黒の魔法少女は傷だらけ

駄犬

第1話 白い魔法少女

黒の魔法少女は傷だらけ



俺が"黒乃真白くろのましろ"という女と初めて出会ったのは、高校の入学式だった。


その日は雲ひとつない空で、頬を撫でる優しい風が気持ち良かったな。


校門出た先の坂道に、疎と咲く桜の花びらが儚く散っている様子を黒乃はずっと見ていた。


「何してるんだ?」


俺は思わず声を掛けてしまった。


そんなの誰が見ても分かるって話だ。


でも黒乃は嫌な顔をせず俺の話を——いや、コイツはいつもこんな調子だ。


声に覇気が無く、顔には一切の感情を出さない。


だから、コイツが俺の話を嫌だと思ってるのかどうかなんて、知る由もないのだ。


「綺麗だったから」


ロボットが喋ったかと思ったよ。


抑揚の無い声は、桜の花びらと共に何処かへ行ってしまうから、聞き逃してはいけない。


コイツの声を掬い上げ、良い感じに返答をしたい所だが、俺にはそんな器用な事は出来ない。


「そうだな」


こんな言葉しか出てこない自分が嫌になるよ。


まぁ、コイツとは今後関わる事も無いだろうし、俺の失敗談には追加しないでおこう、なんて思っていたのが懐かしいよ。


次の日教室に行ってみると、なんと黒乃は俺と同じクラスじゃないか。


しかも、隣の席じゃないか。


何かとコイツとは縁があるんじゃないかと思い、再び声を掛けた俺だが、いつも通りの平坦な声で短い言葉が返ってくるだけだった。


縁があるなんて思ってたのは俺だけだったみたいだ。




それから三ヶ月程経ち、クラスの連中に次第とグループが出来始める。


かく言う、俺にも友人と呼べる奴らが数人でき、休憩時間はそいつらと過ごしていた。


しかし、クラスに一人。


誰とも混ざる事なく窓際の席で、昼休みはずっと窓の外を眺めている女が居た。


黒乃だ。


初めこそ周りに馴染めずに居た黒乃に、女子達が哀れみからか、はたまた本当に友達になりたかったのか、声を掛けているのを何度か見たが、今はもう居ない。


「おい。どこ見てんだ?」


俺に声を掛けたのは友人と呼べる数人の内の一人、小枝さえだだ。


「ずっほ黒乃はんを見へたよね?」


卵焼きを頬張り、口をもごもごしながら喋るコイツも、友人と呼べる数人の内の一人、西田にしだという男だ。


昼時は小枝の席に集まり、この二人と飯を食うのが日課になっていた。


「別に。いつも一人だなって思ってな」


「まぁ、お前が黒乃に見惚れるのも分かる。性格を度外視すれば、この学校の中では五本の指に入る美女だぜ」


小枝、お前は何か勘違いしてるようだが、俺は別に見惚れていたわけじゃ無い。


微妙な顔をしていると、小枝はポケットから生徒手帳を出して俺に見せてきた。


「お前疑ってるだろ?ほら見てみろ。全学年の女子は既にチェック済みだ。俺がこの中から選抜した結果、黒乃は第三位に輝いた美女だ」


全学年女子生徒の、大凡のスリーサイズと顔を評価する汚い文字が、手帳の罫線上に埋め尽くされていた。


暇なのかコイツは。


ていうか、お前の評価なんて俺は疑っていない。


「俺が気になったのはそんな事じゃ無い」


「じゃあ、あの傷の事?」


西田は黒乃の姿を見て言った。


西田の言う傷とは、黒乃の身体中に貼られ巻かれになっている包帯や傷テープの事だ。


そして極め付けは、あの右目の眼帯だ。


