序章:きれいな星空と、老魔法使い ー2ー

月明りに照らされた古めかしい神殿は思わず息を飲むほど美しく、おれは呆然と立ち尽くし見入っていた。

時を忘れるとは正にこの事か。

神殿の奥へと引き寄せられる様な感覚があった。

自分が裸足では無く、視線の先の足場が悪く無ければ迷わずに歩みを進めていたかも知れない。

その躊躇いの最中、背後から声を掛けられた。


「――そこの者よ、動くでない。この様な夜更けに何者だ?遺跡荒らしの類か?」

それは冷たく、きつい口調だった。

おれはぴたりと足を止めて 、じっとしていた。

「ん?どうしたのだ?言葉が分からぬのか?その風貌からしてササラ人よのう?答えぬのなら、このまま短刀で心臓を貫くか、首を掻き切ってくれようか……」

声の主は俄かには信じられないことを口にした。

「ちょ、ちょっと待ってくれませんか?住居侵入をしたワケでは無いし、こちらは武器も所持してないので、危害は加えないで欲しい……」

相手は明らかに日本語を話している。

治安の悪い外国ならまだしも、如何に無断で私有地に立ちってしまったとは言え、この日本でそんな暴虐が許されるはずが無い。

しかし、その声の冷酷さに心が震えあがる思いがした。


「ほう、実に流暢なイセリア語よのう。まともな口が利けるでは無いか。では、ゆっくりとこちらを向き、弁明してみせよ」

話が通じると知り、声の主は少し口調を和らげたが、警戒を緩める雰囲気は無かった。

おれは長い溜息を吐いてから、じりじりと身体を反転させた。

心臓は高鳴り、表情は凍てついてしまったかの様に強張っている。

振り返った先には、白人らしき年老いた男性が佇んでいた。

鍔の広いとんがり帽子を被っており、黒か濃紺のローブを身に纏っている。

短刀は見当らなかったが、木の杖は手にしていた。

「えーっと、なに?魔法使い……のコスプレ?」

目の前の年老いたコスプレ魔法使いは、おれのことをじいっと見詰めていた。

ぎょろりとした目玉。まるで値踏みをするような視線は正直気持ちの良いものではない。


「――ほおう。やはり、ササラ人か。しかし、この様な辺鄙へんぴなところに武器も持たずにその様な軽装で、一体何をしておったのじゃ?」

相手は杖の先をこちらに突き付けてきた。

見るからに老人だが、弱々しさを微塵も感じなかった。

下手なことを口走ると怪我を負わされるかもしれない。

「ま、まず、こちらには危害を加える気が無いことは分かって欲しい。悪意は微塵も無いし、暴れるつもりも盗みを働く気もないので」

ついつい早口になり声が震えてしまう。

そこまで臆病者では無いと思っていたが、この異常な展開に心が押しつぶされてしまいそうだった。

「うむ、分かったゆえ、まずは落ち着き、我が問いに答えよ」

「ええ、はい。えーっと、その、実は自分でもよく分からない、のです。確か自宅で寝た記憶はあるのですが、目が覚めると、この場にいて地面に寝転んでました。何がなんだか分からないのが現状……。あの、ここは日本、ですよね?」

とにかく、おれ自身が何も分かってないことを伝えたかった。

そして、ここが何処かということを、まず知りたい。


「んん?ニホン……とな?それは地名か?一応ササラ文化圏の国家の名は一通り記憶にあるが覚えがないのう。もしやササラの辺境の地名であろうか?」

「いや、おれ……わたしは、ササラ人?ではないのです。日本人です!日本だよ?知らない?アジアの東にあるさ、細長い島国で……アニメとかラーメンとかさ、外国人も好きだと思うけど」

「ふむ、全く分からん。が、そんな訳のわからんところから来た者が、どうしてこの土地の言葉をここまで流暢に使いよるのか。幼子の頃にさらわれて、この地で奴隷として生きてきたか?いや、奴隷にしてはしっかりとした身体つきよのう。見たところ呪詛環じゅそかんはしておらんし、焼印も墨も入っとらん。ふうむ……これは、ますます以って得体が知れぬのう」

どう見ても、このコスプレ魔法使いが冗談を言ってる様には見えない。

とんがり帽子やローブも、いかにも高級そうな生地や造りで……本格的過ぎる。

安いコスプレ衣装で無いことは確かだ。


「あれ?嘘だろ?もしかして、ここ日本どころか、地球ですらないのか?ササラ人なんて聞いたこと無いぞ?」

じわりじわりと心が乱れてくる。

そもそも夜空に月がふたつ浮かんでいる時点で、あらゆる可能性を想定しておくべきだった。

宇宙人に拉致られて地球外に連れ出されたとか、異世界に転移したとか、ゲームの世界に入ってしまったとか、今更ながらに中二病的な考えが次々に湧いてきてしまう。

「まあ、落ち着け。お主の言っておることは理解出来ぬが、何か特異なことに巻き込まれておる、と言うことは理解したゆえ」

ここで漸く魔法使いらしき男は杖を下げてくれた。

「ああ、それは助かります。本当に、敵意も害意も無いから、それだけは安心して欲しい」

「それも問題は無い。万が一、僅かでも敵意を向けたら一呼吸もせぬ間に、我が魔法で焼き殺してしまうのでな、安心せい!」


そう言い放った刹那、老人の足元に一瞬で白く光り輝く魔方陣が構築された。

直視出来ないほどに強い光を放っていた。

そして掲げた杖の先……空中頭上高くに燃え盛る炎の球を発生させ、それが爆発!

あっという間の出来事だ。

突然巻き起こった爆風に、おれは耐えきれず吹き飛ばされてしまう。

荒れた地面を転がり身体中に痛みを感じて、改めてこれが夢でない事を思い知った。

信じ難いが、どうやら宇宙人に拉致の線では無くて、異世界転移かゲームの中だな……と思うしかない状況だった。

吹き飛ばされ地面に這いつくばるおれの傍へと、本物の魔法使いは歩み寄ってきた。


「少し痛い思いをさせたな。得体の知れぬ相手には最初に思い知らせて無駄な争いを回避せよ、と。これは師匠からの教えでな。では、わしの家で治療してやるゆえ、ついてまいれ」

老魔法使いはそう告げると、おれの反応を見る事なく踵を返して歩き出した。

まだ足や腰に痛みはあるが、こんなところに置いてゆかれては堪らないので、歯を食いしばり後を追う。

情けないが自然と涙が零れてくる。

今年三十五歳になった男が、老人に脅されてまさかここまでぼろぼろと泣くことになるとは……。



序章

きれいな星空と、老魔法使い

END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る