郷里に咲く

あんちゅー

季節外れに

多くを望みすぎる


母を尻目に歩廊から飛び乗った


都会の生活に憧れ


満員の電車に憧れ


ビルの群れに憧れ


流行りものばかりに憧れて


けれど本当は、あなたの背に憧れを抱いた



無かったままにしておいて


平然と振る舞う彼らが目に映る


手の届く範囲の精一杯を喜んだ


唇を噛み苦々しく思う


口の中には鉄の味が広がった


抜けたばかりの乳歯を舌先で転がしたのを思い出した


あなたはそれは優しく吐き出させた



幼い頃に聞いた両親の話


母は言った


父は都会で死んだと


私は本当かと訊ねた


すると小さく頷いた


母はそれ以上語らない


きっと忘れてしまいたかったのだ


血を分けた私に向ける目はいつだって遠く


本当は私の事など見ていない


彼女の目には若く可愛らしかった自身の後ろ姿しか映っていない



お前の好きにすればいいと


祖父が声を荒らげた


母は大量の涙粒を零し


祖母は彼女をそっと抱いた


それっきり家族は平凡な生活を紡いだ


取り繕う日々を平和だと言った


悲しそうな顔をしていたのを見て


私はこの家を出るよと小さく口にした


すると口元は笑っていた



今日までお世話になりました


私は家族へ告げてから荷物をまとめた


母はそんな私の背を眺めることしかしなかった


その視線に気が付きながら


一言も口を開かず


振り返ることもしない


彼女には見えていないことが分かっていたからだ


それでもか細い声が聞こえた



生活を切りつめて


ボロ切れのような服を着て


身を切る寒さに震えながら


私は理想の都会暮らしに浸っていた


裕福でなく


欲しいものは無い


辿るのはあなたの生きた証だ


それなのにあなたは私に帰れと言う


連絡も絶って久しい頃に言うには遅すぎる


私は彼の腰にそっと手を這わし


空いた腕で首を抱き


分厚い胸に頭を埋める


あなたのせいでこうなったの


責任を取ってくれないと


恍惚の夢だけが心を満たすばかりで


私は春を鬻ぐ


最早母は過去の女に成り下がる


私はこのまま都会に埋もれていくから



歩廊を駆ける背中


駅舎の周りには季節外れの紫苑が咲き乱れる


いつまでも見えていたはずの背中を思い返し


彼女を産んだ頃から姿が見えなくなった


不思議と悲しくはなかった


ただ悔しい気持ちが胸を割いた


私は何度も耐え忍んだ言葉を


臆面もなく口にしていた


お兄ちゃんを取らないで


それが娘に向けた最後の言葉だ

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郷里に咲く あんちゅー @hisack

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