第15話

「あー、とりあえずここはどこなのか知りたいニャね」


 エルハは衰弱していた。別に腹を壊して衰弱しているわけではなく、ただ歩き続けて疲れている。がこれはエルハの視点から見た話だ。


 奴隷製作者カマル・アルレイドの視点は違う。


「あたしの人骸呪術は人の恐怖を掘り起こす」

 エルハは一切動いていないのだ。喋ってすらいない。今エルハは夢の中でしゃべっているような状態だ。


.「まずごくごく薄い幻覚を見せる。その催眠にかぶせて濃い催眠を見せる。見せる幻覚は人の脳の中にある暗闇を濃くした物。精神はその暗闇に耐えきれず人格を壊す。壊して空っぽになった頭に、幸福感や快楽を濃くした物を送り私に依存させる。条件こそ多いけど私が愛する奴隷製作法」

 実際動きが止まっているのに、攻撃をしないのも条件の1つだ。少し空気の流れが変わっても反応するし、少し光が光っただけで術は解ける。が、術を全て掛けきればどんなことがあっても解くことはできない。


「術でどんなことを見ているのかあたしにはわからないけど、精神が壊れれば倒れちゃうはずだから待っているだけでいいわね。以前あの子に散々な目にあわされたし、タテちゃんも殺された。落とし前とってもらわないと」

 グビッ、と白ワインを飲むカマル。

 動いていないエルハを見ながら、考える。

「わからないとはいえ気になるわね。あの子はどういう暗闇を思い出しているのかしら」



 なんか数字



 エルハは散々さまよった後、何か扉のようなものを見つけた。


「この扉を開けたら何か解決するかもしれないニャ」

 希望的観測を口にしながら、エルハは迷いなく扉を開ける。


 瞬間的に場面は変わり、エルハは倒れながら手術台に縛られていた。

 トレードマークの猫耳カチューシャはもちろん、服1枚来ていなかった。長く伸ばしてリンスやトリートメントで整えられた髪は完全に剃られていた。いやそもそも体型すら違った。そこにあったのは130㎝もない少年の体だった。

 

――ここはどこニャ! この体は何ニャ!


 そう思っても一切の声が出ない。動くことすらもできない。

「『ミュータント計画』794番研究体。準備完了」

「ではこれより耐久実験を開始する。まずは××××を――」

 研究者らしい男に何やら透明な液体が入った注射を刺される。その瞬間――

「ギャアアアアアアアアー!」

 体の血液が全て溶岩になったような激痛をエルハの体を駆け巡る。


――熱いニャ! 痛いニャ! 苦しいニャ!

 と思うと、いつの間にか実験室ではなく、また暗闇に戻っていた。

「幻覚ニャ?」


 エルハは実際に的を射ている仮説を呟いて立ち上がる。

すると立ち上がると目の前に扉が現れた。

「もう騙されないニャ。どうせこれも何かの罠ニャ」


 そうして、扉の反対側に行こうとすると――

「え? 何でニャ?」


 エルハの体は動かなくなっていた。いや、それどころか手で扉のハンドルを掴んでいる。

「よせニャ。やめるニャ」


 そんな声も虚しく、手はハンドルを回す。


 今度は鮫が何匹も入れられた水槽の中に入っていた。

 しかもジンベイザメのようなプランクトンを食べて生きている鮫ではなく、凶暴な人食い鮫として有名なホオジロザメ

 そのホオジロザメがエルハに牙を立てて襲い掛かる。


――なんなんニャ! 


