第8話 それでも私は

 その日、私の過去を思い出した日から、セイレを見つけた日から、私とユキの関係はどことなく気まずさを秘めた物になった。その原因は言うまでもなく私で、それは私があの日に思い出したことによるものだった。自らの醜さを。自らの怪物性を、暴力性を。人ではないことを思い出した。


 だから、どことなく距離を取ってしまう。あの時のように嫌われたくはないから、彼女から距離を取ってしまう。近づけば、傷つくかもしれないから。だから、今まで以上に私は会話に気を遣うようになったし、物理的距離も少しできてしまったように思う。


 それでも私はいつも恐れてしまう。明日にも私は暴かれて、あの残酷なまでに拒絶された目を向けられるのではないかと。その日が来るかもしれないと、不安で仕方ない。私は恐ろしくて仕方がない。


 彼女はそんな私には気づいているのだろうけれど、何も言わない。いや、何も言えないのだろう。私が拒否しているのだから、無理やり入っては来ない。そんなことはしないと知っている。

 でも、仮にも付き合っているというのを忘れたわけではないようで、毎日ように話すことはやめてはいない。それは取り留めのない内容で、大抵は世界のことや、私達自身のこと……いや、最近はもっぱらユキのことばかりか。私は私のことを話すのが怖くて、やめてしまったから。それは楽しいことではある。彼女と話すこと自体は楽しい。でも、ただ少し緊張してしまう。


 そして私はずっとこれが続くとは思っていない。元々この契約というのは、お互いのことを知ろうという契約の元に始まったことであるけれど、今の私に自らのことを開示することはできない。つまり契約違反である。

 そうでなくても、私は思い出してしまった。私は誰かに好きになってもらう資格などない。そして、誰かを好きになる資格などない。それこそ、誰かと恋人になるなど不可能な事であると、思い出した。


 いや、思い出したのではない。私はきっと、最初から分かっていた。ずっとわかっていたのに。ユキに好きと言ってもらえて、舞い上がり、見て見ぬふりをしようとしたのだろう。そろそろ許された、そんな風に思ってしまった。

 だから、セイレは私の前に姿を現した。いや、彼女にそんな意志がないことはわかっているけれど、私が思い出すために彼女は現れたのではないか。そんな気がしてならない。


「や、こんにちは」


 今日もユキに誘われ、駅へと向かった。

 最近は外に出るたび怯える。またセイレを見かけるのではないかって。彼女に出会ってしまうのではないかって。彼女に見つかるのではないかって。そんなことはないし、あったとしても彼女は恐らく私に気づかないだろうから、恐れることではないのだけれど、怯えずにはいられない。


 ユキは休日になれば、毎回のように私を誘ってくれる。もうこれで4回目になるけれど、毎回楽しくないと言えば嘘になる。けれど、初回ほど純粋には楽しめていないというのが実情ではある。それはひとえに私のせいなことはわかっている。私の問題であることはわかっている。


 だからというか、私は今日で終わりにしようと考えていた。今日で、ユキとのこの関係を終わらせるべきだと考えていた。

 私は彼女の気持ちには応えられないのだから、これ以上この関係を続けることはユキに失礼だろう。私はもう誰とも深く関わることができないのだから。私は息をすることさえ苦しいのだから、恋をすることなどできないのだから、化け物なのだから、醜い怪物なのだから。


「今日は少し話をしようと思って。まぁ、毎日してるけれど。でも、そうじゃなくて。今日は少し私の秘密を語ろうと思ってね。そう秘密。隠していたこと」


 ユキは指を唇に当てながら、あどけない笑顔と共にそう語った。


「まぁ、これは本当は話していけないのかもしれないし、話さないほうが良いことなのかもしれないけれど、ミリアには全部知ってほしいって思ってね。一応、お互いのことを知ろうっていうのが元々なのだし。ミリアはあんまり自分のことを話してくれないけれど。あぁ、いや、責めてるわけじゃないよ。別に話したくないことは話さなくてもいいと思うし。むしろ、相手が好きな人だかって全てを話す人の私のような人こそ少数派だとは思うけれどね」


 彼女につられるままにたどり着いた場所は彼女の家だった。相変わらず大きな家で、1人に住むには大きすぎるとは思う。その一角にある、小さな扉から中へ入る。誰かの家の中に入るのは緊張するけれど、彼女に言われるままに中へと向かう。


 中は明るく彩られて、綺麗に整頓されていた。けれど、なぜだろう。それはなんというか、何かの擬態に見えた。本来はここまで明るくはないような。


「さて、私の秘密だけれど、そうだね……どこから説明するかは悩むのだけれど、まぁ結論から言えば、私は人じゃない」


 最初、彼女が何を言い出したのかわからなかった。全く持って予想外のことが言われた気がした。


「何を言っているのかわからないよね。でも、私は人、つまりは純粋な人間じゃない。魔力と人の融合体。後天的だけれどね。魔法生物というのが一番近いのかな。少し違うのだろうけれど、まぁそういったものだよ。その影響はいろいろあるけれど、運動神経の向上、魔力感知能力の向上、体内魔力の自在操作、そして魔法。

