1.邂逅

(1)挨拶

英凜えりちゃんは紺色がよう似合うね」


 新品のセーラー服を見て、おばあちゃんがそんなことを言った。


 灰桜はいざくら高校のセーラー服は、紺色に臙脂えんじのラインが入り、そのラインと同じ色のスカーフを結ぶ、ごくごくありふれたセーラー服だ。しいていうなら、胸に桜の模様が入っているけれど、校章が入っているという意味ではやはりありふれたセーラー服であることに変わりはない。そして、一応、ここ近辺では一番可愛い制服らしいけれど、私にはそれがよく分からない。いや、可愛くないというつもりはないのだけれど、近辺で一番というほどかといわれると、迷いなく首を縦に振るほどではない。

 そうやって首を捻る私の後ろで、おばあちゃんはせっせと荷物を準備していた。当然、入学式の準備なのだけれど、それはそれとして、私が代表挨拶をするからと張り切っているのだ。お陰で荷物の中にはオペラグラスがある。


「……おばあちゃん、別に代表挨拶っていっても、決まった文章読むだけなんだから。そんなじろじろ見ないでよ」

「なにを言っとるかね、立派なことなのに」


 入学式の代表挨拶は、挨拶の内容は決まっている。それでも、一応、毎年、生の原稿を挨拶者が提出することになっている。つまり、毎年毎年、代表挨拶者は決められた用紙に決められた挨拶文を写経しなければならないのだ、しかも毛筆で。

 だから、そのお知らせを読んだ瞬間、私はおばあちゃんにその仕事を押し付けることにした、おばあちゃんは毛筆が上手いから(というか、多分鉛筆よりも筆を握って生きてきた世代だと思う)。おばあちゃんには自分で書きなさいと言われたけれど、おばあちゃんとしても孫の入学式の挨拶文の代筆は嬉しかったらしく、意気揚々と書いてくれた。お陰で私の代表挨拶文は書道の先生顔負けの達筆な字で書かれている。ちなみに最初は草書で書かれてしまったので、原稿を読めないと書き直してもらった。


 そんなこんなで迎えた入学式は、柔らかな日差しに包まれ、春のつぼみが希望に膨らんでいる――とまさしく挨拶文の冒頭のとおりのいい天気なのだけれど、天気がいいのと治安がいいのとは、まったく別の話だった。

 おばあちゃんと一緒に校門をくぐれば、そこに広がるのは、初々しさを体現するかのように、制服に新入生と、何より自由を体現したような極彩色の髪と改造済の制服だ。


 私立灰桜高校、通称“はいこう”。多分灰高と廃校をかけているんだと思う。その通称のとおり、灰桜高校はいこうは廃校寸前といっても過言でないほど、荒れ狂った高校だったらしい。らしいというのは、手を付けられないほど荒れ狂っていたのは少し前までで、経営者が変わってからは色々改革を行い、勉強のできる真面目な生徒とできない不真面目な生徒とをり分けた結果、なんとか玉石混交の状態までぎつけたからだ。つまり、今の灰桜高校はいこうは、荒れ狂ってる部分とそうでない部分とが混在しているわけだ。と。つまり荒れ狂ってる部分とそうでない部分とが混在している。

 その具体的な選り分けをどうやって行ったかというと、端的に成績とクラス分けによって行っている。灰桜高校のクラスは、特別科と普通科に分かれていて、出願のときはどちらかを選ぶことができるし、特別科を希望しても成績が悪い場合には普通科への合格とされる。入学後は、特別科と普通科はクラス替えもないし、校舎も別々だ。それでもって特別科はその名のとおり、特別な待遇もある(課外授業が充実してるとか、奨学金を貰うのに有利だとか、要は進学クラスみたいな扱いだ)。つまり、特別科と普通科は色々な側面から厳格に区分けされていて、お互いに交わらないようになっている。

 それは灰桜高校を知る人にとっては共通認識で、受付をする子と親とが「普通科棟は動物園だから」なんて揶揄やゆしているのが聞こえた。


 そんな親子の後に、おばあちゃんと並んで受付前に立つ。


「……1年5組、三国みくに英凛えりです」


 受付を担当している(おそらく)3年生から二度見された。


「三国……、5組……?」

「5組の、三国です」


 繰り返すと、3年生は「ね、三国英凛さんなんだけど……」と隣の3年生に耳打ちした。2人で名簿を覗き込み「あ、あるじゃん」「いやあるんだけどさ……」とコソコソ内緒話をする。


