第12話

「あの事故のあとから、私……夜ぜんぜん眠れなくなって。夜っていうか、まぁ昼間でも眠れないんだけど。いつも夢を見るんだ。傾いていくフェリーを滑り落ちながら、親友が助けてって手を伸ばしてくる夢。でもね、夢の中でも私は一度もその子を助けられたことがないんだ」


 一度言葉を止めると、朝香は今にも泣きそうな顔をして私を見つめていた。


「あ……ごめんね、こんな重い話。やっぱりやめようか」

 慌てて言うと、朝香は潤んだ瞳をまっすぐ私に向けて、首を横に振った。


「ううん、続けて。……さっきは話したくなったらでいいって言ったけど、やっぱり聞きたい」

「……うん」


 頷いて、再び口を開く。


「……事故のあと、みんなよそよそしくなったんだ。お母さんもお父さんも、友達も。仕方ないよね。私以外みんな死んじゃってるんだし。同じフェリーに乗ってた私にも、どう接していいか分からなかったんだと思う。でもね、その窺うような視線がいやで、話すことをやめたんだ。私が話しかけに行くと、みんな笑顔を引き攣らせるから……そういう顔を見たくなくて」


 だからもう、ひとりでいいやって諦めた。


 これは罰。私だけ生き残ってしまった罰。親友を助けられなかった罰なのだとじぶんに言い聞かせた。


「……私、この前死のうとしたんだ」

「え……?」

 朝香が息を呑む音がした。


「親友の命日の日、その子のお母さんに、あなたが死ねばよかったのにって言われて、私は生きてちゃいけないんだって気付いた。……ううん。本当は最初から気付いてた。でも、気付かないふりをしてたの。だけど、気付かないふりをするのももう限界で」


 八月九日。私は、じぶんで人生を終わらせようとした。

 だけど。その日、私は運命に出会った。

 耳の奥で、あの日聴いたお囃子の音が響く。


「……だけど、死のうとした日にね、ある男の子に出会ったんだ」

「男の子?」

「うん。その子も大切な人を失っていてね。泣きながら、私にそばにいてって言ってくれたの。私がずっと言いたくて言えなかった言葉を、その子が代わりに言ってくれたんだ」


 朝香は柔らかい顔で私を見つめてくれていた。


「それでね、あとでその子に言われたの。俺たちはエスパーじゃないから、心の中までは分からないよって。いくら仲のいい友達でも、ましてや家族だって、心の中までは分からない。だから、ちゃんと話さないとダメだよって」


 顔を上げて、朝香を見る。

 もう友達なんていらないと思っていた。


 でも、綺瀬くんと出会って、だれかと向き合うことの大切さを教えてもらって。本当はじぶんが、なによりそういう存在を求めていたことに気付いた。


「……私ね、これからも朝香にいろいろ気を遣わせちゃうと思う。迷惑もかけるだろうし……喧嘩もするかも。でも、それでも私、朝香が好き。朝香の笑い声も、朝香とのおしゃべりも大好き。……だから、これからも友達でいたい」


 見ると、朝香は静かに涙を流していた。思わずぎょっとする。


「えっ……あ、あの」

 どうしよう、とおろおろしていると、朝香がガバッと私に抱きついてきた。

「!」

「水波っ! 話してくれてありがとう……」

 朝香は私を抱き締めたまま、私に言う。

「今まで辛かったね。よく頑張ったね」と、朝香は私の背中を撫でながら何度もそう言ってくれた。

 朝香のセリフに感極まって泣き出した私を、朝香はさらにぎゅっと抱き締めた。

「私、決めたよ。一生水波と一緒にいる」

「え……?」

「私、一生水波と一緒にいる」


 朝香は私の肩を掴み、まっすぐに私を見つめて言った。


「水波はこれまで、ひとりぼっちで寂しかったんでしょ? 事故の前はその子がいたけど、事故で失って……ううん。きっと水波、自分のせいでその子が死んだって思ってるんだよね。だからそんな夢を見るんだ。親にも心配かけたくなくて言えなかったんだよね。……でも、その男の子に言ったら楽になったんでしょ? 状況が少し変わったんでしょ? なら、私もその役やるよ」


 掴まれた肩がちょっと痛い。朝香が決意が伝わるようだった。

「私はその男の子みたいにいいこととかアドバイスとかは言えないけど……一緒にいることならできる。水波がひとりぼっちにならないようにすることだけはできる。あの事故は水波のせいなんかじゃないって、何回だって言ってあげる。だから、今のは決意表明だよ」

