雨、時々こんぺいとう

8

　早速、翌日の放課後に、私と結々は隣のクラスに向かった。わいわい騒がしい教室で、小夏ちゃんは当たり前にその中心にいる。そういえば、私と入れ違いの時期に天文部に入ったらしい。同時期に同じ部活に入っていれば少しは仲良くなれたかと考えるけど、やっぱりタイプが違い過ぎて無理だと思う。

　こっちに気付く様子がないから、教室の出入口近くにいた女の子にお願いして、呼んでもらった。あらかじめ結々が約束してくれていたから、振り向いた彼女は周りに軽く手を振って、あっさり私たちの元にやって来た。

　今日もゆるく髪を巻いた小柄な彼女は、うすくメイクをした顔で私たちを見る。「結々と……確か、七瀬さんだっけ？」残念ながら、彼女は私をきちんと認識していないらしい。

「うん。梓でいいよ」

「ごめん、小夏、呼び出して。ちょっと付き合ってくれる？」

　結々が手を合わせて、私もその真似をした。

「いいけど、用って何？」小夏ちゃんは小首を傾げた。結々は用事があるとだけ彼女に連絡したそうだ。

「ちょっと訊きたいことがあるの。十分だけ時間ちょうだい」

　かくして私たちは、校舎を出て体育館脇の休憩スペースに足を運んだ。体育館からはバスケ部がランニングをする掛け声が聞こえてくるけど、自販機があるだけの場所にひとけはなかった。

「小夏って、西ノ浦にも知り合い多い？」

　結々が切り出すと、小夏ちゃんはきょとんとした顔で、考えるように人差し指を頬に当てる。

「そこまで多くはないけど、いることにはいるよ。いきなりなに？」

　ちらりと結々が私を見る。黙って突っ立っていた私も、意を決して口を開いた。

「高等部の、樹って男の子知ってる？」

「樹旭くん？　知ってるよお」

　あっさり認めて、彼女は笑顔を見せた。知らないとはぐらかされたらどうしようと思っていたけど、こうもすぐに認められると、少し動揺してしまう。

「彼がどうしたの」

「えっと……この前、私のスマホにこの写真が送られてきて」慌ててスカートのポケットからスマホを取り出して画像を見せる。不思議そうに画面を覗き込んだ彼女は、大袈裟に両手を口元にやった。

「なにこの写真、誰が撮ったの」

「わからない、誰かが梓のところに送ったんだって」真剣な顔で結々が付け足す。「えー、こわい」自分の両腕を抱く小夏ちゃん。

「小夏にも心当たりないんだ」

「ないってばあ。あたしがそんなことしても意味ないじゃん」

「送り主も気になるんだけど……」バレないように息を吸う。「小夏ちゃん、旭とも仲良しなの？」

　彼女は一瞬きょとんとした顔で私たちを見て、くすくす笑いだした。それって一体どういう反応？　意図が理解できず、私は結々と顔を見合わせる。

「仲良しに見えるんなら嬉しいなあ」

「それって、どういう……」

「仲良しになろうとしてるの」

　どこか恥ずかしそうに言う姿に、やっと私の頭は理解を始めた。この写真が撮られた時は、二人は仲良しではなかった。だけど、小夏ちゃんは仲良くなりたいから、こんなにも笑顔を浮かべていた。それはつまり。

「あたしが狙ってるってこと、みんなには内緒だよ」

　人差し指を唇の前に立てて、内緒、のポーズ。うそ、うそ、うそ。信じられずに、私の頭は真っ白になる。

「え、待って。小夏、旭くんが好きなの？」結々も明確に狼狽えている。

「結々、しー」きょろきょろと、誰もいない周りを見渡して。「好きっていうか、気になってるって段階だけど」

「でも彼ってあれでしょ、その……」

　私を気遣って最後まで言えない結々だけど、小夏ちゃんはにこにこして頷いた。

「噂聞いてあたしも知ったんだけど、でも、知り合い伝手で見てみたら、結構かっこよくて。それで気になって話しかけたんだけど、もーっと気になっちゃった」

　なんの躊躇もない台詞に、私はやっと危機感を覚えた。小夏ちゃんは旭を気に入っている。遠くないうちに告白までいくかもしれない。

「そうだ！　ねえ梓、旭くんと知り合いだよね。連絡先知ってたら教えて！」

　尚のこと表情をぱっと明るくさせるのに、私は動揺しながらもぶんぶんと首を左右に振った。

「えー、どうして？」

「だ、だって、勝手に教えるわけにはいかないし。その、個人情報だから……」

「大袈裟だなあ」ぷっと頬を膨らませる。「じゃあいいや、自分で聞く！」

　ショックで上手に言葉が出てこない。顔が広くて、誰とでも簡単に距離を縮める彼女なら、あっという間に旭との距離も詰めるだろう。もし、もしも付き合うなんてことになったら、最早私の出る幕なんてない。

「あの、旭って、結構変な人だよ。小夏ちゃんには合わないかも……」

　狼狽のあまり下手な悪口まで言ってしまうのに泣きたくなる。

「ふーん」小動物のようなくりっとした目をぱちぱちさせて、「でも、その方が面白いじゃん」満足そうに笑ってみせた。

「そうかも、しれないけど」

「もしかして、困るの？　あたしが旭くん狙ったら」

　核心をついた台詞にドキッとする。両手を身体の後ろに回してそんな私を見つめる小夏ちゃんは、不敵な笑みを浮かべる。

「梓、告ろうとか思ってる？」

「私は、その、そういうわけじゃ……」

「だって、ただの友だちだもんね」

　ただの友だち。何回繰り返したかもわからない台詞。彼との関係を尋ねてくる誰彼に、私はそう言って誤魔化してきた。だから彼女がその噂を把握していても何の不思議もない。

　それなのに、今までそんな台詞を述べてきた自分が悔しくて情けなくて、唇を噛んでしまう。

「よかった。梓が狙ってたら、それも気まずいし」

　にっこり笑う彼女は、勝ち誇っていた。彼女は、私が旭にどういう想いを抱いているか気付いている。だけど、一葉小夏が狙う限り七瀬梓に勝ち目はない。弱者に対する強者の威圧感を、小柄な身体から滲ませている。もし私が邪魔をして敵になれば、今後の学校での居場所さえも危うくなる。そもそも私に邪魔をする気概もないことを、彼女は確信している。

　結々が買って渡した甘い缶コーヒーを手にした小夏ちゃんは、くるりとスカートを翻して振り向きもせず校舎に戻っていった。

「梓……」

　俯く私の様子を、ぎこちなく覗う結々。

「ごめん。小夏に聞かない方がよかった」

「……ううん」首を振って、私は滲む涙を腕で拭う。情けなさとか劣等感とか悔しさとか、そんな感情がごちゃまぜになって胸の奥で渦を巻く。だけど冷静な部分は残っていて、それが結々にお礼を言わせた。ありがとうの言葉に、結々は視線を伏せる。

「小夏、わかってるんだよ、梓の気持ち。なのにあんな意地悪して」

「いいの。今まで何もしなかったのは、私だもん。……あーあ、私何やってるんだろ」

　笑ってみせるけど、それは小夏ちゃんみたいに上手じゃなくて。

　不器用な笑顔からは、数滴だけ涙が零れ落ちた。それは夏の陽射しよりも熱く、私の頬を焼いていった。