第二章 いい夢を思い出せない
1
勇者と言うのは、何も神聖オルヴァドル教国の専売特許では無い。
その在り方は様々なれど、色々な国が勇者を輩出している。
それら多くの勇者が、魔族との戦いの為に、最前線である北方諸国を目指す。
だが、魔族軍こそ北方諸国でしか確認出来無いが、単独、乃至少数で行動する魔族、言ってみれば魔族側の勇者たちは、北方戦線をすり抜けて南下して来る事がある。
彼らは、相応の実力者ばかりであり、突破された中央諸国の軍隊、冒険者たちは、時に太刀打ち出来ずに手痛い被害を被る事になるのだ。
それを見越してか、北方へ向かわず中央諸国で活動を続ける勇者がひとりいる。
彼女の名はクリス、神聖オルヴァドル教国が100年に一度招喚する3人の勇者の内、一番目の勇者。
彼女はこの1年半余り、北方戦線を潜り抜けて来た魔族たちを撃退し続け、中央諸国の防波堤となって来た。
さらに、彼女の名声を確かなものにしたのが、西方の古代竜退治。
ある時、馬鹿な盗賊が古代竜の住処へ盗みに入った。
案の定失敗し、古代竜の逆鱗に触れる。
馬鹿な盗賊は大陸中央へ逃げ帰り、怒った古代竜を大陸中央諸国へ招き入れてしまう。
その古代竜を撃退し、襲来された国は奇跡的に一切の被害を被らず、あまつさえその馬鹿な盗賊を許した寛大なる勇者は、英雄として称えられ、救われた国ではすでに銅像が建てられ、生きる伝説とさえ呼ばれている。
正に、勇者たるに相応しい勇者である。
そんな立派な勇者様になんか、俺は会いたくない(^^;
そう思っていたのだが、彼女はここ中央諸国において、魔族と何度も戦っている。
魔族の実態を知るには、良い伝手だと思うのだ。
出奔はしても、俺もオルヴァの勇者のひとりではある。
そのよしみで、少し話を聞いてみよう、そう考えたのだ。
そうして、俺はタリムから西へ向かい、彼女が現在拠点にしていると噂の、バッカノス王国首都モーサントへと向かった。
ここモーサントは、花の都と呼ばれている。
その理由は、都中に咲き乱れる花々ではあるが、何故都中が花々に溢れているのかが重要だ。
それは、王城の中心にそびえる、その名の通り黄金に輝く世界樹、黄金樹の影響である。
世界樹とは、有史以前よりこの世に存在する大樹だと言われており、精霊界との繋がりが深い場所に屹立していて、霊験あらたかと畏敬されている。
正確には、王城の中心に黄金樹が存在するのでは無く、黄金樹を中心に興った国なのだ。
初代女王が、黄金樹の守護精霊オフィーリアと友誼を交わし、物質界での黄金樹の守護を担った初代女王を祀った民が集まり、国となった。
以来、国は代々女王が治め、女王と黄金樹の世話をする巫女たちが政治を司っている女系国家である。
黄金樹に集まる花の妖精たちが王城に舞い踊り、都には黄金樹の恩恵である花々が咲き誇る。
そんな、メルヘンな光景が広がっている。
ここモーサントを拠点としているのは、多分彼女が花好きだからなのかも知れなかった。
それに、女性はいくつになっても可愛いものが大好きだから、花の妖精たちもお気に入りなのかも知れない。
ちなみに、花を司る妖精たちは、一般にフェアリーと呼ばれるタイプの妖精族で、人間の掌サイズの大きさで背中に透き通った美しい羽が生えている。
この羽で飛んでいるのでは無く、彼ら自身が持つ魔法力で自然に浮かんでいるのだが、わざわざ羽を動かして飛ぶ姿はプリティだ(^^)
モーサントに着いて宿を押さえ、取り敢えず冒険者ギルドへ行き、彼女の所在を尋ねてみた。
平時であれば、いつも冒険者ギルドに顔を出し、依頼をチェックするのが日課であるが、ここ数週間見ていないそうだ。
冒険者ギルドでは依頼を斡旋していないのだが、もしかしたら盗賊ギルドの依頼で街を出ているのではないか、との事だった。
早速、今度はノワールとして盗賊ギルドへ行ってみる。
その結果、彼女の動向が判明した。
盗賊ギルドに寄せられた依頼を受け、ここよりさらに西、ミシティア公国方面に現れた、複数の大型モンスター退治に出向いていた。
