かるのは危ないんだぞ(^^;

俺は悪さをするつもりが無いから大丈夫だけど。


「お、お待ち下さい、男爵様。」

しばらくすると、そんな声が中から聞こえて来た。

そして、城館の扉が大きく開かれ、正門へと急いでやって来るひとりの老紳士。

間違い無い、少し歳を取ったが、あのセバスチャンだ。

着ている物は執事然とした燕尾服から貴族然としたスーツに変わっているが、落ち着いた色合いで無駄な装飾など無い質実とした装いだ。

ともすれば、地味過ぎて弔事に合わせた礼服にも見えかねず、俺には伯爵への弔意が見て取れてしまう。

変わらないな、とも思うが、もっと肩の力を抜いても大丈夫なんだぞ、と窘めたくもなる。

セバスチャンはまだ壮健そうだが、歳は歳だ、ここまで駆けて来て息を切らしている。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……、貴女が……、貴女がクリムゾン様の……、ご友人なのですか?」

「……色々お話したい事があるの。あの時の金貨100枚、ちゃんと全部使い切れたのか、とかね。」

それを聞いたセバスチャンは、俺の手を取りその場に膝を突いてしまう。

「もちろんです、もちろんですとも。是非、是非お話をお聞かせ下さい。クリムゾン様の事を、是非とも。」


俺はその後、セバスチャン自らの案内で、あの時伯爵と相対した部屋へと招かれた。

まだ昼間なので、簡単な軽食と紅茶が振舞われ、俺たちは話し始める。

「申し訳ありません。もう少しお近くでお話したかったのですが。」

あの時と同じように、暖炉の前にセバスチャンが、その反対側に俺が座っている。

「構わないわよ。今セバスチャンは男爵様。あの時は伯爵様がそちらに座っていたわね。一介の冒険者の私は、こうして離れて座るのが礼儀だわ。」

驚きの表情を浮かべるセバスチャン。

「そんな事までご存じなのですか。失礼ですが、クリムゾン様とはどのようなご関係で?」

まぁ、親しい者に隠すような事では無いが、と言って、セバスチャンが理解出来るかどうかは判らない。

「一介の冒険者、そう名乗っただけだから、クリムゾンがどんな冒険者かまでは知らないと思うけど、彼は魔導士でもあるのよ。私は嘘を吐くつもりは無いから一応正直に言うけど、信じられるかは別問題よ。……私がそのクリムゾン本人。色々あって、今はこんな格好だけどね。」

さすがに目を丸くし、何も反応出来無いセバスチャン。

「別に理解出来無くても良いの。信じられなければ、寝物語にそんな話まで聞かせて貰える、クリムゾンの想い人だとでも思っておいて。でも、クリムゾンはそんなタイプには見えなかったでしょ。」

「え、えぇ……、あ、いえ、どんな殿方も、女性の前では普段とは違う姿を見せるものですから、何とも。」

「あら、セバスチャンって生真面目でお堅いのかと思ったら、存外頭柔らかいのね。」

「私は元々、貴族ではありませんからね。人の下で働けば、清濁併せ呑む経験も色々と。」

「え、でも、家柄は良いって聞いたけど。」

「確かに出は子爵家と言う事になりますが、そこの四男坊でして。若くして家を飛び出し、裏稼業を経て伯爵様のお傍に。」

なるほど。エーデルハイトの実務を取り仕切るのは、表の伯爵裏のセバスチャンと言うふたりの功績だった訳か。

伯爵がセバスチャンだけは人間のままにしておいたのも、セバスチャンさえいれば何とかなる、そんな最後の希望だったのかもな。

「ま、それなら、私の事はクリムゾンの情婦と言う事にしておいて、聞きたい事聞いても良いかしら。」

「えぇ、もちろん。大恩あるクリムゾン様のお身内なれば、何でもお応え致しましょう。」

「一応、ギルドで色々情報集めてこの10年の事は把握したつもりだけど、噂は噂。表に出ない話なんていくらでもあるわ。だから、いくつか本人たちに直接確認したいと思ったの。それで、やっぱり気になるのはヴァンパイア。ライアンが倒したって聞いたけど、詳しい事聞いてる?」

「残念ながら、詳しいお話までは。ただ、ライアン様は事情をご理解した上で行動なさった由、ヴァンパイア討伐をわざわざ私に報告なさる為にご訪問下さり、いつか力を借りると思うから、エーデルハイトへ留まるよう要請して下さいました。」

「そう。やっぱりライアンは判った上でエーデルハイトを受領したし、貴方に徐爵までさせて領主代行にしたのね。」

「そう思います。」

……とは言え、ヴァンパイアについての詳細は聞いてみたいな。

ライアンは俺より強かったが、特別な生まれであるヴァンパイア、その真祖となれば、魔族の中でもかなりの強者のはずだ。

眷属に過ぎなかった伯爵さえ、俺は難無く倒したように見えて、肉弾戦だけなら互角か伯爵が上だった。

あの時真祖はエーデルハイトにいなかったが、もしいたら俺は無事で済んでいたか判らない。

魔法生物と言えるヴァンパイアだから、気が漏れていた俺のステルスでも効果はあったはずなので、最悪逃げ切る事は出来ただろうけど。

まぁ、俺はライアンが強いとは感じても、本当の力を発揮したところを見ていない。

単純に、ライアンの方がヴァンパイアより強かっただけ、と言う可能性もあるよな。

「そうだ、あの時のお金は役に立った?しばらくは貴方がここを支えてたんでしょ。」

「えぇ、もちろん、とても助かりましたとも。農民たちには悪いと思いましたが、さすがに荒廃し過ぎていて農地の回復には時間が掛かり過ぎます。そこで、まずは近隣から様々な物資を買い集めて、無理矢理にでも経済の方から立て直しました。すぐに動かせる金子はいくらあっても困りませんからな。人を動かすにも必要ですし。」

