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 図書館の中庭はうだるような暑さだったけど、イチョウの木の下にあるベンチに座っていると、時折涼しい風が吹くのを感じる。コンビニで買ったアイスを食べて少しだけ身体を冷やし、空を見上げた。茂る葉の向こうの空は青々としていて、入道雲が建物の向こうから湧いている。

 旭が買った冷たい水入りのペットボトルに頭をもたせかけて、ぷちは私たちの間で気持ちよさそうに伸びていた。流石に図書館にぷちは入れないから、一緒にいたければ外に出る必要がある。だけどこの顔を見られるなら、暑さなんて全く苦じゃない。今は旭にお腹を撫でられて、目を閉じてまんざらでもない表情。

「おまえ、ほんまに野良なんか?」

 あまりに無防備な姿に旭が呆れた顔で笑った。くねる尻尾が、彼の腕をくすぐる。

 私も旭もお互いに暇な夏休みを過ごしていて、予定はすぐに合った。というより、「明日会える?」の言葉にすぐさま「会える」の返事があった。昨日も旭は図書館に行って、ぷちと公園で遊んでいたそうだ。

「こんな日が、ずっと続けばいいのにね」

「そうやな」

 ぷちの尻尾の先を指でくるくるいじる旭。にゃんとぷちが寝言のような可愛い声を出して、再び彼の手はお腹に戻る。

「私、好きだよ。旭とぷちと一緒にいる時間」

「なんや、急に」

「もし会えなくなったりしたら、嫌だから」

 ぷちから顔をあげる旭は、怪訝な表情をする。「なんかあるんか?」

「ないことを願ってる」

「なんやそれ」

「旭、まだ小夏ちゃんと付き合ってないよね。早く伝えなきゃって思って」

「……は?」

 旭が私をどう思っているかわからないけど、今と似た状況に以前も陥っていたことを私は思い出した。私が大地くんに告白されたことを教えた時、旭は今のままがいいと、自分の気持ちを素直に伝えてくれた。だから次は私が、旭が小夏ちゃんに告白されたとしても、変わらない気持ちを伝えるべきなんだ。

「旭は中途半端なことはしないでしょ、だから私とは会えなくなる。その前に言わなくちゃって」

「いや、ちょっと」

「私は小夏ちゃんには劣るし、大した長所もないけど、でも、もっと話していたい。これからも図書館で会って、ぷちの言葉も教えて欲しい」

 真剣に旭を見つめる。もしかしたら手遅れかもしれないけど、言わないと始まらないんだ。

「旭が小夏ちゃんを選ぶなら仕方ないけど、私の気持ちを知っていてほしい」

「なんなんや、一体。俺が何を選ぶって?」

「だから、小夏ちゃんを」

「その小夏って誰や」

 今度は私がぽかんとする番だった。

「俺に付き合う相手なんかおるわけないやろ。梓やってよう知っとるはずやないか」

「だって、小夏ちゃんと仲良くしてるじゃん」

「せやから、それは誰なん」

 私は小夏ちゃんを説明する。桜浜の制服を着た、お洒落で小柄な女の子。この前も図書館前で話しているのを見たと言うと、旭はやっと思い至ったようだった。

「そういえば、桜浜の制服やったな。知り合いやったんか」

「知り合い……まあ、知り合いだけど。旭だってそうでしょ」

「なんかな、学校帰りよる時に道訊かれて、図書館前でまた会うたからちょっと喋ったんや。そういえば、そんな名前やった気がするけど……。俺がなんであの子と付き合うんや」

 驚いた旭が手を止めたから、ぷちが催促の鳴き声を出す。それに従って旭はぷちのお腹を再びさすりながら、混乱しているようだった。私も、旭が小夏ちゃんの名前さえ認識していないのは見当違いだった。