どうやら、国力に乏しいミシティア公国の軍隊、及び冒険者ギルドでは手に余るモンスターたちで、裏から勇者クリスへの救援要請がなされたと言う事らしい。
現在、宗主国とは仲が悪く、独立を画策しているとも言われるミシティア公国は、他に頼るべき国も無い状態で、言わば勇者に泣き付いた形。
残念ながら、いつ頃帰還するか判らない状況だ。
すぐに後を追っても良いのだが、別に急ぎの用では無い。
花と言えば蜂蜜、きっとモーサントにも美味しいスイーツがあるに違いない。
クリスがいないならいないで、モーサントの食を探求しながら適当に盗賊退治でもして、拠点探しも良いだろう。
と言う事で、俺はしばらく、モーサントに留まる事にした。
2
パンケーキ、カステラ、ワッフル、蜂蜜の沁み込んだスポンジケーキと、いくつも美味しいスイーツは見付かるものの、蜂蜜と言えばこれ!と言う程決定的なものには出逢えず。
蜂蜜を使った肉料理なども豊富で、全般甘めながら美味い食事は堪能出来たが、むしろ食用花を始めとした野菜の方が口に合った。
肉体は若返ったが、長らく糖質制限もしていた事だし、感覚的には健康に良さげなメニューの方が正直馴染むし、毎日毎食蜂蜜まみれでは、塩味や辛味が欲しくなるわ(^Д^;
甘いものは、たまに喰うから美味いのだな。
世界樹と言う貴重な存在を擁するバッカノス王国は、国内にエルフと言う不穏分子を抱えている。
曰く、人間族が世界樹を管理するなどおこがましい、我々に移譲すべき。
しかし、彼らは物質界に定着してしまった森エルフたちで、真なるエルフと呼べるハイエルフより世俗的、且つ好戦的な種族であり、言ってみれば世界樹云々は難癖のようなもの。
自分たちより劣る人間族に世界を支配されているのが、気に食わないのである。
黄金樹の加護の下、魔法国家として周知されるバッカノス王国は、他国から侵略を受ける事は無い代わりに、エルフとの小競り合いが絶えない。
その為、冒険者としても、盗賊としても、活躍の機会は豊富にあった。
エルフと言う脅威のお陰で盗賊団はほぼ出没しないが、散発的な攻撃を繰り返す為のエルフゲリラの潜伏拠点はそこかしこにあり、モーサントではエルフ狩りに精を出す事となった。
彼らは森エルフと言うエルフの亜種に当たり、魔法は使えるがそう得意とは言えず、もっぱら弓の名手揃いである。
敵の位置は空間感知で把握、こちらは新調したロングボウに魔力強化を施し、重さが無い為魔法的処置で飛距離を伸ばせるマジックアローをつがえ、視覚拡張したスナイプモードで超長距離狙撃。
相手の得意分野の上を行き、面白いように射倒す事が出来た。
そうしてエルフ狩りを敢行し、意図的にエルフゲリラの活動範囲を逸らした上で、エルフゲリラが近付かなくなった元拠点のひとつを拝借して、俺のモーサント拠点とした。
そう、別に頑張ってエルフ討伐をして、彼らの脅威をバッカノス王国から消し去ろう、なんて思っちゃいない。
俺の邪魔だったから、ちょっと立ち退いて貰っただけだ(^^;
そのついでに、冒険者としてのクエスト、盗賊としてのクエストもこなす。
美食巡り、冒険者稼業、盗賊稼業、拠点作りと忙しくする内、クリス一行が帰還しないかと待っていたのだが、そろそろ1か月、入れ違いになるかも知れないが、こちらからミシティア公国方面へ向かってみようかな。
そう考え始めた頃、俺は夢を見た。
その日、俺はクリムゾンとして定宿の紅鬼灯亭で就寝していたが、そこから王城まで全ての建造物が消え去り、遠く輝く黄金樹が見える。
その間を何人もの花の妖精たちが飛び交い、俺に囁き掛ける。
「助けて。」「助けて。」と。
俺の体は宙へと浮かび、次第に黄金樹の方へ……。
と、ここで目が覚めるのがパターンだよな。
だが、俺の専門分野だ。
俺は今物質体から抜け出し、アストラル体として、つまりは幽体離脱して呼び寄せられているようだ。
そう知覚した途端、全ての光景が現実とリンクする。
体の外にいるから変な言い回しだが、感覚として目が覚めた。
