口裂け女 其の2

「しまった…」


買い物の為に立ち寄ったスーパー。

欲しい物がなく数件回った結果、存外時間がかかってしまったようで、辺りには夜の帳(とばり)が下りてしまっていた。


「やっちまった…明るいうちに帰るつもりだったのに…」


やってしまったものは仕方無い。

さっさと帰らないと…さすがに着替えもせずに2日も帰らないわけにもいかない。


「暗くなるとどうしても昨日の事を…思い出しちゃうね…」


独り言を言いながら夜道歩く。

暗いとはいえまだまだ深夜という時間帯には程遠い。

だから…大丈夫…大丈夫…大丈夫なはずだ。

昨日の現場が近付くにつれ、緊張が増す。

迂回して遠回りをすればいいだけのような気もするが、それはそれで気持ちが悪いのだ。

居なくなったという確証が欲しいと言うか…迂回した先に居た場合もっと怖いと言うか…

イヤホンで音楽でも聞こうかとも思ったが、それだと何かあった時に周りの音が聞こえないのは非常に心許ない。


「なんでここはこんなに人気(ひとけ)が無いんだろう…」


近くには駅もある、大通りには人も多い、にも関わらず道路を数本隔てたこの辺りはパッタリと人の気配がなくなるのだ。

街灯の少なさも影響しているのだろうか…

そう考えると、口裂け女の事が無かったとしてもこの辺りは危険なのかもしれない。


「来てしまった…」


色々と考えているうちに現場手前の角までやってきた。

ここを曲がればあの自動販売機が見えてくる。


「頼むぞー…」


意を決して角を曲がる。

昨夜同様に薄ぼんやりとした明かりだけが周囲を照らしている。


「………ふぅ」


そこに人影らしきものは見当たらなかった。

目を凝らして何度も確認するが、昨夜の女の姿は確認できない。


「ふはは…やっぱり…なんか疲れてただけだったのかな…」


スッと気持ちが楽になる。

時間帯の事もあるかもしれないが、とにかくアレはいないのだ。

あとは帰ってゆっくりと風呂にでも浸かって、疲れを取ろう。

そうだ、昨日買いそびれたコーヒーでも飲んで…………


「うわぁあああぁああぁああぁ!!!!」


居た。

昨夜と同じ格好の同じ女。

ソイツは自動販売機と自動販売機の間、本来ならゴミ箱の置いてあるスペースにジッと佇んでいた。


「うわ!うわあぁああ!!」


うわうわしか言えない自分が情けないがこればかりどうしようもない。


「ワタシ…キレイ…?」


あの質問だ!答えちゃいけないんだこれ確か!なんだっけ!?なんて叫ぶといいんだっけ!?

ああそうだ!あれだポマードだ!


「ポ…ポマード!!ポマード!!」


そう叫んだけれど女は動じる様子も無い。

それどころかジワリと俺に近付き鋏をシャキシャキと鳴らす。


「くそっ!!じゃあこっちだ!!」


ゴソゴソとポケットから取り出したのはベッコウ飴だ。

これを探していたせいで俺の帰りが遅くなってしまったのだ、効き目がなければ恨むぞ。


「…………」


全然興味を示してくれなかった。

駄目だ、万事休す、万策尽きるとはこのことだ。

退治どころか撃退すらできやしない、何が都市伝説研究会だ!少しでも信じた俺が馬鹿だった!

目の前で口裂け女が鋏を振り上げる。


「ワタシ…キレイ…?」

「うわ!うわあぁああ!!」


なんで俺がこんな…

刺される!と咄嗟に目を瞑る。


ベチャ!!!