「そう。しかし見て回ったところ、今では農民たちも元気に笑顔で働いてたわ。貴方のその長期的展望、ちゃんと形になった訳ね。伯爵様が後を託すだけあるわね。」

「恐れ入ります。ですが、やはりライアン様のお支えあっての事と存じます。金貨100枚は大金ですが、最初の急場凌ぎでほとんど使い切ってしまいましたからな。その後のライアン様の援助無しでは、特に新領主になった後で再び荒廃しかねませんでした。」

「……そうよね。一度お金を渡しただけじゃ、無責任だったかな。」

「そんな事は御座いません。本当に助かったのです。後を引き継いだ者がまた俗物だっただけの話。」

「ふぅ、この国大丈夫?あの司教は非道い方だと思ったけど、あんなのがまだ他にもいるのかしら。」

「あそこまで非道いのはさすがに……。今は、ライアン様が睨みを利かせているので、随分変わったようですよ。」

う~ん、聞けば聞くほど、ライアンは完璧超人だな、……少し心配になる。

無理してなきゃ良いけど……、オルヴァは飯も不味いんだし(^Д^;

「だけど良かった。エーデルハイトはもう大丈夫ね。これで心置き無く、オルヴァに向かえるわ。」

「もうお発ちになるのですか?せめて、晩餐だけでもご一緒に。」

「そうね……、あの時話の途中でセバスチャンが用意してくれたワイン、あれは美味しかったわ。オルヴァのご飯は不味いけど、あのワインは美味しかった。もう一度あのワインを頂けるなら、そのご招待受けようかしら。」

おもむろに立ち上がり、神妙な顔付きになるセバスチャン。

「……本当に……、本当に貴女は……。」

「私、嘘吐くつもり無いって言ったでしょ。そうだ、晩餐の前に案内してくれない?あるんでしょ、伯爵様のお墓。」

静かに涙を流すセバスチャン。

「はい、もちろんで御座います。私がご案内させて頂きます。」

そうして俺は、晩餐の前に墓参へと向かうのだった。


3


オルヴァを出奔し、エーデルハイトへと向かった時には、ミラに跨っての5日程の行程。

グリフォンに跨るなら、数時間で飛んでしまえる。

そんなオルヴァへの道を、俺は今歩いている。

もちろん、グリフォンがクリエイト出来無くなったとか、そう言う事じゃ無い。

その気になれば飛んで行ける。

その気になれないだけだ。

伯爵に手を合わせ、頭の中で千の風になってを口ずさみ(笑)、晩餐で美酒に酔って一泊させて貰い、男爵様自らのお見送りに恐縮しながら出立したのは昨日の事。

別に、一度も通った事が無い道を敢えて行く、と言う例の話でも無い。

今は当面の目的もあって、新しい研究課題も見付かったのだ。

未知の道探索は、また別の機会で良い。

では何故か……、俺にも良く判らなかった。

早くライアンに逢いたい……でも、逢いたく無い。

急に怖くなった。

いざ逢いに行けると思ったら、どんな顔して逢えば良いのか判らなくなった。

思った以上に迷惑掛けてたみたいだし、ライアンは怒っていないだろうか。

素直にありがとうと言えば良いのかな、ごめんって謝ったら怒るかな。

最初はうきうきしていたのに、歩き出したら足が重たくなってしまった。

何だろう、この逢いたいのに逢いたくない気持ち……、いや、俺はもう良い大人だから、本当は判ってる。

でも、そんなはず無い。

そんなはず無いし、そうだとしてもどうにもならないだろ。

嫌だ、逢いたく無い。

俺の足は止まってしまった。


5日後、結局首都に辿り着いてしまった。

足が重たかったから、乗合馬車に乗りこんじゃった(^^;

そう、何もオルヴァへ戻って来たのは、ライアンに逢う為だけじゃ無い。

本当の目的地はその先だし、オルヴァには他にも逢いたい奴らがいる。

これは言い訳なんかじゃ無い。

だから、宿を取った後、ここへやって来た。

下水道の中に隠された神聖オルヴァドル教国盗賊ギルド本部、その受付に俺はいる。

まずは、一応登録だけはしておこう。

「良いかしら。私はスィーフィト共和国盗賊ギルドのメンバーだから、お仕事前に登録だけしておきたいんだけど。」

さすがに、受付係は知らない親父だ。

「あぁ、それじゃあ、ギルドカードを出してくれ。」

「はい、どうぞ。」と、ギルドカードを差し出すと、受付の親父の動きが止まる。

「……スィーフィトの……ルージュか。」と言いながら、俺を凝視する。

「話は聞いてる。Lv40にその見た目、噂通りだな。」

「あら、どんな噂かしら。」

親父は背を向けて、登録作業を始めながら答える。

「Lv40勇者の女盗賊ルージュって、凄腕の良い女がいるってな。何でも、熱心なファンがいるみたいで、方々で吹聴して回ったそうだ。」

ふ~ん、多分それって、あの暗殺者の片割れオーデンスだよな。

冗談めかして言ったつもりだったが、あいつ土下座したまま聞いてたから、本気として受け取ったんだろうな(^^;

「あんた、スィーフィトの議員先生を助けたんだろ。そのファンの熱心さだけじゃ無い。ちゃんと実績が知れ渡って、信憑性が出たんだ。……俺もその噂は本当だったと今思ってるからな。今後は、オルヴァでも噂は広がると思ってくれ。」