今の俺は、紅鬼灯亭の屋根の上に浮かび上がり、アストラル体となった俺の肩口を、1人の花の妖精がぐいぐい引っ張っている。
こいつの仕業か。
「おい。」と、ひと声掛けつつ、指で弾いてやる。
「きゃっ!」と、声を上げ宙をくるくる回る妖精。
その姿や声からすると、女の子のようだ。
(挿絵→https://43702.mitemin.net/i858617/)
妖精と言うのは、元は精霊界の住人が物質体を持って物質界で生きるようになった者たちだから、普通の生き物同様繁殖するので男女の性がある。
花の妖精も同じで、花と共に生き花を司る存在であるが、男の花の妖精もいる。
いや、花と言えば女っぽいと言うのが、ただの思い込みなのは重々承知だが、中にはイメージが具現化した、そのイメージ通りの存在と言うのも、アーデルヴァイトにはいるからな。
これが、花の精霊となると、男女の性は無くなるのにその姿は女性的なのだ。
物質界よりもアストラル界に近い精霊界では、アストラル体を保護する物質体は必要無い為、より本質的な存在として生きているが、ある種“無”の世界であるアストラル界とは違い、物質界に寄り添った形を取る事が多い。
精霊界は本質的に形を持つ必要が無いのだが、物質界に似た景色を見せる。
精霊界とは、物質界の住人が思い描いたイメージによって形作られていると言っても、過言では無いのだ。
……いつまでもくるくる回っている妖精を無視して体に戻っても良いのだが、何故こんな事になっているのか詰問すべきだろう。
あぁ、ちなみに、この妖精はくるくる回って止まれないのでは無く、くるくる回るのが楽しくて目的を忘れて回り続けているだけである(-ω-)
3
妖精の首根っこを捕まえて、くるくるを止めさせる。
「で。」
「……あぁ、何だ、目、覚めちゃったの?」
「それは良い。何故俺のアストラル体を抜き出したりしたんだ?」
「え?……う~ん、う~ん……、何の事???」
本気で何も解っていないようだな。
まぁ、こいつが首謀者、とは思っていない。
こいつは、使いみたいなものだろう。
「あぁ、良い。お前じゃ用が足りない事は判った。」
妖精は憤慨し、俺に捕まえられたまま暴れる。
「ちょっと~、それどう言う意味よっ!」
「お前、名前は?」
「ん、あたし?あたしはヨーコ、花の妖精族のヨーコさんよ。」
「では、ヨーコ、お前は俺を何処へ連れて行く気だったんだ?黄金樹か?」
「あーっ、そうよ、そうよ、大変なんだからっ!早く黄金樹まで行かなくちゃ。」
状況から見て、多分そうだろうとは思ったが、やはりそうらしい。
しかし、勝手に夢を利用して人のアストラル体を抜き出すとは、黄金樹はどう言うつもりなんだ。
「……ふぅ、まぁ良い。だがな、ヨーコ。人はアストラル体だけでは脆弱な存在だ。このまま連れて行かれるのは困るんだが、その辺は大丈夫なのか?」
「え?そんな事知らないわよ。でもでもでも~、大変なの、急いでるの、あんたを連れて来いって言われてるのぉ~!」
じたばた暴れるヨーコ。
う~む……、体に戻ってから向かう方が安心だが、物質体でいるのとアストラル体でいるのとでは、視えるものも違って来る。
わざわざこんな出迎えを寄こすのだから、アストラル体である必要があるのかも知れない。
「分かった、分かった。それじゃあ、ヨーコさん。案内を頼めますか?」
手を放して自由にしてやる。
「当然。このヨーコさんに付いて来なさい。」
言うなり、黄金樹の方向へ飛び去って行く。
やれやれ、俺を置いて行ってどうする。
ま、今の俺はアストラル体だ。
アストラル体は、時間も空間も飛び越える事すら可能な、自由な存在である。
強い意思の力さえあれば、ここからオルヴァにだって一瞬で飛んで行ける。
先程、俺はヨーコを弾いたり捕まえたりしたが、強い意思さえあればアストラル体のままでも物質体に影響を与えられる。
精神体であるアストラル体は、心の強さでその存在力に違いが出るのだ。