「……5組で、間違いないですよね?」

「間違いないです」


 もう一度頷くと、コホンと3年生が咳払いした。


「……どうぞ。ご入学、代表挨拶、おめでとうございます」


 胸につける花のリボンには「新入生代表」と書かれていた。5組の列に向かいながら胸につけようとすると「英凛ちゃん、不器用なんだから、こっち向きなさい」とおばあちゃんにつけられた。


「ね……なんで5組なんだろ」

「間違えたんじゃないの?」

「代表なのに?」


 コソコソと話し続ける受付の3年生を背後に残し、体育館の中に入った。

 体育館内では、向かって左側に特別科、右側に普通科が着席させられていた。その結果、左側は黒々としているのに反し、右側は――もちろん黒や茶もあるけれど、それよりなにより金や銀に赤や青まで、非常にカラフルにまとまりのない様相ようそうていしていた。当然、特別科はおとなしく着席しているのに反し、普通科はざわざわとお喋りをやめず、しかも着席せずに友達同士で立って喋っている有様だった。

 おばあちゃんはそんな様子を見て「あらまあ……」と困った顔をした。


「昔は男の子はボウズって決まってたんに、今時やねえ……」

「……そういう問題じゃないと思うけど」


 髪型に言及するなら、どちらかというと色を問題にするべきではないか。とはいえ、戦時中のことを引き合いに出されてもうまく反論ができない。とりあえず、おばあちゃんには保護者席で大人しく座っておいてもらうことにした。

 そして――分かっていたこととはいえ、私は5組のグループを前に、立ち尽くす。


 灰桜高校は、荒れ狂ってる部分とそうでない部分とが混在されているけれど、それは色々な側面から厳格に区分けされている。そのひとつが特別科と普通科という区別で、1組から4組は特別科、そして5組と6組は普通科だ。

 普通科を選んだことを一瞬で後悔したくなるほど、左右の違いは歴然としていた。5組では、椅子に座っているとは到底思えない態度で「でさー、俺は言ってやったわけよ、文句あんなら金持ってきてから言えよって」「カワイソーだな、ないから言ってんだろ」と恐喝きょうかつかなにかの犯行告白みたいな話をしていた。

 本当に後悔した。うっかり選んだわけではなく、自分できちんと丸をつけたときの光景を脳裏に浮かべながら、この普通科を選んだことを後悔した。いくら玉石の石側といったって、不良が多いといったって、犯罪者集団がいるとは思わなかった。想定が甘かった。あの時の自分の頭を後ろからぶっ飛ばしてやりたい。


「オイ、どけよ」


 ほらどやされた――! ヒッと怯えて飛びのきそうになったけれど……、私ではなく、犯行告白じみた話をしていた男子達が、ガタガタッと音を立ててパイプ椅子から立ち上がった。


「……なんだコイツ」

「しっ、雲雀ひばりだよ。目つけられたら厄介だ」


 彼らの目線を追って振り返れば、そこには1人の男子が立っていた。

 まるで狼だった。そのくらいきれいな銀髪だった。ワックスかなにかでセットされたその髪には、まるでチャームポイントのように赤いヘアピンが止まっている。そして耳にはこれでもかというくらいピアスがくっついていた。

 更にヤバそうな人が出てきた……。さっきから後悔しっぱなしなせいで、私の内心は今すぐ回れ右して家に帰りたい気持ちでいっぱいだ。

 ただし、その「雲雀」という名前の狼は、私を無視してドカッとパイプ椅子の1つに腰を下ろした。途端、彼の周辺に座っていた生徒達は慌てて列の反対側に避難した。まるで下手くそな人がやるマインスイーパのように、彼の周りはぽっかりと席が空いた。


侑生ゆうき、おはよー」


 その空白が埋まったかと思えば――今度は金髪だ。金髪がやってきた衝撃に耐えられず、パイプ椅子はガタガタッと揺れる。2人は友達に見えたけれど、銀髪は金髪を見るなりしかめっ面をした。「侑生」と呼ばれた銀髪はその金髪を振り返って「昴夜こうや、お前なあ……」と呆れた声を出した。


「お前、12時半に校門つったろ。何してたんだ」

「え、来なかったのはお前じゃん、忘れてんじゃねーよ」

「何言ってんだバーカ。お前いなかったじゃねーかよ」

「いたじゃん! 侑生が来なかったせいで上級生に絡まれて大変だったんだぞ! 見てこの汚れ! 新品なのに!」

「……お前、裏門にいたんじゃねーの」

「裏門?」

「……裏門で騒ぎがあったって話してる連中がいた。お前じゃねーの」

「……待ち合わせしてたの、グラウンド側だよな?」

「バカ、校舎の前が正門に決まってんだろ」


 2人の話には決着がつき、金髪は椅子の上で胡坐あぐらをかきながら「なんだよー、待ち合わせ場所じゃないって分かってたら相手にしなかったよ。お前が来ると思ったから場所取りしてたのにさ」と、少し冗談めかしたような口調で言った。

