第22話 そばにいて

 今日も地平線の先で日が暮れる。

 深い闇が訪れる。

 けれど、闇の中に住む私はそれを恐れることはない。

 きっと独りなら恐れるものだったけれど。


「ミリア」


 今日もユキが傍にいてくれる。

 私を抱きしめてくれる。

 熱を帯びた声で私の名を呼んでくれる。

 優しく私を撫でてくれる。


 彼女に体重を預けて、彼女の温もりを感じ取る。

 もう何度こんな夜を過ごしただろう。

 ただ共にいるだけの夜を。


 何も起きていないけれど。

 ただ彼女に抱きしめられるだけだけれど。

 でも、それが私は嬉しい。


「ユキ……」


 頬を彼女の腕に擦り付ける。

 こんなにも甘えられるなんて。


 誰かにこんなに甘えられる日が来るなんて。

 一切の恐れもなく。

 拒絶される恐れもなく。

 私の甘えを受け入れてくれる確信をもって。


「んー」

「ユキ、好きだよ」


 こんなことも言えてしまうなんて。

 彼女の腕の中で、彼女への好意をこうも素直に語れるなんて。


 私の言葉に彼女は嬉しそうに笑ってくれる。

 もう何度も語っているのに、毎回とびきりの笑顔を向けてくれる。


 そのたびに私は安心する。

 私はまだユキのことが好きなんだと自信を持てる。誰かのことを好きになれているのだと、自信を持てる。誰のことも好きになんて成れないと思っていたけれど。


 それが私への好意に対する反射行動に近いものであっても。それでも、私が誰かを好きになっていることが、私はとても安心する。少しでも、ユキに何かを返してあげているような気がするから。小さな感情だけれど、それでも私の渡すことのできる最大限のものではある。


「私も、愛してるよ」


 私が好意を言えば、彼女は愛情をくれる。

 その感情は対等ではない。つり合ってはいない。

 大きさも、量も、質も。きっと彼女の方が勝っている。


 でも私はあまり気にしていない。気にしないようにしている。

 ユキの腕の中で、愛を喰らえば。愛に酔えば。愛に溺れれば。そんなことは気にならない。気にしたくない。


「幸せ……これが幸せなのかな……」

「ミリアがそう思ってくれれば、私も幸せだよ」


 私はきっと幸せなのだろう。

 幸運にも私は幸福なのだと感じることができている。


 ユキといれば、安心と安息と安寧は彼女が与えてくれる。それはとても私の求めているもので、それが幸せと感じる要因なのだろう。


 人を滅ぼすことを諦めてから、どの程度の時間が経ったのかはわからないけれど、私達はただお互いのために時間を消費している。毎日のように私達はただ共に過ごす。


 彼女は時折買い物に行く以外では外に出ることはない。

 その頻度も大幅に低下している。


 魔力融合をして肉体への依存度が低下している私達にとって、食事とは高頻度で必要な行為ではなくなっていたのもあるけれど、それよりは大抵の物が通信販売で手に入る現代社会の機構そのもののおかげだろうか。


 そう思えば、様々なものが手に入ること自体はありがたいのだけれど。でも、それを私達が壊そうとしたことは変わらない。きっと彼女は別に何も思ってなかったのだろうし、人などどうでもいいと思っていたのだろうけれど、私は人を恐れずにはいられない。それはまだ続いている。


 だから、私はまだ外には出ていない。

 それどころか、最近は外を感じるものを見るのも辛くなってきている。まだ外の世界に人がいることを思い出したくない。


 それを受けて、ユキは引っ越してくれた。

 元々はある程度街中に存在していたけれど、郊外の大きな一軒家へと私達は引っ越した。外でることのできない私を連れていくために、彼女は私が眠っているうちに私を運んでくれた。だから、目覚めれば、引っ越しは完了していた。