本格的にアストラル生命体となるつもりは無いので、俺はまだそこまでこの状態に慣れていないし、長期間保護器である物質体から出た状態でいると、アストラル体が徐々に霧散してしまう。
短期間であれば問題無いが、このままでは成仏出来無いゴーストと同じである。
早く用を済ませて体に戻らなければならないので、俺は一瞬でヨーコに追い付き、そのままヨーコに付いて行った。
黄金樹を見るのは初めてだったが、神々しく特別な存在感を持っていた。
林檎の木をそのまま巨大化したような姿で、今は実こそ付けていないが知恵の樹をイメージさせる。
それが黄金に輝いているのだから、無神論者の俺ですら、神を感じる佇まいである。
そんな黄金樹の根本付近に、両手を頭上でひとまとめにされ、その両掌を杭で貫通され樹に打ち付けられた、ひとりの裸の女性がいた。
その傍らには、裸の男がひとり立っている。
その禍々しい気配が、その男がただの人間では無い事を物語っていた。
俺たちはまだ、その光景を見降ろす位置にいる。
「それで、ヨーコさん。俺を呼んだのは誰だ?黄金樹自身かい?」
ヨーコは俺の陰に隠れて、下の男に見付からないようにしている。
意味無いけどな。
「いいえ、黄金樹様はその意思をお示しになる事なんて無いわ。あんたを連れて来いって言ったのは、オフィーリア様よ。」
オフィーリア、確か黄金樹の守護精霊がそんな名前だったな。
「あそこで捕まっているのが、そのオフィーリア様?」
下を覗き込むヨーコ。
「あー、違う違う。あれはメイメイ、この国の女王様よ。」
うん?確か今の女王の名はメイフィリア・バッカノスだったよな。
メイメイってのは、ヨーコが付けた愛称かな?
「それじゃあ、オフィーリア様ってのは……。」
そう問いかけた瞬間、俺は光の中にいた。
4
ただただ光だけが支配するその空間は、不思議と眩しくは無い。
俺の目の前には、巨大な裸の女性。
先ほどのメイメイとは違い、長い耳や切れ長の目がエルフのような印象を与える。
エルフ、つまりは妖精、そして精霊。
この巨大な姿の女性が、黄金樹の守護精霊オフィーリアなのだろう。
「あ~~~、状況は判った。女王が何者かに捕まり、それを助けて欲しい。先程の様子だと、女王はアストラル体を捕らえられているようだな。こんな事をしでかすって事は、あの男は魔族か?そこまでは良いが、何故俺なんだ?」
正直、女王様や守護精霊に頼られる覚えは無い。
俺は一介の冒険者、乃至盗賊として、あんまり目立ちたく無いと思って活動している。
まぁ、能力的に活躍し過ぎている気もするが、それこそ勇者クリス程有名な訳じゃ無い……はずだ(^^;
オフィーリアと思しき女は、その巨大な顔を俺に近付けて、まじまじと見詰めて来る。
「不思議な事を言うな。お前ほどの力を持った存在が近くにいれば、頼ろうとするのは当たり前であろう。私はな、本当であれば黄金樹を守る為眠りに就いていなければならぬ身。私が目覚めているだけ、黄金樹の寿命は削られてしまうのだ。」
「……とは言え、永劫を生きる世界樹なのだろう?短くなると言っても、そんなに影響無いんじゃ……。」
「確かにな。だが、それが例え1億年分の1日であっても、不老不死では無い身であらば、寿命を失う事に違いは無いのだ。」
そう言うもんなのかね。
今の俺には判らないが、いつか解るようになれるかな。
「何より、歳を経て力を失った私では、あ奴を倒す力は無い。私の力は、元々守護を司るものだしな。」
「だが、やはり判らん。何故俺なんだ。ここバッカノスは魔法王国で魔導士の力を持つ巫女たちが数多くいるのだろう?」
「簡単な話だ。お前が一番強く、且つあの魔族がインキュバス(男の夢魔)だからさ。」
……なるほど。
俺が一番強いってのは置いておいて、あいつインキュバスだったのか。
夢として女王は捕まり、巫女たちでは太刀打ち出来無い相手。
「ん?でもさ、巫女と言っても中には老練な魔導士もいるんじゃないのか?こう言う言い方はあれだが、もう性欲とは無縁な、え~と、まぁ、そう言うさ(^^;」
