白蓮の魔女。

友坂 悠

第1話 記憶喪失から始まって。


「――だから、これは契約による婚姻だ。私が君を愛することはない」


 現実世界? に意識が戻ったとき、目の前にいるいかにも王侯貴族かと思われる見目麗しい男性がそう言い放った。

(婚姻? 契約? 言葉の意味は分かる、わかるけど……、でも――)



 ♢♢♢


 その時。

 まばゆい光が彼女の瞳に降り注いだ。

 溶けるように揺れ動き、ひらひらと降り注ぐ。

 迷ったのは、それが何を意味するのか判断がつかなかったからだ。

 その直前まで、目の前には凄惨な状況が広がっていたはず。悲しくて悲しくてどうしようもなかった気持ちだけがかろうじて残っている。


 煌めいたその光の渦は、ぐるぐると巻きあがってすべてを吹き飛ばしたかのようだった。

 彼女のその頭の芯のまわりになにか冷たいものが走る感覚があったあと、目の前が真っ白になって何も見えなくなって。そのままその場にしゃがみこもうとしたとき、誰かが肩を抱きとめてくれたのがわかった。


 意識が現実にひきもどされたのか、目を見開くとそこはしかし見覚えのない場所見覚えのない人。

 白銀の髪に碧く清浄な瞳。

(綺麗な瞳……)

 思わず見惚れて引き込まれそうになる。

(こんな人が相手だっったら誰でも恋に落ちそうね)

 力なくよろけてしゃがみ込んでなんとかしようと思ったけれど、もしかしたらそのまま倒れていたかもしれない。そんな状況で支えて抱きかかえて助けてくれたのだから、彼に対する第一印象、好感度はかなり高かった。それでも。


「君は、体が弱いのか?」


 第一声、聞こえてきたその声はとても冷たく。


「まあいい。私には関係がないか。君は私の仮初の妻の役割りを演じてくれさえすれば良いのだから」


 そう言い放つとともに、もう大丈夫だろうと言わんばっかりに抱きかかえてくれていた手を離し、距離をとる彼。


「君がどう思おうが構わない。だけれど一つだけ言っておく」


 そうこちらを見る目が鋭くなって。


「――だから、これは契約による婚姻だ。私が君を愛することはない」


 と宣ったのだった。




 上がった好感度が一気に下がる。

 目の前の人が何を言っているのかよくわからなくて。


 言葉の意味は、わかる。

 婚姻、契約?

 つまりこれって、お飾り妻を演じろっていうシチュエーション?

 自分とこの人はそういう関係なのか。

 そう理解したら、心が一気に冷めた。


 ちょっと素敵だな、だなんて思った自分に腹がたって。

 それからどんっと不安が押し寄せてきた。

 

 というか、自分がどこの誰で、ここがどこなのかという記憶がスッポリと抜け落ちている事実に改めて気がついて。

(仮初の妻って言った。この人……。だったらわたしは形だけであってもこの人の奥さんってこと?)

 見た目はとっても素敵な人。鼻筋もすっと通ってすごく好みな顔だ。でも……。

 性格は、最悪。

 あんなふうに言うなんて、自分のことをよく思っていないのは明らか。

 であれば。

 記憶がないだなんてことをこのまま素直に彼に喋っても、どういう扱いをされるかがわからない。

 役に立たない女だって思われ、ここを追い出されないとも限らない。


 そう、ここ。

 上品な調度品、白が基調の壁とところどころに施された彫刻。

 背後にある天蓋つきのおおきなベッド。

 ひょっとしなくても、夫婦の寝室ってやつかもしれなくて。


 怖い怖い怖い。そんな恐怖心が湧き上がってくる。

 男女のそういう経験があるのかどうかさえはっきり覚えてない、けれど。


 自分が男性を受け入れられるようにはあんまり思えない。

 怖いとしか思えなくて。


「わたくしは、どう過ごせばよいのでしょうか?」


 気がつくとそんな台詞が口から出ていた。

 どこかのお嬢様のようなそんな言葉が自然に口から出ていて、またまたびっくりしてしまう。


「私に迷惑をかけなければそれでいい。ただし、外では必ず私の妻として装うこと。そのために必要な費用その他はセバスに言えばいい」


「夜の……おつとめは……」


「必要ない。ここは君だけの為に用意した寝室だ」


「旦那様、は?」


「私の寝室は隣だ。もちろん勝手に入るのは厳禁だ。私ももうここには足を踏み入れない。用があればセバスを通じて連絡をよこすように。いいな」


 そこまで言うとばっと振り向き、部屋を出ていった彼。


(あーあ。彼の名前も聞けなかった……)


 ふかふかのお布団に、ぼすんと倒れ込んで。

 これからどうしよう。そんな事を思いながら眠りについた。

(ああ、ドレス脱いでない。っていうかこんな服、どうやって着たんだろう)

 うつらうつらしたあたまにとりとめもなく、ぐるぐるとそんな思考が浮かんでは消えていった。

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