二. 時間


 地上独特の甘い匂いに揺られて、私は目を醒ました。


私の目に、高い空と雲が映った。そして、男の人の顔が映った。


びっくりして飛び起きた。向こうも驚いたようだった。


 


 再び男の人を見た。


背の高い、優しそうな、若い男だ。


ああ、なんという幸福だろう!


私は、私が雲の切れ間から見つけた、あの優しい


瞳の男に出会うことができたのだ!!


私は顔を完全に男の方へ向けた。


男が少し緊張を解いたようだった。


 


「大丈夫?言葉はわかるかい?」


男が尋ねてきた。私は答えた。


 


が、言葉は大気に震えなかった。


音にならなかった。


かすれた呼吸の音だけが、私の喉から


出てきた。


 


 おかしい。


再び男の問いに答えようともがいた。しかし、ヒューと


音が鳴るだけで、言葉らしい言葉が、出てこないのだ。


ああ、そうか。私は直感した。これが、羽を失った代わりに


刻まれた、背中の罪なのだろうか。


だけど言葉が話せなくとも、男に会えたのだ。私は


その嬉しさを男に伝えようと、にっこり笑って立ちあがった。


男もにっこりしてつられて立ちあがった。が、その瞬間、再び私は


顔をこわばらせる出来事が私の身に起こっていることを知った。


立ちあがったとき体に走った違和感に、そして男が私を見る表情に


きっかけを与えられ、知った。



私の手が、小さかった。


私の足も、小さかった。


私の背も、小さかった。


すべてすべが小さく、物足りなく、ぎこちなく、


私の魂には窮屈すぎた。


 


ああ、なんということだろう。


私は、幼い子供、しかも、口の聞けない子として


地上へ降り立ってしまったのだ…!!!



私は余りのショックに、男の話が思うように聞けなかった。


ああ、あれだけ会いたい、そう思った人が今まさに目の前に居る


というのに、あの天使の頃の姿のままでは、この男と出会う


ことができないだなんて…。


 持ってこれたのは、この意識と気持ちだけだった。


今の私には、それさえもこの先役に立たなくなるものに


なるなど、知る由もなかった。


 痛いほどの辛さは、もう少しで涙に変わろうとしてしまう。


私は必死で耐えた。ネイル様が勝ち誇った顔をしているような


気がして、まだ負けてはいまい、と、自分に言い聞かせた。



 そうだ。私はまだ人間として生を受けたばかりなのだ。


まだ、地獄に落ちることもないだろう。こんな罪を背負ったが、


それでもなんとか生きて行けるし、この男とも一緒に過ごせる。


まだ希望を捨てるのは早い。


 私はまた少し元気を取り戻した。


「さっきから顔色がよくないな…大丈夫かい?


しゃべれないの?」男の質問の幾つかを耳に捕らえ、


私はこっくりとうなずいた。


 


「そう…、こんなに小さいのに、お母さんはどこ?」


この問いにも、私は首を振って答えた。


 


「いないのか…。おうちはどこかわかるの?」


首をふる私を見て、男は困ったような顔をした。


そしてしばらく考えたあと、ゆっくり口を開いた。


 「じゃあ、僕のおうちにおいで。僕のおうちは街よりもずっと


離れているんだけど、僕が街へ仕事に出るときに、街のえらい人に


君のことを言っておいてあげるよ、お母さんが僕の家に迎えに来る


まで、僕のおうちにいるといいよ。」


 


 ああ、やっぱり全て投げ出すにはまだ早い。


一緒に過ごすことができる。私はにっこり笑った。


男の名は、アシュレイといった。私はアシュレイと一緒に、


日がしずみかけた広い草原に延びる一本の道を歩き出した。


 



「シルヴィアが私達のおうちに来てくれたのは、本当に


嬉しかったわ。そしてあの子がいなければ、私もこの子も


いなかったわ。 産まれてくる子がもしも女の子だったら、


シルビィアって名付けようって、あのときアシュレイと決めたのよ。


 


 そうね、あの子がどんな理由で私達の目の前へ現れたのか、


私にはわからないわ。だってあの子には、迷子になったというより、この


世界へ迷い込んだ子、っていう感じがいつもしたから。その辺の子ども


とは持っている雰囲気が違ったわ。全部しっているようにも見えたの。


短い間だったから、よくはわからないけれどね…。


でもアシュレイの姿をそっと見ているってときに、私に対して複雑な


表情を見せたり…、アシュレイに話しかけられるのは喜んでも、私には


1歩おいた喜び方をしていたような、そんな気もするの。私とアシュレイが話す


のも、暗い表情で見つめていたわ。もしかしたら勘違いかもしれない、でも


なんでそう感じるのかしらね? 本当に多分、私の気の所為だと思うんだけど。」

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