第7話:鍋のシメを
蔵に入るとパンの在り処はすぐに分かった。
おれは目にした記憶は無かったが、ソフィアがパンの保管場所を覚えていてくれたのだ。
「結構あるな。確かに、どれもこれも歯が立たないらいにカチカチだ」
黒いパンをひとつ手に取り、実際に齧ってみたがまるで石を噛んでいる様な硬さだった。
「この集落はね、近くに森があって農地もちゃんとあって食糧の確保が容易いから硬くなったら家畜の餌に使ってるみたいだけど、貧しい地域だと硬くなったパンを水に浸けてふやかして食べたりしてるみたいね」
ソフィアはおれの隣りに立ち、彼女も黒パンをひとつ手に取った。
長さは三十センチくらいで、太さは……おれの細腕と同じくらいだ。
それをソフィアは両手で掴み、「ふんっ!」と力んで真っ二つに折ってしまった。
間近でそれを見て、おれは声も出せずに静かに息を飲んだ。
これを真っ二つに折れるという事は、おれの腕なんて意図も容易く……いや、深く考えるのは止めることにしよう。
そして、この硬いパンの他にも収穫があって。
「おや?このパンの隣りにあるカゴに入ってるのって鳥の卵かな?」
茶色っぽくサイズはまちまちだった。
総じてウズラの卵よりは大きいが、スーパーなどで見かけるMサイズの鶏卵と比べると一回りくらい小さい。
「それは……私は何の卵か分からないけど、鳥小屋で飼育してるヤツの卵でしょうね。多分、明日の朝で使うつもりなんだと思うけど」
「この卵さ、いくつか使っても構わないかな?」
全部で十個ほどはある。
鍋のシメに卵を使えると最高なのだが……。
「別にいいんじゃない?明日の朝卵が無くても死にやしないんだから」
と、この金髪の薬師は呆気らかんと極論で投げ返してくる。
その後押しを受けて、おれは得体の知れない卵を四つゲットする事にした。
パンのカゴはソフィアが持ってくれたので、おれは彼女からランプを受け取り蔵を後にする。
そして炊事場へと帰還。
集落長やギルたちが腹を空かせて待ってくれているので、手早く済ませてしまおうと頭にあった。
「ソフィア?まず釜戸の鍋を火に掛けたいから、火点けをお願いしたい」
そう指示を出し、おれは作業台の上でパンを包丁で切り始める。
一番長く重い包丁は、まるでショートソードの様なフォルムだが他のモノと同様に切れ味抜群だった。
流石に力を込めなければ切断する事は出来ないが、これなら非力なおれでもなんとかなりそうだ。
「リョウスケ?火は点けたけど……他に何か、私が手伝えることある?」
「さっき貰って来た干し肉を手で細かく割きながら鍋に投じて欲しい。あ、木の実はそのまま入れちゃっていいや」
指示出しをしつつ、ザクザクとパンを切っていく。
ソフィアは何をするにしても一瞬戸惑いの表情を浮かべていたが、一度心得るとあとはテキパキと与えられた仕事を熟してくれた。
あの硬い干し肉を細かく割くのは、おれがやると時間が掛かるが彼女ならお手の物なのは言うまでもない。
「――よし、じゃあ次はこの細かく切ったパンを全部鍋に入れてしまう」
大体一口大程度の大きさに出来た。
ぼろぼろに崩れてしまうモノもあったが、それもこれも全部まとめて鍋に中へと投じた。
「ねえ、リョウスケ?卵は入れないの?忘れてない?」
「ああ、卵は最後にね火を止めてから入れるんだよ」
「え?火を止めてから?それが貴方の国のやり方ってこと?」
「まあ、色々あるんだけどね、おれの国はさ。ああ、ソフィア?少しだけ火を弱めてくれるかな?」
そう告げると、彼女は手を翳すこと無く火力を弱めてくれた。
鍋はぐつぐつと音を立て始めている。
おれは大きなスプーンを手に、鍋の中を掻き混ぜた。
本来なら米か乾麺でシメたいところだが、パンの香ばしい匂いが立ち込めてくると、こう言うシメも悪くないかもなと思えてくる。
「すごく良い匂い。それにパンも直ぐに柔らかくなったわね」
そう言いうっかり舌なめずりをしてしまったソフィアは、恥ずかしそうに口を手で隠していた。
集落長やギルと同じくナマズ鍋をペロリと三杯平らげてしまった彼女だけど、まだまだ腹は満たされて無さそうだ。
「水に浸けるよりも茹でた方が早いと思う。味の方は……干し肉と木の実が効いてくる筈だから申し分ないと思うし」
そうは思いつつも味見をしてみる。
スプーンにパンと木の実と干し肉を上手く乗せて、一口で一気に。
「ああ……これは美味い。ナマズ鍋の時は若干物足りなさがあったけど、パンのお陰で満足感があるし、干し肉と木の実が良い風味を出してる。みんな満足してくれると思うよ」
思わず出た自画自賛。
それを隣りで聞いていたソフィアは「あ、あの、私もちょっと味見を……」と、いつの間にかスプーンを握り締めていた。
勝手に手を出さない所は、流石はお嬢様育ちと言った所か。
「あ、ちょっと待ってソフィア。これはまだ完成形じゃ無いから、味見は止めておこう」
おれとしては完成形の美味しさを、みんなと一緒に堪能して欲しいという想いがあった訳だが、ソフィアはおれの反応を聞いて驚くほど落胆した表情を浮かべていた。
大げさでは無くて、今にも泣きだしてしまいそうだった。
「えーっと、いや、そうだよな。ソフィアも手伝ってくれたから味見はしておいた方がいいかもな。じゃあ、スプーン一杯だけ味見していいよ」
恐らくこれがベリンダやノーマであれば、おれが言う間でもなく勝手に味見をしていたと思う。
許可を得たソフィアは、恐る恐るとスプーンを鍋へとさし入れ味見をし、声も無く顔だけで驚嘆を表し、それから表情は至福へと転じた。
彼女はそのまま二掬い目へと手を伸ばしそうになったいたが、おれの視線に気が付いて手を引っ込めた。
「これでまだ完成形じゃない……のよね?信じられない美味しさだわ」
彼女のこの反応はおれの事を気遣ってのことでは無いと思う。
宮廷魔法使いサイラスからの評価も上々だったし、集落の人々だけでは無く王都由来の人たちにも通用する味を出せる確信は、今のおれにとっては大きな収穫だった。
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