その様子を見た教員連中らは、親から虐待でも受けてるんじゃ無いかと、そう言う話があったそうだが、それは黒乃が否定したらしい。


まぁ実際、それは黒乃にしか分からん事なのだが、もしあの傷がアイツを一人にする理由だとするのならば、それはそれでアイツの事を少し知りたいと思ったりもした。


「知るも何も、黒乃は何も喋ってくれないらしいぜ。ビジュアルが良いからな、この三ヶ月間でかなりの男子が告白したらしいぜ」


小枝はあくまで噂と前置きしてから語る。


「で、結果は?」


「全員玉砕だ。返事どころか声を聞いた奴は一人も居ないんだと」


その話が本当なら、初めて会った時に俺の質問に答えたのは、かなりレアなんじゃないのか。


「だから、アイツにその気があるならやめといた方がいい。顔がいいならまだしも、お前は下の中くらいの顔だもんな」


小枝は俺に釘を刺した。


それにしても失礼な奴だな、俺の顔は中の下だ。




——飯時を終え、睡魔との真っ向勝負をしていた午後の授業も終わり、生徒達は眠気なんて無かったかの様に意気揚々と帰路に着く。


俺もそれに便乗して帰ろうとしていたが、日直だった事をすっかり忘れており、テキトーに日誌を書いた。


職員室で明日の授業の準備をしていた担任にそれを渡すと、その場で日誌の内容を読まれ軽く説教を食らった。


テキトーに書いてるのは俺だけじゃ無いのに、俺が全員分の説教を食らった気分だ。


腑に落ちないが、確かにこれは俺が悪い。


何とも言えない気分のまま説教が終わり、俺は教室に鞄を取りに行く。


帰宅部連中はとっくに姿を消し、学校に残ったのは運動部と文化部の連中だけだった。


と思っていたが、俺が教室のドアを開けると、いつもの場所に黒乃が居た。


最後尾の窓際の席、俺の席の隣だ。


俺が開けたドアの音にも反応せず、黒乃はずっと窓の外を見ていた。


開けた窓から風が吹き、カーテンと共に黒乃の綺麗な黒髪が靡く。


「何してるんだ?」


思えばこの台詞が、俺の人生のターニングポイントだったのかもしれない。


「外を見ていた」


見れば分かる。


言葉とは難しいものだ。


「帰らないのか?」


その言葉に黒乃が振り向いた。


しかし、何も言わず俺の顔をじっと見る。


こうして見ると、本当に同じ人間なのか疑いたくなってしまう。


綺麗な顔つきなのは勿論だが、それ以上に無機質すぎるその表情にどこか不気味ささえ感じてしまう。


「一緒に帰るか?」


完全に魔が差した。


こいつの家がどこにあるのかも知らんし、そもそも女子を帰りに誘うなんて今までの俺なら絶対にしない。


嗚呼、また俺の失敗談が増えた。


「うん」


うん?


"うん"と言ったのかこいつは?


黒乃は窓を閉めて、机の横に掛けた鞄を手に取り席を立つ。


そして、再び俺の顔を見た。


「い、行こうか」


何故だろうか。


先の言葉をまるで誘導されているみたいだ。


そして、俺たちは教室を後にした。


黒乃は俺の後を追う様に、少し後ろを歩く。


何だか背後を狙われている様で落ち着かないので、横を歩いてくれと頼んだら、何も言わず隣を歩き出した。


本当に読めないなコイツは。


「家は何処なんだ?」


「魔河市二丁目。最近建ったアパートに居る」


初めてコイツから長い言葉を聞いた。


てか、魔河市二丁目って俺の家の近所じゃないか!?


