2章_近からず、遠からず

1

 二学期が始まり、また代わり映えしない日常が始まった。

 だが、ある土曜日、瑞希は少し浮ついた気持ちで葛西大学から帰宅した。イベント用の原稿は何とか終わらせて月子に提出することができた。その編集と製本が終わり、見本の一冊を大学の図書館で受け取った。

 帰りの電車でページをめくり、本としての出来栄えに改めて驚いた。周りの人たちは、今自分が読んでいる本が、書店に並ぶ一般書籍だと信じて疑わないだろう。自分の作品が活字になっていることが嬉しい反面、やたらと恥ずかしく感じながら読み進める。

 佑とのオカルト巡りは、作品に大きな影響を与えた。もちろん良い方向に、だ。リアルな空気感を描写できたことに自分自身満足していたし、周囲も得意ジャンルとして誇ってよいと褒めてくれた。例えお世辞だとしても、苦手意識を持っていたから余計に嬉しい。

 そして、あいつはいつ作品を書いていたんだと、揺れる車内で瑞希は疑問を抱く。佑から、作品に関する話は全くといっていいほど聞かなかった。締め切り直前に書き殴ったわけではなさそうだ。よくある江戸時代が舞台だが、とある大店の丁稚の少年を描いた作品で、きちんと勉強したのか時代背景へのツッコミどころも見当たらない。嫌味なく読者の笑いを誘う展開に、こいつはまともに書けたのかと思わず瑞希は唸った。相変わらず、あいつは全くつかみどころがない。

 若干の悔しさはあるが、それよりも浮足立つ心地で、やがて瑞希は家に辿り着いた。いそいそと仏壇に向かう。

 今日も母は仕事に出ていて、家の中はひっそりと静まり返っている。土曜日ぐらい家でゆっくりすればいいのにと思うが、そんな子どもじみた文句を吐くわけにもいかない。

 佑に語って聞かせたせいか、最近はやたらと祖母のことを思い出す。二人で行った遊園地の思い出や、食べさせてくれたオムライスの味。中でも、眠れない夜に、祖母は自分で作った物語を聞かせてくれた。それを真似て瑞希が話を作ると、祖母は破顔して聞き入った。どんな話も、喜んで褒めてくれた。それが嬉しくて、たくさんの空想や想像を口にした。

「瑞希ちゃんのお話は面白いね。すごい作家さんになれるよ」

 祖母の言葉は、瑞希が物語を書くきっかけとなった。将来作家になり、自分の本を出せたら、一番に祖母に読んでもらおうと決めていた。

 今はまだ果てしない道のりの途中だが、仲間と作った一つの形を手に入れた。冊子を仏壇に置き、手を合わせる。祖母は喜んでくれているに違いない。

 挨拶と報告を終えると、瑞希はわざと足音を立ててキッチンへと向かった。

「あった、チキンライス……」

 多めの独り言を床に零し、冷凍食品を電子レンジで温める。冊子を供えた時、直接手渡すことのできない寂しさをふと覚えた。面白いねと褒めてくれる声を二度と聞けない現実が身に沁みた。

 静寂が、少し重たくなった気持ちに水を吸わせる。沈み切らない内にスマートフォンを操作し、お気に入りにあるページを何気なく開いた。そうだ、これを見ていれば時間を忘れられる。

 ひとまがいを開き、没頭しかけた頃、電子レンジの稼働音が消えているのに気が付いた。そういえばハム吉のケージの掃除もしなければならない。焦りつつもどこかほっとしながら、瑞希は電子レンジからチキンライスの袋を取り出した。

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