と、親父は軽く笑った。

……まぁ、良いけどな。

今更名声がどうとか、有名になりたく無いとか、些細な問題だ。

勇者イタミ・ヒデオばれを気にする必要は無くなったし、経験値も金ももう要らないから、最近はクエストなんか請けていない。

下手に良い人として知れ渡る事はあるまい。

善人に思われさえしなければ、それで良い。

「それで、逢いたい人がいるんだけど、今も在籍してるか教えて欲しいの。昔、ギルドマスターのマックスさんにお世話になったんだけど、今でもお元気?」

ギルドカードの発行では無く、すでにカードを持つギルド員が登録するだけならそんなに時間は掛からないので、親父はカードを俺に返しながら答える。

「ほう、あんた、先代のギルドマスターの知り合いだったのか。悪いが、3年前に引退した切り、ここには顔を出してねぇ。」

「そう……、それは残念ね。」

「だが、今のギルドマスターは先代の教え子で、先代の事にも詳しいはずだ。会っていくかい?」

「ほんと?えぇ、是非会いたいわ。」

「おい、エルダ。マスターに客が来たと伝えて来い。ルージュ、少し待っててくれ。」

「判ったわ。」

そうか、マックスはもう引退していたのか……、生きていれば良いけどな。

グラスランダーの寿命はおおよそ50年。

当時マックスは40歳で、自分で後10年もすれば死んでいるかも知れないと言ってたっけ。

「おい。」と、先程マスターに報告へ行ったエルダ、まだ10代と思しき女盗賊が、もう戻って来て声を掛けて来た。

「ギルドマスターが会うって。付いて来て。」

そう言って、さっさと歩き始める。

まぁ、10年前にも訪ねた部屋だ。

案内が無くても辿り着けるから、先に行かれても問題無いけど。

「ねぇ、エルダ。貴女まだ若く見えるけど、この道は長いの?」

「……まだ新米だよ、姐さん。」

「ふ~ん……、もしかして、こう言う格好嫌い?」

その言葉に、足を止めるエルダ。

「あたしは……、あたしは実力で昇り詰めるんだ。姐さんみたいに、女を売り物にはしない。」

「あら、怖い。……ねぇ、貴女鑑定持ってないの?」

「え?」と振り返るエルダ。

「私、こう見えて強いのよ。多分、ギルドマスターよりもずっと強いわ。」

俺は、エルダに顔を近付けて。

「でも、使えるものは何でも使う。この道は甘い道なんかじゃ無い。命懸けよ。だから、つまらないこだわりで、命を縮める気は無いの。胸でも足でも見惚れて隙だらけになってくれるなら、どんどん見せちゃう。でも……、触らせてあげない。鼻の下伸ばした男たちは、次の瞬間には死んでるから。」

俺は、元の姿勢に戻り。

「男には男の、女には女の武器があるだけの話よ。体術にしたって、男が柔軟性で、女が力強さで対抗しようと思えば損するだけ。弱いからこそ、有効な力の使い方を考えなくちゃ。女は売っても体を売る気は無いの。あくまで、男を殺す為のスキルみたいなもんよ。貴女も、昇り詰めたいなら、いいえ、死にたく無ければ、その可愛らしい容姿を有効利用した方が良いと思うわよ。」

立ち尽くすエルダを置いて、俺だけ先に進む。

「部屋がどこかは判ってるから、ここまでで良いわ。またね、エルダ。」

……中身は還暦過ぎたおっさんだからな。

つい、老婆心が疼く。

こんな若い女の子が、裏稼業で命を落とすなんて、あんまり考えたくない話だ。

とは言え、覚えがあるが、若い頃は大人の忠告なんて中々素直には聞けない。

エルダにも、俺の助言が届くかどうか。

さすがに、そこまで面倒は見られない。


コンコンッ、と10年ぶりの部屋の扉を叩く。

「入れ。」と野太い男の声……だけど、今のって、魔法で弄ってあるな。

扉を開けて中を覗くと、10年前とほとんど変わらないギルドマスターの部屋と、マックスに良く似た山賊のような男が見えた。

「そこに座れ。」

山賊のようなギルドマスターが席を勧めるが、俺はそのまま机の前まで歩いて行く。

「な、何だ。どうした?」と狼狽えるギルドマスター。

「……そうか。元気になったのは良いけど、まさかマックスの後を継いでオーバースーツまで着てギルドマスターやってるなんて、驚いたよカーソン。」

「なっ……、お、お前、一体……。」

あ、しまった(^^;

つい嬉しくなって先走っちまったが、今の俺はノワールじゃ無いんだった。

「あ~、えぇと……。ふぅ、お前もマックスも、俺が普通の盗賊じゃ無い事くらいは判ってるはずだよな。だから、疑うな。信じろ。俺はノワールだ。エーデルハイト司教の屋敷からお前を連れ出し、マックスに後を託してこの街を去った、あのノワールだよ。」

「……、……、……。」

さすがに、理解が追い付いていないようだな。

グラスランダーは魔法に疎い種族だから、アストラル体を見せても視えないだろうし、どうするか。

「……信じます。」

「え!?」

「マックスから言われていました。オーバースーツの事を知ってる奴なんかそうそういない。もし見破られてそんな事を言い出す奴がいたなら、きっとそいつはノワールだ、って。俺たちは魔法に疎い。だから、考えたって解りゃしない。俺たちの最大の秘密を知ってるってだけで、もう信用するしか無ぇだろ、って。」

潔いと言うか何と言うか、まぁ、豪放なマックスらしいっちゃらしいけど(^^;

「そう……、そう言って貰えると、こっちは助かるわ。今は訳あって、と言うか、とにかく今の私はもうノワールじゃ無くてルージュなの。これからよろしくね、ギルドマスターさん。」

