第5話


 ふと目を開けると、満天の星空が見えた。

 目の前に広がる夜空は霧が晴れたようにすっきりとしていて、星が溢れんばかりに輝いている。


 星? なんで……。


「あ、起きた?」


 すぐ近くで、声がした。

 ハッとして振り向くと、浴衣姿の男の子と目が合った。綺瀬くんだ。

「わっ!」

 驚いて少し身を離すと、手が繋がれていることに気付く。慌てて離し、綺瀬くんから距離をとった。


「ごっ、ごめん! 私、寝ちゃって……」


 自分で言いながら、驚いた。


 今、何時? うそ、私どれだけ寝てた!?


 見回せば、空はもう真っ暗だ。

 こんなに眠りこけるなんて有り得ない。

 いつもは眠っても数十分で悪夢にうなされるのに……。


「気にしないでいいよ。俺ものんびりできたし。こんなに穏やかな日は久しぶりだったから」

 そう言って、綺瀬くんはくんっと両手を空へ伸ばした。

「……もしかして、ずっと手を繋いでてくれたの?」

 訊ねると、綺瀬くんはちょっと申し訳なさそうに笑って、首を横に振った。


「ううん。一回離したんだ。でも、その後ちょっとうなされてるみたいだったから、心配でもう一回握った。そうしたらすっと眠ったようだったから、それからはずっと」


 つまり、ほぼずっと綺瀬くんは私に付き合っていてくれたらしい。


「……ごめん」


 いくら寝不足だったからって、初対面の人の手を握ったまま眠るなんて有り得ない。


 落ち込んでいると、くつくつと笑う声が聞こえた。


「なんで謝るの。そこはありがとうって言ってほしかったかな。俺こそ、こんな美人と添い寝できるなんてラッキーだったんだから」


 あっけらかんとした口調に、小さく笑みが漏れた。


「……なにそれ」


 笑いながら綺瀬くんを見ると、綺瀬くんはふっと目を閉じて、空へ顔を向けた。月明かりに照らされたその横顔は、ハッとするほど涼しげで美しい。


「俺も、君のぬくもりに慰められたよ。だから、本当にお互い様だよ」

「……そっか。それなら、よかった」


 空を見上げ、目を閉じる。

 すうっと鼻から息を吸い込む。身体が軽い。頭がすっきりしている。

 こんなふうに深い眠りについたのは、事故以来初めてのことだった。


「……ずいぶん、寝不足だったんだね」


 控えめに、綺瀬くんが言った。目を開けて、綺瀬くんを見る。躊躇いつつ、小さく頷く。


「……いつも来未が夢に出てきて、ほとんど眠れなかったから」

 綺瀬くんがもう一度、私の手を握る。どこまでも澄んだ瞳が、私を映し出す。

「……じゃあ、眠くなったらここにおいで」

「え?」

「俺はいつでもここにいるから。眠くなったら、手を握っててあげる。だから、君のぬくもりを俺にも分けて」


 言われて初めて、その手がひんやりしていることに気付いた。


 こんなに暑いのに……。

 綺瀬くんの手はなぜか、なにかに怯えるように震えている。


「あなたも、寂しいの? あなたも、孤独なの?」

 綺瀬くんは静かに微笑むだけで、なにも言わない。


 不思議だ。今日出会ったばかりの同じ歳くらいの男の子なのに。

 名前以外、お互いに大切な人を亡くしたということ以外、なにも知らないのに。

 家の場所も、通っている学校も。

 なにも知らないのに。

 でも、でも……。

「……ありがとう」

 私はその手を、ぎゅっと強く握り返した。



 ***



 それから数日後の夕方。

 私はまたあの神社の先にある広場にいた。


 石段に沿うようにつけられた提灯を見ながら、神社の鳥居を目指す。

 神社を抜けて、その奥にある石段をさらに登っていくと、街を一望できる広場に出る。その一角にあるベンチに綺瀬くんがいた。

 ホッとして、そっとベンチに向かう。


「やぁ。また来てくれたんだ」


 綺瀬くんは私に気が付くと、読んでいた本を閉じて、ベンチをとんとんと叩いた。


「おいで」


 私は素直にとなりに座る。

「本……読んでたの?」


 緊張しながら話しかける。一度泣き顔を見られているせいか、ちょっと落ち着かない。


「ううん。開いてただけ」

「え、開いてただけ……?」


 綺瀬くんを見ると、綺瀬くんは恥ずかしそうに笑って、頬を掻いた。ほんのり頬が赤くなっている。


「本を読んでるふりしながら、水波を待ってた」

「え、私を?」

 綺瀬くんが苦笑する。

「……寂しくて。でも、昨日も一昨日も来なかったし、もしかしてもう来てくれないのかなぁって思って、ちょっと落ち込んでたところ」


 ぱたん、と本を閉じて、綺瀬くんは私を見た。どきりとして、思わず目を逸らしてしまう。


 なんだろう。目を合わせるのが、恥ずかしい……。


「……ごめん。何度かその、表の神社までは来たんだけど」

「だけど?」

「その、なかなか勇気が出なくて……」

 すると、綺瀬くんがふっと笑う。

「……そっか」


 会いたいけど、会いたくない。


 そう思ってしまったのだ。だって、言われたとおりに甘えてここに来て、もし綺瀬くんがいなかったら。

 私は、今度こそ生きていける気がしない。


「おかげで俺は、毎日寒くてたまらなかったんだけど」

「あ……」


 綺瀬くんは膝の上で手を組んだ。

 あの日のぬくもりを思い出す。夏の陽の下にいるとは思えないほど冷たい手。なにかに怯えるように、震える手……。


 そういえば、綺瀬くんも私と同じだったのだ。綺瀬くんも寂しくて、私のぬくもりを求めていたのだった。

 それなのに、私はまた自分のことばかり……。


「……ねぇ綺瀬くん。手、繋いでもいい?」

 おずおずと声をかける。

「え?」


 綺瀬くんは、驚いたように私を見た。私はハッとして、立ち上がる。


「あっ……い、いや、なんでもない。ごめん、今のは、忘れて」

 いたたまれなくなって逃げ出そうとしたとき、パシッと手を掴まれた。


「待って」

 引き止められ、足を止める。


「……せっかく来たのに、もう帰るのはなしでしょ」

「でも……」

「もう少し、そばにいてよ。お願い」


 縋るような声に、私はもう一度綺瀬くんのとなりに座り直した。すると、綺瀬くんがぎゅっと私の手を握り直す。少しかさついた指先が、くすぐったい。


「……うん。私も、ここにいたい」

 あぁ、そっか。

 寂しいのは私だけじゃないんだ……。


 ひんやりとした手を握り返して、目を閉じる。


「……私ね、綺瀬くんのとなりなら、ちゃんと眠れるの」


 あの恐ろしい悪夢を見ずに、ぐっすりと眠ることができる。なぜかは、分からないけれど。


「……違うよ。俺が手を繋いでいれば、でしょ。俺もそうだから、分かる。俺も、君と手を繋いでいると、ぜんぜん寒くないんだ。やっぱり俺たちは、似たもの同士なんだよ」


 そう言って、綺瀬くんはにっこりと笑った。


「……うん、そうかも」


 身を寄せ合って、手を握り合って、目を閉じる。

 静かに、波が引くように、私はゆっくりまどろみへと落ちていく。

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