 そんな2人の会話を盗み聞きしているうちに、5組の座席は着々と埋まりつつあった。でも私の席は端と決まっているので(多分壇上にあがるときに列を抜けやすいからだと思う)、他のみんなと違って選べるわけではなく、急いで着席する必要はない。


 それになにより、私の席は、あの金髪の隣だし。なんならあの銀髪がいま座ってる席だし。


 最悪だった。到着した順に自由着席の入学式で、なぜよりによって金髪の男子の隣に座り、しかも座るためには銀髪の男子を押しのけなければならないのか。急いで着席する必要はないどころか最大限遅れて着席したい気持ちでいっぱいになった。とんだ苦行と試練だ。今すぐ回れ右してこの場から逃げ出してしまいたい。

 が、当然、そういうわけにもいかない。ただの入学式ならそれで済むのに、代表挨拶なんて華々しいふりをした苦々しい役割のせいでこの有様だ。式に参加する先生達もこちらを見始めた。そりゃそうだ、パイプ椅子から少し離れたところで新入生が立ち止まっているとしたら理由はひとつ「あの子、どこに座ればいいか分からないんじゃないかしら?」……そうささやかれているのが聞こえるようだった。初日から先生にそんな同情をされるなんて、みじめな扱いはまっぴらごめんだった。

 意を決して、ゆっくりと金髪と銀髪に近づいた。


「……あのう」


 今生こんじょうの勇気を振り絞ったと思う。セットになってぎゃあぎゃあ喋っている金髪と銀髪に、横から口を挟んだのだ。後にも先にも、こんなにも勇気を振り絞ったことはなかったと、その時には思った。後から、そんなのへでもないほどの恐ろしいイベントにことあるごとに巻き込まれていくことになるなんて知らなかったから。

 金髪も銀髪も、揃って振り向いた。第一印象のとおり、銀髪のほうはまるで狼みたいに鋭い目つきと高い鼻だったし、金髪のほうは女子顔負けのぱっちりした目と通った鼻筋で、どことなく子供っぽいのにどことなく精悍せいかんな顔つきをしていた。

 2人とも、有象無象うぞうむぞうの他の男子とは違って、きれいな顔立ちだった。しかも、思春期の悩みってそれ都市伝説でしょとでも聞こえてきそうなほど、白くてつるつるの綺麗な肌。色素の薄い髪色も、そんな綺麗な顔と肌なら許せてしまう気がした。

 なんてことを冷静に考えていたのは、ただの現実逃避だ。内心はこの不良2人組に「あァン!? 俺らが喋ってんのに口挟んでんじゃねえよ!」とどやされでもするのではないかと、よくて殴られて終わりなのではないかと、そんな妄想でいっぱいだった。首から背中までびっしゃりと冷や汗で濡れていた。新品の制服は早速クリーニングに出す必要があるかもしれない。

 先に口を開いたのは、銀髪のほうだった。その口が開かれた瞬間、ぎゅっと拳を握りしめる。


「席なら自由だぞ」


 ……怒られなかった。なんなら、まるで困っている私を助けるようなセリフに、少し面食らった。肩透かしを食らい、少し面食らった。おそるおそる、彼の座席の裏に貼られた紙を指す。


「……そこだけ、指定なので……」

「え、マジ?」


 銀髪の男子は身を乗り出してその張り紙を見た。そこには「代表者」とただのメモのような紙が貼られていた。当然、いろんな人に存在を無視されていたせいでしわくちゃだ。


「マジだ、気付かなかった。じゃ、ここアンタの席か?」


 銀髪は立ち上がり、すぐに私の席を空けて、なんなら金髪の男子を1つ隣に追いやった。


「なんの代表者?」

「……式の、挨拶」


 途端、銀髪のその人の目は、まんまるく、まさしく狼のごとく見開かれた。


「じゃ、1番で入ったのお前か」

「……たぶん」


 なぜ、不良がそんなことを気にするのだろう。現に、他の5組の人達は、声は聞こえているはずなのに何のリアクションもとらなかった。


 というか、この金髪と銀髪のコンビが現れて以来、まるで全員一斉に借りてきた猫のように大人しくなっている。もしかしたら、この2人は不良の中でもかなり悪い方向に有名なのかもしれない。