「……しかし、その姿はずるいですよ、ノワー……ルージュさん。あの時はありがとー、って抱き付いたら、俺、ただの変態じゃないですか。」

「ふふっ、ごめんね。良いわよ、抱き付いても。抱き付くなら、ゴリマッチョなノワールより、今の体の方が良いじゃない。」

「全く……、感謝してもし切れない恩人ですけど、そう言えばどんな人かは良く知らなかったな。色んな意味で、おかしな人ですね。」

「言ってろ。それで、まだマックスは生きてるの?マスターを引き継いだくらいだし、もうグラスランダーとしては古老でしょ。」

慌てて席を立つカーソン。

「生きてます、生きてます。まだこのギルドにいますよ。今呼んで来ます。」


4


「ほぅ……、人ってなぁ、10年でここまで変わるものかねぇ。」

「……人の事言えねぇだろ。」

今、俺の目の前にはマックスがいる。

だが、懐かしい顔、と言う訳では無い。

お役御免となったオーバースーツを脱ぎ捨てたマックスは、どこからどう見ても小さなおっさん(^^;

50となったグラスランダーは子供っぽさが無くなり、小さな人間族の中年親父にしか見えない。

「他のギルドメンバーは、オーバースーツ姿のマックスしか知らないから、3年前から姿を見なくなった訳ね。」

「あぁ、俺はもう寿命だから引退したんだが、カーソンの相談役くらいは務まるからな。だからこの姿で、まだここに通ってる。だが、本来脱げないオーバースーツを無理矢理脱がして貰ったんで、体はぼろぼろだ。」

「そうなの?その割には、元気そうで良かった。カーソンの事もそうだけど、全部任せて街を出ちゃったから、気にはしてたのよ。」

「確かに大変だったが、そっちも大変だったんだろ。エーデルハイトにはヴァンパイアがいたって言うじゃねぇか。で、だ。俺は魔法は判らねぇ。だが、お前は本当は勇者だ、って俺に言ってたからな。あれだろ。ふらりと現れた冒険者。あれはお前だったんだろ。」

「……マックス、貴方魔法は苦手とか言ってたけど、全然行けてるじゃない。そうよ。ま、タイミング的に、私しかいないわよね。」

「どう言う事ですか?ノワー……ルージュさんが勇者って……、そう言えば、ルージュさんのクラスは勇者だって聞きましたけど。」

「あ、すまねぇ。」

「ん?あぁ、良いわよ。カーソンに隠しておく必要無いでしょ。」

「どう言う事ですか?」

「私の正体はね、オルヴァの三番目の勇者よ。だから、クラスが勇者なの。それで、世を忍ぶ仮の姿がノワールであり、もうひとつの姿が冒険者クリムゾン。」

「……そうだったんですね。そう言えば、三番目の勇者って話題に上りませんもんね。そもそも、国にいなかった訳ですか。」

「もうどうでも良い話よ。勇者イタミ・ヒデオは遠い異国で死んだし、ノワールもクリムゾンも姿を消した。今いるのは女盗賊ルージュだけよ。」

一応、シンクとオーガンの師匠はいるが、イタミ・ヒデオとノワール、クリムゾンが消えて、すっきりはしたな。

「それで、10年ぶりに帰って来たのは、俺たちに会う為じゃ無ぇんだろ。何かあるのか?」

「あら、一応、貴方たちに逢いに来たのはついでじゃ無いわよ。確かに他の目的もあるけど、貴方たちには絶対逢っておきたいと思ってたから。」

「そうなのか。まぁ、もう少し遅けりゃ、俺は死んでたかも知れねぇからな。逢えて良かったよ。」

マックスは物質体だけで無く、アストラル体の方も年齢相当に弱って視える。

誰彼構わず、知り合い皆を延命させるのも違うと思うが、マックスにはそもそも、俺の延命術では効果が期待出来無いだろう。

「他にも目的があると言う話でしたが、すぐに行かれるのですか?」

「いいえ。取り敢えず、ここオルヴァにも拠点を作ろうと思ってるから、最低でもひと月はいるわよ。」

「そうですか。それじゃあ一度、皆で酒でも飲みましょう。ルージュさんにもマックスにもお世話になりましたから、私が奢りますよ。」

「おう、それは良いな。俺はいつ死んでも良いように、これからは毎日好きな事だけして生きて行くと決めたからな。浴びるように呑んでやるぞ。」

「私も、お言葉に甘えるわ。でも、オルヴァは食事が不味いんだから、せめて良いお酒をお願いね。」


マックスたちと約束を交わした後、俺はギルドを出て下水道を歩いて行く。

最初の角を曲がったところで、ステルス発動。

跡を付けて来た少女が、俺を見失って慌てている。

「嘘っ……、消えた……。」

「私に、何かご用?」と、ステルスを解除して背後から声を掛けてやる。

パッと前転してからこちらを振り返り、驚愕の表情を浮かべるその女盗賊は、先程出会ったあのエルダだ。

俺の老婆心は、やはり余計な口出しだったかな?

