第14話 自罰

 ユキがどこかへと行ってからの日々は、思ったよりも普通のものだった。ただ学校へ行って、帰ってきて、課題をやったりやらなかったりして、そしてまた学校へ。

 でも、驚くほど静かだった。ユキと出会う前とさほど変わらない生活に戻っただけのはずだけれど、人はこんなにも喋らないものだっただろうかと思わずにはいられない。


 彼女がいなくなっても、私は彼女の家にいるのだけれど、彼女の家は1人では随分と広く、どうしても寂しさを感じてしまう。いや、2人でも部屋は余りすぎるほどに広いのだけれど、でも1人では余計に感じてしまう。前の部屋に戻ろうかとも思ったのだけれど、前の部屋での隣人関係を考えるとあまり戻りたくはない。それに彼女が帰ってきた時に迎える人は私でありたいという気持ちもある。


 それに彼女がいなくなったといっても、毎日連絡はくる。だからといって寂しさが無くなるわけじゃないけれど、寂しさは薄れていくというのは事実だろう。

 まぁ大した話をしているわけじゃないのだけれど、今どこにいるとか、今日はこんなことがあったとか……早く会いたいとか、そんななんでもない話をしている。なんでもないけれど、それは確かに大切な時間であることに変わりはない。


 しかし、そんな連絡も5日程度で無くなった。前日に彼女はこれから忙しくなると言っていた。多分、危険なことをしているのだろう。そんなことぐらいはわかる。

 大丈夫だろうか。もしも彼女が戻ってこなければ、私はどうするのだろう。彼女がいなくなって、私は独りで生きていけるだろうか。


 いや、きっと生きていくことはできるだろう。多分生き延びることはできるのだろうけれど、そうなれば私は二度と立ち上がることができない。彼女のように私を気にかけてくれる人など、二度と現れないだろうから、私は二度と立ち上がれないだろう。万が一、誰かが現れたとしても、その時の私はその誰かのこと信じることはできないだろうから。


 本当に恐ろしい。彼女がいなくなった時のことを考えると。

 帰ってくることを期待しているけれど、信じるというところまで達していない。本当に不安で、毎日夜になれば、孤独に押しつぶされそうになる。怪物が目を開き、私の内から現れようとしている気がする。幻想の嵐が吹き荒れている。


 夜でなくても独りでいると、今まで私は何をしていたのだろうと思わずにはいられない。本当に何もしていなかった。ただそれだけのことなのだろうけれど。同時に彼女がどれだけ私を引っ張ってくれていたかもわかる。

 やっぱりつり合ってはいない。私達の関係はどうにもつり合っていない。早く私も1人で歩けるようにならないといけない。


 けれど、どうにもやり方はわからない。私は歩き方がわからない。教えてもらっていないからだろうか。でも、大抵の人は歩いている誰かを見るだけで、真似ることのできるものらしいけれど。でも、地面も上手く見えないのに、どうやって歩ければいいのだろう。どうすれば、前に進めるのだろう。どこへ行けば、進んだことになるのだろう。


 何かに挑戦をしてみるべきなのだろうか。でも、私は知っている。私が何かをしようとしても、それは失敗になるしかないということを。この複雑に絡み合った現代社会においては、私の行動はその社会性を破壊するものでしかないことを私は知っている。


 ならば、どうするべきなのだろう。


 何か誇れるものの1つでもあれば、立ち上がれるだろうか。でも、そんなものはない。何かに打ち込むほどの熱を私は持っていない。そして、何かを成せるほどの能力もない。そして一番に、勇気がない。何かをする勇気がない。