 新しい家は、とても静かである。

 前までの家も特にうるさいとは思わなかったのだけれど、街中にあるだけあって、通行人の声が聞こえる時も会った。でも、今の家は、そんなことはない。


 私とユキの音以外には要らない。私達だけの世界でいい。

 本当に全て消えてしまえば。私達以外の全てが消えてしまえば、どれだけ素晴らしいだろうか。


 きっと私は逃避しているのだろう。

 このユキとの生活に逃避しているのだろう。


 全てから目を背けて、ただ彼女だけを見ていても彼女は私を許してくれる。私を認めてくれる。共に生きて欲しいと願ってくれるから。それでも良い。それが良い。


「愛してる」


 ユキが私にそう囁いてくれるから。何度だって、そう言ってくれるから。いつだって、私に言ってくれるから。


 それだけでいい。

 それ以外のことなんてどうだっていい。

 どうだっていい……はず。


 でも、時間は過ぎる。

 日は暮れ、そして昇る。

 時間というものは残酷なまでに過ぎる。


 時間が経つことで、私はユキに愛を貰えたけれど、でも、ここで止めることはできなくて。私達に残された時間は次第に減っていく。


「ユキ?」


 その朝。

 彼女は起きていなかった。


 いつも彼女は先に起きていて、私の寝顔を覗いているのだけれど。でも、その日は彼女はまだ寝ていた。そういう日がないわけじゃない。

 たまには私の方が早く起きる。でも、そういう日だって、私が声を掛ければすぐに目覚める。けれど、今日はそうじゃない。


 いつもと違う朝。

 日常が崩れる朝。

 不安になる朝。


「ユキ? 寝てるの?」


 まだ重い瞼を擦り、彼女の顔を覗き込む。

 そこには苦し気に顔を歪ませるユキがいた。


「っ……ぁ……」


 顔を赤くして、荒い息を吐き、苦しそうにしている彼女は素人目でも、異常事態だと察するもので。


「ユキ……!」


 どうしよう。

 どうしたら。

 どうすれば。

 いいのだろう。


 焦る。強烈な不安が込み上げてくる。懐かしいとまでは言えないまでも、最近は感じていなかった強い不安が身体を駆け巡る。


 わからない。

 こんな事は初めてで。


 彼女が病気になったことなど今まで一度もなかった。

 体内の魔力を自在に操作可能な魔法使いの病気への耐性は脅威的で、基本的に体調を崩すことなどなかった。


 昔、私の魔力操作があまり上手ではなかった時は、自らの魔力によって、軽く寝込むことはあった。でも、それでも、今の彼女ほどに体調を崩したことなどない。それこそ、彼女ほどに魔力に慣れた人ならば、外部の魔力に当てられることも少ないはずなのに。


 病院に連れて行ったほうがいいのだろうか。

 でも、私は外には出られない。医者を呼ぶのもあまりしたくない。まず、ユキ以外の人とは話したくない。話すことなどできないだろう。


 とりあえず駆け足で家中から使えそうなものをかき集める。

 一度も使ったことなどなかったけれど、一通り薬は揃っている。

 それにお湯も沸かしておく。

 病院食のようなものも作った方が良いのだろうか。


 私はあたふたし続けていたけれど、起こさないほうがいいかと思い、最後にはただ彼女を眺めていた。

 あまり見たことない彼女の寝顔は苦しそうだったけれど、珍しいものでもあって、少し見れて良かったという気分にもなる。


 そんなこと思いたくはないのだけれど。

 これでは、彼女が苦しんでいることを喜んでいるみたい。


 そうなのだろうか。そこまで私は醜いのだろうか。

 でも、ユキはこういう弱い部分を見せない。彼女は強い存在だから、弱い部分がほとんどないのだろうけれど。


「うぅ……あつ……」


 彼女が目覚めたのはそれからしばらくしてのことだった。

 しんどそうではあっけれど、意識ははっきりとしているようで、私を焦点の合わない目で捉え、軽く笑いかけてくれる。

 

「ユキ? 大丈夫?」

「だいじょう、ぶ……だいじょうぶだよ……」


 でも、それは無理しているようにしか見えない。

 やはり私と彼女は対等ではないのだろう。私は毎日のように彼女に甘えているのに、その逆はほとんどない。私だけにしか見せない彼女の姿をもっと見たいのに。


「なら……何かしてほしいこととかある?」

「だいじょうぶ……多分、これは病気じゃなくて……すぐ、すぐに治すから」

「ゆっくりでいいよ。無理しないで。お願い」

「で、でも。迷惑かけちゃう……ミリアに……」


 私はその言葉にとても悲しくなったけれど。

 でも、それは同時にユキの性格によるものなのかもしれないと思う。


 彼女は何でもできる人だから、誰かに頼ることをしたことはないのではないだろうか。人を使うのは上手いだろうけれど、人に甘えるのは下手なのかもしれない。大体、彼女も私もまともな家庭で育ったわけではないのだから、何かしら下手なところがあってしかるべきだろう。いくら人の心が読めるからと言っても。