「私、何か忘れ物でもしたかしら。」

エルダは、しばらくそのままの姿勢で固まっていたが、意を決したように立ち上がり。

「あ、あの、姐さん……。あ、あたしを、あたしを弟子にしてくれ、あ、いや、して下さいっ!」

と頭を下げる。

……俺の老婆心は裏目に出た。

いや、彼女にとっては良い助言となったのだろうが、余計なものを背負い込む事になっちまった。

「……エルダ、良く聞いて。実はね、私……、こう見えてまだ未通女なの。だから、女らしさを教えるなんてちょっと難しいかも。」

「ち、ちがっ。そう言う意味じゃ無い。と言うか、いくらあたしを弟子にしたく無いからって、そんな嘘言わなくて良い。」

ははっ、まぁ、そう思うよな。

しかし、外見は女盛りの妙齢美女だが、中身はおっさんだから男に抱かれたいなんて思わんからな(^^;

別に嘘は言ってないんだが。

「……冗談よ。貴女もこんな商売しようなんて癖に、ちょっと堅いわよ。もっと肩の力抜きなさい。」

「あたしは……、あたしは見返さなきゃならない奴がいるんだ。だから、どんな事しても強くならなきゃ駄目なんだ。」

……俺には娘なんかいなかったが、この娘は姪に良く似ているんだよな。

ただ、それだけなんだが……。

「私は、用があって1か月はオルヴァにいるわ。その間、少し見てあげても良いわよ。」

パッと表情が明るくなるエルダ。

この娘、こう言う表情すれば、とても可愛らしいのに。

自信さえ持てるようになれば、いつも笑顔でいられるようになるだろうか。

「それで良い、それだけでも良い。とにかくお願いします、姐さん。あたしを強くしてくれ。」

「駄目。強くして、なんて言い方、他人に頼ろうとする弱い奴の言い方でしょ。私を利用して強くなりなさい。盗ませてあげるから、勝手に強くなりなさい。私、優しい先生じゃ無いわよ。」

「あ、あぁ、ありがたい。絶対。絶対強くなってやる!」

やれやれ、とんだ事を安請け合いしちまった。

……まぁ、これで逢いに行かない口実が出来る、なんて、我ながら情けない事を考えたのも事実だけどな。


そんなこんなで1か月、主に拠点の整備とエルダの修行に明け暮れた。

拠点は盗賊ギルドのすぐ近く、下水道から入れる形で勝手に作った(^^;

拠点は散々作って来たから、今更大して苦労もしないし、予備体の培養期間は短縮出来無いので、培養が終わるまで待つ時間も合わせての1か月だ。

結局、ほとんどの時間をエルダに割いたと言って良いだろう。

そのエルダだが、一応エルダなりに考えていた。

強くなりたいと言いながら盗賊を目指したのも、自分が非力な女である事を考慮した結果だ。

でも、強さへのこだわりから、最初は盗賊系スキルの中の戦闘系スキルばかりを鍛えていて、結果的には弱い軽装戦士のようだった。

このままレベルさえ上げて行けばいつかは強い盗賊にもなれるだろうが、その前にどこかで野垂れ死ぬのが落ちだ。

そこで、徹底的に隠密系に転向させた。

俺の価値観の押し付けにはなるが、盗賊ならば目指すは一撃必殺だ。

長々と剣を合わせ、力で相手を圧倒するなんて戦いは、戦士に任せておけば良い。

盗賊ならば、隙を突いて急所を攻めるべきだ。

だから、善意の協力者の遺体を教材に、人体の急所を覚えさせ、そこを的確に突く為の精度を鍛えさせた。

後は経験を積むだけだから、俺がモンスターや野盗なんかの注意を引き付け、隠密で身を隠したエルダが一撃で仕留める。

と言う実地訓練を繰り返した。

俺が注意を引き付けるから相手は隙だらけだし、用意してやった新装備は一級品だし、将来を踏まえ精密な攻撃に関わる技術はスキルでは無く自分の技術として身に付けさせたので、この短期間でかなりの成長を遂げたと思う。

優秀な生徒を教えるってのは、意外と楽しいものだ。

エルダ、Lv14盗賊、隠密系弓使い。

1か月で、オルヴァ盗賊ギルドのNo.1ルーキーとなったのだ。

え?レベル上がり過ぎ?

うん、俺が魔力付与してやるから攻撃力かなり上がるんで、レベルの高いモンスターをたくさん狩らせたからな。

パーティー組んで高Lvモンスター狩れば、レベルなんて結構簡単に上がるのさ。

「……エルダ、これでもう、貴女は1人でも充分活躍出来る盗賊となったわ。でも、判ってる。貴女が求めた強さとは、違う強さに過ぎないって事。」

「姐さん、あたし……。」

「と言う事で、これで私のレッスンは終わり。これだけレベル上がってスキルポイント貯まれば、多少の路線変更は簡単でしょ。」

「え?」

「後は好きにしなさい。最低限、野垂れ死なない程度には強くしたわよ。このままの方向性で力を伸ばして行っても良し。戦士系スキルを取って戦闘力を上げても良し。1か月しか無かったからね。私が貴女にあげたのは可能性よ。ここからは、好きにしなさい。最期の最期に自分の命の責任を取るのは、誰でも無い自分自身だからね。」

「姐さん……。聞かないんですね、あたしが何で、強さにこだわるのか。」

「……言いたくなったら聞かなくても言うでしょ。貴女がどんな理由で強くなりたくても、一度力になると決めたらどんな理由であっても力になる。だから、無理に詮索する意味なんて無いわ。」

「姐さん……、あたし……。」

「いつかまたどこかで逢えた時、聞かせたかったら聞いてあげる。楽しかったわ、この1か月。出来たら、無駄にしないでね。」

「はい。……ありがとう御座いました。」

深々頭を下げるエルダに背を向け、俺は歩き出す。

……あぁ、ついに終わっちまった。

現実逃避出来る言い訳が終わっちまった。

俺って、こんなにビビリだったっけ?