「残念だが、処女しか巫女にはなれん。皆、花も恥じらう乙女だからのぅ。しかも、いつもは私に仕える為に禁欲生活と来た。正に天敵さ。」
う~ん、そうか、巫女さんは皆処女なのか。
別に俺もまだ枯れ果てた訳では無いから、ちょっとエッチな想像をしてしまったぞ(*^ω^*)
まぁ、若い頃みたいな猿では無いから、色で己を見失う事はもう無いけどな……いやマジで(-ω-;
それに、どちらかと言うと、あられもない姿で磔にされていた、確か四十路の女王様の方がむしろ俺的にはそそる……いやいや、そんな事言っている場合じゃ無い。
「判った。いまいち釈然としないが、とにかくインキュバスは俺が何とかする。それで良いんだろう?」
オフィーリアは元の姿勢に戻り(この間、ずっと顔を近付けて話していた(^^;)、改めて言葉を紡ぐ。
「頼む。メイフィリアを助けてやってくれ。」
その言葉を聞いた刹那、俺は元の場所にいた。
インキュバスを見下ろし、背中にはヨーコがいる。
「話は終わったか?」「お話終わった?」
インキュバスとヨーコが、期せずして同時に同じ質問をする。
慌てて、黄金樹の陰に隠れに行くヨーコ。
改めて良く見ても、インキュバスは完全に人間族の男性に見える。
まぁ、その姿で女を淫夢へ誘うのだから、獲物と同じ種族の姿になるのだろう。
ただ、禍々しさは感じるが、特に威圧感は感じない。
俺はアストラル体のままだし、相手が魔族となれば、こっちの方が不利だと思っていたのだが、案外そうでも無いのか?
「なぁ、今なら許してやるから、終わりにしないか?女系国家にインキュバスってのは良い作戦だと思うが、こうして男がやって来たんだ。作戦は失敗だろ。」
すると、見る間にインキュバスの姿が悪魔的なものへと変じて行く。
「何か勘違いしてやしないか。夢の中の夢魔は無敵だ。お前が俺に敵う訳あるまい。」
俺は頭をポリポリ掻きながら思う。
最初、夢として引きずられていたのが何故だったのか、これが答えかと。
「あ~、言っておくが、俺はもう寝ていないぞ。覚醒した上で、アストラル体としてここにいるんだ。俺には、お前の夢も、アストラルサイドも、物質界の風景も、全て重なって視えている。お前の夢の攻撃は、俺にとってはただの夢。効果は及ばないぞ。」
「……え……。」
夢とアストラルサイドの関係は判りづらいかも知れないが、とにかく別物なのだ。
例えばである。
これが夢なら支配権はインキュバスにあり、俺が何をしてもインキュバス次第でどうにでも改変されてしまいかねない。
だが、俺はもう覚醒しているので、ここはインキュバスが見せる女王の夢の中でもあり、物質界のすぐ隣であるアストラルサイドでもあり、物質界そのものでもある。
だから、今や気配、臭い、音、存在感だけで無く、アストラル体も魂も隠蔽出来るようになり、パーフェクトステルスを発動可能な俺なら、今この瞬間、インキュバスが見ている目の前で姿を完全に消す事も可能なのだ。
いきなり俺が消えて狼狽えるインキュバスを、俺は少しも動かず同じ場所から見下ろしている。
そして、わざと声に出して詠唱する。
「魔界の奥に潜みし闇の申し子、七色の闇色に輝く醜き翼よ、我の願いは敵の平穏を奪う事であり、代価にその魂を貪る機会を其方に与える……。」
インキュバスの顔色が青ざめる。
「ちょっと待てっ!何だその呪文は?!何故人間なんかがダークピーコック(闇孔雀)に語り掛けている?!それで一体どうするつもりだっ!」
「左手には雷、右手には火焔持て、遥かなる遠吠えを聞く間に顕現せよ……。」
インキュバスの周りに、闇色の雷と炎が渦を巻き始める。
「!!!じょ、冗談じゃ無いっ!悪魔の力なんかに耐えられる訳無いだろうがっ!!」
背中に黒い蝙蝠の羽を生やし、慌てて逃げ出すインキュバス。
それに追い縋る雷と炎。
「来るなっ!来るなぁーーー!!!」
速度を上げて逃げて行く。
良し、それでは後を追おう。
ちなみに、さっきの詠唱は全部出鱈目だ。