「えー、ださっ。侑生、試験終わった後は絶対自分が1番だって言ってたのに」

「うるせーな」


 ……インテリヤンキー? かなり悪い方向に有名なのかと思ったけど、もしかして頭脳派で有名なのだろうか。状況も立場も忘れて思わず首を傾げてしまった。


「でもコイツ、マジで頭いーんだぜ。多分コイツに勝ったの──」金髪少年は笑いながら「えっと、誰だっけ」……あまりにも唐突に自己紹介を求めてきた。


「……三国みくにです」

「ほーん。なるほど、三国な、三国」


 「座れば?」と椅子を指差され、おそるおそる座り込んだ。銀髪が、まるで獲物を品定めするようにじろじろと見てくるのに対し、金髪はまるで犬が飼い主でも見るかのような人懐っこそうな顔で私を覗き込んだ。


「俺、桜井さくらい昴夜こうや。よろしくな、三国」

「……よろしく……」

「あ、こっちは雲雀ひばり侑生ゆうき。多分お前に負けたから拗ねてんだ」

「拗ねてねーよ。テメェはビリのくせによく言うよな」

「ビリって決まってねーよ! ……多分ビリだけど」

「ほらみろ」


 どうやら2人は仲良しらしく、式が始まるまで、そして式が始まった後もずっと何かを話していた。式の間中お喋りをしているのはその2人だけではなく、彼らを筆頭とする不良達のせいで、入学式は式どころの騒ぎではなかった。開始してものの数分で飽きてしまった彼らは、まるで運動会と勘違いしているかのように騒ぎ出し、でも教師陣はそんな有様になにも言わず……。とんだ悲惨ひさんな式だ。


「《続きまして、新入生代表挨拶。新入生代表、三国みくに英凛えり》」


 ただ、諦めるのは勝手だけれど、この不良達の前に立たされる私の身にもなってほしい。


「……はい」


 ゆっくりと返事をすれば、少し騒ぎの種類が変わった気がした。どよめきの中に「普通科じゃない?」「間違いじゃないの」「でも三国さんでしょ」「願書間違えたんじゃない」と少しの噂話も聞こえた。お陰で、ほんの少し緊張した。


 きっと、挨拶は棒読みになってしまったと思う。原稿を読むだけだと言い聞かせ続けていたとはいえ、本当に原稿を読むだけとなった。みんなが何を感じているかなんて分かるはずもないのに、壇上から席に戻るときには、まるで好奇こうきの目にでもさらされているような気がした。


「おう三国、お疲れ」


 ……それなのに、席に戻った途端、雲雀くんからいたわりの言葉をかけられた。当然面食らったのに、桜井くんまで重ねて「すげーな、代表なんてかっこいいな!」と妙に緊張感のない感想をくれるものだから、もうなにがなんだか分からない。


「……ありがとう」


 ただ、お陰で壇上から降りたときの冷や汗は引いていた。


 入学式は、終始そんな調子だった。もう後半になると新入生の私でさえ「ああ、こんなもんなんだな」と慣れてきてしまった。これはいわば、今後不良たちと共生する高校生活の登竜門とうりゅうもんだったのだ。そう考えると、少し気持ちも楽になった。


「なあ、三国」


 式が終わった後、1組から順番に教室へと誘導されるのを待っている間、雲雀くんがこちらを向いて話しかけてきた。 が、式が終わった途端、雲雀くんは話しかけてきた。ギョッと硬直した私に気付いているのかいないのか、横柄おうへいな態度で椅子に座ったまま「そんなおびえんなよ、とって食いやしねーよ」と。最初に声を聞いたときからなんとなく感じていたのだけれど、雲雀くんの声は静かで落ち着いている。ただ、それは隣の桜井くんの声の抑揚が山あり谷ありなのと対比してしまうせいもあるかもしれない。


