お別れ③ 集落長ゴドウィン&妻ベリンダ
焼き場の輪に加わり駆け付けで鹿肉を数切頂いた。
味付けも焼き加減もばっちりで、器用なドッズのセンスの良さを感じた。
ソフィアからは「――こんなに美味しい鹿肉を食べたのは生まれて初めてよ!貴方は本当に料理の天才ね!」と、過分な評価を頂戴する。
どちらかと言えば天才なのはドッズで、おれはただ情報を提供しただけなのだが、ここは笑ってその賛辞を受け取る事にした。
暫くはわいわいと肉と酒を楽しんだが、夜のとばりが下り始めたので集落長の隣りへ移動し声を掛けた。
泥酔して碌に別れも告げれなかったとなると、大先生から呆れられるのは目に浮かぶことだし。
「――集落長、少し話があります」
既に事情を告げているソフィアとギルはさり気なく会話の声を落としてくれた。
この様子を見て何か察したのかベリンダも傍に寄って来た。
集落長は妻が傍に来てから「はい、どうしましたか?」と普段通りの穏和な声だった。
「実は急遽、明日ルーファスと一緒に王都へ向かう事になりまして、それで今別れの挨拶をして回っています」
それを聞き集落長はベリンダを顔を見合わせていた。
その反応を見る限り予想外そうに見えた。
「なるほど、そうですか。リョウスケに関しては暫く集落に滞在するものと考えてましたので……」
いずれトリス街へ移っていたかも知れないが、暫くこの集落にお世話になっていたのは間違いないと思う。
そしておれがここに滞在し続ける限り、現在別の集落へ退避してる人たちは戻って来ない訳で。
「集落長……いや、この集落の人たちには凄く迷惑を掛けてしまったので、どうお詫びすれば良いのか分かりませんが、この御恩はいつか必ず返したいと――」
その御恩に何を返礼すべきかは具体的に思いつかなかった。
この世界の礼節や流儀を学んでいけば、今後自ずと思いつくとは思うが……。
「いえいえ、御恩だなんてとんでもないです。迷惑とは、恐らく別の集落へ行かせている者たちの事を指しているのだと思いますが、それはこちらが勝手にしてる事ですので、どうか気になさらずに」
なんとなく得意先の腰の低い部長さん的な人と頭を下げ合ってる様な感覚だった。
このまま永遠にお互い「いえいえ、そんなこちらこそ……」と言い合える様な気がする。
そんなおれたちのやり取りを見兼ねてか、今までは一歩引いていたベリンダが割って入ってきた。
「アンタたちって案外似た者同士なのかもねえ。って、そんな事よりリョウスケ?このクヴァスと岩塩の漬け汁って他の獣の肉とか魚とかにも使えるのかい?」
如何にもベリンダらしい問い掛けに思わず笑みが零れる。
「肉は……多分どの獣のものでもイケると思うよ。魚はどうかな?色々試してみないと、ちょっと分からないなあ」
実際元居た世界でも、たまに行くキャンプで少し試した程度の調理方法なので知識も経験も乏しい。
「あら、そうなの……じゃあ少しずつ試してみるしかない訳ね。昨日今日と教えて貰った料理って、他の誰かに教えても構わないでしょう?」
「それは勿論構わないよ。好きな様に味付けを変えてくれてもいいし」
「うーん、本当はもっと色々と教わりたかったんだけど。でも、ルーファスが王都へ連れて行くって言うのに引き止める訳にはいかないものね」
「いずれまた戻って来た時の為に、料理の研究はしておくよ」
おれとしても気心の知れた人たちに元居た世界の料理を堪能して欲しいとは思っている。
特にベリンダやノーマは器用で覚えも良いから教えていて楽しいし。
王都に着いたらレシピだけでも書いて送ってみるかと思案してみたが、それをおれ一人でするにはまずはイセリア語の文字を覚えなければならない。
文字の読み書きを覚えるよりも誰か協力者を探した方が話は早そうだ。
出来れば料理人か日頃から料理に携わっていて、食材や調理法などにも詳しくてイラストなんかも描いてくれると……いや、だからそんな都合の良い人材が簡単に見つかる訳が無いのでレシピを送る件に関しては言わないでおこう。
束の間、思考の渦に落ち込んだがベリンダとの会話はまだ続いていた。
「――私の妹がね、トリス街で酒場を営んでいるの。トリス街では一番の老舗で建物は古いけど今でも街で一、二を争う人気店なのよ」
「なるほど、だからベリンダは料理が得意なんだね。その酒場で生まれ育ったってことでしょ?」
「ええ、そうなの。私よりも妹の方が頭が良いし、世渡りも上手だから全部押し付けて……それで、私は今この集落でのんべんだらりと生きてるのよ。父と母からは姉妹で店を切り盛りしろって言われてたのに、さ」