魔界に闇御子闇孔雀と言う存在が在るのは知っているし、その姿や力も文献で調べた。
闇孔雀の力を借りようとして失敗し、体の半分を失った古の魔導士が遺した本だ。
そんな危ない悪魔の力なんか、今の俺には借りられやしない。
だけど、わざと詠唱として聞かせてやる事で、同じように闇孔雀を知っているかも知れない魔族には、充分ハッタリになる、と考えたのだ。
雷と炎は、イリュージョンマジック(幻覚魔法)だ。
わざと聞かせる偽詠唱と、イリュージョンマジックの黙詠唱の同時詠唱は、結構脳が疲れたけどな(^^;
でも、今の俺はアストラル体なんだ。
本気の戦闘なんて無理やろ。
5
空間感知で、インキュバスが逃げる先を確認。
あいつも今はアストラル体なんだから、瞬時に体へ帰還しても良さそうなものだが、普通に飛んで逃げているな。
高度を取ってインキュバスが逃げる北の方を見てみると、農園がいくつか確認出来る。
その内のひとつに降り立ち、建物の中へ。
視覚拡張で見てみれば、その建物は廃屋のようだ。
インキュバスの本体はそこにいるようだな。
俺は振り返り、紅鬼灯亭を視認する。
まだアストラル体状態に慣れていないので、俺も瞬時に肉体まで戻る事は難しい。
そこで、まずは紅鬼灯亭の屋根を目印に瞬間移動。
その後、壁を抜けて体へ戻るが、壁抜けは変な感じだ。
今は窓1枚分だけでも、ちょっとむず痒い感覚がよぎる。
テレポートで石の中、をイメージしてしまうからかな。
慣れないと、ゴーストみたいに自由に壁をすり抜ける事も難しそうだ。
ちなみに、窓とは言ったがガラスは入っていない。
首都とは言え高級な宿では無いので、一般的な木戸だ。
現世の歴史から考えればこの世界の文明レベルではガラス窓は無い方が自然だが、異世界人が招喚される事で、多少は進んだ文化も垣間見える。
王城や貴族の館、教会などには、ガラスの入った窓も存在する。
だが、さすがに高価な為、市井にまでは出回っていない。
体に戻った俺は、すぐに装備を調えて、窓から外へ出て屋根に上る。
先日、遠くにピントを合わせた短距離空間転移で命を救われたが、その後実験をして試したところ、転移距離が伸びる程急激にMP消費が跳ね上がる事が判明。
あの日、転移後意識を失ったのは、傷によるものでは無くMPが0になった所為だったのかも知れない。
消費MPと自然回復MPのバランス的に、今の俺としては500m程度に抑えておいた方がベターだ。
そこで、まずは王城の屋根へと転移する。
それから少し北へと走り、次は目立つ時計塔の上へ。
また少し屋根の上を移動した後、首都を囲む城壁の上へと転移。
良し、ここからなら農場の廃屋が良く見える。
空間感知によると、インキュバスは廃屋内に留まったままだ。
逃げ切ったと安心しているのかな?
俺はロングボウを構え、つがえる矢に魔力を付与。
今回は、廃屋の破壊を考慮して、実体矢を使う。
距離は400m前後と少し遠いが、城壁の上から放物線を描く軌道だから、充分射程距離内だ。
まぁ、この一撃でどうこうしようと言う本気の一撃では無いので、あんまり魔力強化を重ねる必要は無いだろう。
と言う事で、軽く矢を放つ。
上手く廃屋の方へと飛んで行き、派手に屋根が崩れた。
それを確認してから、俺は廃屋のある農園まで転移した。
6
埃を巻き上げる瓦礫の中から、インキュバスが姿を現す。
その姿は、完全な人間族の姿でも、完全な悪魔の姿でも無く、人間の姿に所々闇色の刺青が入ったような中庸的な姿だ。
裸では無く、キルト生地の服の上に革の胸当てを付けただけの軽装備である。
「ごほっ、げほっ……、クソッ、いきなり崩れるなんて、今夜はとことんツイてない。」
あぁ、こいつ、完全に油断してるな(^^;
老朽化で、廃屋が崩れたとでも思ったのか。
あの程度で逃げ切ったと思うなんて、こいつチョロいかも知れん(^Д^;
「おいっ!まだ終わりじゃ無いだろ。」
ハッとして、ようやくこちらに気付くインキュバス。
俺は、ロングボウと矢筒をその場に置いて、インキュバスに向かって走り出す。