「……なに?」

「いや、正直、俺マジで1番で入れるって自信あったから。すげーなあって思って。どこ中?」


 不良って本当に「お前どこ中だよ」って聞くんだ……。一般にイメージするのとは少し違う趣旨を含んでいるかもしれないけど。


「……一色東中……」

「んじゃ、しゅんと同じじゃね?」どうやら桜井くんも話を聞いていたらしく、あたりをきょろきょろ見回しながら「アイツは? どこ?」

「舜は6組だ」


 「シュン」という名前を含む氏名の候補はいくつか浮かんだけれど、下手に関わり合いになりたくないので聞き返すことはしなかった。


「一色東中でもずっと1番か?」

「まあ……」

「ふーん。ま、東中だけちょっと離れてんもんな。知らねーか、そりゃ」

「侑生……。お前マジで悔しいんだな、マジでかっこ悪いからやめたほうがいいぞ」

「別にそんなんじゃねーよ」


 5組の誘導が始まると、2人はお行儀よく誘導に従った。2人の隣の席だったせいで、2人の後ろにぴたりとついていったのだけれど……、私の後ろには1メートルくらいの間隔が空いていた。しかも「噂、マジだったんだな、2人とも灰桜高校はいこうに来るとか」「しかもよりによって揃って5組かよ……」「マジ最悪だ、殺されるより先に死にたい」と念仏ねんぶつのごとくボソボソと嘆きの声が聞こえる。


英凛えり! 英凛!」


 そんな中、後ろから腕を引っ張られ、2人の背中から離された。驚いて振り返ると、そこには、中学の間にすっかり見慣れた顔がある。


「……陽菜はるな、5組だったの?」

「そーだよ! てか英凛が5組のほうがびっくりした!」


 陽菜はボブを揺らしながら「てか連絡しろよお、普通科とか思わないし!」と私の背中を勢いよく叩いた。


「……ごめん、陽菜も普通科と思わなかったし」

「あたしの成績で特別科に入れるわけねーだろ! 余裕で普通科だわ、多分入試の数学2点とかだし」


 はっきりした顔立ちのとおり、陽菜はサバけた性格で、半分男みたいな喋り方をする。


「てか……やばくね? うちのクラス、桜井と雲雀がいるんでしょ?」

「あー……あの2人」

「……え、マジ?」


 どうやら陽菜はるなは2人と私を結び付けてはいなかったようだ。それどころか、桜井くんと雲雀くんのことは知っていても顔は知らなかったらしく「超イケメンじゃん!」と後ろから見える限りの横顔に小さな声で歓喜した。


「ヤバ! 金髪が桜井だよね? ってことは銀髪が雲雀か。可愛い系の桜井かカッコいい系の雲雀か……。雲雀かなあ!」


 キャーッとでも聞こえてきそうな声音だった。陽菜は自他ともに認めるメンクイだ。


「……桜井くんと雲雀くんって有名なんだね」

「はーっ? お前マジそういうとこだよ、桜井と雲雀知らないとか有り得ないから!」


 みんなが知っていることは陽菜に聞けば事足りる。中学のときから変わらずそんなことを思いながら「あの2人はさあ」と陽菜が教えてくれる情報を頭に入れる準備をした。


 2人とも一色西中学の出身。桜井くんは入学したその日に3年生を蹴っ飛ばして舎弟にし、雲雀くんはその次の日にカツアゲしてきた3年生を返り討ちにしてこれまた舎弟にした。当時から2人でつるんでいて、2人が通った後は死屍しし累々るいるいどころかぺんぺん草も生えないほどの焼け野原になる、そんなことからついたあだ名が“死二神しにがみ”。お陰で当時から高校生にさえ恐れられていて、逆に高校生の不良達はこぞって2人を手に入れようと躍起やっきになっていた――敵に回すと厄介だから。

 灰桜高校では、群青と書いて「ブルー・フロック」と読む不良が席巻せっけんしていて、2人を仲間に欲しがっているという意味では、その群青ブルー・フロックも他のチームと同じ。ただ、2人はどこのチームに入ることも拒んでおり、灰桜高校はいこうに入学はしたけれど群青ブルー・フロックには入っていない……。


「だから、マジであの2人はイケメンだけどマジで見るだけにしたほうがいい。これマジ」


 もう何回か話した……というのは黙っておいた。

 陽菜は「でもなー、マジで顔がダントツなんだよなー」と後ろを振り向き、これから1年クラスメイトとなる男子達を見ながら残念そうに嘆いた。確かに、あの2人の顔の整い方はクラスで群を抜いている。


「つか、英凛、マジでなんで普通科? お前の成績なら普通に余裕に特別科でいいじゃん」


 そういえば、桜井くんと雲雀くんは、なんで私が普通科なのか聞かなかったな。


 そんなことを考えてぼんやりしていると、陽菜は「やっぱ、あれが原因?」と声を潜めた。


「その、病気のせいで、特別科の課外授業とかキツイ感じ?」


 療養のために3年前に一色市に引っ越してきたのだと、陽菜は知っている。というか、中学生のときに担任の先生がみんなに伝えたので、陽菜に限らず、中学の同級生は知っていてもおかしくない。ちなみに陽菜は「掃除当番キツイときとか言えよ!」と、必要な療養の内容もなにも聞かずに、男前にそれだけを申し出てくれた。ちなみに体が弱いとかではないので「そういうのじゃないから大丈夫」と返事をした。


