お客様はマジでときどき神様です
海堂 岬
第1話 マジで消し炭一歩前
「なんでだよ! 」
タカの眼の前に、するどい牙が並んだ大口があった。タカを丸呑みには出来なそうだが、頭くらいは入るだろう。痛いのは嫌だなと思うと同時に、熱気がタカの肌をチリつかせた。大口の中で揺らめく炎にタカは自分の終わりを悟った。小野屋の店員が客とのトラブルで焼死しましたという
人は死ぬ時、人生を振り返るって言うけど本当だったな。怪異に慣れたせいだろうか。タカはどこか冷静だった。炎が眼の前に迫ったが、タカが動く間などない。
「させるかぁ! 」
聞き慣れた声が突然、タカの耳に飛び込んできた。タカと眼の前の炎の間に、ビニール傘が広がっていた。
「うわ、馬鹿やめろ、お前ビニールだろうが、溶けるぞ」
「うおぉぉぉぉぉぉぉ! 」
タカの叫びと、ビニール傘の雄叫びが重なった。
全てを焼き尽くすかのような炎に目を閉じたタカは、覚悟をしていた熱気もなにもないことを訝しく思いながらゆっくりと目を開けた。
ビニール傘は無事だった。
「お前、大丈夫か、相棒」
出会ったばかりの頃、ビニール傘に呼んでくれと言われてからの愛称で、タカはおそるおそる目の前のビニール傘に声をかけた。
「無事だ。あっしは無事だ。無事だァァ。炎に勝ったぞぉぉぉ」
大喜びで開いたり閉じたりするビニール傘を、タカは慌てて手を伸ばして大人しくさせた。せっかく無事だったのだ。商品の陳列も守っておきたい。
「さすが付喪神、俺の相棒だ。付喪神界隈全員が期待する新人、若手の星、付喪神の歴史を塗り替えた超若手、不可能を可能にする相棒、お前は最高だ! 」
付喪神となってから日が浅い、というよりそもそも物としてこの世に誕生してから日が浅いビニール傘は自己評価が低い。褒めちぎったタカの計略どおり、とたんに照れだした。
「いや、それほどでもないっすよ」
途端に謙虚になり閉じたビニール傘を、紐を使って開かないように止める。付喪神だから、紐くらいは自分で引きちぎれるかもしれないが、照れている今はそんな無茶はしないだろう。
タカは自分の仕出かしたことに呆然としているらしい目の前の客を見た。小型車くらいの大きさだが、立派で堂々たる体躯のドラゴンだ。爪切りが欲しいと言われたが、この巨体のもつ巨大な鉤爪を切れる爪切りなどあるわけがない。斧でも切り落とせるかどうか、少なくとも非力なタカには絶対に無理だといい切れるくらい立派な爪だ。これを振り回されないでよかったと思う。
タカが摩訶不思議なこちらの世界に来てから、こちらの暦でもうすぐニ週間だ。相棒と呼ぶビニール傘やその先輩たち、他の店員、店の客のお陰で、タカは摩訶不思議なあれこれには慣れたつもりだった。けれどやはり甘かったらしい。
「ないものがないってのはどういうこったよ。お前、店員のくせにぃ」
眼の前でドラゴンが吠える。喚く雰囲気からしてまだ若造だ。いきり立って騒ぐ姿は情けない。タカの眼前に、記憶の奥底に沈んでいるはずの自分の反抗期がちらついた。誰にでも黒歴史はあるだろうが、少ない方がいい。常連である保安官のジョーに来てもらったら、全部解決してくれるという誘惑に駆られる。だが、今日の出来事がこの若いドラゴンの黒歴史として公文書用の粘土板に刻まれてしまったら、この若者にとってあまり良いことに思えない。
タカはドラゴンの爪を眺めた。
「お客様、爪切りはございませんが、爪を短く整えたいとおっしゃるのであれば、ヤスリや砥石はいかがでしょうか」
タカの言葉に手長足長の兄弟が、長い手足を伸ばしてヤスリをカウンターの上に並べた。さっきは間に合わなくて済まないと言いたげな二人に、タカは大丈夫だと頷いてみせた。足長の名前の通り長い脚で急いでも、あれに間に合う訳がない。
天井の片隅で、妖怪の
「少々手間はかかりますが、形を整えることができますので、爪のお手入れには便利かと思われます」
タカの記憶にある女子たちはそういいながら、休み時間に爪を削っていた。削った粉を広げておいたティッシュで包んで捨てる子と、簡単に手ではらって床に落としてしまう子がいて、なんというか、人は色々だと思ったのもタカの懐かしい思い出だ。アイツらは今頃、どうしているだろうか。将来の夢を失ったタカは、大学に行く意味を無くしてぼんやりしている間にこちらの世界にきてしまったけれど。アイツらは真面目に勉強しているのだろうか。
たったニ週間程度のことなのに、大学に通っていた頃が大昔に思える。
ドラゴンは試してみると言って、きちんと福を払ってヤスリを購入していった。店の大福帳にヤスリの代金にドラゴンの感謝が上乗せされた福が浮かび上がる。ハイテクなレジも真っ青な、こちらの世界の帳簿システムだ。
こちらの世界は物々交換が基本だ。福は、交換する物がないときや感謝の気持ちそのものの支払いに使う。タカの給料も福で払われるし、店の品物を買ったら福が天引きされる。タカも最初は心とか気持ちとか見えないものが取引材料になることの違和感に戸惑ったが、今となっては慣れたものだ。
新しい道具を手に、興味津々と言った雰囲気のドラゴンに、タカは安堵した。若いというより子供かも知れない。ドラゴンの客は初めてだから、年の頃がわからない。子供がお小遣いを握りしめて買いに来て、無いと言われて拗ねたようなものかなと思うと、少々可愛らしい。
「ドラゴンなんて初めて見たな」
この町に住むようになってから、タカには妖怪や付喪神の知り合いが沢山できた。ドラゴンとかゴブリンとかドワーフとか洋風の知り合いはいない。こちらの世界を、タカは勝手に和風ファンタジーの世界だと思っていたが、どうやら違うらしい。
「あっしも初めてっすけど、飛べる連中はあちこち行ってますから、来ることもあるんじゃないですかね」
夢がある相棒の言葉が、タカの想像力を刺激した。
「なら、泳げる連中もくるのかな? 」
「海の中のことは、あっしにはわかりませんけど。ほら、
海に住む魔物と聞いて、タカが思いつくのはクラーケンくらいだ。あの巨大な烏賊か蛸みたいな魔物は、海から上がれば干物だろう。かなり巨大なスルメになりそうだ。タカの口元に現れようとした微笑みは、焦げたカウンターを見て引っ込んでしまった。こちらの世界は色々と難しい。タカは、こちらの世界の住人に「機械世界」と呼ばれる世界からやってきた。慣れたと思った途端の事件だ。異世界暮らしはハードモードだ。
タカは元の世界、機械世界での変わり映えのない平々凡々でつまらない日々を懐かしく思い出した。
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