だけど、怖くても放っぽってしまう訳には行かない大事な事だ。

良し、行くぞ。

俺は決意を新たに、ライアンの下へ……。


5


と言いながら、俺はまだ躊躇していた。

いざ訪ねるとして、どうやって訪ねよう。

今ライアンは、王宮にほど近い、上流階級の者たちが邸宅を構える一角に、身分に相応しい大きな館を構えている。

ライアンが権威的な物を求めた訳では無いだろうが、警備の問題や他への示しとして身分相応の振る舞いが求められたからだと思う。

勇者兼司教なので、通常の司教よりも配下の聖堂騎士の数は多く、館の隣に聖堂騎士たちの詰め所が併設されている。

正面から堂々と訪ねるのは考えものだ。

今の姿は勇者イタミ・ヒデオでは無いから、そう言う意味では問題無いのだが、今の姿は今の姿で、英雄的な勇者で且つ高位の神職を務めるライアンを訪ねるのは憚られる気がする。

実力が伴うライアンだから、一般的な権力争いのスキャンダルなど物の数では無さそうではあるが、商売女と勘違いされそうな格好の俺が訪ねるのはライアンに悪い。

そもそも、正面から訪ねて逢えるだろうか。

俺はオルヴァにいる間、気配を消して生活していた訳では無いので、多分ライアンは俺が近くにいる事には気付いているはずだ。

だが、正規の訪問だとライアン本人に話が伝わる以前に、門前払いされる可能性はある。

格好の問題だけでは無く、正面から訪問するならアポが必要になるかも知れない。

となると、やはり夜になってからこっそりと、だよな。

そう思って、いつもライアン邸の気配は窺っていた。

時間にすると18時半~19時、毎日夕食の支度が終わった段階で、使用人たちは帰宅している様子だった。

大丈夫、ライアンに妻はいない……、いやいや、そうじゃ無くて、とにかく、夜になるとライアンはひとりになる。

反対に朝は早く、4時には起き出して、まずは聖堂騎士たちと朝稽古を始める。

だからこそ、夜も早い内に使用人たちは引き上げ、聖堂騎士たちは夜番に立って夜半の来客を一切通さない。

俺が夜に忍んで行くには絶好のシチュエーションだが……まさかな。


と言う事で、夜になってから館に忍び込む事にした。

すでに俺は、ライアン邸の向かいの屋敷の屋根の上まで来ている。

後は、短距離空間転移でバルコニーにでも転移すれば、もうすぐそこにライアンが。

……でも、ちょっと待った。

いくら何でも、この格好は不味いかな。

だけど、視線誘導効果を狙って、この路線の服しか揃えてないし、そもそもどんな格好が相応しいかも判らない。

服装だけじゃ無い。

髪型や化粧はどうすれば良いんだ。

いやいやいやいや、別に逢引に行くんじゃ無いんだから、そこまでめかし込んでどうする。

そうだ、久しぶりに逢うんだし、手土産はどうしよう。

オルヴァの飯は不味いからな。

何か美味いものでも用意しよう。

それじゃあ、一度拠点へ戻ってタリムへ行って、あの新作シュークリームを買って来るか。

いや、俺もライアンも中身はもう良い歳なんだから、ダイコク屋の牡丹餅の方が良いだろう。

そうか、折角他の街へ飛ぶんなら、クリスティーナ辺りに服や化粧の相談をしてみようか。

良し、今日は出直そう。

しっかり準備して、ライアンにがっかりされないようにしなくちゃな。


……そんな事を言っているから、あれからもう1週間経ってしまったorz

俺は何をしているんだ。

結局、髪はアップにまとめて化粧は薄目、からげるような丈の黒のイブニングドレスと言う出で立ちで、そんな格好に手荷物は不似合いだからと、手土産は持参出来無い始末。

まぁ、手土産セットはマーキングしておいたから、後から手元に招喚出来るが、何か根本的に間違っているような気がする。

そんな事は無いはずだが、これでライアンが俺を見て俺だと判ってくれなかったら、何と場違いな格好だろう。

いや、そもそも俺を俺だと判ってくれても、この格好は変じゃないか?