「……その。頼りないかもしれないけれど……できることなら、私、するから……なんでも言って欲しい、けれど……」


 私は多少の勇気を持って、そう言ってみたりするけれど。

 でも彼女は。


「だい、じょうぶ……だいじょうぶ、だから……」


 でも、彼女はそう言う。

 彼女は明らかに無理をしているのに。


 それはわかっていたことでもあった。きっと彼女がそう言うであろうことは。でも、多少の怒りが沸き上がりそうになるのを止められはしない。もっと助けてを求めてくれてもいいのに。私にできることなど何もないということなのかもしれないけれど。

 

「……ほんとに?」


 彼女は小さく頷く。

 そう言われれば、私は何もできることはない。 

 私は立ち上がり、寝室を後にしようと扉を開ける。


「……ぃ」


 小さな声が聞こえた気がした。

 私は急いで彼女の隣まで戻り、座り込む。

 その声が助けを求めているような気がして。


「どうしたの? やっぱり何か、何かいる? 何をしたらいい?」


 早口でまくしたてる。

 すると彼女は辛そうな顔をしていたけれど、でも緊張したような様子で。


「……そばに……そばにいて……」


 そう小さな声で願った。

 焦点の合わない熱の籠った目で私を見据えながら。


「うん。いるよ。ここに。隣に」


 私は少し彼女に近づく。

 ユキはゆっくりと手を伸ばし、私の手に触れる。


 弱った彼女の手は、いつも用に優しく、いつもよりも儚い。

 今にも消えてしまいそうで。

 それが怖くて。


 私は彼女の手を両手で包み込む。

 ここにいると伝えたくて。

 ここにいて欲しいと願って。

 私の傍にいて欲しいと祈って。


「ふふ……ありがとう……」


 彼女は小さく笑って再び眠りに落ちた。

 その寝顔はとても綺麗で。


 結局、彼女の体調はそれからすぐに回復した。その日の夕方には普通に話していたし、次の日にはいつも通りの彼女だった。


 けれど、わからないのは原因である。病気にならないはずのユキが、どうしてあそこまで体調を崩したのか。

 彼女はちょっと体調が悪くなっただけといったけれど、そんな様子ではなかった。何があったのだろう。どうしていきなり身体を悪くしてしまったのだろう。それこそ、目を離せば死んでしまうのではないかと思えてしまうほどに……


 死んでしまう?

 死んで……死?


 はたと気づく。

 今は何年なのだろう。

 あれから何年たったのだろう。


「15年」


 あの赤い教室から出てきて15年。

 彼女の予告した死亡予想時期になっている。私が逃避をしているうちに。


 その影響なのではないか。

 たしか、なんと言っていたっけ。なんだっけ。

 あぁ、どうしてそんなことも忘れてしまうのだろう。いつも大切なことを忘れてしまう私だけれど、これは忘れてはいけないことなはずなのに。


 そうだ。たしか。

 肉体が魔力の負荷に耐えられないからだっけ。

 それなら、説明はつく。


 ユキの体調不良に説明がつく。

 魔力融合体は病気にはならない。それは体外の魔力の影響を受けにくいことと、体内の魔力密度が高いことに由来する。けれど、結局は体内の魔力が揺らげば、体調は崩れるのではないだろうか。


 魔力の負荷というものがどういうものかわからないけれど。

 でも、その影響が出てきたのではないだろうか。


「あー、いや。うん。まぁ……ミリアには、分かっちゃうよね」


 私の推測をユキにぶつければ、彼女は気まずそうにうなずく。


「じゃ、じゃあ……」

「うん。多分、想像通りだと思う。私の寿命が近いんだよ。きっと。いや、まぁ、まだだよ。思ったより長生きできそうだけれど。でも、もうすぐだろうね。だから、ごめんね。いっぱい迷惑かけちゃうかもだけれど」


 そこは問題ではない。

 別にユキになら多少の迷惑をかけられても構わない。

 彼女が私への愛を捨てずにいてくれるなら。


「なら、ならはやく。私。私も。私を、殺して……殺して、くれるよね? 一緒に死ぬために殺してくれるよね? 私を独りにしないよね?」


 私は焦って、私の今の夢を語る。

 最大の願いをユキに祈る。

 すると彼女は少し笑って。


「うん。でも、今じゃないでしょう? もう少しは生きているんだから。私が死ぬまで、一緒に生きようよ。私ともう少し、一緒にいてほしい」


 そう言ってくれるけれど。

 久方ぶりにあふれでる私の不安は消えてくれない。


「約束。約束だよ……? 私を、殺してね?」

「うん。約束。一緒に。一緒に、死のうね」


 私はその返答に。

 ユキの返答に。

 小さな躊躇いがあったのを見過ごせるほど、彼女と過ごした時間は短くない。

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