二丁目なら中学も同じ校区になる筈だが——


「最近引っ越してきたのか?」


「うん」


「元は何処に住んでたんだ?」


黒乃はその問いに答えなかった。


まぁ聞かれたく無い事の一つや二つあるだろうけど、無視は少し傷つく。


俺達は同じ電車に乗り、同じ駅で降り再び帰路に着く。


しかし、コイツを見てると小枝の言ってる事が分かった気がする。


確かに性格を度外視すれば、かなりの美女だ。


眼帯をしていても、身体が傷だらけでも、その事実に変わりはない。


黒乃は俺の視線に気付き、無機質な顔をこちらに向ける。


「何?」


「いや、何でもない。気にするな」


少し見過ぎたようだ。


顔に変化が無さすぎて、怒ってるのか、笑ってるのかまるで分からん。


人はここまで感情を空っぽに出来るものなのかね。


コイツへの疑問は益々増えるばかりだ。


そんな事を思っていると、別れは突然にやって来る。


車通りの少ない短い交差点に差し掛かった時だ。


黒乃が立ち止まった。


あぁ、そうか。


「二丁目はあっちだもんな。気をつけて帰れよ」


黒乃は頷き、踵を返して信号を渡った。


別にこんな事しても黒乃の全貌なんて分かるわけないのに、何故か俺はアイツの後ろ姿が消えるまでずっと見届けた。



仮に小枝の言っていた噂が本当なら、俺はいつか玉砕された男子共に返り討ちにされそうだな…


まぁ考えても仕方ない、帰るか。






——そして俺の日常は、次の日から変わった。


「今日も一緒に帰るか?」


黒乃は無言で立ち上がり、俺の方を見て頷いた。


小枝や西田とは帰る家の方向が違うから、いつもは一人で帰っていた俺だが、昨日の一件以来コイツを誘って帰る様になっていた。


一人で帰るより、誰かと話しながら帰った方が良いもんな。


肝心な会話というと、殆どが成立などしていないがな。


無視か偶に短い言葉が返ってくるだけだったが、別に俺は嫌いじゃなかった。


コイツの気持ちが読めない分、変に気を使う必要もないし、本当に嫌だったら俺の事は無視して、一人で家に帰っている筈だしな。


でも偶に思う。


コイツの性格は表情や感情とは別にあるんじゃないかと。


ただ押しに弱く断れない性格なんじゃないか、実は一人が好きなんじゃないか、本当はもっと心は普通の女の子なんじゃないかと。


罪悪感の波は、いつも別れ際に訪れる。


アイツの後ろ姿は、一ヶ月程過ぎても何も変わらなかった。




7月初旬——


夏休み間近でクラスの連中は浮かれ気味だ。


かく言う俺もその一人である。


しかし、変化は俺達だけでは無かった。


「今夜は気をつけて」


その日の帰り際、無機質な声からそんな言葉が俺に掛けられる。


珍しいもんだ、コイツからそんな言葉が出るなんて。


今日は雪でも降り積もるのか?


俺はその言葉の意図もよく考えず、「そうするよ」とだけ答えた。


コイツがこんな台詞を言うのは只事じゃないって、もっと早くに気づくべきだったが、夏休みという甘い誘惑に浮かれていた俺は、その言葉を甘く見ていた事に深く後悔する。




——悪夢。


それはレム睡眠時に発生する。


最も恐ろしい出来事がリアルで生々しく起こる。


目を開けると俺は小枝や西田のいる、いつもの教室に居た。


しかし、いつもと違う。


それは俺だけがその教室の天井に立っていた。


世界が反転したのか、はたまた俺が反転しているのかは分からない。


窓の外に目を向けると、世界は真っ白でそこには机や椅子がそこら中に浮いていた。


何が起きている?


俺は天井を移動できるのか、恐る恐る足を踏み出した。



移動は出来るみたいだ。


俺は小枝と西田のいる所まで移動し、二人の空から声を掛けた。


「おい!何が起きている!?」


しかし、二人に俺の声は届いていないようで返事はない。


無視というよりかは、俺の存在に気づいていないようだ。


まるで俺だけが別の世界にいる様な、そんな感じだ。


——黒乃。


そうだ黒乃は?


俺が踵を返し黒乃の席を見ると、アイツはそこに居て無言で俺の顔を見ていた。


あいつは俺の存在に気づいているのか…?


