第二幕・Tempo・生い立ちと現在 Part・二卵性双生児とその両親

   わたしの肉体は疑似餌である。



     『リリィ・メイの肖像』


  成人した二卵性双生児の姉弟はほとんど同時期に実家を出た。姉の草花は美術大学を卒業して、仕事を少し安定させてから。弟の山吹は成人以前からしばしば実家から出払ってはいた。山吹の収入は定かで無く、未だに完全に独立とは言えない。住むに暮らすに窮する事は珍しくない。誰にも咎められはしないのに、実家に帰り難いのは言わずもがな。家族としてはむしろ実家に居てくれた方が色々と気を揉まず安心と言えば安心なのだが。何かのはずみに犯罪にでも巻き込まれてはたまらない。山吹は中々にいかがわしい日常をこれまで送ってきた。そんな山吹にも家族が寛容なのは山吹の生い立ちを知るからこそだった。


 山吹は思春期、高校入学直後から卒業間近までいわゆるいじめを受けていた。いじめとは名ばかりの暴力は山吹の人生を大きく損なわせた。その為に、未だに・・・とは言い難いものの、世間に対するものの見方が少年期にして一般的ではなくなった事は確かだった。それは不運と言うより、他者からもたらされた被害に相違なかった。クラスメイトと言えど赤の他人。名前も顔も知れない他所の家庭と言えば確かにそうである。よるべ有る幸福な子供も居れば、そうでない子供も居た。そうした彼らの欲望のはけ口、暇つぶしの対象としてなんとなくそこに居たから選ばれた山吹は、おもちゃにされた。暴力とは一部の人間からすればお遊戯に過ぎない。当時の山吹からしてみれば教室は地獄の監獄、暴力遊戯に手練れ嗜む彼らからしてみれば家庭の延長に過ぎない。山吹が断崖絶壁をほとんど裸体で登山している気分で勉強している傍らで、彼らは自分の知能程度に合わせて進路に悩み、その先の将来にかまけてはまったく子供らしく怠惰を楽しんでいた。友情と言う名の人間関係を四苦八苦しながら育み、自分もどうにか成長の格好をとろうと大人―大学生の真似事に耽る。自分の高慢さが他者によって挫かれれば腹を立て、山吹で発散した。おもちゃでさんざ遊び不満をきちん、と他所へ捨てて来た円満な子供は家へ帰れば他の子供より見栄えしなくとも普遍的だ。暴力遊戯はある程度年齢を重ねれば鳴りを潜めるだろう。社会の手前、子供の手前、大人には建前があるのだ。ただ時々、反射的に言葉や反応、手足は出る。


山吹が受けた数々の暴力が発覚して以来、家族には決定的な溝が生まれた。

草花は少女で、その上性質的にとりわけて傷つきやすかった。暴力を振るわれた同年齢の少年―弟に生理的嫌悪は否めず、自分がこれから巣立とうと言う世間に暴力がはびこるなど断じて許せなかった。とは言え当時の草花が山吹に献身的だったのも真実だった。両親は愛情ゆえこれをひどくいたみ、かわいそうに思って必死で献身に努めたものの、家族の全員が疲れ果て、なんとなく孤独を望む時間が増えた。そして礼節を忘れ、互いに干渉し合うごとにひずみは増して、家庭を立て直す事は日増しに難しくなっていった。自分の機嫌次第で縛り合う事が当たり前になる。意識的無関心と労りは当然ながら行き届いていなかった。誰も口には出さずとも、家族はばらばらに成り果てていた。冷たく冷やし、交流によって無駄な体温を与え無い事。家庭の中で人間関係をやるには誰にも余力など無かった。そしてこの家族の関係がこれ以上回復することは無かった。


 山吹が実家の代わりに帰るのは両親より気心知れた姉、草花の自宅兼アトリエの方だった。寛容とは言え親と子供の関係である。山吹は自分の私生活が一部にしろ不可抗力で大っぴらになることに恥を感じた。無論、それは姉の草花に対してもそう変わりないのだが、両親より姉の方が自分のように不出来な点が多いし、生活スタイルを合わせるに大して労を要さなかった。とは言え実家の世話になれば山吹は両親に食事を用意したり、掃除をしたり、普段の家の仕事を色々と代行はした。間借りしているのだから家主に対する義理と礼儀としては当然ではあるものの、この親子には、特に子供―山吹には両親に対する非常な遠慮があるからこその献身とも言えた。食事、掃除、家の仕事の代行の意味が、草花に対するのとはまるで違うのだ。つまり山吹が草花に食事を作ってやるのは無意識からだった。無論、両親に対するのと同じく義理と礼儀はある。しかしながら山吹が草花に食事を作る時、山吹には義理と礼儀がまったく存在しなかった。山吹にとって、草花の居る場所は実家以上の実家だったのだ。山吹にとって、故郷は友情に存在あるものなのかも知れない。

 

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