第30話 クロネコ。

 ——あるじどの。あるじどの? 聞こえるかの?


(んー、だれ? まだ眠いよ……)


 ここは夢の中だろうか。真っ白な空間に黒い滲みのように艶のある漆黒の毛玉。


 ——ワタシよワタシ。あるじどのったらワタシを取り込んでそのまま知らん顔なんだから。


(え? あなた、あの時の魔人?)


 ——じゃなかったら誰だっていうのよ。


(だって、あなた、その姿……)


 黒い塊。いや、猫のようにしなやかな体。すらっと伸びた手足で四つん這いに座り、こちらを見る黒い頭には猫のような耳まである。


 ——そんなの、どうだってなるわよ。それよりここは退屈ね。何も面白いことがないんだもの。


(っていうか、あなたその話し方、女性みたいね。てっきり男性かと思ってたけど)


 ——それこそ人間の考え方ね。ワタシには性別なんて無いのよ。無から生まれたワタシにはね。


(それなら……、まえの時もハスキーな声に聞こえてたけど、話し方は男性っぽかったわ。どうして?)


 ——そんなのワタシを呼んだ人間の影響じゃないかしら? 今はあるじどのの影響かしらね? ワタシ、染まりやすいのよ。もともと。


 ふふふと笑い声まで聞こえる。

 実際にはイメージだけなのだろう。ここには音はない。

 言葉も、意識がそのままぶつかってくるように感じるだけ。


(ねえ、あなたって名前はあるの?)


 ——名前っていうのは個を判別する記号みたいなものかしら?


(まあ、そうね?)


 ——だったらクロム。ワタシはクロムと呼ばれていたわ。遥かな過去、やっぱりあなたのような人間だったかしら。そんな存在に。


(そっか。じゃぁわたしもクロムって呼ぶね。と、それよりも)


 クロムと呼びかけるとその黒い猫の魔人、なんだか物憂げな表情をしてこちらを見た。


(あるじどのっていうのはやめてくれない? なんだかちょっと気恥ずかしいわ)


 ——ふむ。ではどんな呼び名がよいかの? ワタシを負かしたあるじどのはワタシのあるじにはちがいないのだけれど。


(あるじって、なによ)


 ——人間の言葉は難しいの。あるじと言ったらご主人様のことよね? それか飼い主? それとも……。


(もう。面倒ね。じゃぁなんだっていいわ。好きに呼べば?)


 ——ではやはりあるじどのと呼ばせてもらうわ。それよりも、ちょっとここから出してくれないかしら?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る