俺は声を掛けようとしたが、先に口を開いたのはアイツの方だった。


「私に感情が無いと思ってるの?」


——?


「私はロボットじゃない」


「私は一人で居たい」


「そう私は普通の女の子」


——ちょっと待てよ。


そして黒乃は声を出さずに口だけを動かした。


俺に読唇術なんてないが、それははっきりと俺にも分かる動きをした。



——自業自得——



あぁ、そうか。


これは黒乃の本音なのかもしれないな。


そりゃそうさ。


少し考えれば誰にでも分かる。


感情が無いなんてありえない。


黒乃は人間だ、ロボットなんかじゃない。


もしかしたら、ずっとアイツは一人で居たかったのかもしれない。


俺があの時あの坂道で声を掛けなければ、未来は違っていたかもしれない。




「その後悔も、あなたの失敗談ってやつ?」


黒乃とは違う、綺麗でやけに大人びた声が後ろから聞こえ、俺は振り向いた。


そこに居たのは、顔にボヤがかかり全容が見えない人間が、俺と同じ天井に立っていた。


ただ分かるのは、そいつは長い髪をした金髪の女性だ。


「誰だ?この世界の住人か?」


「半分正解で半分ハズレね」


「何者なんだ?」


「フフフ」


ボヤの掛かった女性は不適な笑みを浮かべた。


瞬間、俺の腹に鋭い鈍痛が響く。


ボヤの掛かった女性の背後から、実態のある黒い影が俺の腹に突き刺さっていた。




「ぁぁぁああああ!!」


俺は情けない悲鳴を上げながら、自分のベットから勢い良く体を起こす。


息は上がり、全身から汗を吹き出していた。


「23時44分…」


携帯の画面に映し出された時計はその時間を表示する。


俺は足早にリビングへ行き、乾いた喉を潤した。




今だ鮮明に覚えている。


痛みも後悔も。


夢か現実か、その境界も曖昧な程に混乱している。


その答えの糸口をずっと探していると、腹に違和感を感じた。


何故、服が破れている?


しかも、実態のある影が俺の腹に刺した所と同じ…。




——現実世界で起きている?


その答えを導き出した俺は、気づけば外へ駆け出していた。


何故って?


そんなの俺が知りたいね。


俺は何をしている?


何処へ向かっているんだ?


俺は浮き足立つように外を走る。


一向にその"答え"は見つからないが、でもじっとはしていられなかった。


俺は導かれる様に、車通りの少ない短い交差点へ向かっていた。


あの角を曲がれば——


曲がった先に見えたのは、街灯と信号機が周囲を照らし、まるでそれがスポットライトで自分を照らすかの如く、一人の女が道路の真ん中に突っ立っていた。




——黒乃、何故お前がそこに居る?


もう0時を過ぎてるはずだ。


黒乃は俺の存在に気づき、無言でこちらを見つめる。


こんな時間に、何で一人で。


疑念と不気味さは次第に増していくが——もしかしたらお前がその"答え"なのかもしれないな。


「何してるんだ?」


お前が一人でいる時に掛けるお決まりの言葉だ。


しかし黒乃は、その問いに答えてくれなかった。


あの反転世界で見た黒乃の言葉の真意は分からん。


でもこの現実世界とリンクしているのなら、お前があの時に吐き出したあの気持ちは本音なのかもしれん。


だから俺は——


「お前に言わなきゃいけない事がある」


「何?」


「俺はお前に甘えていたのかもしれん」


そうさ、お前は感情を表に出すのが苦手だ。


だからそれを良いように利用して、俺は自分が過ごしやすい日々を送っていた。


ただのエゴってやつだ。


「信じられないかもしれないが、夢の中でお前の心の声を聞いた気がするんだ」


「心の声?」


「あぁ。実は——」


その時、俺は強い悪寒を全身で感じた。


黒乃の後ろの方、信号機と街灯の照射範囲外にあたる暗闇の道路から、徐にそれは姿を現す。


実態のある影だ。


形容しがたいその影は、まさに怪異と呼べるだろう。


そして俺の知っているその影は、確実に殺意を持って近づいてくる。


——捕まれば死ぬ。


脳がそれを理解するまで、そう時間は掛からなかった。


「走れ!」


俺は黒乃の手を取り、その場から逃げ出した。


何だあの黒い影は!?


