第23章:新しい生活

第1話:長い眠りから目覚めて

――鼻からすうっと息を吸い込み、目が開いた。

それは意識の拓きと同じタイミングで、次の瞬間には胸に不安が宿る。

寝起きだが既に眠気は無く、意識は明瞭だった。

何か壮大なスケールの夢を見ていた様な余韻はあるが、目覚めと共にその夢は霧散してしまったらしい。

まだ思い出せるかもしれないと記憶を手繰ろうとしたが、何も掴む事は出来なかった。

夢の思い出しは諦め上半身を起こし、まずは所在を確認する事にした。

取り敢えず、また別の世界に転移だけはやめてくれよと願うばかりだが……。


おれは木製のベッドの上にいた。

シングルサイズくらいのベッドが三つ並べて設置してあり、おれはその端側に寝かされていた。

服は旅用のものでは無く、簡素な麻生地のものに着替えさせられてあった。

木製のベッドには幾重にも布が敷いてあり、足元には掛け布もある。

それから薬草の匂いに気が付いた。

これは白夜やソフィアの家と似た様な匂いだ。

小窓から見える外は薄暗がりで、室内は幾つものランプが灯されてある。

今居る部屋はおれだけだが、壁の向こう側からは何やら話し声が聞こえてきた。

聞き耳を立てると、どうやら明日の準備とか薬草の仕入れの話をしている様だ。

【言語理解】のお陰で会話の内容は分かるが、それがイセリア語なのかどうかは聞いただけでは分からない。

男性たちの様だが、知っている声では無いと感じた。

体調は良さそうなので動けるとは思うが、いきなり起きて話し掛けると驚かれるかも知れない。

ここがトリス街で相手がイセリア人だと、ササラ人のおれは確実に警戒されているだろうし、騒がれて大事になってしまう可能性もある。


なんとなく自然な流れでおれが目覚めた事に気が付いて貰えたら、と思った。

どのくらい寝ていたのか分からないが、喉の渇きがあり腹の魔獣がグルルルと唸り声を上げている。

(ああ、まいったな。腹が減り過ぎて死にそうだよ。いや死なないだろうけどさ、おれは……)

何かひとつ策を弄するかと思ったがそれよりも先に、男性が一人部屋へと入って来た。

おれはまだベッドの上に座っていて、彼とはすぐに目が合った。

時が止まる瞬間。

出来るだけ穏和で柔和な顔でいようと思っていたが、果たしておれはどの様な表情でいたのか。

相手は若く、まだ十代の様に見えた。

目を見開き、これ以上はない驚きの表情を浮かべていた。

取り敢えず「おはようございます」と挨拶を投げ掛けてみる。

すると彼は「お、おはよう、ござい、ます」とたどたどしいが返事をして、それからすぐに我を取り戻し「しょ、少々お待ちを。先生をお呼びします」と言い部屋から立ち去ってしまった。


それから時を置かずにドタバタと足音が聞こえ、別の男性が飛び込んで来た。

今回は三十代半ばほどに見える男性だった。

彼はすぐにおれの方へ歩み寄り、隣りのベッドへ腰かけこちらへと身体を向けた。

長い髪を後ろで一纏めに垂らしていた。

最初に来た若い男性は部屋の入口でこちらの様子をうかがっている。

「――私は薬師のデレクです。気分はどうですか?」と、ベッドに腰掛けた男性は薬師と身分を明かし語り掛けてきた。

驚きはあるようだが、穏やかな口調だった。

「気分は悪く無いですね。喉の渇きと空腹がかなり凄いですけど」

嫌味なく告げたつもりだったが、それを聞くと若い男性の方が慌てて部屋から離れた。

そしてすぐに飲み水を用意して戻って来てくれたのだ。

木の器になみなみと注がれた水を喉を鳴らして頂いた。

空腹すぎて、胃の中で水がひんやりと広がる感覚がある。

一気に飲み干してしまうとデレクが「ロニー?もう一杯差し上げてくれ」と指示を出し若い男性……ロニーはおれから木の器を受け取り部屋を出た。


少し落ち着いたところで、改めて薬師デレクと向き合う。

白系無地のボタン付きシャツを着ており、濃い茶系のズボンを穿いていた。

シャツを着崩しているが、衣服の品質は良く身形が良く見える。

「すみません、おれはリョウスケと言います。カン砦からトリス街へ向かう途中で意識を失くし……今、この場で目を覚ましたのだと思ってます」

取り敢えず起きていた時の記憶はしっかりと残っている。

「私がソフィアから聞いている話では、魔女様に魔力を提供し魔力枯渇状態となり意識を失った、という事です。限界まで魔力を使い果たしたみたいで、本来なら絶命してる筈ですけど……リョウスケは大丈夫だからと、ソフィアから聞かされベッドで寝かせていたのです」