……いや、相手はオルヴァの英雄ライアン閣下なのだ。

正装くらい、するのが当たり前だよな……、なら、夜に訪ねるなよって話だが。

えぇい、何だか俺って、いざと言う時怖けるよな。

いっそ悪魔と戦う方が気が楽だぜ。

ちくしょう、やってやる。

俺はもう、生前の弱い俺じゃ無いんだ。

数多の強敵と渡り合って来た猛者なんだ。

こんな事で負けるもんか。

それに、もう我慢だって出来無い。

俺は、ライアンに逢うのが怖いけど、ライアンに逢いたいんだから。


きぃっ、と小さな音を立て、その窓は簡単に開いた。

鍵は掛かっていない。

すぐそこに、彼がいるはずの部屋だ。

コツコツと響くヒールの音が、嫌に五月蠅く聞こえる。

その壁の陰に、彼はいる。

つい、目を閉じてしまう。

そして、彼から数歩のところで立ち止まる。

そっと目を開くと、彼は火の入った暖炉の方に向いた、大きな椅子に腰掛けていた。

本を読んでいるようだ。

どうしよう、声を掛けるべきだろうか。

そんな事を考えていると、彼が本を閉じた。

「……遅いじゃないか。もう来てくれないのかと心配したよ。」

そう言って立ち上がり、彼は振り返る。

「やぁ、久しぶり。元気そうで何より。君にまた逢えて、私はとても嬉しいよ。」

……ライアンだ。

あの頃と何も変わらない彼がそこにいた。

あの日、初めて見たライアンの笑顔と同じ、不思議と胡散臭さを感じない、あの笑顔だ。

今なら判る、何で本当は胡散臭いはずの笑顔がそう見えなかったのか。

好意だ。

もちろん、あの時は右も左も判らない状況で、不安な俺が頼りに出来る唯一の人間として、信頼の置ける友人としての好意だった。

今みたいな気持ちに変わるとは思っていなかったけど、俺は最初からライアンが好きだったんだ。

だから、ライアンの笑顔にいつも癒されていたんだな。

「よう、ライアン。久しぶり。俺、帰って来たよ。色々と……。」

すまなかった、と言う言葉をグッと呑み込み「ありがとう。助けてくれて、ありがとうな。」

俺とライアンは、しっかり握手した後、力強く抱き合った。

あくまで、男同士の、友情のハグだ。

涙が出そうなのを堪える。

これって、どんな意味の涙なんだろう……。


6


ふたりは場所を移し、俺の手土産と、ライアンの美酒で、再会を祝して酌み交わす。

「あの後、俺には追手が付かなかったみたいだが、やっぱりライアンが手を回してくれたのか?」

「君が敵に回るとは思っていなかったから、私に全部任せて貰ったよ。すぐにマックスさんから君の伝言を聞けたから、私の一存で君の事は無かった事にしておいた。」

「それは良いけど、何か無理難題吹っ掛けられたりしなかったのか?」

ライアンは、楽しそうに笑う。

「君が仕出かした事件のお陰だよ。あの司教には私も困っていたけど、まさかあそこまで非道い男とは思わなかった。あの事件のお陰で、ガイゼル王国への対応が最優先になってね。君の事は私に任せたんだから、私の方で何とかしろと丸投げされた。後は、ちゃんと探している、追跡していると言い続ける内に、誰も何も言わなくなったよ。」

「う~ん、俺はかなり警戒して、特に万が一ライアンが追手になったら大変だからと、別人の仮面まで使って逃げ隠れしてたのにな。」

「別人の仮面は、あくまで直接その人物を見た時に別人と思わせるだけだからね。私には、ノワールとクリムゾンが君だとすぐに判ったよ。だから、ずっと動向を探っていたよ。ニホン帝国で途切れた時は、本当に心配したんだよ。」

凄いな。やっぱりライアンはひとつの事だけじゃ無くて、様々な事に通じている。

オルヴァにあって、そこまで情報を把握していたのか。

「あれには俺も参った。でも、そのお陰でさらに強くなれたんだ。今では俺を殺した侍には、心から感謝しているんだ。」

「しかし、今は盗賊ルージュか。さすがに、そこまでは掴めなかったよ。」

「名は売れたけどまだ顔は売れてない。そんなにルージュになって日が経っていないからな。まぁ、本来の俺の身長にぴったり合うから、この体の方がしっくり来るんだ。」


何をどこまで話せば良いのやら、色々話すも話題は尽きない。

ライアンといるとほっとして気が緩むから、少し酔いが回るのも早い。

「そうだ。酒の肴とは別に、作って来たものがあるんだ。」

そこで、手土産セットの中から手作り料理を取り出す。

「クリスティーナに聞いて、ライアンが好きなものを作ってみたんだけど……。」

結界で時間凍結しておいたので、まだ温かいマッケンチーズだ。

「これを……、君が?」

「いや、まぁ、一応俺が作ったんだけど、クリスティーナに教わりながらやったから、出来の方は大丈夫だと思う。」

ライアンは、嬉しそうにひと口頬張る。

ゆっくり噛み締めるように味わっている……、どうかな、大丈夫かな。

あ、もちろん味見はしたぞ。

でも、俺は日本人だから本場のマッケンチーズなんて食べた事無いし、ライアンの口に合うかどうかは別問題だし……。

「……懐かしいな。あ、美味しいよ、とても。ありがとう、わざわざ私の為に。」

「よ、良かったぁ~。俺、料理に自信無いから、口に合わなかったらどうしようって。」

「え?料理が得意だから、作ってくれたんじゃないのかい?」

「いや、その、ほら、生前はちゃんと自炊してたけど、コンビニとかスーパー、何より電子レンジがあっただろ。こっちに来て、俺はちゃんと料理していた訳じゃ無いんだな、って。こっち来てから、特にオルヴァの飯は不味かったから、自分でも料理はするようにしてたんだけど、結構難しくて。まだ、とても自信があるなんて言えない腕前だからさ。」

「そうなのかい?とても美味しいよ、これ。ふふ、確かにここの食事は非道いからね。こんなに美味しい手料理なら、毎日だって食べたいよ。」

……、……、……こんなに嬉しいんだな、好きな人に料理を褒められるのって。

女性が料理をするものだってのは、別にそうするのが当然って事じゃ無くて、自分の料理を褒められるのが嬉しいから、ついやっちゃうだけの話なんじゃないかな。

自分の為に作るだけなら面倒で手抜きにもなるけど、好きな人に振舞うなら毎日だって一所懸命作っちゃうよな。

「よよよよ、良かったわ、口に合って。こここ、今度はミートローフにでも挑戦しようかな、はは。」

何か恥ずかしい。

紛らわす為に、酒が進んじゃうな。


「……あ、そうそう、これは聞いておきたかったんだけど……。これは心配させてね。ヴァンパイア。私はぁ、その犠牲者と戦っただけだけど、かなり強かったぁ。真祖が相手なんて、大丈夫だったの?」

「……強かったよ。私はすでに、オルヴァに留まるつもりでいたから、神聖魔法も覚えていた。相性的には悪く無かったけど、それでもかなり苦戦したよ。」

「大丈夫だった?」

「……これは君だから話すけど、実はそのヴァンパイア、ヴェルスターチは生きている。」

「……それって……。」

「見逃した、と言いたいところだが、見逃して貰った、と言う方が正解だね。」

「そんなに強かったの……。」

「ヴェルスターチは、エーデルハイトでは情けを掛けたみたいだけど、私が発見したオーデルベルの街では魔族として人間たちを殺していた。だから、私も引けなかったのだが、当時の実力ではまだ敵わなかった。」