「……そんな感じ」

「そっかー。ま、逆にいんじゃない、普通科と特別科ってテストも違うらしいし。英凛なら余裕でぶっちぎりの1番じゃん」

「……どうだろ」

「そうじゃない? だって代表挨拶してんだから」


 つい、雲雀くんを見た。銀髪、ピアスに丈の短い学ラン。人を見た目で判断してはいけないとは言うけれど、あの見た目で頭が良いなんて信じられない。ただ、頭が良いというのは桜井くんが言ってるだけだし、成績表を見せられたわけでもないし、桜井くんによる相対的・主観的な評価の問題かもしれない。とりあえずはそう納得した。


 教室に着いて座席表を見ると、「池田」の陽菜と「三国」の私の席は教室の端と真ん中に離れていた。陽菜は「マージか。弁当食べるときメンドイね」と呟いた。ただ、座席表にはそんなことより重大な問題があった。

 クラスの座席表には、「三国」と「雲雀」が隣同士で並んでいたからだ。

 ハ行の雲雀とマ行の三国……。自分の苗字を恨んだことなんてなかったし、今も恨みまではしないけれど、少なくとも困惑はした。


「……マジか、英凛。がんばれ」

「……うん」


 いや、雲雀くんは悪い人ではないと思う。入学式中の態度からして、少なくとも下手なことをしなければ危害を加えられることはないだろう。桜井くんもきっとそうだ。あんなに子犬みたいに人懐こい顔をした桜井くんが突然ブチ切れるなんて想像もつかない。

 座席を見れば、雲雀くんはすでに席に着いていた。桜井くんはその雲雀くんの机に座っている。お陰で2人の周りは静まり返っていた。

 その一角である雲雀くんの隣の席につけば、2人の目は揃って私を見た。本当に、2人に見られると、まるで野生の肉食獣に狙われているかのような気分になる。


「あれ、三国じゃん」

「そういえば隣に名前書いてあったな」


 そして、さも知り合いかのように話しかける、と……。いや、知り合いといえば知り合いではあるのだけれど、つい十数分前にちょっと話しただけの関係だ。それなのに、2人がそんな態度で話しかけると、クラスメイトには勘違いをされてしまう。実際、視界に入るだけでも片手を超える人数の目がこちらを向いた。当然、その中には陽菜も入っていた。

 でも2人は意にも介さず、桜井くんは「つか、マジで三国がこの教室にいるのって違和感あるなあ」なんて呑気にぼやく。雲雀くんも、頬杖をついて、式が始まる前にしていたように、じろじろと私を見ている。


「……三国、なんで普通科なんだ?」


 そういえば、桜井くんと雲雀くんは、なんで私が普通科なのか聞かなかったな──なんて考えていたことの伏線を回収するかのような質問だった。


「……特別か普通か、ってかれたら、まあ、普通だから」

「は?」


 とはいえ、返事を用意していたわけではなかったので、つい、素直な返事をしてしまった。そしてそれに対する短い返事と、それとは裏腹に大きな音量のお陰で、雲雀くんが呆気にとられたのが分かった。隣の桜井くんもその目を開いているから、予想外の返事だったのだろうことが伝わってくる。

 そして2人は――ちょっと顔を見合わせた後「ははは!」と明るい声と大きな口で笑った。


「それもそっか!」

「自分が特別か普通かって訊かれたら、そりゃ普通だな!」


 2人の爆笑する声に、目を白黒させてしまった。クラスメイトたちもこちらに視線を向けていて、何事かと言わんばかりだった。


「お前、真顔ですげー面白いこと言うな」

「先公たち、願書見て絶対つっこんだよなー。なんでこの成績で普通科なんだって」

「特別か普通か聞かれたので普通に丸つけました、って言われたら何も言えねーな」

「舜、三国のこと知ってんのかな」

「知ってたら絶対口説いてるだろ、アイツ。なあ、三国、お前、荒神あらがみ舜に口説かれたことあるか?」


 雲雀くんは、笑い過ぎて涙まで浮かべていた。ちなみにその名前には覚えがあって、2年生のときに同じクラスだった。


「……いや、ないけど」

「なんだ、ないのか」

「舜に口説かせたいなー。そんですげー斜めの方向にフラれてほしい」


 ゲラゲラと2人は笑い続けているけれど、なんとなく、馬鹿にされているわけではないことは分かった。お陰でどこかホッとした。“死ニ神”なんて呼ばれていて、2人が通った後はぺんぺん草も生えない焼野原と化すなんて噂はやっぱりただの噂だ。そんなに怖い人達じゃない――。