 もしも。

 もしも勇気を持てれば、私は人になれるだろか。立ち上がり、歩き始めることができるだろうか。案外、思い切って立ち上がれば、どうとでもなるのだろうか。


 そんなことを考えながら、誰とも話さない毎日を過ごしていた。

 薄暗く陰鬱な毎日だった。そして、その世界に血が落ちる。


「少しいい?」


 その日はなんでもない日だった。だから普通に授業があって、昼休みになれば、いつものように屋上に行こうとしたのだけれど、そこにその人は現れた。


 呼び止められた私はびっくりしながらも、そちらを振り向く。同時に少し身体の硬直を感じた。


 短めの赤い髪を携えた彼女の名はキリシア。

 彼女はユキと同郷らしい。つまりは魔導研究所での実験体の1人だと言っていた。ユキはあまり彼女のことを多くは知らないようだったけれど、危険かもしれない人だと言っていた。警戒をしておくべき存在であるとも。


 それ故に私は緊張してしまったのだけれど、同時に何の用だろうとも思った。孤立している私に話しかける利点など何もないはずなのに。


「あなた、ユキとどういう関係なの?」


 聞かれたのは、想定の範囲内ではあったけれど、本当にそんなことを聞いてくるのかと驚きはした。冷静に考えてみれば単純で、今の私に話しかけてくる理由なんて、ユキとの話しか思いつきはしない。相手が、ユキとの同郷であるのなら、余計にそれ以外にはないだろう。


「あんたと一緒にいるのを見たってやつがいるんだけれど。それから、ユキは学校に来なくなっちゃうし。何かしたんじゃないでしょうね」


 最近は彼女といる時間も増えていたし、登下校中か、もしくは外で一緒に要る時の様子を誰かに見られていたのかもしれない。たしかに、私はともかくユキは目立つだろうし、そうなれば、誰かに見られることぐらいあるだろう。そう考えてみれば、今まで何も言われていなかったのが不思議なくらいではある。


 しかし、どういう関係と言われても素直に答えて良いのだろうか。私は別に隠しているつもりはないけれど、彼女はどうなのだろう。私と恋人関係でいるなどとばれては、困るのではないだろうか。うーん。悩みどころだけれど、ここは無難に答えておこう。


「まぁ、その、少し出会って話しただけだよ」

「ほんとにそれだけ? 何もしてないでしょうね」

「してない……ですよ?」


 実際には口付けまでしてしまっているけれど。流石にそこは私も隠したい。単純に恥ずかしいし。

 けれど、キリシアは何なのだろう。どうしてそんなに彼女のことを心配しているのだろうか。気にしているのだろうか。ユキから聞いた話では、特段彼女と仲が良いようには感じなかったけれど。まぁ、ユキのことだから仲が悪いというわけではないのだろうが。


「まぁいいわ。ユキにあんたが何かできるとも思えないし。最後に聞きたいのだけれど、彼女のことをどう思う?」

「どう……」


 そう言われても、返答に困る。なんといえばいいのだろうか。印象の話をするのであれば……随分と変な人、ということになるのだろうけれど。けれど、そんなことを言うのも違う気もするし。


「なっ……」


 少し考え込んでしまっていたけれど、急に目の前の彼女が変な声を出した。ちらりと見れば、随分と驚いた顔をしていた。すぐに普通の顔に戻ってしまったけれど。一体どうしたのだろう。流石にそれを指摘するほど、私に勇気はないので、何も言うことはできないのだけれど。


「その、よくわからない。さっきも言ったけれど、ただ少し話しただけだから」

「あ、いや。そう。そういうことね。それじゃ」


 彼女は焦ったように教室へと戻っていった。一体なんだったのだろう。結局彼女は何だったのだろう。まぁ、考えても仕方ない。どうせ私に人のことなどわかりはしないのだから。あまり気にしなくてもいいか。


 そう軽く考えていたのだけれど。

 でも、結論から言えば、そう軽々しく考えるべきではなかった。

 私の身に普段と違うことが起きているのだから、それを警戒するべきだったのだ。警戒したところで、どうなるものでもないのだけれど、でも、それでも油断するべきではなかったのだ。


「少しいい?」


 初めてキリシアに話しかけられた次の日。今度は放課後に彼女は来た。今度は数人の男を侍らせて。思えば、その日は朝から教室の雰囲気が異様であった。どの共同体にも所属していない私には関係のないことだと思っていたけれど。


