朝のみじかな物語

フーツラ@発売中『庭に出来たダンジ

 

 ぼんやり道を眺めていると、様々なモノが通り過ぎる。朝一番は──夜と朝の狭間だけれど──新聞の配達員だ。初めて見る顔。造りから判断すると東南アジアの人だ。出稼ぎだろうか?


 首に掛けた安っぽいヘルメットが言い訳がましく揺れる。配達員はスーパーカブから降りると白い息を吐き出し、悴んだ手を擦り合わせた。カゴから素早く朝刊を取ると、ポストにねじ込んで次の家へ。ご苦労様。


 次は……猫だ。最近、近所で飼われ始めたのだろう。黒、白、オレンジの毛並みのいい三毛がチラリとこちらを見て「フン!」と首を振った。随分とお高く止まっている。手を差し出した俺が馬鹿みたいだ。いつかそのモフモフを吸ってやるからな。


 息巻いていると猫はいなくなり、入れ替わりに早朝ジョガーが現れた。ここ一年ほど、毎朝見る中年男性だ。大きく腕を振り、カロリー消費に余念がない。にもかかわらず相変わらずぽっちゃり。家に戻ったら朝食を山盛り食べるのかもしれない。


 だんだん明るくなってきた。視野が彩り鮮やかになり、社会の動き始める音が耳に付く。皆、お目覚め。会社へ学校へと向かう準備に忙しくする。


 炊き立ての白米の香りと焼きたての食パンの香りが換気扇によって外に流れてくる。すっかり食事に興味をなくしている俺も、この時だけは腹を鳴らす。グーグー鳴らす。横を通り過ぎたサラリーマンは聞こえない振りをして足早に駅方面へと向かった。優しい。


 さて、そろそろ時間だ。と思った途端、相方である神田陽子が視界に入った。ダウンジャケットの上に反射板付き安全ベストを着用し、手には「横断中! 絶対に止まって!!」と書かれた旗を持っている。こんなに気合いの入った学童擁護員が他にいるだろうか?


 陽子が現れたということは、小学生の登校の時間である。高学年の班長に連れられた集団登校の列は賑やかだ。大きなランドセルを背負ってテトテト歩く一年生の姿に癒される。


「はい! 渡って渡って!!」


 小学生を守るように陽子は仁王立ちになり、横断を促す。集団登校の列は「ありがとうございます!」と言いながら、反対側へと渡り終えた。


 俺達がいるのは所謂、事故多発交差点だ。渋滞する国道の迂回路になっていて、細い道なのに交通量が多い。そして住宅地なので視界が悪い。なのに通学路だ。学童擁護員が配置される前は人身事故が頻発していた。陽子の役目は重要だ。


 登校時間が終わると陽子は旗をくるくると巻いて輪ゴムで止める。安全ベストを脱ぐと、今時の若い娘だ。確か都内でアパレル店員をしているとか。


 陽子は旗とベストをリュックにしまうと俺の足元に置かれた花瓶の前にしゃがむ。


「今日も無事に登校が終わりました。向井さんが見守ってくれているおかげです」


 そんなことないんだけどなぁ。俺にそんな力はないよ。


「いつもありがとうございます。じゃ、仕事に行ってきます!」


 俺が助けた小学一年の女の子はいつの間にか大きくなり、仕事をしながら学童擁護員をするようになっていた。その笑顔は明るく、人を惹きつける。死者すらも。ついつい天に昇るのを後回しにしてしまうぐらいに。


 陽子の後姿を見送ると、俺はまたぼんやりと道を眺める。通り過ぎる人々は、いつの間にか白い息を吐かなくなっていた。

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