 その時だ。ズン、ズン、と廊下から地響きのような足音が聞こえ始めたのは。

 笑いながら喋り続けているのは、桜井くんと雲雀くんだけだ。教室内を観察すると、まるで恐ろしいものの登場を察知しているかのように、みんなは口をつぐんでいた。

 ぬっと廊下に現れたのは、長身で大柄、坊主頭にりこみを入れた男子だった。学ランのえりについたバッジを見れば、3年生だった。その学ランはやっぱりたけが短くて、その人のお腹より上のあたりで切り落とされている。屈強くっきょうな体には窮屈きゅうくつそうだった。

 そして更にその後ろに、それなりに体の大きい3年生が2人いた。両方とも金髪で、でも片方はプリンのように脳天だけ黒かった。

 その3人のうち、坊主頭の3年生が教室内を覗き込んだ。ぎょろりなんて形容が似合う大きな目で、分厚い唇や坊主頭も相俟あいまってまさしくゴリラのような顔だった。

 クラスメイト達は、まるで怪物に見られているかのような反応をしていた。みんなお行儀よく机につき、何もない机の上を凝視ぎょうししている。目を合わせたらあの怪物に殺される、そう思っているかのように。

 何も反応しないのは、2人だけだ。それどころか桜井くんと雲雀くんは「そういや俺アイツに500円貸したままなんだけど」「それ去年から言ってね?」「言ってる、そろそろ時効かも」なんてくだらない話を続けている。

 あの怪物は、多分桜井くんと雲雀くんに用があるんだと思うんだけどな……? そう思っていたのは私だけではないはずだ。

 廊下の外から、怪物は舌打ちした。舌打ちにしては大きすぎて、ボディパーカッションかと思うくらいだった。


「おい、桜井、雲雀」


 やっぱりこの2人だった……。呼ばれたのは私ではないのに、そのうなるような声にちぢみ上がってしまった。

 それなのに、当の2人は知らん顔だ。雲雀くんは椅子に座ったまま、桜井くんは雲雀くんの机に座ったまま、横柄おうへいな態度で振り返る。


「……なんですかァ?」


 桜井くんのその返事は、まだ声変わり前の甲高い声だったせいで、セリフ以上に煽り強く聞こえた。当然、怪物のこめかみには青筋が浮かび――ズンズンと2人の舎弟を従えたまま教室の中に入ってきた。


「なんですかァ、じゃねーんだよ」


 2人がいるのは、教室のど真ん中。怪物1人に、その手下2人も、教室のど真ん中で桜井くんと雲雀くんを囲んだ。

 桜井くんと雲雀くんの目つきが、少し変わる。桜井くんの顔からは、あどけない子供っぽさが消え、まるでエサを奪い合う野良犬のような顔つきになった。雲雀くんは、まるで狩場に来た狼のようだった。


「……3年が雁首がんくび揃えて何の用だ?」


 さながら、その問いかけは威嚇いかく


「何の用だもクソもねーだろ」手下その1も威嚇し返すように首を鳴らし「オメー、灰桜高校はいこうに入ったのに群青ブルー・フロックに挨拶もなしか?」

「俺、代わりに挨拶したぜ」と桜井くんは事もなげに頷いて「入学式前にお前ら裏門に溜まってただろ?」

「ああそうだな、テメーが随分な挨拶してくれたんだよな」


 その所業と態度が怪物の怒りを買ったらしく、怪物は強さを見せつけるように腕を組んだ。


「聞いたぜぇ、急に来て、友達と待ち合わせしてるから退けだァ? 礼儀がなってねー、分かるよな?」

「それ嘘だぜ。俺が侑生ゆうきを待ってたら、2年だか3年だか知らねーけど、何人かが西中の桜井だ!つって襲ってきたんだよ」

「言い訳は聞いてねーんだよ」


 怪物がドン、と足を踏み鳴らした。やって来たときと同じく、地響きがした。


「テメェが手出したのは群青ブルー・フロックの2年だ。どうなるか分かってんだろうな」


 バキボキと怪物が指を鳴らす。ありがちな威圧なのに、その体格と顔つきと態度のせいで、鬼婆おにばばも裸足で逃げ出す威圧感があった。そんな怪物の体の半分しかなさそうな桜井くんは、鬼婆にさえ食われてしまいそうな少年にしか見えなかった。つまり力関係は歴然としていた。


