歴めろ。

武田 信頼

第一章:文化祭

第一話 平良と灼





               ※※ 01 ※※




 身を焼くような酷暑こくしょは遠くに去り、気が付けば残暑にうすれた秋が来ていた。

 県道から正門へいたるまでの長くゆるやかな坂道は紅葉によっていろどられ、その緩慢かんまんな丘陵のひとつに建っている県立東葛山とうかつやま高校が深紅しんくの色に包まれる頃、名の知れた名所として多くの観光客が付近をおとずれる。

 そんな十月の半ば。

 衣替ころもがえが過ぎ、夏服の薄青色から県下でも可愛かわいいと評判なキャメルブラウンのセーラ・ボレロに、マドラスチェックのスカートの冬服を再び見る時期になると、季節の風物詩ふうぶつしに活気づく商店街に感化かんかされて、生徒たちも熱くなる行事が始まるのだった。

 東葛山とうかつやま祭――いわゆる文化祭である。


「三段ちとか言われてるけど、そんな効力はないわ。あんただって知ってるでしょ? 騎馬隊の威力を考察こうさつする実験考古の結果がどうなったかを」


 それは東葛山高校の敷地内でも、ひときわ高い位置にある旧校舎を改装した部室棟の一室、『歴史研究部』でも例外ではなかった。

 


 高校生の制服を着ていても、見た目十二・三歳前後にしか見えない幼い容姿に、少々癖毛くせげのある栗色くりいろのツインテールをり乱して、眼前の少女は細い腰に手を当てた。

 彼女の思いえが思索しさくや執念に対し、内心では同意が頭をもたげたが、口先では努めて冷静に反論する。


信長公記しんちょうこうきにあるように長篠ながしの設楽原したらがはらの合戦における勝敗は鉄砲だ。敵の攻勢をぐには有効だからな」


 俺の言葉に再び闘気とうきをむき出して、


「馬の機動力は伊達だてじゃないわッ! 火縄銃ひなわじゅうなんかで間に合うわけないじゃんッ」


 更に殺気さっきすらも身にまとわせ、傲然ごうぜんと正面から見下ろした。実際は身長・百四十センチの彼女を見下ろしているのは俺だが、ととのった顔立ちに宿やど凛々りりしさと全身にちる貫禄かんろくが他者を圧倒させ、異様なまでの存在感が、まるで見下ろされている気持ちにさせられるのだ。


「……あのな、あきら


 目の前に屹立きつりつする少女の名は双月ふたつきあきら。ここ『歴史研究部』の部員で一年生の後輩だ。小学四年以来の幼馴染おさななじみでもある。

 

「なによ、平良たいら


 少女が押しのいた声でそう呼ぶのは俺の名前で谷平良たいら。現在二年生で、同じく『歴史研究部』に所属している。灼は眉をひそめてぶっきら棒に言葉をぐ。


「そもそも、この話……授業で長篠ながしの設楽原したらがはらの戦いにおける勝因は『当時の新兵器である鉄砲の力によって騎馬軍団は全面崩壊ほうかいした』と、結果から歴史を見るという間違った教え方をしてるって、あんたが言い出したからなんだからね」


 お互いしかめっ面まま、一言も交わさないで数秒。二人の対峙を何度かそうしてきたかのように、割って入れるすきを見つけた部長の戸部とべ健太郎が、眼鏡めがねのブリッジを指でし上げながら不毛な論争に水をす。


「……ってゆーか、お前ら。東葛山とうかつやま祭の内容が長篠ながしのの合戦に決まった途端とたん、いきなり論争始めないでくれよ」

「迷惑千万」


 謹直きんちょくな表情の輪郭りんかくだけを動かして四字熟語が言葉を重ねた。なぜ『四字熟語』と呼ばれるのかというと、常に言葉少なめで漢字四文字の内容で発言するからだ。本名は五十嵐菜摘いがらしなつみ。二人とも三年生であり、俺の先輩だ。

 灼は部長を冷たくにらむ。


「だから、その東葛山とうかつやま祭の内容を、くわしく議論してるのよ」

「い……いや、まあ……そうなんだけどさァ……」


 部長は困り果てた顔で、同じく存在を忘れ去られていたとなりの部員を見た。その視線に気付いた四字熟語は鉄面皮てつめんぴのまま目だけを送る。


「じゃあ、いいじゃない」


 身もふたもなく一方的に話を終わらせた灼に、俺は深い溜息をいた。

 昔から灼は興味がかないものには歯牙しがにもけず、必要以上に配慮もしない。人間関係でいえば、自分に近づくことを認めた者以外は路傍ろぼうの草木同然に無視をする。

 もっとも、灼に認識してもらうにはハードルが相当高いのだが、部長や四字熟語とは会話が成立している関係で、まだしも良い方だと言っていいだろう。

 そして『歴史研究部』として東葛山とうかつやま祭の出展内容の事案が決まった矢先、俺の一言が灼を暴走させてしまった。勝手な言い合いに巻き込んでしまった謝意も込めて、部長にうながす。


「部長、何か伝えたいことがあったんじゃないのか?」


 議事の流れをすっかり忘れてしまった部長は、そうだったと言わんばかりにわずかに部員全員へ同意の視線を送る。

 

「まずは丘と農地を買い取り、原寸の『設楽原したらがはら』のレプリカを作成する。そこで武田軍の騎馬隊と織田軍の鉄砲隊の実験考古を実施するイベントをやりたいが、どうだ」


 部長の、途方もなく壮大そうだいで、実現不可能とも言えるなかば決定事項の提案に俺は言葉を失った。しかし、四字熟語は鉄面皮をゆがませることなく受け入れ、灼はこの一言で火がいた。


