夜が明ける

はる

第1話 トリップ

 学校というものは、不思議なところだ。こんなに沢山の人がいるのに、いつかは全員去っていってしまう。思い出せるのは友達と恩師くらいで、後の人たちは、名前を聞いてやっと思い出せるくらい。好きでもないのに、狭い空間に押し込められて、みんな同じ方向を向いて、同じことを学ぶ。緩い監獄みたいなのに、なんでこんなに、今ここが懐かしいのだろう。この不自由さが悪くないと思えるのはなんでなんだろう。そう横峯に言えば、横峯は頷いた。

「もし大人になった後に、学生時代に戻りたいかと質問されたら、今ならたぶん戻ってもいいって答えるだろうね」

「だろ? 不思議だよな、窮屈なところでもあるのに」

「でもさ。案外、大人になってから振り返ったら、やっぱりあそこは地獄だったと思うかもしれない」

 そうなのだろうか。俺には分からなかった。

「立花は優しいだけだよ。自分の苦しみに蓋をして、ここがいいところだと思いたいのかも」

「そんなこと……ないと思うけど」

「俺は学校に期待してないから」

 そう言って、横峯は腰掛けていた机から降りた。

「未来にも期待してない。だから戻ってもいいって答える」

「でもそれ、あまりにも虚無的だよ」

「そうかもね」

 横峯は笑った。彼の享楽的な姿勢は、裏を返せば何にも期待していないということだと俺は悟った。

「ま、いじわる言ったけど、俺は立花が学校に抱いている好感を偽物だとは思わないよ。でも、苦しんでるのも事実だと思う」

「そんな辛そうに見える?」

「俺の目からはね」

 横峯は俺の恋人だ。高校一年の時に色々あってそうなった。それ自体は嬉しいことなんだけど、まだ横峯のことが分からない。快活なように見えてシニカルで、分かりやすい感情をそれらしく見せるのが得意だから、その奥にどんな感情を秘めているのかが容易には知れない。どこまで手を伸ばしても触れられない心に、俺は翻弄されていた。

「横峯」

「ん?」

 放課後の教室で、俺は横峯の両頬を両手で包み込んだ。

「今何考えてる?」

「何を考えてるように見える?」

「宇宙レベルで分からない」

「へへ」

 横峯は横を向いた。

「……悪かったよ、辛そうだ、なんて言って。本当にそうかは本人にしか分からない」

 こういう律儀さが横峯だな、と思った。

「いい子だね、横峯」

 頭をくしゃりと撫でると、横峯は頬を赤くした。


「そうだ、図書室に本返しにいかないと」

 そう横峯が思い出したように言った。

「いいぜ、一緒に行くよ」

 図書室の前まで行き、がらりと扉を開けると、見知った顔がいた。

「成瀬」

「あ、立花くん、横峯くん! 久しぶりだね」

 くしゃっと頬をほころばせたのは、二年になってクラスの離れた成瀬健吾だった。その隣には、成瀬の恋人の及川真奈美がいた。

「ほんと! ひっさびさに会ったね〜! ちょっと大人になったね!」

「親戚みたいなこと言うじゃん」

 ひとしきり談笑した後、横峯がカウンターに本を返しに行こうとして、ぎくりと動きを止めた。

「どうした?」

「……いや、高槻が」

「高槻?」

 カウンターを見ると、楚々とした風貌の女子生徒が座っていた。高槻美織だ。同じクラスではないが、高嶺の花だと男子生徒が騒いでいるのをよく耳にする。そして、彼女は中学の時、横峯の元恋人だったと聞いていた。

「……俺が返してこようか?」

「う〜……いや、大丈夫」

 意を決したように横峯が歩き出した、その瞬間。ぐらりと足元が揺れた。

「地震?」

 俺達4人はそこにしゃがみこんだ。かたかたと本棚が鳴っている。揺れはすぐに収まった。

「けっこう揺れたね〜」

 及川がまだ不安そうに頭を守りながら言った。

「ここ本棚あるし危険じゃないか? 一旦廊下出ようぜ」

 一応そうその場の全員に言って、俺は扉を開けた。そこには暗闇が広がっていた。

「……?」

 手を伸ばす。腕がすっぽりとそこに飲み込まれた。

「どうなってるんだ……?」

「どうしたの? 立花」

 横峯と成瀬、及川がこちらに近づいてくる。高槻がじっとこちらを見ていた。

「いや……」

 迷った末、扉を3人の前で開ける。

「え、なにこれ……」

「バグ?」

「目の錯覚的な?」

 横峯が手を伸ばした。俺と同じように、その部分だけが闇に飲み込まれる。それどころか、横峯は顔をそこに浸した。

「おい!」

 万が一のことがあったらいけないと、横峯の襟首を掴む。

「ぷはぁ。真っ暗だったよ」

「お前……思いつきで危ないことすんなよ……」

「ごめんごめん」

 謝る横峯の首元にへなへなと顔を埋める。成瀬が言った。

「何もなくてよかったよ。息はできた?」

「うん」

「なら、この暗闇は地球上のものと言うことができるね。それか、地球と全く同じ大気を持った他の惑星に繋がってるか」

「ぶっとんでるな」

「そういう可能性もあるって話」

 気がつくと、高槻が俺達の側にやってきていた。

「緊急事態みたいね。一旦下がったほうがいいわ」

 冷静な高槻の声に、俺達の動揺は少し収まった。

「そうだよな」

 俺達は図書室の椅子に座った。いつの間にか、図書室の窓も暗闇に閉ざされている。高槻がぱちりと電気をつけた。

「話しましょう。これからのことを」

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