「まぁ、大丈夫だけれど」


 昨日の話の続きだろうと思い、私は粛々と彼女の話を聞くことにした。正直、逃げたかったけれど、これだけ大所帯で来られては、それはできないだろう。それに今日逃げたところで、明日にはどうせ会うことになるのだし。


 思えば、この時の私は調子に乗っていたのだろう。ユキとの関係はそれなりに上手くいっていて、それなりの優越感というものを感じていたのかもしれない。学校中の人が憧れる彼女に好きだと言ってもらえて、一緒に暮らして、それが日常になっていて。


 昔の私から見れば、想像もできないほど豊かな生活に、私は小さな自信を、中身のない自信を持っていたのだろう。


 私はずっと弱く、罪に塗れ、怪物なままだったというのに。


「話って、わっ! な、なに……?」


 私は気づけば、教室の隅に突き飛ばされていた。

 最初は何が起きたのかわからず、ただ辺りを見渡すことしかできなかった。そこには教室の皆がこちらを見て、奇妙な薄ら笑いと憎しみを向けていた。


「いい気味。前から目障りだったのよ」

「お前がユキを学校に来れなくしたんだってな」

「ユキに手を出すなんてな。人としての価値が違いすぎるだろ」

「みすぼらしい奴だと思ってたけれど、犯罪まで侵すなんて。僕も擁護できません」


 本当に脳内には疑問の文字ばかり浮かんでいた。

 一体彼らは何を言っているのだろう。


「ち、ちがっ。そんなこと」

「うるせぇ! 少しは静かにできねぇのか?」


 誰かの怒鳴り声が聞こえる。

 過去の記憶がよみがえる。

 孤児院で怒鳴られた記憶が。


「で、でも……わ、私は、なにも」

「無駄よ。あんたがユキを学校に来れなくした。あんたは悪者。これはもう共通認識なのよ。そういう風に刷り込んである」


 そう、昨日も聞いた声が響いた。

 キリシアは、堂々と私を見下ろしていた。その目は、明らかに私を恨んでいて、強烈な悪意を孕んでいた。同時に直感する。彼女がこの事態を引き起こしたのだと。


 彼女はゆっくりと私に近づき、かがんで小さく耳元で囁いた。


「あんた。ユキと話しただけっての、あれ嘘でしょ」

「ぇ」

「随分と彼女に気に入られているのね。まさか彼女があんたみたいな人に魔法防御を施していくなんてね。もしくは自動防御系の魔動機か。魔法が効かない時は焦ったわ」


 さらに悟る。昨日、彼女が話しかけてきたのは魔法をかけるためだったのだ。ユキと同郷なのだから、キリシアも魔法使いであることぐらいはわかっていたことだったのに。私は何も考えていなかった。


 けれど、私はユキによって守られていたから、彼女の魔法は効力を発揮しなかった。そして、故にこうして次の日に武力と共に来たのだろう。つまり、これから始まるのは。


「でも、あんたは悪者よ。私の魔法は、人の魔力の一部を変質させる。つまり、軽い精神操作なわけだけれど、そのおかげであんたは悪者になってる。まぁでも、認識を正したともいえるわよね。ユキに近づいたのだから、悪者でしょう? そうよね。彼女は人を惹きつけるけれど、不用意に近づきすぎる存在は悪でしかないわ。そして、悪者ということは、どういうことかわかる?」


 私はその先の言葉が分かった。

 それはいつも、自分自身に対して思っていたことでもあるから。


「悪者には罰が必要よね」


 あぁ、そうか。

 ここで、罰がくるのか。

 

 頭の片隅でそんなこと考えながら、私は逃げようとした。もう何が起こるのかは大体察したし、そういうことであれば、こんな場所にはいられなかったから。いたくなかったから。