幽霊とかユーマ?とかそんなオカルトチックな話じゃ無い。


はっきり見える。


それも、意思があるように"俺達"を追いかけてくる。


"俺達"?


いや、違う。


狙われてるのは俺だ。


黒乃は関係ない。


俺が黒乃を巻き込んでしまったんだ。


「どうして逃げるの?」


当たり前だ。


捕まれば、おそらく俺は殺されるだろう。


お前は俺に関わった人間として、生かされるのか殺されるのかは分からんが、今は逃げるのが得策だ。


「とにかく逃げるんだ!」


俺達は走った。


暗い夜道を何処までも。




幸い、あの黒い影がノロマで助かった。


姿は見えない。


そして、気づけば俺達は学校の近くまで来ていた。


案外走れば行ける距離なんだと驚きもあったが、それよりも——


「お前、なんでそんなに息上がってないんだ…!?」


俺は年季の入ったブロック塀に手を着き、荒げた息を整えていたが、一方隣ではそんな情けない姿の俺を、黒乃は無機質な目で見ていた。


「夢の話」


さっきの話の続きを聞かせろと急かす黒乃。


お前の底なしスタミナの方がよっぽど気になるね俺は。


息が整い言葉が発せるようになると、俺は黒乃の問いに答える。


「多分信じてもらえんかもしれんが、夢で見た出来事が現実でも起きてるんだ」


黒乃は黙って俺の話を聞いていた。


「不思議な世界だった。俺が目を開けた時には、教室の天井に立っていて、クラスメイトは俺の存在に気づいていなかった。話しかけても声は届かなかったけど、一人だけその世界の住人とやらには話が——」


口早になって話す俺の言葉を黒乃は遮った。


「違う。私の心の声の話」


「あ、あぁその話か」


おいおい、今の話はどうでもいいってのか。


ってか、お前はえらく動揺してないな。


肝の据わり方が普通じゃないってそれ。


こいつの要望通り、俺が語り出そうとした時だ。


影が俺たちに追いついてきた。


それも一体ではなく、今度は複数となって姿を現した。


クソ!


これじゃ話どころじゃない!


俺は再び黒乃を手を握り、走り出した。


いつまで続くんだこの悪夢、もしかして朝まで——



「私の心は何て言ってたの?」


「今はそれどころじゃ——」


俺は後ろから追ってくる影の様子を見ていたはずなのに、気づけば俺の視線は黒乃の方に向いていた。


その目、その瞳からは色んな感情が読み取れた。


そうか、今コイツは本気で知りたがっている。




「——"私には感情が無いと思っているの?"」


「" 私はロボットじゃ無い"」


「"私は一人で居たい"」


「"私は普通の女の子"」


「そして最後、お前は俺にこう言った"自業自得"だってな。なんでこうなったのか俺にも分からんが、今こうして命からがら逃げているこの現状が自業自得なのかもしれん。変な事に巻き込んで悪かったな」


全部言った。


お前は今どんな顔してんだ?


怒ったか?


失望したか?


それとも泣いているのか?



振り向く勇気なんて俺にはない。


チキン野郎って罵ってくれ。


でも——


「お前だけは死んでも守る。絶対逃げ切ってやる」


柄にも無い事を言ってしまったと思う。


こんな状況じゃなきゃ絶対言わん台詞だ。


しかし悪夢のようなこの現実も、もしかしたら逆の可能性だってあるかもしれん。


これは全て夢で目覚めた時は、親の顔より見たいつもの部屋の天井が俺の前に姿を表すだろう。


まぁ、限りなくその可能性は少ないがな。


「——ナイトは朝にならないと消えない」


後ろから抑揚の無い無機質な声が聞こえた。


何だって?