 「実験考古、いいじゃんッ。で、誰が監修かんしゅうするの?」

 「双月、お前がやってもいいぞ。きっとやりがいがあるだろうな」


 部長は笑みと言葉に思わせぶりな含みをぜ、唇のはしり上げた。見事にあおられた灼は、ますますやる気を見せる。


 「ぜぇーたい、やるッ」

 「ちょっと、待ってッ!」


 意気盛んに即答する灼を制して、俺は当惑の声を上げる。


 「正気か、部長ッ。実験考古は魅力的なイベントだが――丘と農地を買い取る!? 原寸の『設楽原したらがはら』のレプリカを作成する!? 資金はどうするッ! 許可はッ?」


 普段は沈思ちんしを重ねる灼であるが、好きな考古の事になると甘くなる。それを見越みこしての強引な独断に俺は不満を爆発させた。しかし部長は俺のあせりや恐れに笑いの視線を向ける。


 「ははは。心配は無用だ。資金については俺の株があるから問題ない。許可に関しても生徒会役員の四字熟語が何とかするから商店街や教育委員会は反対しないだろう。もちろん双月の事も心配いらないぞ。無理はさせない」


 灼を引きかれたことへの不安や怒りを見抜みぬかれた俺は憮然ぶぜんとした。そして会話による懐柔かいじゅう説得せっとくを得意としているようには見えない寡黙かもくな先輩にほこ先を変える。


 「こんな大仰おおぎょうなイベント、本当に上手うまくいくと思ってるのか?」


 やり込められた腹いせというほどではないが、俺はわずかに語調の強い声をあらわにした。しかし四字熟語はととのった容貌に無表情をとどめたまま、


 「円転滑脱えんてんかつだつ。昨年に『物理科学研究部』が手製ロケットで衛星軌道まで打ち上げたイベントよりは規模は小さい……問題ない」


 首だけを前にかたむけて平然と答えた。


(はぁー……そうだった。この学校の文化祭は普通ではなかったな)


 俺は溜息ためいきを最後まで出し切ってから、窓の外に広がる街へ視線を移す。

 学校の敷地内の中で一番高い位置にある部室棟からは特に見晴みはららしが良く、ふもと街並まちなみまで見渡すことが出来た。

 関東ローム層の下総しもうさ台地および手賀沼周辺の沖積層が重なる丘陵地帯から、県道と県下の大動脈といえる国道がつらぬくこの地域は新興住宅併用商店街としてさかえている。

 そしていつの頃からか、紅葉の時期におとずれる観光客が足をばすついでに、県立東葛山高校の文化祭である東葛山とうかつやま祭にも顔を出すようになり、ついには主催が東葛山高校だけでなく商店街も含むという奇妙な構成に変化した。実行委員会も生徒会を主体として商店街振興組合が参加するようになったのである。

 そのため、並の高校より十倍以上も規模が大きい。様々な模擬店はうに及ばず、しかも商売っ気とエンターテインメント色のい、地域を巻き込んだ風変わりな文化祭として有名になったのだ。

 当然のように今年入学したばかりの一年生にも様々な役割が与えられるわけだが、とにかく心配の種がきない。俺にとって要はイベントの出来不出来ではなく、途方もない計画にしたがうことで灼の暴走が心配なのだ。 


「どうしたの? 急に窓を向いたまま難しい顔しちゃって、さ」


 いつの間にか、灼がいぶかしさを表に出してかたわらに立っていた。


「ん? まあ、それは……」


 ふとホワイトボードに書き出された新たなる事項を見て、思いにふけっている内に議題が次の段階へ進んでいたことを知る。仮に別の議案であっても、三対一では多数決であれ何であれ、結果はどう転んでも同じだろう。


(どのみち、腹をくくらなければならない……ということか) 


 密かな溜息をいて思うとなり


「平良?」


 灼が大きな栗色の瞳をらしてのぞき込む。俺の平静をよそおいながらも、


「おまえ、本気でやる気か?」


 不安に満ちた言葉を可笑おかしそうに笑い、


「とーぜんッ! あたしが『設楽原したらがはら』の考古監修かんしゅうと設計をすることになったわ。この辺の畑を大改造よッ」


 得意げな声で俺の眼前に地図を広げて見せる。山間やままの開けた土地に大きくしるされた大きな赤マルを指す灼は、見た目通りの幼い笑顔で語りかけてきた。

 そしておもむろにほおを朱にめて、俺に寄りう。

 

「大丈夫。あぶないことはしないし、あんたにも心配かけさせない。約束するわ」


 俺が不安や恐れをいだいていたことを察して、気遣きづかってくれたことに胸が熱くなる。深い嘆息をくと同時に俺の心はスッキリした。


「ああ。お前なら問題なく成功させるだろう」

「ふふふ。今から楽しみ」


 小さな頭を優しくでられた灼は、心底しんそこから安堵あんどの声をらして柔らかく微笑ほほえんだ。俺は諦念ていねんの笑みを部長に向ける。


是非ぜひもなしだ。頼んだぞ」 


 部長は大きくうなずき、

 

「任せておけ。商店街との交渉と法務・財務管理、小道具の調達は俺がやる。生徒会への根回しは四字熟語。平良、お前には――」


 流れを主導する中で最大の厄介事やっかいごとを落とす。


 「織田の鉄砲隊を率いて史実通り武田騎馬軍団を打ち破れるのか、それとも史実が間違ってるのか、それを現場で検証するんだ」


 この時の俺の顔は、これ以上にないというくらいゆがんでいたらしい。

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