 あぁ、魔法って言うのは術式に魔力を……って言ってもよくわかんないよね。簡単に言うと、魔力で不思議な現象を起こせるものだよ。まぁでも魔導機とあんまり変わらないけれどね。そして私の持つ術式は、魔力が色として見える魔法の術式」


 私はもうついていけなかった。ただ頷くことぐらいしかできない。かろうじて、彼女が魔法生物に似た存在であることはわかったけれど。


「魔力、それはこの社会を支える力だけれど、同時に世界中を円環し、万物に宿るものでもある。それは人でも例外じゃない。それは知ってるよね。

 でも、まだあんまり浸透していることはないけれど、生命に宿る魔力はそれ自体が精神と連動しているんだよ。どちらかといえば、魔力が動ける身体を持つ際の副次的作用として心ができるのだと思うけれど、まぁそこはどうでもいいとして。

 ともかく私は、人の心が読める。もちろん色が見えるだけだから、具体的なところまで読めるわけじゃないけれど、それでもその人がどんな人かは見ただけである程度分かるんだよ。でも、それは私だけの一方通行で私はどんな人か知っていても、相手はそうじゃない。別に知らないふりもできるけれど、それは真実ではないし。だから、私は孤独だった。どこまでいっても独りで、私はそう……寂しかったんだよ」


 ユキは人の心が読める。

 それを聞いて、私はぎょっとした。私の醜い心が暴かれていると思ったから。そうなれば、私はもうここから逃げ出すことしかできないだろう。


「でも、ミリアの心はわからない。多分透明なんじゃないかな。だから私にミリアの心はわからない。だから、私にとってミリアは特別なんだよ。特別で唯一なんだよ。だから、好きになった」


 そう言われて私は安心していた。まだ私が醜悪な存在だとは暴かれていない。しかしそれは同時に、暴かれた際に嫌われる可能性を未だ排除できないということでもあるということにすぐに気づいてしまい、あまり安心は長続きしなかったけれど。


 それよりも私は割と簡単に彼女の言葉を信じ、順応していた。つまりは彼女の言う秘密は、人の心が色として認識できるということであって、それは魔法というものによるものらしい。でもなぜか私の心は見えない。その荒唐無稽な話をすぐに信じていた。


「私の心が見えないから、私のことが好きなの?」

「それは、どうなんだろう。最初のきっかけはそうだったけれど、ミリアと話すことはすごく楽しかったし、なんというのだろう。単純に心地が良いからというのが、一番わかりやすい言い方になるのかな。その一旦に無色であるという要素はあるにはあるけれど、それだけというわけじゃない……と思うけれど」


 心地が良い。そう言われることは嬉しい……けれど、でもそれがまやかしであることを私は知っている。それが崩れる瞬間が来ることを私は知っている。今はまだ、誤魔化しが効いているだけだと思う。思わざる負えない。私の怪物性を知れば、そんなことは言えないはずだ。


「もちろん、この秘密はあんまり人には言わないでね。いや、まぁ言っても構わないけれど、面倒なことになるだろうから。でも、これで私の最も大きな秘密は明かしたよ。これで、どうかな。ミリアも話してくれない?」

「な、何を?」

「……何かあったんでしょう? 多分、あの日に。ミリアが初めてこの家を見た日に」


 わかってはいた。彼女が何を問うているのかは。わからないふりをしただけで。彼女は私が何に悩んでいるかを知りたいのだろう。実際のところ、それは難しい。なぜなら私は悩んでいるのではなくて、ただ思い出しただけだから。私の本質を。


「ね、無理にとは言わないと言ったけれど、ずっと困ってる、そうでしょ? なら、少しだけでもいいから、話してくれないかな」


 小さく首を横に振る。

 話すことなどできない。話したくない。


「わ、私、ミリアの力になりたい。私、なんでもするよ。ミリアが困ってるなら、その解決のためになんでもする。本当に何でも。だからお願い」


 ユキは見たこともない、半分泣きそうな顔で私を見つめる。声は少し震えていて、勇気を出して放った言葉であることは疑いようがなかった。

 そんな顔で見つめられれば、何も言わないわけにはいかず、ただ少し声を出した。


「……ごめん。嘘ついていた。確かに私は言いたくないことはある。あるけれど、それは言えないことだから。言ったらきっと、だめになるから。全部だめになるから」


 でも、それ以上は言えなかった。

 言うことはできなかった。

 いや、思い返してみれば、この時点で私はもう緩んでいたのだろう。もしくは、最初からだろうか。彼女と共に長く居すぎてしまったのだかもしれない。あの時と同じように私は錯覚をしていたのかもしれない。