ないと?


女王クィーン は貴方を狙っている」


ないとの次はクィーン だと?


何を言ってるんだお前は?


「今日、貴方が悪夢を見たのも、交差点で私と出会う事も全て、真夜中ミッドナイトが仕組んだ罠」


「何言ってんだ!?訳が分からん!」


呪文の様な横文字ばかり言いやがって、追われて無ければ今すぐにでも止まって、お前の知ってる事全部聞いてやる。


そんな事を思っていると、黒乃は俺の手を振り払い、道の途中で止まる。


「何やってんだ!?早く逃げなきゃ捕まるぞ!」


「逃げるって何処に?」


「そりゃ、俺も知らん!でも、あの影は朝になると消えるんだろ!?だったら——」


「心の声」


心の声の話はもういい。


今はそれどころじゃないだろ。


「あれは悪夢ナイトメアが作り出した、偽りの私」


はぁ?何言ってやがる?


黒い影は、俺の視界に入るギリギリの所まで迫ってきていた。


「私はロボットじゃ無いけど、普通の女の子でも無い。確かに、表情の欠落はあるけど感情はある」


黒乃はゆっくりと右目の眼帯を外した。




俺は本当に夢でも見てるじゃ無いかと思ったよ。


だってコイツの右目は、黄金色に光っていたからな。


夜だからとか、黒乃が輝いて見えたとかそんなレベルじゃ無い。


それはハッキリと、周りも照らせるくらい強い光が、目から出ていたんだ。





「私は一人よりも、貴方と一緒に居る方が好き」



その言葉を最後に、眼帯を外した時とは比べ物にならない程、強く大きな光が周囲を飲み込んだ。


俺は眩しくて、堪らず手で目を覆った。





強かった光は徐々に明るさを減らし、やがて俺は目を開けた。


俺の目の前に立っていたのは、先程まで学校指定の学生服を着ていた黒乃とは変わり、純白のフリフリした服に黒フリル。


その姿はまるで、魔法少女の様だった。


「黒乃…か?」


分かってる。


あの綺麗な黒髪は黒乃だ。


分かってるけど、俺はそんなコスプレみたいな姿をしたお前を知らない。


「こうなったのは貴方のせいじゃない。だから自業自得なんかじゃない。貴方は私が守る」


俺は混濁した頭の中をどうにか整理しようと奮闘していた時、迫ってきた黒い影が、触手の様な物を複数生み出し、それを素早く伸ばして黒乃に襲いかかる。


「黒乃危ない!」


しかし俺の言葉よりもその触手の攻撃は早く、黒乃が居た場所へ突き刺さる。


触手が強さを物語る様に、黒乃がいた場所から忽ち煙が上がる。


「黒乃!?」


死んで無いよな!?


何か返事しろよ!




「私は大丈夫」


煙の中から声が聞こえたかと思ったら、その煙は黒乃によって一瞬にして晴らされた。


黒乃が姿を表すと、手には白い刀を持っていた。


何処から出したんだ?


てか、そんなもんどうするつもりだ!?


