第6話 結構良い気分

 休みの日に、ユキに会うためだけに外に出るというのは、なんだか付き合っている感があって、少しこそばゆい。しかし、彼女から誘われたままに頷いてしまったけれど、一体どこへ行こうというのだろう。生憎と私の所持金は非常に少ないから、あまりにも遠いところや、高い施設へはいけないのだけれど。


 第一、身寄りのない私が生活できているのは、国の保護のおかげでしかない。お金は十分に支給されるけれど、融通は利かない。だから、突発的な金銭消費は難しい。それに十分といえど、無駄遣いできるほど余裕はない。

 残り4年ほどでこの金銭的支援は消失するし、そこからは今までの支援金の1割を国に返還しなくてはいけなくなる。別に期限があるわけではないし、そんなもの貰った金から考えれば大した額ではないのだけれど、余裕がそこまでないのは確かな事ではある。


 でも、ユキのような人が、どこかへ行こうという時に、そんな庶民的な場所を選ぶだろうか。彼女は大企業のご令嬢なのだし、ある程度の値段は覚悟しておいたほうがいいのかもしれない。それに初めて外で出会うのだから、多少の出費なら許容するべきだろう。流石にあまりにも高いなら、諦めるしかないのだけれど。


 まず私の場合、こうして休日に誰かと出会うこと自体初めての経験だから、なんだか緊張する。しかもそれが、仮にも付き合っている人なのだから、緊張しないほうがおかしいのかもしれないけれど。緊張だけなら良いのだけれど、この緊張からくる気持ち悪さは、同時に私のやる気も削いでいく。

 この場合のやる気とはつまり、彼女の会いに行くという意思になるのだけれど、それが段々と億劫に感じてきている。いや、別に彼女に会うのが嫌なわけではない。むしろ、彼女と話すこと自体は好きなことだし、楽しいことだと思う。

 

 けれど、同時に私の恐れでもある。人と関わることは、恐怖でしかない。今、彼女は私を好いてくれているようだけど、話せば話すほど、私という存在の浅さというか、醜さというか……そういったものを感じ取り、私を嫌いになってしまうかもしれない。それは嫌だ。それが怖い。だから、私は会いに行くのが少し億劫なのだろう。


 外に出るのが億劫になってきた理由として、それだけが理由なのかと言われれば、恐らくそんなことはない。例えば、私はまずそこまで外に出歩くというのが好きではない。見知らぬ人が周囲を跋扈する空間では、全てが敵のように感じる。それが自意識過剰であることを知らないわけではないのだけれど、周りのものすべてが私を狙っているように感じる。私を嫌っているように感じる。


 かといって、ずっと1人なことには耐えきれないのが私である。長く続いていた強烈な孤独はずっと私を蝕んでいる。ユキと出会って、それは多少なりとも改善し、悪化したのだけれど、とにかく、私は苦しかった。1人でいるのも、周りが大勢でいるのも。

 多分、1人でいること自体が辛いわけではない。と思う。周りが孤独ではないという事実が、私を惨めにさせ、自らが醜い存在だと言われているように感じる。実際のところ、本来は人の持つ社会性というものを私は持ち合わせていないのだから、それはあながち間違いではないのだろうけれど。


 そしてそれはこれからも変わらないだろう。私という存在の本性はそう簡単に変わるものではない。本質的にはただの害で、そんな存在がこの社会において、生きていけるという気がしない。過去がそう言っている。未来が閉じている。現在が沈んでいく。

 それを受け入れれば、受容することができれば、まだ何か見えるかもしれないけれど、そこまで私は私を認められない。


 私は何故、ここに在るのだろう。

 独りになると考えてしまう。そして。

 そして、だからこそ、少し思う。全て消えてしまえば、楽なのではないか、と。


 もちろん、本気で言ってるわけじゃない。そんなことできないから。けれど、そうなれば、全ては消え失せるのだから、私のよくわからない、まとまりのない思考も、全て消え去ってしまえばいいのではないだろうか。