「あっ、もしかして、お前はさっきの魔導士か?!」
そう言えば、アストラル体では裸だし、別人の仮面も付けていない状態だから、パッと見じゃ判らないか。
アストラル体の姿では装備が確認出来無いから、魔導士だと思ったんだな。
まぁ、この状況でそんな事どうでも良いだろうに。
インキュバスは慌てふためき、まともに迎撃態勢も取れないでいる。
うん、こいつチョロい(-ω-)
俺はショートソードを抜くのを止め、そのまま突っ込みジョン・ウーを喰らわせてやった。
ジョン・ウーってのは、頭部では無く胸部や腹部に放つ正面飛びドロップキックで、喰らった相手は後方に吹っ飛ぶ事になる。
まだ埃の舞う廃屋に、頭から突っ込んで行くインキュバス。
俺はそこに、追撃でファイアーボールをプレゼント。
勢い良く燃え上がる廃屋。
数瞬後、左手側の壁が吹き飛び、煙を上げながらインキュバスが転がり出て来た。
俺は近付き、睥睨しながら「よう、生きてたな。」と挨拶してやる。
「ふ……、ふざ……けるな……。あんな事されたら、普通死んでまうわっ!」
自称美少女天才魔道士の世界では、高位の魔族はアストラル体が本体なので、普通の炎なんかは効かない。
だが、ここアーデルヴァイトの魔族は本物の悪魔とは違い、物質界の住人として肉体を持つ。
だから、多分物質魔法も普通に効くだろうとは思っていたが、これで証明出来たな。
「お前には2つ選択肢をやろう。ひとつは、このまま俺と戦い死ね。もうひとつは、素直に負けを認めて捕まれ。」
インキュバスは、荒い息の下、俺を見上げて呟く。
「今……、殺そうとしたじゃねぇ~か。」
聞き流して続ける。
「どうする?」
「何故殺さない。俺から何か聞き出そうってのか?俺は仲間は売らねぇぞ。」
「……ま、尋問や拷問は得意じゃ無いんだが、確かに聞きたい事はある。だが、今回それは良い。」
「……じゃあ、何でだよ。」
「今回のお前の被害者は、女王様だからな。素直に捕まるなら、身柄は女王様に引き渡す。お前をどうするかも、女王様次第だ。」
魔族について、こいつから聞ければ手間は省ける。
だが、魔族との戦闘と言う貴重な体験は出来たし、そもそもクリスには会いに行くつもりだし、今言ったように今回こいつは俺の敵だった訳じゃ無い。
生殺与奪権は、女王様に委ねる方が良いだろう。
「良いのか。また同じ事をするかも知れないだろ。」
ふぅ、呆れる。
「お前は阿呆か。今は俺がいるし、何よりオフィーリアが何の手も打たない訳無いだろ。」
「オフィーリア?……もしかして、黄金樹の事か?」
「まぁ、そんなようなものだ。捕まえて連行すれば、お前から自由を奪う事くらい、オフィーリアなら出来るはずだ。それに、夢にさえ囚われなければ、女王様も巫女たちも高位の魔導士なんだ。同じ轍は踏まんよ。実際、お前はここからこっそり襲撃を仕掛けたんだろう?女王様たちを前にして、どうこう出来るだけの力がお前にあるのか?」
気付けば、インキュバスは正座をして小さくなっていた。
「……いえ、全然敵いません。」
「それに、だ。」
俺は、ショートソードを抜き、次いで体内に巡る魔力をわざと体外に漏らすようにして、インキュバスを威圧する。
「別に俺はお前を殺したって良いんだ。さっきの攻撃で死んでいたって良かったんだ。素直に負けを認めて、と言っただろう。そんな態度を取るなら、選択肢は無くなるんだぞ。」
あ……、やり過ぎた。
こいつ、気絶しやがった(^Д^;
仕方無いので、縄で縛り上げてお持ち帰りする事にした。
あくまで夢に特化してあり、しかも対象を女性に制限したチート級能力、それが夢魔の淫夢。
フィジカルが伴わずとも、こいつはかなりLvの高い魔族に違いない。
さくっと殺しておけば、経験値美味しかっただろうなぁ。
ま、緊急クエスト女王救出は成功のようだから、それで良しとするか。
つづく
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