なるほど、薬師デレクが戸惑っている様に見えるのは、おれがササラ人だからでは無くて、本来なら死んでる筈なのに平然としている、からか。

「ソフィアと知り合いという事は……ここはもしかして薬師ギルドですか?」

「ええ、はいそうです。当初はドナルドの家で寝かせていた様ですが、一向に目覚める様子が無いという事で、一昨日こちらへ移って来ました。ソフィアは魔女様から貴方の面倒をみろと、仰せつかっているみたいです」

その無茶振りは目に浮かび、思わず笑みが零れた。

恐らくソフィアは、おれから【不朽不滅】の件を聞いている、と魔女様に伝えたのだろう。

オークの森で二人きりになった時とか絶好のタイミングだったと思うし。


「――それでソフィアは今どこにいますか?」

デレクはおれに触れて来ないが、観察をしている様子はあった。

既に常軌を逸した生物と認識しているだろうから、薬師として職業柄そういう目で見てしまうのは致し方ない。

「彼女には薬師ギルドから幾つか仕事を依頼してまして。朝は貴方の看病をして、昼からは仕事に出掛けてます。そろそろ帰って来ると思いますけれど」

「あの、ちなみに……おれはどのくらい意識を失っていたのでしょうか?」

「確かソフィアが今朝、今日で六日目と言っていたと思います」

「え……六日も――?」

思わず絶句してしまった。

そもそも元居た世界では意識不明になること自体無かったのに、それが六日間もとなると驚きを越えて怖さが胸に宿る。

「魔力の枯渇とは一般的な生活の中ではあり得ない症状です。戦場や魔獣討伐などで、魔法使いが限界を超えて魔法を行使した時などに起こる……と薬師学校で習いましたが、実際にその症状を診たのは私も初めてでして」とデレクはまだ困惑してる感じだった。

ソフィアからも真面に説明を受けて無いのかもしれない。

「恐らく、己の意思では限界を超えて魔法を行使する事が難しいのでは?魔力枯渇状態になる前に意識の失墜がある様に思います」

これは憶測だったが、デレクの様に見識のある人物には投げ掛けてみる価値があると思った。

「はい、私も学校ではその様に習いました。そしてもうひとつ、私には解らない事があるのです。失礼を承知で尋ねますが、リョウスケ……貴方は魔力が殆ど無い様に感じます。要するに意識を戻した今現在も、他者と比べると枯渇状態にあるのでは?と私は思うのです」


これを聞き、今更だが時空間魔力の特殊性や稀有さを思い知る事になる。

【言語理解】や【不朽不滅】の様な伝説級のギフトだけでは無く、時空間魔力も一般的では無いのだ。

(おれは、なにかと秘密を抱えすぎなんだよな。ある程度こちらの情報を開示していかないと、不審人物扱いを受けて街の人たちと上手く付き合えないかも知れないな。この事に関してはもう少し想定しておくべきだった……)

アニメや漫画などの異世界ものの主人公は、秘密が露見したり生きにくさを感じると別の街や国に移ったり旅に出たりする。

しかしおれの場合は当面はこの土地での生活を余儀なくされているのだ。

逃げ出したくても逃げる先が思いつかない。

ササラ人の容姿なのだからササラへ行けば良いのでは?と思わなくも無いが、それも現状は魔女様の手引きが無ければ、上手くササラの地へたどり着ける気がしない。

薬師デレクはこの街に来てから初めて真面に話した人物だが、ここで嘘や秘密を作ってしまうと、今後出会う人たち全員に同じ嘘や秘密を――と、それは考えるだけでもかなりのストレスだ。


さて、どうするかと思案していたら、タイミング良くソフィアが帰って来てくれた。

彼女は濃緑のローブを身に纏い、部屋の入口に立つと暫く呆然とおれの事を見ていた。

「――おはよう、ソフィア。仕事お疲れ様でした」

取り敢えず声を掛けてみると、彼女は破顔の後に目にも止まらぬ速さでベッドへ飛び込み抱き着いて来た。

その様が、久しぶりに会う彼氏に抱き着く彼女……みたいな甘々な感じでは無くて、世界レベルのレスリングの選手が仕掛ける高速タックルの様だったのは、言わずもがなだ。

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