雨、時々こんぺいとう
ふあ(柴野日向)
序章_五月雨日和
五月雨日和
「ねえ、図書館連れてってよ!」
五月の初旬、友人の
「梓がいつも行ってるとこ、気になるし」
私、
四月に入学したばかりの
五月晴れの青空が広がる道を二人で歩いて、三階建ての建物に辿り着く。天気の良い日に新しい友だちと図書館に行く。それだけで心が弾む。
「へえー、やっぱり大きいね」
中に入って、結々が声を潜めながら感心するのに、「でしょ」となんだか誇らしい気分になった。エントランスには自販機置き場と小さな休憩スペースまである。そこを通り過ぎてカーペットを踏みしめると、整然と本棚が並んで、本がぎっしり詰め込まれた私のお気に入りの空間が広がる。
「自習スペースってどこ?」
「二階だよ、こっち」
私たちはエレベーター脇にある階段を上がった。階段から見える側は一面のガラス張りになっていて、ベンチや花壇の据えられた中庭が一望できる。今の時期は赤や黄色のチューリップが植わっていて可愛らしい。
二階には専門書コーナーと、二か所の自習スペースがある。一方では静かにしないといけないけど、もう一つのスペースは少しなら喋っても構わない。ここではパソコンのキーを叩く人がいたり、大学生が小声で発表の打ち合わせを行っていたりする。気楽なので、私はこの場所で本を読んだり勉強をすることが多い。
丸テーブルにつきながら「梓、課題終わってる?」と結々が口を開いた。
「半分ぐらいね」
「えー、余裕じゃん。あたしほとんど手つけてないし」
「結々は部活あるし仕方ないよ。私は部活してないもん」
「またどっか入ったりしないの」
「今は考えてないよ」
ゴールデンウィークを飽きさせないために、学校からは課題がどっさり出ていた。桜浜高校の先生たちは、生徒たちを遊ばせる気は全くないらしい。結々は英語の教科書を鞄から出しつつ、大袈裟なため息をついた。
「作品も作らないといけないし、勉強もしないといけないし。鬼だよねー」
「でも、絵描くのは好きなんでしょ」
「まあそうだけどさあ」
私も鞄からノートを出しながら、周りを見渡す。新聞を読んでる人、パソコンを触っている人……代わり映えしない景色だけど、今日はいないのかな。
「どしたの」
「ううん、なんでもない」私は首を横に振った。「それより、結々は数学の小テスト何点だった?」
「ええ、それ聞く?」
「だって気になるんだもん」
「そんなら梓の点も教えてよね」
「やーだー」
騒ぎ過ぎないようボリュームを落としながら、私たちはくすくす笑って小突き合った。なんて平和な日常なんだろう。結々もきっと、そう感じていると思う。
それから選んできた本を読んだり、大人しく勉強したりして、顔を上げた私は気が付いた。
「雨降ってる!」
慌てて口をつぐんだけど、私の言葉を聞いた周りの人たちも、窓の方に顔を向けた。誰もが驚きの表情をしていて、それもそのはず、今日は降水確率ゼロパーセントの予報だったから。それなのに、いつの間にか窓ガラスは大粒の雨に濡れていた。
「嘘でしょ……」
結々も窓を見て、げんなりした声を漏らした。「通り雨かな」
「だといいんだけど……」壁の時計は既に十八時三十分を指していて、私たちを追い立てるように閉館時刻を知らせるアナウンスが流れた。七時には閉館だ。だけど、この大雨があと三十分で止むようには思えない。
「……しょうがない。帰ろっか。梓、折り畳み持ってる?」
「持ってるよ。結々は?」
「幸いね。でも、この雨じゃなあ。駅に着くまでに濡れちゃいそう」
やれやれ。せっかくいい気分で課題をこなしていたのに。
だけど天気のことはどうしようもないから、ノートや教科書を鞄にしまって席を立った。階段を下りながら見ると、中庭でチューリップが雨に打たれて首を曲げていた。一階のカウンター前では、早く家路に着こうとする人たちが列を作っている。
それぞれ折り畳み傘を握りしめて、エントランスを通り抜ける。私は図書館前の停留所でバスに乗り、結々は少し歩いた先の駅から電車で帰る。どっちもそう遠くはないけど、予報にない大雨だなんて、ついてない。
玄関で傘を広げていざ出ようとすると、「ねえ」と結々が私の肩をちょんとつついた。
「あれ、やばくない?」
彼女が視線をやる方を見て、私は思わず「あっ」と出かけた声を飲み込んだ。
玄関先にも、二つだけ石造りのベンチがある。そこに、男の子が一人座っていた。多分私たちとそう歳の変わらない制服姿の男の子は、何故か傘をさしていない。こっちからは斜め後ろの横顔しか見えないけど、何をするでもなく雨空を見上げている。
傘を忘れて急いで帰っている様子ならまだしも、まるで雨が見えていないかのように、そこに座っている。雨に打たれてびしょ濡れの男の子は、正直言って気味が悪い。
結々が顔をしかめているから、私は「あの子知ってる」とは言えず、「やばいね」と同意した。ただ見覚えがあるだけだから、名前や関係を聞かれても困るし。それに私も、「なんで?」っていう彼に対する不審感が勝っていたから。
傘を広げて、私たちはそそくさと図書館を出る。彼からは目を逸らすべきだと思いつつも、私は一瞬だけ視線を向けてしまった。
雨ざらしの顔を一度拭い、彼は眩しそうに暗い雨空を見つめていた。
慌てて前を向き直し、私は結々と別れてバス停に向かった。
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