五. 気泡

「じゃあ行って来るね。名残惜しいけど。


僕が帰ってくる頃には、子どもの名前を考えておくよ。」


そう言って、アシュレイはレダにしか見せない顔でキスをした。


そして、たった今聞いた、突然のアシュレイの長期間の不在に


驚いている私に、その優しい顔を向け、言った。


 


「シルヴィア、僕はしばらく街へ仕事に出るんだ。春になったら


戻ってくるからね。勿論、君のお母さんのことも、街の皆によく


いっておくから。そんな不安そうな顔をするんじゃないよ。」


そう言ってアシュレイは私の頭をなでた。


やがてまた二人が会話をはじめたので、私は急いでそこらに


咲いている、秋風に半分ドライフラワーになったような花を摘み、


アシュレイに差し出した。


 


「ああ、シルヴィア」


そう言って、アシュレイは私を抱きしめた。


「ありがとう、シルヴィア、君が本当に僕の子だったら


いいのに!もしお母さんが見つからなかったら、本当に僕の


おうちの子になってくれるかい」


私は目を見ず、うつむいてアシュレイの服にその花をつけた。


「まぁ、素敵ね」と、レダも言った。


「シルヴィアが私達のおうちの子になれば、もっと


楽しくなるわね」


「そうだね、家族は多い方が楽しいね」


 


 二人の会話は、止まりそうに無い。


いつになったらアシュレイは仕事にゆくのだろう?


「人数」を増やしたいだけなら、二人で作って行けばいいのだ。


別に「私」じゃなくてもいいはずだ。それに子どもなんて産まれたら、


どうやってこの家で過ごして行けばいいのだろう?


かといって声も出ないし、ほかに行くところも解らなかった。


私の気持ちは、沈んで行った。


 


 ようやくアシュレイが重い腰をあげ、


私と一緒にたどった道を行った。もう私が


この道をアシュレイと二人で歩くことは


ないのだろう。


 


無くなっていた涙が、顔を出した。


 


 


 レダと過ごすにつれ、私の最高に尖ったトゲは内面に深く


突き刺さったのはもうどうしようもなかったが、その傷から出血するのを


レダは止めてくれたように思えた。身ごもった女はこういう顔をするのかと、


私は疑ったり嫉妬したり憎んだり、それでもレダを慕うようになった。


淋しかったのかもしれない。


雪は深くなり、だけどもうこの先は、これ以上の積もりは


見せないだろう。私の背負った罪も、それ以上私を追い詰めなかった。


常にぎりぎりなのはどうやら全てにおいて言えるらしい。雪は


ゆるんだ大気に身を溶かしはじめてきていた。


 


 それでもまだまだ、山に近いアシュレイとレダの家は寒い。


レダは暖炉の前で、産まれて来る子どもの服を編んでいた。私は


レダにつくってもらった帽子と手袋をつけて、いつものように外で


一人遊びをするためにドアを開けた。


 


 雪は湿っていて、すぐに固まる。私は心で


歌を歌いながら、たくさんの玉をつくりはじめた。


私は本当に、本当の人間の子どもになってゆくの


だろうか。雪の匂いを嗅いでいたら、ふと、そう思った。


それでもいいかもしれない。


涙は滅多なことでは出なかったから。


私は沢山雪を玉に変えた。


これは、アシュレイ。綺麗な綺麗な、アシュレイ。


これはレダ。アシュレイの大好きな、彼のレダ。


これは彼等の赤ちゃん。産まれたがる、ゼス老人の


贈り物。


 


そしてこれは私。


ぼこぼこで、中には石がつまっているの。


こんな固い石、なければ今頃、雪に混じって


いたのに。


 


一緒に溶けてなくなっていたのに。


楽だったのに。


 


 昼の太陽が顔を出していた。


そろそろ暖炉を使わなくてもよくなるな、そう思って私は


レダが暖炉の灰を掻き出す頃だと思い、家に引き返した。







 家が、


轟々と音を立てて、燃えていた。


 


 私は煙の多さと火の音に地獄の業火を想像し、怯え、


少し唇を噛んだ。何があったのだろう。そうだ、レダ、レダは?


