第3話:緊張と緩和
「――私がおぼろげに覚えているのはさ、師匠がトリス街に住むってなった時に、貴族が住む様な邸宅はヴェッティン家のものしか無かったってこと。それが多分百二十年くらい前になるのかな?その後に師匠がトリス街に住んでると聞きつけたカールロゴス家が、師匠の家の隣りに邸宅を建てて……それから他の貴族らも我先にと、トリス街に邸宅を構え始めたんだよ」
百年以上前の話になるので、魔女様的にはあやふやな記憶になるのだと思う。
時折目を細め、
そして魔女様の話を引き継ぐ形でドナルドが語り出す。
「私も祖父から同じ話を聞いた事があります。そしてトリス街は地方都市では珍しく貴族の住む街となり、街壁は強靭化されカン砦はトリス街が運用費用を出す事になった様ですね」
「後々トリス街を私の拠点にするから、街壁の強靭化は有難いね。カン砦も今まで予算を組んで運用してくれていたから残ってた訳だしさ。トリス街は勿論だけど、出来ればカン砦も荒事は無しで手に入れたい。恐らくこの辺りに配属されている領軍兵の中には、コトナ集落近郊に出自を持つ者たちが多いだろうから……」
圧倒的戦力を有する魔女様が、ここは穏便に済ませたいと何度も口にする。
記憶が曖昧だからこそ、師匠との想い出の光景は出来るだけそのままの形で残しておきたいのか。
カン砦の調査を任されたドナルドとしては、様々な策を考えただろうが……魔女様の望み通りの無血開城が如何に難しいかは論ずるまでも無い。
それを証拠に彼の表情は口許に笑みを浮かべているものの、緊張感が滲み出てる様に見て取れる。
「私の調べに寄りますと、カン砦の領軍兵の中にコトナ集落出身の者はいませんでした。しかしラザやコアと言った大森林近郊の集落の出の者は……全体の半数程になります。カン砦の城砦隊長はグレッグ・アスカムで騎士家出身の者になります。参謀官は不在で参謀官補佐のキーリー・ミラーが代行で務めている様です。キーリーも騎士家の出の様ですが、詳細は掴めてません。連絡士官もミラー家に出自があるようですね。この他には百人隊長が一名おり、これは豪族出のジェフ・ガスターなる者が務めておりまして、剣の腕を見込まれて抜擢された様です。十人隊長は三名、熟練兵二名、工兵三名、弓兵と歩兵を合わせて四十名ほどです。総員で六十に満たない戦力なので、トク砦と比べると三分の一程度しかありません」
ドナルドは早口で滞りなく言葉を紡いでいた。
総員六十名に満たないと聞き、改めて砦の方へ視線を向けた。
夕闇舞い降りる頃となり、至る所で
この砦の規模が他と比べてどの程度なのかは分からないが、オークや森の民が大勢で襲って来たら……六十名足らずでは何も出来ないだろうな、と感じた。
「ふうん、六十ぽっちかい。案外少ないものだね。オークなり森の民なりが攻めて来たら取りあえずカン砦で足止めして、トク砦の王国軍とトリス街の領軍で制圧すれば良いって感じなのかな?」
そう言うと、魔女様は短く溜め息を吐いていた。
要するにカン砦は捨て駒でしかないのだ。
「王国軍や領軍の上層部はその様に算段してるのだと思います。一応ですが対亜人種用の堀があり、オークの森とカン砦の間には用水路も流れてますので、例えオークが大挙して襲って来ても数日は耐え凌げる……らしいですけど、森の民が押し寄せてき来た場合は、半日も持たないでしょうね」
ドナルドの発言のあと、両者閉口してしまった。
魔女様は状況を整理しているのか、ドナルドは魔女様の様子を
おれとしてはこの好機を逃す手は無い。
「あの、少し質問があります。先程遭遇した逸れオークは、森と砦の間を通る用水路を越えてこちら側まで来た、と言うことになりますか?」
魔女様かドナルドのどちらかが答えてくれるだろうと思い、話しながら両者へ代わる代わる視線を向けた。
これに答えてくれたのは魔女様で。
「亜人種は群れから逸れると狂ってしまって、水の流れを怖がらなくなるらしい。恐怖心そのものが欠落してしまうと言うべきなのかもしれないけどね」と端的明瞭な説明をしてくれた。
ドナルドも知見はあったかも知れないが、彼はおれたちが逸れオークと遭遇した事を知らなかったので反応が遅れて当然だった。
「ああ、それで砦の堀には石樋が採用されてあったんですね」
「土を掘っただけの堀に水を流すと、日に日に堀が削れていくから補修が大変だろ?あの見事な石造りの堀は白夜の設計だろうね。アイツは魔法使いとしては二流だけど、砦とか陣地の設計は上手いんだよ」
大国の宮廷魔導師を二流と言えるのは魔女様くらいでは無いだろうか。
砦周りの堀を全て石樋にすると費用は掛かりそうだが、長い目で見れば補修に掛かる人件費を大幅にカット出来るから費用対効果は大きそうだ。
思い返してみると、大先生はカン砦やトク砦の改修に関わったと言っていた。
彼の魔法使いとしての素養や能力に関しておれは批評出来ないけれど、この石樋を発案し設計や施工にまで携わっていたのなら建築士としては素晴らしい才能を有していると思う。
このままもう少しカン砦の構造などの話をしてみたかったが、おれが再び口を開く前に魔女様はドナルドへ語り掛けた。
「――では、そろそろ本題の城砦隊長グレッグ・アスカムについて聞こうか?」
これを受けドナルドは緊張感を取り戻し、魔女様へと視線を向けた。
「グレッグは騎士であり私は商人なので身分は違いますが、彼とは同年代で十代の頃より面識がありました。基本的に騎士家の者は幼少期より自領にて騎士としての務めを学びますが、社会勉強を兼ねて二年ほど街で生活をする風習があります。グレッグの場合はそれが騎士になる前の十代の半ば頃にあったのです。彼は近隣の騎士家の中で誰よりも才知に長けると、この地方では評判の人物なのですが……今も昔も飄々として掴みどころの無い人柄でして。騎士っぽく無いと言いましょうか、何を考えているか分からないと申しましょうか――」
ここに来て、ドナルドにしては珍しく歯切れが悪い。
城砦隊長とは旧知の仲で上手く引き抜けると思っていた様だが、状況は芳しくなさそうだ。
その歯切れの悪さを魔女様はさらりと切り裂く。
「それで、既に直接的な交渉を持ち掛けたのかい?」
「あ、いえ、直接的にはまだです。現在の城砦隊長としての待遇や今後の身の振り方を聞いたり、灼焔の魔女に対しどの様な印象を有しているかとか……探りを入れた程度でして」
「ふうん、それで城砦隊長殿は私に対してどの様な印象を抱いているんだい?」
「それが、あの、ですね……正直に申し上げますと、グレッグは魔女様には全く興味が無いと申しておりました。そして現在の待遇に満足してるし、年を取って軍を退役したら自領に戻って日々釣りやをしながらのんびり暮らす、と。」
申し訳なさそうなドナルドの発言を聞き、これまで大人しくしていたソフィアは突然「ぷぷっ、ぐふっ」と吹き出し、バレバレだが慌てて手で笑いを隠していた。
緊張と緩和に耐えきれ無かったのか……。
そんな彼女を見て魔女様もゲラゲラと笑い出し、おれも釣られて笑ってしまい遅れてドナルドも笑い出す。
笑いごとでは無いが笑うしかない状況は……このメンツなら今後も数限り無く訪れるだろう、多分きっと。
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