2
山道にはぽつぽつと街灯が立っていたけど、それでも小石や木の根にうっかり躓きそうになってしまう。
やがて、私たちの耳にその音が届いた。
ぽた、ぽた。木の葉が水滴に打たれる音。
雨が降り出した。
やっぱり、と私たちは口にしなかった。見上げると、葉の隙間に見える空はいつの間にか雲に覆われていて、星は一つも見えなくなっていた。
次第に雨は勢いを増す。旭が立ち止まって、鞄から折り畳み傘を二本取り出した。それぞれ傘をさして再び山道を登る。茂る葉に遮られていても、大粒の雨が傘を叩く音が響いた。たちまち地面はぬかるんで、油断すれば足を滑らせて転びそうになる。さっきまでの晴天が嘘のような土砂降りだった。
一言も口を利かず、ただ黙々と一本道を行く。視線を上げると灯りが近づいてきた。あまりの雨に天体観測を諦めた人たちが引き返しているのだった。唐突な雨に困惑の表情を浮かべながら、足早に私たちと逆方向に歩いていく。すれ違う時、残念だと口にするのが聞こえた。
当初の予定では到着しているはずの時間になっても、私たちは歩いていた。道は暗く、足元は悪く、ゆっくりと進むしかない。ただ迷うことのない一本道なのが幸いだった。
遠くでごろごろと雷が鳴る。強い風が吹いて、その冷たさに指先の感覚を失う。嵐と呼んでも過言ではない天気だった。木々はざわざわと鳴り、枝はしなり、葉がぽろぽろと地面に落ちる。傘では防ぎきれない激しい雨に、最早身体はずぶ濡れだった。
私は短い悲鳴を上げた。吹き付ける突風に、心許ない折り畳み傘があおられる。嫌な手ごたえがあった。見ると、傘の骨が折れてしまっていた。
「傘はもう意味がない。さしとった方が危ない」
旭が言うのに、私もそう思う。彼が自分と私の傘を手にして、小さくたたみ、鞄にしまった。
直接雨に打たれながら、なおも私たちは歩いた。雨の一粒一粒が冷たくて、一滴ごとに体温を奪われる気がした。身体の芯が冷えて、吹く風が余計に体感温度を下げる。大きな雨粒がうなじに入り込んで、身震いする。全てが、私たちを拒んでいるかのようだった。
黙って歩く旭が、何度も心配そうに私を見る。彼の顔を見ないまま、私は進む。そんな強がりもむなしく、硬い木の根に躓いて、私は膝をついた。水たまりがはぜて、濡れていたズボンがいっそう水を吸った。
「……戻ろう」
雨音の中で、彼が呻くように言った。私は聞こえないふりをしながら立ち上がる。前髪から垂れる水が目に入るから、右手の甲でこすって追い出す。懐中電灯で前を照らしても、明かりは山の暗さに溶けていき、遠雷の音が鼓膜を揺さぶった。
再び歩き出しながら、旭が私の名前を呼んだ。
「梓、戻ろう」
「いやだ」
私は歯を食いしばって歩く。
「雷が落ちるかもしれん。危ない」
「大丈夫、私たちには落ちない」
「そんでも、風邪ひいてしまう」
雨の中で立ち止まり、彼と向かい合った。彼の心配そうな不安げな、いたたまれない表情が見えた。
「なあ、梓……」
「風邪なんて、大した問題じゃないよ」
「俺は嫌や。梓が苦しむ姿なんか見たくない」
「私は、ここまで来て戻る方が嫌」
「勘弁してくれ。もうぼろぼろやないか」
「旭は……」雨にかき消えないよう、声を張る。「旭は、見たくないの。流星群」
彼は口を噤んだ。やがて、でも、と苦しそうに呻く。
「すぐにこの雨が止むとは思えん。星どころやない」
「絶対晴れる。私たちは、流れ星を見ることができる」
「仮にそうやとしても、この雨は俺のせいや。これで梓が身体を壊してしまうんが、俺は一番嫌なんや」
「この雨が旭と関係あるとは限らないじゃん! もし旭が降らせてるんだとしても、私が好きになったのは世界一の雨男だよ。雨に濡れるのなんて、今更問題じゃない」
私は全てを受け入れる。彼と、彼がもたらすもの、それがどんな温度や形をしていても、全てを抱きしめて笑ってやる。
それが、私の覚悟。最愛の覚悟だ。
「約束したでしょ。この島で、流星群を見るって」
私が笑いかけると、旭は顔を歪めた。
「だから必ず雨は止む。そして私たちは、流れ星を見ることができる」
彼は黙って私を見つめて、私も彼を見つめ返した。かなわんな。そんな台詞とともに、彼は笑って、右手を差し出した。
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