私はとっさにその中へ飛び込んだ。


 


 中はすごい温度まで気温があがっていた。私は涙と咳で


ぐしゃぐしゃになりながら、レダのいた暖炉へ向かった。レダは


編みかけの赤ちゃんの服を持ったまま、気を失っていた。顔は真っ青


のレダは、死んでいるように見えた。私はレダの肩に手を回すと、


そのまま歩こうとした。


床へ崩れ落ちた。


 レダと赤ちゃんの胎動が、私の体に伝わってくる。


まだ生きてる。かっと私は目を開き、体中の力を持って


ようやく立ちあがった。が、その重さで私の片足はひどく


くじいてしまったらしく、激痛が走った。 


 


 でも、レダと赤ちゃんが生きている…。


歩かなくちゃ。私は痛みに激しく泣きながら、だけど声が出ないから


外へ出せない体に苛立ちを覚えながら、出口を目指した。だんだん


火が強くなってきていて、その部屋の暑さは、私の身を焦がした。


 

ああ、レダ……。


ふと、遠くなった意識をあわてて掴んだときに、私は考えた。


レダさえいなければ……。


 


 後ろでガラガラと物が崩れる音がした。


私はその音に弾かれたようにまた前に進んだ。


だが、私のささやきは頭から消えない。


 


 レダがいなければ、私が大きくなればアシュレイは愛して


くれるのではないだろうか。アシュレイに愛しているといわれたら、


私に魔法がかかりそうな、そんな気さえする。あっというまに大きく


なって、綺麗になって、言葉も出てきて……。


だけど……。


私はまた前へ進んだ。


 


 私の体は、あちこちに火傷をして、もう持ちそうに


なかった。私がここでレダを置いて行けば、私は助かるだろう。


だけど、今度はもっと凄まじい痛みの罪を背負うであろうことも、


もう解っていた。


 


 だけど……。


 


ああ、何故こんなに苦しい思いをしているのだろう。


どうして私の好きな人が愛する人を助けているのだろう。


どうして燃え盛る中に私は飛び込んでしまったのだろう。


どうしてアシュレイと出会ったのだろう。


どうして降りてきたのだろう。


どうして惚れたのだろう…。


 


私は怖かった。


私は震えた。


さらに進んだ。


 


 私が助かっても、


アシュレイが助からない。


私はふと、そう思った。


それは嫌だった。


なんとしてでも、生きて欲しい。


嫌だ。


アシュレイが消えて、


レダが消えて、


赤ちゃんが消えて…


みんな消えないで。


嫌だ。


嫌だ。


嫌だ。


そんなの嫌だ。


好きだ。


幸せになって欲しい。


生きて欲しい。


嫌だ。


 


誰も消えていい人が居ない。


私以外は、居ない。


なのに私は、こんなに力がなくて、


飛べなくて、助ける役にすら立たない。


私が人間になったところで、一体誰が


救われたんだろう…









ああ神様。


 


 


 


その言葉で、奇跡が起きた。


私はもとの姿に戻ったのだ。


瞬間を私は見逃さなかった。


 


床を蹴り、私はレダの体に負担にならないように


力をこめて家から出た。レダを燃え盛る家から引き離す。


雪で体を冷やしては大変と、私はつけていた手袋や帽子を


レダのおなかにかけた。


 


 ない。


赤ちゃんの服がない。


私は家へ引き返した。


 


 赤ちゃんの服は、崩れ落ちたテーブルの上に乗っていた


花瓶の水や花に守られるように、床に転がっていた。私は服を


握り締めた。鍵を握り締めた瞬間を思い出した。


 


 ああ、この感覚……


私はゆっくりと倒れた。


 


さようなら、レダ。


レダの赤ちゃん。


アシュレイ……


 


 私の心は、全部の時間をさかのぼり、極限に飛び、


その勢いで体ごとはじけた。私の体は無数の気泡になり、


蒸発し、風になった。


 


 家が、崩れ落ちた。





 

私は空気に混じった。


感覚がちょっぴり残ったけど、


私は目を閉じた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アプレイラ ミィ @cat_meechan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