「朝香……」

「……ふふ。私、その男の子にお礼が言いたいな」

「え?」

「だって、その子がいなかったら私、水波とこうやって話せてなかったよ。友達にもなれてかった。とにかく、水波が生きててくれてよかった」


 朝香の頬をつたう透き通った涙を見て、私は頷く。


「私も、あの日死ななくてよかった。朝香とこうして友達になれてよかった。ありがとう……」

「もうっ! 泣くなー!」

 朝香は私以上にぽとぽと涙を落としながら、昼休みが終わるまでずっと抱き締めてくれていた。



 ***



 綺瀬くん。綺瀬くん。綺瀬くん。

 心の中で綺瀬くん、と何度も彼の名前を叫ぶ。

 綺瀬くんの言う通りだったよ。話してみなきゃ、分からないんだね。話して救われることもあるんだね。ぜんぶ、綺瀬くんのおかげだよ。ありがとう。


 会いたいな。公園にいるかな。いますように。


 祈りながら、私は石段を駆け上がる。

 山の上にある神社の、さらに上。街が見渡せる広場のベンチ。

 そこに、綺瀬くんはいた。

「綺瀬くんっ!」


 石段を登り切る前に綺瀬くんの姿が見えて、私は綺瀬くんの名前を呼びながら石段を駆け上がった。


「水波! 久しぶり」

 綺瀬くんは、私を見るとにっこりと笑う。

「綺瀬くん!」

 一週間ぶりに会った綺瀬くんはやっぱり夏と切り離されたように涼しげで、少し現実離れしている。

 私は目が合うなり駆け出し、勢いよく綺瀬くんに抱き着いた。

「わっ……ど、どうしたの水波」


 綺瀬くんは戸惑いながらも私を優しく受け止める。

「会いたかった……」

 ぎゅうっと抱きつくと、綺瀬くんは優しく抱き締め返してくれる。

「ん。俺も」


 あたたかい。あたたかくて、涙が出そう。


 しばらくすると、綺瀬くんは身体を離して私の顔を覗き込んだ。

「……なんかあった?」

「うん」

 私は綺瀬くんの胸に顔を押し付けたまま、

「お母さんとお父さんとちゃんと話せたよ」

「うん」

「ふたりとも、すごくすごく私のこと考えてくれてた」

「そっか」

「夜の外出は八時までって言われたけど」

「……うん、まぁ、そうだよね。それがいい。危ないから」

「えー」

「ふふ」

 綺瀬くんが苦笑する。そこはもっと落ち込んでほしかった。

「それで?」

「……それからね、友達ができたよ」

「えっ?」

 顔を上げてはにかみながら言うと、綺瀬くんはきょとんとした。

「向き合うの怖かったけど……でも向き合ってよかった。友達になりたいって言えてよかった」


 綺瀬くんの顔に、じわじわと笑みが広がっていく。


「……そっか。なんだ、そっか……。よかった」と、綺瀬くんは柔らかく笑った。

「良かったね」

「うん。ぜんぶ綺瀬くんのおかげだよ」

「そんなことないよ。水波が勇気出したからだよ」

 じんわりと心があたたまっていく。

「ねぇ、手繋いでくれる?」

「ん」


 綺瀬くんが手を差し出す。その手を取って、ベンチに並んで座る。街並みを見下ろしながら、私たちは何気ない話をする。


「あ、そうだ、これ。綺瀬くんにお礼しようと思って、うちの名物のプリンあんまん買ってきた。あげる」

 カバンから、朝香お気に入りの購買パンを出すと、綺瀬くんの瞳が輝いた。


「ちょうどお腹減ってたんだ。ありがとう」

「美味しくないから覚悟してね」

「えっ、美味しくないの?」


 ぽーんと目を丸くした綺瀬くんの顔がおかしくて、つい笑ってしまった。「冗談だよ」と付け足すと、綺瀬くんは拍子抜けしたように微笑んだ。

「じゃあ、半分こね。水波ほっそいからちゃんと食べろよ」

「えーでも、これでカロリー取るのはなぁ。どうせならドーナツとか」

「文句を言うんじゃありません」

「ハイ」


 プリンあんまんの片割れを綺瀬くんから受け取ると、同時に訊かれた。

「学校は楽しい?」


 綺瀬くんはプリンあんまんを咥えながら、優しい眼差しで私を見た。


「うん。楽しい。あのね、もうすぐ文化祭なんだ。朝香から、今年は一緒に回ろうって誘われてて……」

「おっ。それは楽しみだね」

 綺瀬くんはいつもよりのんびりとした声で言った。

「いいなぁ。文化祭かぁ……」

 綺瀬くんは、どこか遠い目をして呟いた。

「綺瀬くんは、文化祭出たことある?」

「うん、あるよ」


 まるで用意しておいた答えのように綺瀬くんはそう言った。


「文化祭は高校生限定のイベントだからね。絶対サボっちゃダメだからね?」

「……うん。あのさ……」


 綺瀬くんは、どこの学校に行っているの? 何年生?

 聞きたいけれど、聞いたら答えてくれるのだろうか。もしも言いたくないことだったら、迷惑になる。


 ……それに、なんでだろう、聞くのが少しだけ怖い。


 ざわ、と風が吹いた。綺瀬くんのにおいと、秋の気配。どこか懐かしさを感じる横顔。


 でも、なぜ?


 綺瀬くんとは会ったばかりなのに。懐かしいと感じるほど、よく知らないはずなのに。


 心がざわつく。

 突然黙り込んだ私を、綺瀬くんが覗き込んでくる。

「どうした?」

 静かに首を振る。

「……ううん。なんでもない」

 心の戸惑いを誤魔化すように曖昧に微笑み、私はプリンあんまんをかじった。

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