 多分、これも私の中にある暴力性の発露の1つでしかないことはわかっている。けれど、でも、ふと思わずにはいられない。


 大勢の人が仲良く話しているのを見た時。

 将来への不安を煽る大人を見た時。

 支援金が振り込まれた時。

 殺人事件の情報通信を見た時。

 雪が溶ける時。

 歩みださなくてはいけない時。


 全部壊したい。

 全部消してしまいたい。


 そんな気持ちが溢れ出てくる。

 そして、こういう時にこそ、私の絶望的なまでの社会性を確信する。


「出立の予定時間になりました」


 部屋に備え付けられた予定管理機能が私に時間が来たことを告げる。そろそろここを発たなくては、約束の時間に間に合わない。まだ億劫である気持ちが抜けきったわけではないけれど、私は身体を無理にでも動かして約束の場所へと向かう。


 結論から言えば、私の危惧していた高い金が必要な場所へと向かうという説は現実にはならなかった。ユキが計画していたものは、金銭のかかるものではなかった。


「どこかへ行きたいなら、それでもいいけれど。どこか行きたいところはある? あ、お金の心配ならしなくてもいいよ。幾らでも出すからね。これでも結構お金は持ってるんだ。大抵のことならできるぐらいは」


 出会って早々に、そうは言ってくれたけれど、私に行きたい場所など思いつかなかった。彼女にお金を出してもらうのが気を引けるというのもある。多分、私の要求に対してお金を出したところで、全く問題ないほどのお金を所持しているのだろうけれど。おそらく、私が今までもらってきた支援金すべてを合わせても、彼女の懐の中では端金ですらないのだと思う。


 なんだか、こういう時に住んでいる世界が違うのだなと感じる。本当に、どうして私などを好きになったのだろう。


「行きたい場所がないなら、私の行きたい場所でいいかな。もちろん、嫌だったら断ってもらって構わないんだけれど……」


 私はその言葉に頷く。別にどこでもよいのだから、彼女に決めてもらえるのなら、それに越したことはない。そう思ったけれど、彼女が選んだものは以外なものだった。


「ここが私の家だよ。生まれてからずっとここだね」


 彼女が行きたい場所というのは、彼女の今までの環境というものだった。これはつまり、お互いのことを良く知ろうという、この関係の目的に基づいた行動なのだろう。


「ここで独り暮らしだね。10歳まではお手伝いさんがいたけれど、それ以降は独り。親? 親はわかんない。多分会ったことはあるけれど、話したことはないし。お金は振り込まれるし、たまに命令もくるけれど、それぐらいで、ほとんど関係はないに等しいよ。

 あぁ、いや、そんな謝らないでよ。別に気にしてないから。まぁ、ここはそんな感じかな。できれば中も、見せたかったんだけれど、散らかってるからちょっとね。いやいや、ミリアが気にしなくても、私が気にするの。多分今度来る時までには綺麗にしておくから、その時にね」


 その家はとても大きかった。明らかに独り暮らし用ではない。恐らく、本来の用途としては複数世帯の入居が想定されていたのではないだろうか。それを無理やり改造するかして、住んでいるのだろう。まぁ、部屋管理機構が発展した今日では、独り暮らしだろうか、部屋の管理はそこまで難しいものでもないだろうけれど……それでも限度というものがある気がするけれど。


 それに彼女の語る環境は思ったよりも過酷だった。

 私はてっきり、大企業のご令嬢なのだから、丁重にじゃないけれど、大切に扱われているかと思ったけれど、あまりそのような感じではないらしい。

 それにしても、親と話したことがないというのは普通なのだろうか。私のように孤児というわけでもないのだから、親が誰かはわかっているはずなのに。親がいても、親とは話してみたいとは思わないのだろうか。親というものがいない私にはよくわからない話なのだけれど、親とはよく相談するものではないのだろうか。


「ここは第一学校。まぁ、第二学校もここなんだけれど。そう、一貫なんだよ。だから10年はここにいたね。特に思い出もないのだけれど。もちろん、この前話した今まで付き合ったことのある人や、今までできた知り合いも大抵はこの学校の人なのだけれど、別に大した思いではないんだよね。

