第36話
「シャロアちゃんが息子を連れて帰って来てくれたの?」
どうやら執事はグレイス夫人に知らせたようだ。
「お義母様、突然の訪問申し訳ありません」
私は立ち上がり、挨拶をする。夫人はホッとしたような心配しているような表情で私達の向かいの席に座った。
「シャロアちゃん、いいのよ気にしなくても。それよりもどうしたの?ラダン、説明なさい」
ラダン様は先ほどまでにあった事を夫人に話して聞かせた。走って馬車に乗って逃げ帰ってきたことも。夫人は最後まで黙って話を聞いていたけれど、眉間に皺を寄せて扇を持つ手には力が入っていたわ。
「そう、それで今日は休みをもぎ取ってきたのね」
「母上、私には王族を止める手立てがありません。父と話し、先に婚姻する事を望みます」
ラダン様は前々から考えていたのかもしれない。私は突然の事で驚きはしたけれど、一緒になりたいと望んでいたことを彼から聞く事が出来て嬉しさと喜びが湧き上がった。
「……そうね。でもすぐには難しいかもしれないわ。私もシャロアちゃんに嫁に来て欲しいから旦那様には言っておくわ」
夫人が珍しく言葉をそれ以上言う事はなかった。やはり何かあるのかもしれない。二人とも私には何も話はしていないけれど、私にはそう感じた。
思い過ごしかもしれない。けれど、重く何かが心にのしかかった。
「そういえばシャロアちゃん、ラダンにもう渡したの?」
「シャロア、何か私にくれるのか?」
重い雰囲気を無理やり変えるように夫人は話し掛けてきた。
「実はあれからずっとラダン様に会えていなかったので渡していませんでした」
夫人と一緒に刺繍をしていたのを思い出した。いつ会えるか分からないのでずっと持っていたハンカチ。侯爵家の家紋が入ったものは家に置いてきたのは失敗だった。
今、手元にあるのはラダン様がくれた猫のぬいぐるみを刺繍にしたもの。
「ラダン様にお渡しするために家紋や剣を刺したものは家に置いてきてしまったので、今はこれしか持っていないのですが、受け取ってくれますか?」
私は手に持っていた小さな鞄から取り出して彼に渡す。ラダン様は一瞬目を見開いてからすぐにその表情は笑みに変わりハンカチを受け取った。
「これはシャロアにプレゼントした猫のぬいぐるみかな?」
「はい。初めてぬいぐるみを貰ったことが嬉しくて刺繍にしてみたのです。でも、こんなものを持っていたら笑われてしまいますよね」
「そんな事はない。むしろ嬉しい。ありがとう。大切にする」
喜んでもらえてよかった。
「さて、ラダンから事情も聞けたことだし、後は二人で過ごしなさい」
グレイス夫人はそう言って颯爽と部屋を出ていった。
残された二人。
私は耐えきれずに不安を口にする。会えずに寂しかったと。上手く伝わらないかもしれない。離れていてとても寂しかったと。不安で仕方がないと。
どういう状況になっているのか誰が詳しく教えてくれず、ただ待ち続けるのは苦しい。家族から聞いた話は嘘だと信じたい。
けれど、ラダン様は私をギュッとただ抱きしめて『すまない』と言う。難しい状況なのは自分でも分かっている。
頭では分かっていても心が辛いと叫んでいるの。
もう、こんな辛い思いはしたくないって思っていたのに。
「ラダン様、……もう、帰ります。しばらくお休みを取っていなかったのですよね」
「あぁ。だが、まだシャロアと一緒に居たい。君と過ごしたいんだ」
その言葉に涙が止めどなく溢れてくる。
「もう少しだけ、待っていて欲しい。心から愛している。君だけを」
「……ラダン様。お慕しております」
私は声をふり絞った。
涙が止まらない。
こんな不安定な状況でこれ以上わがままを言えるはずがない。
私は立ち上がり、リンデル侯爵家を後にする。ラダン様が追いかけて来ないということはそういう事なのだろう。
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