第1章:森の集落にて

第1話:ルーファスとギル

老魔法使いは、森を切り拓いた小径こみちへと入っていった。

こちらが怪我を負い裸足でいることなど構いもせずに、どんどんと先へ先へと進んでゆく。

切り拓かれある程度整備されているとは言え、辺りは鬱蒼うっそうとした木々に囲まれており視界は狭く心細い。

足元は見え難く先行く老魔法使いから離れてはなら無いと思いはするが、歩けど歩けど距離を詰めることが出来なかった。

老魔法使いの家までどれ程の距離があるか分からないが、このままでは置いてきぼりを喰らい兼ねない。

一本道ならまだしも分かれ道があれば、暗い森の中で彷徨さまよう羽目になってしまう。


(足が痛い……血まみれになってるかもしれない)

しかし、立ち止まることは出来ない。

この先でどういう扱いを受けるか分からないが、訳の分からない状況の中で取り合えずコミュニケーションの取れる相手との繋がりを失うことは、考えただけでも辛く怖かった。

あの石造りの神殿からどれ程歩いただろうか。

息を切らし転がりそうになりつつ、おれは懸命に老魔法使いの後を追いかけていた。

何度か座り込んでしまいそうになったが、歯を食いしばって足を前へ前へと出し続ける。

そして、ふと気が付いたのだ。

老魔法使いは、時折おれの方を見て歩くペースを落としてくれていることに。

おれの視界からその姿が消えるか消えないかのところで。

「――なんだよ、意外と優しいじゃないか。ふふふ……」

思わず笑みが零れ落ちる。

少なからず安堵も胸に宿った。

しかしそれに甘えてゆっくり歩く気にはならず、引き続き痛みを感じながら強行する。


それから暫くすると小径が拓けてきた。

視線を上げると、ぼんやりと篝火かがりびの光が目に映る。

すでに足の感覚は殆ど無かった。怪我の症状は……今は見るのも恐ろしい。

どんどんと灯りが近づいてくる。

太い丸太を地面に突き刺した無骨な柵が見えて来た。

小径の先には木製の門があり、その前で老魔法使いはひとりの男と話し込んでいる。

大柄な男で、腰に剣らしきものをぶら下げていた。

二人まであと十メートルほどまで近づくと、彼らは話を止めこちらへと視線を向けてくる。

大柄な男はさり気なく腰元の剣の柄に手を置いていた。


「――で、ルーファスよ、この男が遺跡にいたのか?この格好で、一人でか?」

大柄の男の声は大きく下腹に響く。

おれは迂闊に近づくのは危険かもしれないと思い、少し離れて足を止めた。

男からの問いかけを受け老魔法使い――ルーファスは白い髭に触れ溜息を吐く。

「他に気配は無かった。この男は、どうやらこの地方の者では無いのだ。少し話してみたが、聞いたことも無い地名を流暢なイセリア語でぺらぺらと話しよる。全く以て得体の知れぬ者だがの……あの遺跡に何か関わりがある可能性があるゆえに、少し調査をしてみたいのじゃ」

ルーファスの話を受け、大柄の男はうんざりとした表情で溜息を吐いた。

そして大股でおれの方へと歩みよって来る。

左目は黒い眼帯をしてるが、右目は鋭く凶悪に見えた。

何より、剣の柄に触れたまま近づいてくる様が恐ろしく目に映る。思わず後退ってしまった。

「まあ、こんなひょろいヤツの一人や二人構わねえけど、悪魔憑きとか変な流行り病とか持ってねえだろうな?」

男は右目でぎょろりと睨みつけてくる。おれよりも拳ひとつ分は背が高い。

腕は太く胸板は厚く……不意を突いて殴りかかったとしても到底勝てる相手ではなかった。


「おいギルよ?まだその者に触れるで無いぞ?集落に入れる前に簡式の浄化処理を施すゆえ。本来は接近もしてはならん」

ルーファスからそう言われ、今度はギルと呼ばれた男が後退った。

これほど屈強な男でも悪魔や病が恐ろしいのは、この世界でも同じと言う事か。

(この世界……か)

ここは元いた地球とは違う世界なのだろうか?

まだ断定は出来ないが少なくとも日本で無いことは確かで、魔法らしきものがあるのも確かだ。

「――まあ、良い。今回はわしも含めギルとその者も浄化するゆえ」

ルーファスはそう言うと、杖先を地面へと傾けた。

すると地面に何やら文字が浮かび上がり始める。

アルファベットでは無い、漢字や平仮名は似ても似つかない形状の文字だ。

言葉は通じているが、その文字は全く読み取ることが出来なかった。

二行、三行と文字を綴ってゆく。

次第に光は文字だけに留まらず、円状に広がってゆき、ルーファスが文字を書き終えるころには辺り一面を眩い光で覆い包んでしまった。

あまりの眩しさに目を閉じてしまい、次に目を開けた時にはすでに薄暗い世界に戻っていた。


目を開けると地面に浮かんでいた文字は消えてしまっていた。

地面を削った訳では無く、魔力か何かで具現化してた……みたいな事なのだろうか?

何かしらの魔法を行使された様だが、特に変化は感じ無かった。

大柄の男ギルは、目を閉じ胸に手を置き何やらぶつぶつと呟いていた。

「――ふうむ。悪魔憑きであれば、今の浄化で意識を失うか、頭が狂っておる筈じゃ。見たところ平然としておるから、穢れた忌物いみものでは無かったようじゃのう……ふぉふぉふぉっ」

ルーファスはここで初めて笑顔を見せてくれた。

魔法使いである彼にしても、得体の知れぬ存在には何かしら魔法的な措置をしなければ気は抜けなっかったという事なのだろう。

「じゃあ、オレはもう帰るぜ?今晩はルーファスの家に連れてくんだろう?それともオレんちの納屋にでも閉じ込めておくか?」とギルは言う。

祈りらしき行為を終えた彼は、漸く剣の柄から手を離した。

信仰する神に対してか、いかにも戦士風だが彼も何か魔法の心得があるのだろうか。

納屋に閉じ込めは勘弁願いたいが……彼も少しは警戒を解いてくれた様だ。


「いや今晩は……わしの家に連れて帰る。明日、陽が昇り改めて本格的な浄化処置をするゆえに、集落長に引き合わせるのは、その後とするかの。他の者たちに、それまではわしの家に近寄るなと伝えておいてくれ」

「ああ、分かった。その明日の浄化はオレも付き合うぜ。別に構わねえだろう?」

「構わんよ。むしろその方が良い――」

そこで話が途切れると、ギルはおれには絡むことなく門を通り集落の中へと入って行ってしまった。

最初の警戒感からすると、もっと質問や尋問を受けても不思議では無かったが、それほどこの老魔法使いが信頼されているということなのだろう。


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