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 彼は意外にも聞き上手で、私もすっかり話し込んでしまった。それからやっと勉強を始めて一時間も経たないうちに、三十分後の閉館を知らせるアナウンスが流れ始めた。窓の外は既に暗くなりかけている。

 図鑑を本棚に戻して、一階に下りて、建物の外に出た。横にいる旭が空を見上げる。

「もう、宵の明星ってやつ見えるんかな」

「ここじゃ明るすぎるかもしれないけど、もうちょっと暗いところで探せば見えると思うよ」

 夕陽の朱と夜の群青が混ざりあう空を見て、私は思わず「探しに行く?」なんて言っていた。ここまで私の話に興味を持ってくれる人が珍しくて、つい嬉しくて。だけど、「え?」って顔をする旭を見て、慌てて口を閉じた。変な宇宙オタクだなんて思われたかもしれない。

「俺はええよ」

「……ええって、どっちの意味」

「七瀬がかまわんのなら、ついてくわ。そうや、近くに公園あるやろ。あそこなら見えるんやないか」

 彼の方から提案してくるのに、今度は私が目を丸くする番だった。けれど断る理由なんてない。二回も三回も首を縦に振って、私たちは初めて一緒に図書館の外を歩いた。

 わかば公園までは、図書館から歩いて五分程度。住宅街を行く私たちの前を、いつの間にか一匹の猫が歩いていた。その猫を私は、ぷちと名付けていた。ぶち模様があるからぶちにすべきか悩んだけど、もう少し可愛くして、ぷち。旭と仲良しの、片耳と背中と尻尾の先が黒い猫。今は私たちの前を、すました顔ですたすた歩いている。

「置いてくなって」

「ぷちが言ったの?」

「散歩するなら自分も連れてけやと」

 彼の言葉を肯定するように、ぷちが鳴いた。本当に抗議しているような後ろ姿に、私は思わず笑ってしまう。

「旭は、ぷち以外の猫の言ってることもわかるの?」

「わかるで。こいつが一番分かりやすいってだけや。もう少し訓練すれば、もっと分かるようになるかもしれへんけど」

「訓練って、動物と喋る訓練ってこと」

 聞き慣れない言葉に私が訊くと、「それもある」と彼は頷いた。

「けどな、それより俺は、雨を操れるんや」

「……へー」

「信じてへんやろ」

「だって、それならなんであの時びしょ濡れになってたの。操れるんなら、雨を止ませたらいいのに」

「それはでけへん」

 やっぱり樹旭は変な人だ。私は再認識する。

「降らせるんは出来るけどな、止ませるんはまた別や。やから、先生に訓練してもろとんや」

「先生って」特殊能力の訓練をしてくれる師匠とその弟子。まるで漫画の世界だ。

 けれど苦笑する私に、旭は自慢げな顔をした。

「先生はすごい人やで」

「その人も雨を降らせるとか、動物と話したりとかできるわけ?」

「そういうのは、でけへんかもしれんけど。でも、俺には出来んことがぎょうさん出来る。えらい人や」

「雨を降らせる、ね」

「信じられへんのも無理ないけどな」

 明らかに信じていない私の様子に、旭は口の端をちょっと上げてにやりと笑ってみせた。

 大きな通りに出て、交差点の横断歩道を渡る。ぷちがちょこちょこと先頭きって歩くのに、私はひやひやした。いきなり駆け出して、曲がってくる車に轢かれたらどうしよう。

 でもそんな心配なんてどこ吹く風で、ぷちは無事に横断歩道を渡り終え、先にある公園へ一足早く飛び込んでいった。そういえば、私たちが公園に向かっているのが、なんで分かったんだろう。

 広いわかば公園には、たくさんの遊具に、サッカーのできるグラウンド、亀や鯉の住む池がある。更に木々に囲まれた遊歩道を行くと、東屋が点在する芝生の広場に出た。その頃には空は随分暗くなっていて、見上げる先にほっそりした鋭い三日月が浮いていた。

 晴れていたはずの空には、いつの間にか大きな雲が湧き始めていて、月の方へゆっくりと流れ込んでいくのが見える。

「あっ、あれ! ほら見て!」

 けれど一番星はまだ雲に覆われてはいなかった。西の方角に一つだけ、ぴかりと光る眩い星。家々の灯りや高い建物がそばにないせいかよく見える。

「あれが金星か」

「そう、宵の明星。間違いないよ」

 旭が空を見上げて、そばに伏せて前足を舐めていたぷちも、彼と同じ方角を向く。

 しばらく私たちは明星を見つめていた。そして、どこかに星座が見えないかとも探したけど、残念ながら曇る空には星座を作れるほどの星は見当たらなかった。

「北斗七星も見れたらよかったね」

「いや、これで十分や」旭は西の金星を見上げたまま首を振る。「名前のわかる星を見たんなんか、初めてや」

 その横顔を見て、空を見上げて、また横顔に視線を戻しても、旭は星を見ている。星空観察を気に入ってくれたなら、私も嬉しい。

 にゃんと鳴き声がした。靴を前足で引っ掻くぷちを、旭が抱き上げる。

「こいつも、満足したって」

「ほんとに?」

「ほんまやで」

 抱っこされてまんざらでもない顔をするぷちを見て、「おい、寝るな」と彼は笑う。それを見ると何だか充足感を覚えて、私も同じように笑った。

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