気づけば目の前に、十体以上の影が集まっていた。


その影達は一斉に触手を伸ばし、黒乃に襲いかかる。


黒乃は構えた後、素早く刀を振るい、迫り来る触手達をみるみるぶった斬り、本体の影も一刀両断した。


斬られた触手と影は、すぐに姿を消していく。


——早い、早すぎる。


異次元のその戦闘は、最早俺の理解が届く範囲では無かった。


まるで黒乃が人間じゃ無い様な、そんな気がしてしまった。


右往左往する触手に、黒乃はアクロバティックな身のこなしで斬る。


もちろん触手も早かったが、それ以上に黒乃の斬撃が早い。


影が五体程になった所で、黒乃は白い刀を影に向かって投げつけ影と刀を消した。


手ぶらになったかと思ったが、すぐに黒乃の手に光が集まり白い弓が生成された。


もうこれには絶句した。


ありえない。


ただその一言に尽きる。


しかし、それが普通かの様に黒乃は、触手を避けながら素早く弓を引く。



「これで終わり」


黒乃は最後の一体に弓を引いた。


影は忽ち姿を消し、黒乃の持っていた弓も、光の粒子となって消えていった。


ははっ、もう何が何だが——


流石に夢だよな。


疲れてるんだきっと。


最近やけに忙しかったしな。





「怪我はない?」


現実に引っ張り戻すかの様に、無機質な声は俺に掛けられる。


脳の回路がオーバーヒートした俺は、その問いに答える余裕が無かった。


「何者なんだ…!?」


ただ知りたい、その一心で思わずこの言葉だけが口から出た。


「魔法少女」


確かに俺の質問の仕方も悪かったかもしれないが、その答えは少し短絡的過ぎやしないか?


「疑ってる?」


「かなりな」


疑いもするさ。


しかし、影といいお前の服や武器といい、流石に異常過ぎて今の俺なら本当に信じてしまいそうだ。


「でも、現実。夢じゃない」


俺の心を読んだみたいな答えだな。


女王クィーン の配下が本格的に動き出したから、貴方は今まで通りの生活は出来ない」


「さっきから何を言ってるんだ?クィーンとかナイトとか…」


黒乃は無言で俺に近づいてくる。


倒れ込む俺の所まで来て、黒乃は膝をつき同じ目線になる。


「明日話す。今日はもう休んで」


黒乃は俺の頬に手を添え、顔を寄せてくる。


待て待て、お前…!?


俺の予感は当たった。


黒乃の柔らかい唇は、俺の口にそっと触れた。








どうやら、朝のアラームは鳴らなかったらしい。


外の電線に止まった鳥達の鳴き声が目覚まし変わりとなってくれて助かった。


ぼんやり目を開けると、そこは俺の知っている天井だった。


俺の部屋。


カーテン隙間から差す朝日が眩しい。




暫く、思考が停止していたが、徐々に昨夜の出来事を思いだす。


今だに信じられない。





——あいつの傷。


もしかして、あの黒い影と戦って出来た傷なのか…?


入学した時から傷だらけだった。


アイツはずっと一人で戦ってたのか?







今は、ぼんやりした頭で考えても仕方がない。


兎に角、学校の支度をするか。


遅刻はしたくないしな。


俺は階段降りて、一階のリビングへ行く。


「な、何でお前が!?」


俺は驚愕した。


平然とした顔で、俺ん家のダイニングテーブルに座る黒乃が居たからだ。


「あっ、おはよう!」


"おはよう"って母よ、何故こいつがここに居るのか説明して貰えませんかね?


「アンタと一緒に学校へ登校するって、うちに来たのよ!」


コイツは何で俺の家知ってんだ。


母は肘で俺の脇腹を突き、小声で話しかけてくる。


「あんな可愛い子、家に連れてくるなんて、アンタも隅に置けないね」


母よ、それはいろいろ訳があってだな。


いや待てよ、どんな訳あって家に来たんだ?


俺は黒乃の元へ行き耳打ちする。


「何しに来たんだ?」


黒乃は軽く首を傾げた。


「貴方と学校に行く為に来た」


マジでそれが理由かよ。


まぁ、いいさ。


お前には聞きたい事が山ほどあるんだらな。




俺は朝食も摂らず、いつもの学生服に着替えて玄関へ行く。


先に玄関で待っていた黒乃が、遠くで俺たちの様子を見ていた母に一礼して、玄関ドアを開ける。



「行こう。"朝来あさきくん"」



嗚呼、そう言えばいい忘れてたな。


俺の名前は朝来一輝あさきいつき




これは俺と黒乃と言う、傷だらけの魔法少女のお話だ。

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