「それじゃあ、何で。」

「ヴェルスターチ自身、迷いの中にあったようだ。君の反対かも知れない。オルヴァまで来て、そしてエーデルハイト伯爵に逢って、人間族に対する思い込みが揺らいでいるように感じたよ。その迷いに、私が民を守ろうと戦う姿も影響を与えられたのかも知れないと思っている。接戦ではあったけど、あのまま戦いが続いていたなら、私が負けていたはずだよ。」

「……良かった、ライアンが無事で。」

「うん、ありがとう。結局、彼はこの地を去った。私はヴァンパイアを追い払っただけだが、皆は撃退したと考えたんだ。少し気は咎めたが、勇者としては皆を安心させる必要もあったから、過分な名声を得てしまった。」

「ううん、偉いよ、ライアンも、クリスティーナも。私は、その勇者の重荷から逃げちゃったんだもん。」

「……君には、違う目標があったんだろ。それは判っていた。君はそれで良いんだよ。」

「……うん……。私、色々怖くて。死にたくなくて……。ごめんね、自分勝手で。」

「良いんだよ。君はそれで良いんだ。」

でも……、でも、きっとひとりじゃ寂しい。

誰か、一緒に歩いてくれる人がいたら……。

「……ライアンは……、ライアンはずっと……、生きて……。」

ライアンにはずっと生きていて欲しい……。


はっ!

と目が覚めると、部屋の中がもう明るくなっていた。

嘘だろ。寝ちまった。

この世界に来て、常に命の危険を感じて、アストラル体を抜く体だけの熟睡くらいしか出来無かったのに、完全に意識を失って寝てた。

ライアンがいるから安心したんだろうが、ライアンの前で何たる失態。

起きなきゃ、と思って初めて気付く。

俺、誰かに膝枕されてる。

急に顔が熱くなる。

誰かって、ひとりしかいねぇじゃねぇか。

ガバッと体を起こして「ごごごごごご、ごめん、ライアン。よよよよ、酔ってねちゃ……て。」と見ると、ライアンも俺を膝枕しながら寝ていたようだ。

……あの日、書き置きだけを置いて来たから、ライアンの寝顔を見るのって初めてだな。

「……ん……。」と目を覚ますライアン。

「あ……、お、おはよう、ライアン。……ご、ごめんね、膝……。」

「ん……、あぁ、おはよう、ヒデオ。よく眠れたかい?」

……イタミ・ヒデオ……、偽名だけど、そうだよな。

ライアンは、それしか俺の名前を知らない。

「?……どうかしたかい?」

「え、いいえ、何でも無い。あ、ライアン、朝早いわよね。急がなくちゃ。」

ゆっくり起き出すライアン。

「あぁ、良いんだ、今日は。部下たちにも言ってある。今日は、昨日か、懐かしい友人が訪ねて来るから、明日の朝は遅くなる、ってね。ゆっくりしよう。」

懐かしい友人……。

「そう……。でも、私は行くわ。今回、オルヴァに戻って来たのには理由があるの。だから、もう行くわ。」

「どこへ行くんだい?」

「……アーデルヴァイト・エルムス、神の国。」

それを聞いて、俺を見詰めるライアン。

「そうか。神族に会いに行くんだね。」

「えぇ、すっかり忘れてたんだけど、私、魔族には逢ったのに神族には会ってなかったから。」

ライアンが、俺に近付き両肩に手を置く。

顔が火照る。

「……気を付けて。もうずっと御使いすら来ていない。神の国で、何が待っているか判らないからね。」

駄目だ……、我慢出来無い。

俺は、ライアンに抱き付いてしまう。

「行って来ます。帰って来たら、何があったか報告するね。」

そして、背伸びをして軽く頬に口付けをして、真っ赤な顔を見られないように、そのまま走って……イブニングドレスに足を取られそうになりながら、窓を開けて外へ飛び出す。

行かなくちゃ。

神族に会わなくちゃ。

その口実があって良かった。

俺は、もう1秒だってあの場にはいられなかった。

この気持ちが爆発しそう。

でも、この気持ちを伝えたら、全てが終わってしまうかも知れない。

今の俺には、それが死よりも怖かった。

すまんな、神族。

俺が逃げる言い訳にさせて貰うぞ。

男であってもいくつにもなっても、好きな人に嫌われる事ほど怖いものは無いのだった。


つづく


なかがき


今回の展開は、最初から考えていました。

でも、私はキャラクターが勝手に動き始めたらそれを邪魔しないようにしているので、書き続けている内にこの展開を拒否するようなら、伏線は伏線のまま回収しないで放置するつもりでした。

しかし、決してキャラクターが拒否する事は無かったので、書く事にしました。

ただ、とても怖いんです。

デリケートな問題でもあるので、批判が怖い。

単に、そう言う事を生理的に受け付けない人もいるでしょうし、私自身は男性として女性が好きなノーマルですから、本当の事を知りもしないでと当事者の気分を害す可能性もあります。

それでも、私の恐れから書くのを止めるのは、作品に対する裏切りです。

だから、怖くても書きました。

今も、ドキドキしています。


言い訳になりますが、知って欲しいのは流行に乗ってBLを入れようとか、ジャンルとしてTSを入れたいとか、そう言う表面的な理由で取り入れた要素では無いと言う事です。

私が念頭に置いていたのは、ロードス島戦記 誓約の宝冠におけるパーンを喪ったディードリットです。

パーンとディードほどの歴史を紡げていないので深みは全然足りませんが、描きたいのは1000年の孤独です。

その為に、第一巻第一章から伏線を張りました。

決して、思い付きで気軽に書いた訳ではありません。

それでも、受け付けない方もおられるでしょうし、作品は作中で書かれている事が全てです。

楽しめなかったとしたら、申し訳ありません。


安易なBLラブコメにするつもりはありませんので、出来れば楽しんで頂けると幸いです。

どう思われるか不安ですが、どうかよろしくお願いします。

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