刺されたにしては随分と間抜けな音がした。


「いやぁああ!!何よコレ!!!やああああ!!」


続いて響いたのは女性の叫び声。

恐る恐る目を開けると、ブンブンと髪を振り乱しながら暴れる口裂け女の姿があった。


「今回のポマードはジェル状の物を用意させてもらった!…千影君、次弾装填」

「どうぞ」


後ろを振り返るとそこには昼間の二人の姿があった。

そう、都市伝説研究会の二人である。

ブチューーっとチューブを絞り、ポマードを男の手の上にこんもりと乗せている。


「ポマードとは一昔前のスタイリング整髪剤であり、ヘアワックスが多くなった昨今ではすっかり見なくなってしまった」

「今ではその存在を知らない学生も少なくないという話です」

「悲しい話だ、こうして武器にもなるというのに」


そう言って手のひらいっぱいのポマードを再度、口裂け女に投げつける。


ベシャ!!!


「いやあああ!!くさっ!!なにこれ!アンタ達なんなのよ!?」


すっかり取り乱した口裂け女がそう叫びながら二人に詰め寄る。


「千影君、次弾装填」

「どうぞ」


またも取り出したポマードをブチュブチュと男の手の上に絞る。

何本持ってるんだあの二人…

そしてそれを近付いてきた口裂け女の顔面にそのままバチャン!と塗りたくる。


「むぎゃああぁああぁあ!!」

「君の行いはれっきとした犯罪行為であるが、何か申し開きはあるかね?」

「ちなみに部長、我々の行為もれっきとした犯罪行為で、暴行罪が該当します」

「おっと、千影君…!それは言いっこ無しだ…」

「過去の判例では、ゴマ塩を相手の身体に数粒かけただけでも暴行罪が成立しており…」

「千影君!千影君!!」

「………なんなのよぉ……アンタ達……」


ベチョベチョになった口裂け女のマスクがペシャっと地面に落ちる。

マスクの下のその顔は綺麗なものであり、口が裂けているどころか傷の一つすらなかった。


「綺麗かと尋ねていましたな?とても綺麗だと思いますよ、見た目だけならばね」


その言葉で観念したのか口裂け女、もとい謎の女はペタリとへたり込んだ。


「タオルをどうぞ、とは言えポマードはそれくらいでは落ちないので、帰ったらよく洗う事をオススメします…千影君」

「どうぞ」


出されたタオルを受け取った謎の女は、へたり込んだままポツリポツリと語りだす。



彼女は、この近所に住む30代の女性で、夜中の騒音問題に悩まされていたそうだ。

近くの子供たちは遅くまで道路で騒ぎ、その親達は注意もしないどころか一緒になって騒ぐ始末。

更に時期が悪く母親が骨折をしてしまい、その介護にも当たっていた為、彼女はなかなか眠れない日々を送っていたのだとか。

ある日、彼女に限界が訪れる。

最初は本当に殺してやろうかと思った程に、彼女は追い詰められていたらしい。

しかしさすがに殺す事はできなかった。

そこで彼女が思いついたのが、口裂け女に身を扮して子供たちを驚かして夜中に出歩かないようにさせる、というものだ。

荒い作戦だとは思うが、その効果は抜群だったらしい。

念には念を入れ彼女はしばらく口裂け女を続ける事にした、そこにはストレス発散もあったのかもしれない。

そんな折、バイト帰りの俺と遭遇したと…


「彼女にも同情の余地はあるように思えるが…無関係の者まで巻き込むのは頂けないな」

「すみません…」

「でも…まぁ…俺が驚かされただけで済んだなら…ねぇ」

「ふむ、なら我々もやりすぎてしまった事だし…手打ちという形にしようか」

「部長、内心ホッとしていますね?」

「千影君!」

「本当に…すいませんでした…」

「それ以上は無しだ、我々も夢を見させて貰った事だし…さぁ!となればサッサと解散だ!少々騒ぎすぎた!」


俺はなんだか置いてきぼりだ。

そうだ、まず二人にお礼を言わないと…


「あ、あの…」

「君とはまた近いうちに顔を合わせるだろう、あの部室で待っているよ」

「お待ちしております」


それだけ言うと彼等はあっという間に姿を消してしまった。

取り残された俺と、元口裂け女の女性は…

軽く会釈をして家路につくのであった。


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