ベリンダはそう言うけれど、おれからすれば彼女は器量良しだし物分かりも良くて素敵な女性だと思う。
とてものんべんだらりと生きてる様には見えないし。
「あの……多分のんべんだらりと生きるって、おれみたいに定職に就かずにふらふらとしてるヤツの事を言うと思うんだけど?」
「あはは、リョウスケは……今はふらふらしてるけどね、貴方は王都へ行けば化けると思ってるわよ、私は。いや、でね?本当はその酒場で貴方が教えてくれた料理を提供したらどうかなって思ってたのよ。貴方はササラ人だからこの国で店を出すのは難しいけど、新しい料理や調理法の提案とかは出来るじゃない」
単純に働き口として妹の酒場を紹介してくれるのかと思ったが、ベリンダの提案はもっと興味深いものだった。
「えーっと、それって……酒場で出せる新しい料理を教えたら、お金を貰えるってこと?」
「どこの店でも出来る訳じゃないけど、私の妹は自分が気に入った物とか目新しい物に惜しみなくお金を投じる子だから、リョウスケの料理なら間違い無く飛びつくと思うわ」
これは本当に有難い提案だった。
料理のレシピを教えるだけで賃金が発生するなら、ある程度まとまった金額を手にする事が出来そうな気がする。
「その酒場ってトリス街だっけ?明日からの旅でまずはトリス街に行くって言っていたから、ついでにちょっと顔出して来ようかな。酒場と……妹さんの名前は?」
「
こうなって来ると問題は酒場に行く事をルーファスが許してくれるかどうかだ。
トリス街で一泊でもしてくれれば、なんとか隙を見て行けそうな気はするが……何分初めて訪れる街になるので、思い通りに事が運んでくれるかどうか。
取りあえずは大先生のご機嫌を窺いつつ、酒場やレシピ提案の件を切り出してみるしかない。
この話の流れでトリス街について知識を深めたい……と思っていたが、ここでサイラスが登場しいきなり終焉の鐘が鳴り響いた。
「――リョウスケ?ルーファス先生が、何時までも呑んだくれて無いでさっさと戻って早く寝ろ!と、ご立腹です」
サイラスは困り顔で若干大先生の声色に似せてそう告げると、おれから器を取り上げてクヴァスを一気に飲み干してしまった。
この飲みっぷりからして彼は今宵大先生の呪縛から解き放たれたのだろう。
「えーっと、アランはまだ大先生とお話し中?」
「いえ、アランは夜明け前にはトリス街に発つので馬の様子を見に行きました。私も先生とリョウスケの出立に立ち会いますので……あと少し喉を潤したら、今日はもう就寝します」
「いや、おれだってもう少し喉を潤さないとさ、まだ全然眠く無いけど?」
「貴方は……ルーファス先生が昏睡魔法を処方して下さるので、問題無いですよ。あの脅威的な魔力耐性を打ち破り昏睡に落し込めるのは流石としか……。いやいや、とにかく、貴方は一刻も早く先生の下へ。遅くなって怒られるのは私ですからね、寄り道しないで真っ直ぐ向かってくださいね!」
このままウダウダともう少し居座ってやろうかと思ったが、それでサイラスが大先生に怒られるのは申し訳ないので、ここを引き際とする事にした。
以前、焼き場でわいわいとしてる集落の皆の方へと顔を向け、肺一杯に息を吸い込んだ。
そして。
「――では、皆さん。三日間お世話になりました!またいずれ会える時を楽しみにしておきます!明日は朝早いので、今日はもう寝ます!おやすみなさい!」
この世界に来て一番の大声を上げ、別れの挨拶を告げる。
急な大声に皆は少し驚いていたが、すぐに「またな!」とか「料理美味しかったよ!」と口々にお別れの言葉を贈ってくれた。
今まで色々と迷惑ばかり掛けたのに、殆どの人(サイラス以外)は笑顔を手向けてくれたので、救われる思いがした。
思わず涙が零れそうになったが、湿っぽい別れにしたくは無かったのでなんとか堪えてみせた。
焼き場から離れルーファスの家へ向かう途中、空を見上げると赤と紫の二つの月が美しく輝いていた。
どちらも満月から少し欠けている。
そう言えば、この二つの月に関しては、まだ誰にも聞いて無かった。
この世界の秘密を知る上でとても重要な事だと思っていたのに、何故今まで忘れていたのだろうか。
丁度良い機会だから寝る前にルーファスと月の話でもするか……と思っていたが、大先生は本当にご立腹で、家に着くなり開口一番「いつまで遊び呆けておるのじゃ、愚か者めっ!」と怒声を喰らい速攻で昏睡魔法を掛けられ、おれは文字通りあっと言う間に意識を失ってしまった――。
魔女の弟子編
第1部
END
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