 でも、それは叶わず、腕を掴まれ、投げ飛ばされる。身体は衝撃による痛みを訴え、私は悲鳴をあげる。けれど誰も助けてはくれない。私を助ける者などいない。いるはずがない。


「逃れるわけないでしょ? 罰なのだから」


 その恐ろしい声に、私は思わず助けを求める。

 追い詰められた私が助けを求める相手は1人だけ。

 私を助けて欲しい人は1人だけ。


「ゆ、ユキっ、助けて……!」


 そう祈っても、彼女はこの場所にはいない。

 それはわかっていても、祈らずにはいられなかった。

 そんな私をキリシアは嘲笑う。


「あんたを彼女が助けるはずがないでしょ。大体さ。勘違いしているなら言っておくけれど、ユキにとってはあんたなんか遊びよ。当たり前でしょ? どれだけ自惚れてるの? 住む世界が違うじゃない」


 そんなはずはない。

 そんなことを言えるほど、私は強くはなかった。


 そこからはもう記憶はない。

 明らかに暴行を受ける私を守る人など誰もいなかったし、助けは来なかった。多分だけれど、そういう風にしておいたのだろう。キリシアの持つ権力を使えばそれぐらいは可能なのだろう。


 何度か逃げようとけれど、それは叶わず、下卑た目とともに殴られた。そこに躊躇はなく、血が飛び散っていた。体中が痛みを訴えてた。内臓も痛い。身体の奥底が痛い。泣き叫びたかったけれど、泣けばまた彼らは私を殴った。

 でも、それも途中までで、いつからか私は何も感じなくっていた。身体を嬲られ、悲鳴を上げる気力もなくなり、それでも彼らは私への暴行を辞める気はないようだった。必死に泣かないように、叫ばないようにして、ただ時が過ぎるのを待った。


「顔を殴んなよ。萎えるだろが」

「は。気にするとこか? どうせあんまり変わらねぇだろ」

「それもそうかもな」

「ほんとは、殺しちまってもいいんだがよ。流石に今回それをすれば、捨てられんのが俺らなのはわかってるからよ」

「ま、いつも通り依頼の中で楽しませてもらいますか」


 目を閉じても聞こえる声は、本当に恐ろしかった。

 私への悪意に満ちた声が響いてた。

 その時にはキリシアの姿はなかったようだけれど、もうすでにそんなことに意識を回す余裕はなく、ただ彼らの悪意から心を閉ざすことしかできなかった。


 私はもう諦めていた。

 強い暴風の日は、ただ耐えることしかできない。

 それか、私はもう荒れ狂う海へと落ちたのかもしれない。


 私が意識を取り戻したのは、日が暮れてから随分と時間が経ってからのことだった。そこには私だけが暗い教室の中に取り残されていた。私への悪意を持った彼らはもうすでに帰ったようだった。それどころか、この時間ではもうだれもこの学校にはいないだろう。


 途端に強烈な吐き気を感じて、何かを戻してしまう。胃酸が喉を焼き、小さな痛みがここが現実であることを知らせる。灯りもない状況で、私はかろうじて服を整え、ふらふらと外を目指した。

 記憶は混濁し、どうやって帰ったのか定かではない。


 でも、私は気づけば、自分の家の前にいた。

 遠くで雷が鳴っているのが本当に別世界のことに感じた。

 ユキの家には行けなかった。今の汚れた私では、彼女の生活領域に近づきたくなかった。


 久しぶりの自分の家は、随分と淡泊に感じる。

 まるで自分の家ではないような感じがする。それでも、8年住んだ家の使い勝手は身体が覚えている。朦朧とした意識の中で、私は風呂場へと進む。


 水が零れ落ちる。冷たい水が私を打ち付ける。

 身体を丸めて、うずくまっても、かきむしっても、私の穢れは祓われない。

 何も意味はない。泣いても、何も意味はない。誰も私の声を聞く者はいない。私を助けるものはいない。私を助けられるものなどいない。私に助かる資格などない。

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