「どうなるか、ねえ」それなのに桜井くんはニヤニヤ笑って「群青ブルー・フロックからのラブコールがもっと増えるのかな?」


 群青ブルー・フロックは2人を欲しがっている――ついさっき陽菜から聞いた話は本当らしい。


「調子乗ってンじゃねぇぞ」手下その1がすごみながら「永人えいとさんがお前らを誘ってんのは、群青おれたち灰桜高校はいこうで好き勝手されちゃ迷惑だからだ」

「ま、“死ニ神”なんて所詮しょせん中坊ちゅうぼうのガキにつけられたダッセェ名前だ。お前らに本当に実力があんのか、俺らは知らねぇけどなぁ」


 怪物のセリフは、だから確かめに来たんだとでも聞こえてきそうだった。それでも、桜井くんと雲雀くんは顔色ひとつ変えない。代わりに動きもしなかった。

 それをおびえていると勘違いしたのか「雲雀、お前、近くで見ると細っこいなあ」手下その2はドン、と馬鹿にしたように雲雀くんの肩を叩いて下卑げびた笑みを浮かべながら「女みたいな顔してるしよぉ、脱がせて確かめてやろうか?」


 次の瞬間、手下その2の顔面には雲雀くんの手の甲が叩きつけられた。


「ンガッ……」


 バンだかパンだか、言語化はできないけどとにかく鋭くも鈍い音だった。手下のうめき声も上手く言語化できなかった。まさしく言葉にならない呻き声だった。

 いつの間にか、桜井くんも雲雀くんも立ち上がっていた。雲雀くんはクールダウンでもするかのように、手下その2を殴った手を広げたり握ったりしてみせた。手下その1が身構える。


「先輩よぉ、挨拶ってのは、用事があるほうがするもんなんだぜ?」


 その構えも虚しく、手下その1の頭は雲雀くんの足に蹴っ飛ばされた。

 ズダンだかガタンだか、大きな音を立ててその1人は転がった。転がる際に体当たりされた不幸な机とその主は「ヒッ」と短い悲鳴を上げながら教室の隅まで避難した。彼を皮切りに、雲雀くんの席周辺の人はみんな一斉に教室の端に避難した。


 私は、恐怖で足がすくんで動けなかった。


 手下その1は瀕死ひんし、その2は鼻血を出してへたり込んでいる。無傷なのは怪物だけだ。その怪物は余裕そうに、そして挑発するように下手な口笛を吹く。


「へえ、まあ、顔のわりにデキんじゃねーの。いいぜ、俺に勝てば――」


 その怪物は、舌の根も乾かぬうちに桜井くんの蹴りをあごに食らった。

 ズン、と怪物は床に沈んだ。意識はあるみたいだったけれど、体は動いてないし、口からは血も出てるし、まるで死体のようだった。それを見ていた手下その2は「ヤベェ、ヤベェよ、マジのやつだ!」と血まみれの鼻を押さえながら脱兎だっとのごとく逃げ出した。

 桜井くんと雲雀くんはといえば、一瞬で沈んだ3年生を眼下がんかに見下ろして「やっぱ、よく喋るヤツって弱いよなあ。少年漫画でもお約束だもんなあ」なんて呟いた。


「つか、結局コイツら何しに来たの?」

「お前が裏門で相手した連中が群青ブルー・フロックのメンバーだったんだろ。何人やったか知らねーけど、メンツが潰れたってことなんじゃねーの」


 雲雀くんは3年生を足蹴にして退かせ、自分の机と椅子を正した。桜井くんは自分の席へ向かい、大人しく座り込んだ。


「あ、先生、もう終わったから。ホームルーム、始めていいよー」


 そしていつの間にか教室の入口にやって来て呆然と立ち尽くしていた担任の先生に、まるで一仕事終えた後であるかのように平然と声を掛けた。教室には依然として3年生が2人のびているにも関わらず、だ。

 桜井くんと雲雀くんが通った後は死屍しし累々るいるいどころかぺんぺん草も生えないほどの焼け野原になる、そんなことからついたあだ名が“死二神しにがみ”――その噂が誇張こちょうでもなんでもないことを目の当たりにし、私は幸先さいさきの悪さに震えた。

 この教室はいつか焦土しょうどと化すのではないか、と。

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