 溺れかけて血だらけになりながら、なんとか鮫を殺したところでエルハはまた暗闇に戻る。

 暗闇に戻れば傷は治ることが分かったが、精神的には摩耗している。

苦しみも痛みも忘れる暇さえない連続の苦しみ。

痛みや疲労なんかの感覚は据え置きなのに体を自由に動かせないというストレス。

2枚目の扉だがもうエルハは辛くなってきた。


「・・・・・・いい加減にして欲しいニャ。もううんざりニャ」

 それでも前方を何とか見るとそこには――

「マジニャ・・・・・・?」


 そこには、万里の長城のように延々と続く扉の壁があった。

 そして、エルハの手はそのうち一つの扉に手を伸ばす――



なんか数字



「はぁ、はぁ・・・・・・・・・」


 これでちょうど、300枚目の扉。

 体に傷は一つもない。しかし、精神は限界まで擦り切れていた。


 炎上、氷結、爆発、斬撃、銃撃、電撃、殴打、摩擦、

腐敗、飢餓、感染、落下、轟音、窒息、沸騰、回転、


 目が潰れる程の光に包まれ、暗闇の中にたった一人で居続け、

 100匹以上の狂犬に噛まれたり、体が慣れてしまうまで毒入りの水を飲み続けたり、

 そして当然の結果として、エルハは倒れた。


 ありとあらゆる300種類の苦しみ。そしてまだ減った様子すらない扉の壁。


 ――まだ―――だめニャ。まだ死ねない――ニャ。まだ死ぬわけには――いかないニャ。だって――ノル――イく――んの――ためだ――から。


それでもエルハはとてつもない執着心で、断続している意識を使い腕を動かし、その腕で地を這い、扉のハンドルをつかみ、次の扉を開く――


 そこは、全面ガラス張りの部屋だった。一枚の扉と排気口のようなものがあるだけの無機質な生活感が一切ない部屋。ガラスは当時のエルハでは壊しようのない強化ガラス。そのガラスの向こうで研究者らしい男が何人かエルハを見ている。


「794番実験体の処分を開始します』


 ガラス張りと言っても防音性能に優れてはいるのか普通の人間には決して聞こえないようなかすかな音声がガラスの向こう側で聞こえた。


――これ――って、あの時――の、


 エルハはぼんやりとした意識で必死に思い出す。

 自分の人生の分水嶺を思い出す


ガラス張りの部屋の中に排気口から毒ガスが入ってきた。

体がしびれる感覚、息苦しさ。一瞬で死なない毒にしたのはおそらくいろんな方法で『処分』ことで最後にどんな反応を見せるか実験していたのだろう。


 そんな推測は当時も今も意味がなかった。

 当時はどっちにしろ『処分』されるだけだと考えていたし、

 今は現在生きているから助かったことを知っているからだ。


 しかし、今回はこれまでの300回の体験とは違った。

 それまでの体験では1人称視点。つまりは今まで経験してきたことを自分で感じていた。

 事実、実験の途中までは1人称視点だった。


 が、途中からは3人称視点になった。

 自分が体験していない、それでいて知識としては誰よりも正確に覚えている自分が体験した記憶。


――これってあの時の・・・・・・


エルハは知っていた。この感覚を。


「タスケルヨ」

 彼はそう言って、ガラスの部屋を一撃で破壊した。


「研究体794番暴――」

研究者の1人がそう言い終わる前に彼は研究者の頭を吹き飛ばしていた。

「うぁ――――」


彼は研究者の1人から悲鳴が上がる前にその場にいたすべての研究者を惨殺した。

『第4研究棟で研究体794番が暴走。H部隊、K部隊、W部隊の兵士は即座に鎮圧せよ。繰り返す第4研究棟で――』


結論から言おう。その日、STOPの支部が一つ壊滅した。全ての資料、資材、装置、研究結果は破壊され、建物自体もすべて瓦礫になり、人員も兵士は1人を残し全滅し、それ以外の人員も一部研究員――それもほとんどがPDSDや負傷によって再起不能になり、事実上完全崩壊という運びとなった。


 少年はそこに倒れていた。力を尽くして全ての敵を蹴散らし倒れていた。

 目の前にはまだ生きているであろう少年兵がいたが、しかし少年にはもうその少年を殺す力は残っていなかった。――どっちみち少年兵も敵対する意思は完全に失っているようだし殺さなくても問題ないだろうという読みもあったが


「スコシネムルヨ。アトハ――ヨロシクネ」


そういいながら少年は静かに眠った。

その言葉はエルハにとって少しどころか永久の眠りを思わせ、恐怖させた。


――これまで辛いことをノルイ君の為に耐え続けてきたのに

――そのためだけに生まれてきたのに

――死んじゃったら私なんて何の意味も――


そこで夢が覚めた。

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