第2話 夢じゃ、なかった。


 どこかで音が鳴っている。

 ピーピーピーって耳障りなそんな、音。

 うっすらと目を開けてみると、見覚えのない天井がみえた。


 ずいぶん低い天井だなってそんなふうに思いよく見ると。


(ってこれ、天井、じゃ、ない?)


 目線を横にずらすとベッドの外が見える。要はこれはベッドの天蓋なのだろう。天井っていえば天井かもしれないけれど、それはベッドの天井にすぎなくて。


 赤いベルベットの光沢のある生地が天蓋から下がっている。

 この分厚いカーテンを閉じれば外からの光が完全に遮られ、ゆったりと眠れるだろう。

 身体をおこしてもぞもぞっとベッドから出ると、窓から朝日が漏れさしていた。

 もう朝なのだなと感じると同時に、途方に暮れた。


 朝になればこの訳のわからない夢から覚めるのじゃないか。

 寝て起きれば忘れてしまった記憶も思い出すのじゃないか。

 そんな期待もあったけれど、それが完全に裏切られてしまったことに。


 耳障りだった音はいつの間にか消えていた。


(もしかして夢だった?)


 そうも考える。身の回りにはそんな音が鳴りそうなものは見当たらない。


 服装を確認すると昨夜着ていたドレスのままだった。

 すべてが夢だったらよかったのに。そんな風にも考えるけれどどうやらそうではないらしい。昨夜の出来事は夢でもなんでもなく現実なのだと、着ていたドレスを見て思い知った。

 かろうじてストッキングは脱いでいた。ヒールはベッドの下、脱ぎ散らかしたのであろうストッキングもまるまってその横に転がっていた。

 ちょっとくしゃっとしわになってしまっている水色のドレス。シフォンのひらひらがいっぱいで若い子向けなデザイン。こんなちゃらちゃらしたドレス結婚式の花嫁にはふさわしくないだろうに、とそうも思うけれど、であればどうしてと不思議に感じて。


(まあシワがはいっちゃってるからちゃんとクリーニングしなくちゃだよね)


 背中の部分がファスナーではなくて紐でぎゅっと締め付けるコルセットドレス。

 なんとかかんとかほどいて脱いだけれど、これって一人で着るのは無理だなぁなんて考えながら周囲を見渡す。

 脱いだは良いけど着るものがないと、ほとんど裸みたいな格好だから誰かに見られたら大変だ。


 豪奢なクローゼットはカラだった。ここに来たばかりなら何か荷物が無いかとよく見れば部屋の隅にちょっと古風な革のトランクがあった。

 荷物らしいのはこれ一個だけ。

 どういう事情だったのかも思い出せず、なんだか人ごとのように感じながら開けて中を見ると若草色のストライプがかわいいワンピースを見つけた。

 自分の趣味とはどうしても思えなかったそれをとりあえず着てみると、どうやらサイズはぴったりで。着心地も何もかも馴染んでいる。

 記憶はない、趣味でもない、けれど。

 ああこれは自分の服なんだなぁ。そう実感した。


 ふと、外がみたくなり窓際まで移動する。

 床一面に貼られた毛足の長いカーペットは、ヒールで歩くより裸足で歩いた方が気持ちが良かった。

 ここは、お金持ちの家なんだなぁ。そんな素朴な感想を持ちつつ窓の外を眺めると、そこには広大な敷地が広がっていた。

 公園と間違えそうになるくらい緑や池まであるお庭。

 綺麗に整備された馬車道が街との境の大門まで繋がっているのがわかる。

 

 こんな光景、見たことない。

 記憶はない、記憶はないんだけど、絶対に初めて観る景色だって、何故かそう思えて。



 怖くなった。

 ここはどこ?

 何が起こったの?

 こんな王侯貴族かって思うようなお屋敷に自分なんかが居ていいの?

 もしかしたらこれって何かの間違い?


 そう、立ち尽くし逡巡して。



「まぁ。起きてらしたんですね。それじゃぁ朝食をお運びいたしますわ」


 コンコンとノックの音と共に部屋に入ってきたふくよかな女性。

 黒のシックなワンピースに白のエプロン。あたまにも三角布をかぶっていかにもお手伝い風な人。


「あの——」


「どうされました奥様。ああ、わたしのことはマリアとお呼びください。本日より奥様付きのメイドを仰せつかりました」


「そうなの、マリア。よろしくお願いしますね」


(メイド、かぁ)

 メイドがいるなんてかなりのお金持ちのおうちなのは間違いなさそうだ。

 セバスというのは執事だろうか。

 マリアといいいかにもな名前ではある。


(って、何? いかにもな名前?)

 記憶は繋がらないけれど自分にそんな知識があるって言うのを認識してちょっと驚いて。

 それでもこれはちょっとチャンスだ。

 なんでもいいから情報収集しなくてはと思い返す。


「あ、あの、マリア。わたくしちょっと混乱してて。今どういう状況なのかどうすればいいのかよくわかっていなくて……」


 マリアはこちらを見て、ああそうでしょうそうでしょうといった感じに頷く。


「セラフィーナ様は昨夜こちらにおつきになったばかりですものね。うちの旦那様ったら女性がお嫌いだからわたしでもおそばに近づけない程なんですよ。ですから少しばかり辛辣な物言いになりやすくてですね……」


 多分、旦那様に何かきつい言葉を投げかけられたのだろうと察したのだろう。マリアはそんなふうにちょっと言葉を濁しながら。


「それでも、根は本当はとってもおやさしいんですよ? ですから、長い目でみていただければと思いますわ」


 そう締めた。

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