「大丈夫だよ。だめになんてならないよ。ミリアがどんなこと言ったって、私はミリアの味方だよ? 多分、何かあったんでしょう? 昔に何かあったんでしょう? それで苦しんでいるんでしょう?」

「……本当に私の心は読めないの?」


 私は乾いた笑いと共に、ユキに問いかけた。何だか全てを見透かされているような気がして。

 その問いに彼女は本当に悲しそうに目を伏せて、答える。


「読めなくても、それぐらいわかるよ。だって、私はミリアのことばかり見て、考えて……もうそれ以外のことなんて、知らないのに。だって、私、ミリアのことが大好きで」

「もう、やめて」

「大切で、だから、助けたくて」


 その言葉に脳が収縮する感じがした。


「やめてって、言ってるでしょ! もうなんなの、さっきから。ううん。ずっとそう。会ってすぐ、私を大好きとか言って。ユキがそんなこと言っても、信じられるわけないじゃん。私は孤児で、愚鈍で、愚図で、何者でもないのに、そんなこといきなり……いきなり、ユキみたいな、何もかもを持った人に言われて、信じられるわけないでしょ! ユキには友達がいて、親がいて……それに特別な力もあって、全部、私にはないものを持ってて、全然つりあってないし、全然違う所にいる人なのに。ほとんど話したこともないのに。私は。私は、そんなこと言われても、わかんないし。わかるわけない。恋なんて、したことないのに。それに、それにもう。人と関わるのだって、怖くて。でも、ユキはどんどん入ってきて。私のことなんて、お構いなしに。もう、やめてよ。大切なんて、いきなり言われても、わかんないよ! 私には、わかんない! 大切ってなんなの? それに、いきなり変な事ばかり話して、そんなの怖いだけだよ! 好きとか、大好きとか、そんな簡単に言われて、私がはいそうですかと答えるとでも思ったの? 気持ち悪いと思うとか、そういうことは考えなかったの? 人のことも考えてよ! そんな人が私を助ける? そんなこと軽々しく言わないで! 私を助けられるわけないじゃん! ユキが私の何を知ってるの? 何も知らないでしょ! 何も知らないくせに! 何も知らないのに、私をそんな、そんな軽々しく助けるだなんて言わないで! 私は、私なんか、助けられるわけないんだから。私だって、私だってさ、色々考えて、考えたのに。私を振り回して楽しかった? 私はしんどいだけだったよ。毎日毎日さ、私は独りになりたかったのに。毎日、話しかけてきて。同情のつもり? 独りの私を哀れに思ったの? あぁ、そっか。だから話しかけてくれたのか。いいや、違わないよ。その恋だと勘違いしている感情も、ただの憐み、同情の一種だよ。ただの。わかんないなら、自分の心を読めばいいじゃん。読めるんでしょ? 人の心が。なら読めばいいじゃない!い! 自分の心でも読んでみればわかるでしょ!? それともなに、さっきのは嘘だったの? 私を騙すための嘘だったの? そうじゃないならっ」


 ユキは泣いていた。

 大粒の涙を流していた。

 ただごめんなさいと呟いて、泣き崩れていた。


「ぁう、私は、なんで。こんな。ぁ、そうじゃ、そうじゃなくて、私。なんでもう。また。同じ。私はもう、もう嫌だ。人が、人がいつも私を。みんなそうだ。みんな死んじゃえばいいんだ。みんな死んで、消えちゃえばいいんだ。消えちゃえば……何を、何を言って……」


 もう自分でも何を言っているのかわからなかった。自分のことがもうわからなかった。いや、最初から私はずっと、自分のことから目を背けつづけていたのだから、 知らないのは当然なのだけれど。


「私、そんな、そんなつもりじゃ……」


 もうそこにはいられなかった。

 もうこれ以上、ユキの前にはいられなかった。

 だから、私は逃げ出した。踵を返して。


 逃げて、扉を開ければ、そこは猛烈な雨だったけれど、私は構わず外に出る。傘など持っていないけれど、そんなことよりも早く私はその場を後にしたかった。


「ま、待って!」


 遠くで声が聞こえる。

 それは最近ずっと聴いていた、私を好きだと言ってくれた声。私が傷つけてしまった人の声。


「ミリア! それでも……それでも私は!」


 聞こえないふりをして、走る。

 こけそうになっても、そこにいるよりはましだった。

 もうその場に私は存在できなかった。


「私はミリアのことがっ」


 もうそれ以上は聞けなかった。

 だから、聞かなかったことにした。


 私は声から逃げるように、足を速める。

 振り返ることも、立ち止まることもせずに。

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