第8話 夜間アルバイト
「いらっしゃいませ」
小野屋の在庫からタカが適当に選んだ浴衣に身を包み、猫又姐さんの居酒屋で働くのは、ヒトに限りなく近いのに絶対に違う存在、吸血鬼だ。青白い肌、真っ赤な瞳の吸血鬼は、暗い茶色の髪の毛が縁取る彫りの深い顔に笑顔を浮かべてタカたちを出迎えてくれた。
「こんばんは。元気そうだね」
「はい」
タカの言葉に、吸血鬼は照れくさそうに笑う。
「若けぇのも、頑張ってるな」
「あぁ、頑張ってくれているよ」
番傘の親分の言葉に、店を手伝うジョーが答える。そんなジョーに猫又姐さんの二股の尻尾が優しく絡みつく。
忙しい店に束の間、優しい時間が流れる。ろくろ首が吸血鬼に何やら声をかけているのが見えた。ろくろ首が口から吐いた
「ジョーさん」
「ん」
空の盆を手に、ジョーがタカの傍らにやってきた。
「あの、ジョーさんと俺って言葉通じてますよね」
「え? 何を今更」
「だって俺が話しているのは日本語ですよ」
「俺は日本語はわからんぞ」
タカはジョーと顔を見合わせた。ここは奇妙奇天烈摩訶不思議な世界だ。だからタカは少々の不思議なんて気にしていなかった。だが、一つ気になりだすと次々と気になることが増えてくる。
「あの吸血鬼は何語ですかね」
「あれだろ、トランシルバニアじゃなかったか」
「二百年前って言ってましたよね。そんな大昔から生きてる吸血鬼のトランシルバニア語なんて、古語なんじゃないですか」
ジョーが首をひねった。
「まぁあれかなぁ。こっちじゃ誰も、バベルの塔なんて建てないだろうし」
ジョーが旧約聖書の逸話を口にした。こういうとき、タカはジョーも同じ世界の出身だと安堵する。
「理由はわからないが、通じるほうがいいさ。いまさら日本語なんて勉強できないぞ」
「俺は英語を一応は勉強しましたけど、一応でしかないですし」
「こっちに来ただけで、喋れるようになってるってなら最高だな」
「怪しげな教材のキャッチコピーみたいですね」
タカの言葉にジョーが笑う。
「ここは色々とわからないことのほうが多いけどな。俺はこの世界が好きだ」
「そうですね」
タカはある日突然こちらの世界にきた。タカは、自由に行き来していた伝説の小野篁ではない。こちらで生きていくしか無い。
「俺もそう思います」
好きだと思える世界で本当に良かったと思う。仲間もいる。
楽しげな付喪神たちの一団の中にいるビニール傘の相棒にタカは目を細めた。そういえば、タカは、
「俺もここが好きです」
帰れない。だからここで生きていく。タカを支え縛り付けていた思いは、少しずつタカを支える決意に変わってきている。
居酒屋の窓の外を見たタカは、夜の空をなにかがよぎったのに気づいた。誰かが飛んでいるのかも知れない。
家には帰りたい。両親に会いたい。でも、機械世界に帰りたいかと聞かれるとそれも違う。悩んでも、どうせ帰れないのだから無駄だ。。
出来ることならば、もう一度くらい手紙を出したい。あと、手紙をうけとれないだろうか。
「どうした」
黙ってしまったタカをジョーが心配そうに見ていた。
「手紙をもう一度送れないかと思いました」
「そうだなぁ。俺も弟と妹の家族にクリスマスカードくらい送ってやりたいな」
ジョーの目が窓の外を見た。
「まだ夏ですよ」
「今、なにか通らなかったか」
緊迫したジョーの声に、店が静まった。
「ジョーさん」
猫又姐さんに盆を預けたジョーが、窓に忍び寄り、外の様子を伺った。
「気のせいか。何かいたような気がしたんだが」
首を傾げながら戻ってきたジョーに、店の客たちは不安げだ。番傘の親分含め幾人か、腕っぷしに自身がある連中が外を睨んでいる。
「うちの人が言うんだから、なにもないってことはないだろうね。今日は店を閉めるよ。みんな気をつけて帰っとくれね。近場どうしで仲良くかえりなよ。タカさんたちはうちの人が送るよ」
「あ、僕行きます」
吸血鬼が手を上げた。
「夜なら僕、色々出来るんで」
吸血鬼の目が赤く輝き、口元で牙が光った。
「そうか、なら頼んだ」
吸血鬼を見守るジョーに、タカは父親を思い出した。
「行きましょう。タカさん」
「ありがとう」
「あっしもよろしくお願いしやす」
「もちろんさ」
吸血鬼と人とビニール傘の付喪神、てんでバラバラの三人の足元を鬼火たちが照らす。
ここは異世界摩訶不思議、時計もない。テレビもスマートフォンもない。映画もない。そもそも電気がない。無いものはたくさんある。でも色々なものがある。
「夜は色々って、何ができるんっすか」
「知りたい? 」
ビニール傘の付喪神の弾んだ声に答える吸血鬼も嬉しそうだ。
「今は、目が光ってるくらいしか、わかんないっすよ」
「真っ暗でも全部見えるとかかな。わかりやすいのは」
「じゃあ、あっちの通りの奥とかも見えるんすか」
「見えるよ」
「おぉ、
「あれが見えるんだ。凄いな」
鬼火たちがほのかに照らす通りの先、ずっと奥は、タカの目には闇に沈んで見える。
「吸血鬼だったら全員見えますよ」
「人間には無理だよ。鬼火が照らしてくれているところだけだ」
タカは、この反抗期吸血鬼が何百年行きているのかを知らない。吸血鬼としてどの程度優秀なのかの見当すらつかない。
「あっしもです。いやはや、吸血鬼ってのは凄いもんすね」
「そうかな。ありがとう」
ビニール傘の相棒の素直な賞賛に、笑った吸血鬼の牙が光った。タカの言い淀んでいた言葉が雲散霧消したが、ビニール傘の相棒が言ってくれたようなものだ。
「十分に凄いよ」
タカの口からは月並みな言葉しかでてこなかった。飾った言葉よりも、ビニール傘の相棒の素直な賛辞のほうが、思いが伝わるだろう。
「でも昼間は外にも出られません」
「そりゃ、俺は昼間は外で平気だけど。夜は鬼火が居てくれなかったら、自分の眼の前も見えません」
タカは吸血鬼の言葉を真似たあと、鼻先で手を振ってみせた。人は、吸血鬼もだろうが自分の得意には気づきにくいものだ。もっと自分が自分であることを誇って良い。
「だから、凄いよ」
自信を持てという願いを込めて、タカは吸血鬼の肩を叩いた。
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