 正直なところ、あんまり覚えてないんだ。昔のこととか。本当に何もなくて、ただ時間だけを消費していた気がする。決してそんなことはなかったはずなんだけれど。なんだか、その時からかな……周りの世界が灰色に見えていたのは」


 これまた富裕層向けに見える学校の前で彼女はそう語った。それは明らかに順風満帆に過ごしてきた者の目ではなかった。灰色の世界と語る通り、彼女の世界は明確に崩れているわけではなくても、満たされていないのだろう。


「第三学校はいつも行ってるあの場所だから、良いとして……あとはまぁ、小さな話ぐらいしかないけれど、こうして歩いていると、ミリアと歩いていると、いつも歩いているこの道も、随分と違ったものに感じるよ。なんというのかな。この前の復唱になってしまうけれど、彩りがある気がする。なんていうか、ただミリアと歩いてるだけで、私は結構良い気分なんだよ」


 そう言われれば、悪い気はしない。というか、すごく嬉しいことではある。まぁ、それがいつまで続くのかという不安はあるのだけれど。ずっと私の中に不安はあるのだけれど。


「ここは結構使う食品店だね。大抵はここから買うよ。まぁ、ここで買うより通信販売の方が利用回数的には多いのだけれど」


「この辺りはたまにくる公園だよ。まぁ今はこの通り、取り壊されてるからもうここに来ることはないのだけれど」


「この店もよく使うね。ここはなかなか良いものが揃ってて」

「ここもいいよ。少し入ってみようか」

「次はあそこに行こうよ」


 途中からはもう彼女について行くだけで精一杯であったけれど、何だかその時間はとても楽しいものだった。彼女の普段の生活を知れるのが楽しいというわけではないだろう。私はただ、彼女との話を楽しんでいたのだろう。


「それじゃあ、そろそろ帰ろうか。送っていくよ。家は近いんでしょう? もちろん、嫌なら、無理にとは言わないけれど」


 その日は結局、ただユキに所縁のある場所を回っただけで終わった。同時に様々な話をした。ただそれだけだったけれど、私は不思議と充足感を感じていた。いつの間にか、出かける前に感じていた億劫さはどこかへと消え去り、私はここにきて良かったと素直に思えていた。


 私の家は、集合場所である駅の近くからはそこまで近いわけではなかったけれど、彼女は送ると言ってくれた。別にそこまでする必要はないと思ったけれど。


「迷惑じゃないよ。ただ、私がそうしたいだけ」


 とまで言われてしまえば、特に断る理由もなくて、一緒に帰ることになった。こうして話している時にも、彼女は笑顔をこぼす。そんなに私との話は面白いだろうか。実際のところ、多く話しているのは彼女で、私は返答しているだけなのだけれど、それで面白いのだろうか。私はそれなりに、いや、かなり楽しんでいるけれど。何か私からも話題を振るべきなのだろうけれど、残念ながら、私にそんな技術はない。


「今日は楽しかったよ。誘ってくれてありがとう」


 私にはそれだけを言うことしかできない。

 実際、本当に来てよかったとは思っている。ここまで、休日に誰かと出会い、話すことが楽しいとは思わなかった。いや、誰かではないか。ユキが相手だから楽しかったのか。


「こちらこそ、ありがとう。私もミリアとたくさん話せて楽しかったよ。それじゃあ、また明日。と言いたいけれど、明日も休日だからね。ゆっくり休んで、また学校でね」


 そして彼女と別れた。

 その時の私は、久しぶりに幸福だと言えたのだろう。楽しさにあふれて、今日という日が良き一日だったということで終わると信じて疑っていなかったのだろう。つまりは忘れていたのだ。自らが醜悪な存在で、未来のない存在であることを。


 そして恐怖は忘れたころに。

 過去は、拭いきったと思った瞬間に。


 その時、視界の端に捉えたのは私の罪の証。

 あの時、私が傷つけた彼女がいた。

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