「気になってるから、あんなに旭に接近してるんだよ? 気付くでしょ」

「適当なこと言わんとってくれ」空いている右手をひらひらと振る。「そうやったとしても、俺は誰とも付き合えへんし、あの子はただの顔見知りや。そういう関係になりようがない」

 旭が誰とも付き合えないというのは、自分の過去を苛んでいるからだろう。それを覆すのが小夏ちゃんだと思うけど、今のところ旭は彼女を意識していないという。それどころか自分への好意にさえ気付かない鈍さは意外だった。他校の女子が短期間でぐいぐい接近して、何もないはずがないのに。

「ほんとに?」

「ほんまやで。なあ、ぷち」

 声をかけられたぷちは気だるそうに頭を持ち上げて彼を見て、すぐにペットボトル枕にその頭を乗せ直した。ぷちにはどうでもいいことらしい。「薄情やなあ」旭が呟いた。

「男慣れしとるだけの子やろ、よくおるよ」

「そんなことないって……」

 旭が口ごもったり言い淀んだらどうしよう。そう思っていたのに、彼はけろりとしている。こんなの、私の一人相撲じゃん。悩んで緊張していたのが馬鹿馬鹿しくなって、自分の言った台詞を思い返すと唐突に恥ずかしさが込み上げる。後悔なんてしてないけど、面映ゆい。

「それにしても、梓からそんなこと言うてくれるとは想像せえへんかったわ」

「だ、だって、もし小夏ちゃんとって思ったら……その……」

「いやー、びっくりした」

「うるさいうるさい!」

 けらけらと笑う旭に恥ずかしさが境地に達して、私は顔を両手で覆った。八月の暑さに溶けて消えてしまいたい気分になった。


 帰りのバスで、スマホに一部始終を文面で打ち込み、美澄さんに報告する。「えらい!」の言葉が返ってきて顔がほころぶ。「梓ちゃんなら言えると思った!」実の妹のように褒めてくれるのに、ありがとうと返事をした。

 夜になり、久々に晴れやかな気持ちでお風呂から上がって自室に戻った時、机の上で充電中のスマホが点滅しているのに気が付いた。手に取って、「小夏」の文字を目にする。

 桜浜では、二クラス一チームになって、年に数回スポーツの試合を行うイベントがあった。隣同士の私と小夏ちゃんのクラスは同じチームで、五月にはバレーボール大会が開催された。その時に女子だけでグループを作って、一年間よろしくね、ということになった。

 強制参加のグループチャットの書き込みは、実質カースト上位の女の子に占められていて、私は一文字も自分から発言したことはない。ただ登録はしていたから、そこを辿って個人の連絡先を掴むのは簡単なことだった。プライバシーなんてものは、青春や友情の為ならいとも容易く犠牲になる。

 だから、小夏ちゃんが私のアカウントにメッセージを送れることに不思議はない。そして、その理由は一つしかない。


 ――あたし、言ったよね?


 強気の言葉が目に入った。

 今日の午後、図書館の中庭で旭と私が会っていたのを互いの学校の誰かが見かけて、それを彼女に教えた。チクったっていう方が似合ってる。小夏ちゃんの力になりたいって思う生徒は大勢いるから、それもすんなり理解できた。

 自分が狙っているのを知りながら、尚も邪魔する気なのか。ただの友だちだって言ったじゃないか。そんな意味のメッセージが続く。彼女が言いたいことは、嫌でも察する。このままだと、学校に来られなくしてやるぞ。つまりは、そういう警告。

 そのメッセージを、私はいやに冷静な気持ちでスクロールした。私はもう逃げない。全て上手くいくとは限らなくても、これからは自分の気持ちに素直になる。失くしたくないものは、最後まで離さない。奪われるのを黙って見ているわけにはいかないんだ。

 だから、自分から文字を打ち込む。


 ――会って話そう。


 スマホを間に挟まなくても、私は話ができる。もう恐れたりなんかしない。親指で送信ボタンをタップした。

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