ありふれた友情の末に

日暮

ありふれた友情の末に

 その日、智樹は生まれて初めて人を殺した。

 この感覚を一生忘れない。そう思った。

 


 智樹と裕里が知り合ったのは高校時代のことだった。

 二人とも、どこか繊細な所があり、目立つ方ではなく、教室のすみの方に収まっているタイプの男子。だけど、そのことに劣等感も持っているタイプでもあった。

 そんな二人が仲良くなるのは自然な流れだった。

 お互い知れば知るほど境遇も感性も似ていて、ますます仲良くなった。

 その付き合いは大人になってからも続いた。

 二人とも、いつの間にか精神疾患を患っていて、仕事を辞めたり、軽く引きこもったり、また働き始めたり。

 それでも連絡を取り続け、定期的に一緒に遊んだりした。

 むしろ、社会人になってからのそんな生活も似ていて、話す度に意気投合した。

 親友と呼べる仲だった。

 だから、許せなかったのだ。

「俺、好きな人、できたんだよね」

 裕里からのその一言が。

 

 裕里の話はよく聞けば、別に恋人ができた訳でもないらしい。

 むしろ、望みの少ない恋のようだった。

 相手は、派遣社員である裕里が新しく派遣された先の先輩に当たる人で、一回り近く年上の女性だ。

 それだけ年が離れた彼女は、シングルマザーで、子どもを抱えながら仕事をしている多忙な人だ。

 その多忙さと、子への愛ゆえに、恋愛などする気にならないようで、年下の裕里のことも、あくまで弟のようにしか扱っていない。それは彼女の態度の節々からはっきりと感じ取れるらしい。

 それでも、いつも穏やかながらも明るくて、仕事に不慣れな裕里に優しく教えてくれて、実の姉のように接してくれるその人を、好きになったのだと、裕里は言った。

 叶う望みが少ないのにそれでいいのかと問う智樹に、裕里は照れながら話した。

「いいんだよ。苦しくなる時もあったけど、今は、なんていうか、純粋に、あの人に頼られる自分になりたいんだよね。振り向いてもらえなくても、俺の悩みも色々聞いて、力になってくれた彼女に少しでも近付きたい。そういう自分になるため頑張りたい。ただそう思えたの、俺も初めてだから」

 その言葉に智樹は衝撃を受け、それと同時に、ある感情に埋め尽くされてゆくのがわかった。

 そんな風に真っ直ぐに誰かを想うことができる彼への、嫉妬だった。

 誰かに救われ、好きになり、今度は相手を救えるようになりたい。

 他でもない、そう思う自分自身のために、生きたいのだと。

 それを口にした裕里への、焼けつくような嫉妬だった。

 こんなことなら、まだ宝くじで一億円当てたとでも言われた方が幾分かマシだった。それなら、羨ましがりながらも純粋に彼のことを祝福できただろう。

 なぜ、そんな、ささやかながらも智樹たちのような人間が求めてやまないものを見つけてしまうのか。

 そんな、さも何気ない様子で、己が身に起こった奇跡に対して話してみせるのか。

 表面上は応援するなどと口にしつつ、智樹の心は嫉妬と憎悪に埋め尽くされていた。

 そしてそう感じてしまう自分自身を恥じてもいた。親友の密かな恋、やっと見つけた生きる目的を、ちゃんと純粋に応援したい。智樹は自分の醜い感情に蓋をして、これからも裕里と親友でい続けようとした。

 しかし、ダメだった。

 一度気付いてしまった激しい感情は、蓋をしようとすればするほど、いっそう燃え上がるかのようだ。

 相手はそんな智樹の心中などつゆ知らず、無邪気に遊びに誘ってくるから、なおタチが悪い。

 智樹は変わりない素振りを見せながらも、内心悶えるぐらいに苦しんだ。

 いつの間にか、裕里と会う時に、こっそりナイフやロープをカバンに入れて会うようになっていった。

 いつの間にか、もし、裕里を手にかけるなら…と妄想するようになっていった。

 別に確定的殺意があった訳じゃない。別に、いつどこで、どうやって殺すか、具体的に計画を練っていた訳じゃない。

 ただぼんやりと、芽生え始めた何かに引き寄せられそうになっては、慌てて自分を引き戻す。そんな風になっていった。

 

 ある時、二人で夜遅くまでドライブした時のことだった。こういう時、運転するのは車を持っていて運転好きでもある智樹で、助手席の裕里は少し前に寄ったファミレスで酒を飲んで少し酔っていた。

 すっかり寒くなってきた時期で、裕里は智樹の車に置いてあった毛布を膝にかけていた。

 暖房が効き、外から隔離された暖かい二人だけの空間。

 あてどもなく走り続け、最後には人気のない道の駅の駐車場に止めてしばし話し込んだ。

 智樹は、無意識のうちに、後部座席に置いていた自分のカバンを引き寄せ、膝上に乗せていた。例のナイフとロープがしまわれている。

 最近の裕里は心なしか明るくなったようで、その時も楽しそうに仕事の話をしていた。

 例の先輩の話だ。

「あの人には世話になってるよ。こんなメンヘラ気味の俺を人として大事にしてくれて励ましてくれてんだもん。ほんと、頑張って生きようって感じ」

 以前なら考えられなかった言葉だ。

 智樹はナイフをそっと取り出し、裕里がこちらを向いた瞬間、左胸に突き刺した。

 硬い。人の体を刺すのはこんなに硬いものなのか。力を込め、さらに深くナイフを差し込む。すると、硬い体の奥深くに、わずかにもう一つ別の感触があった。

 それが心臓だったかもしれない、そう思ったのは、座席からずり落ちて、なおぐったりと動かない裕里を目の当たりにした後だった。

 

 智樹は、今は一人暮らしをしている。アパートから車で二時間ほどかかる実家の近くまで久しぶりに戻ってくると、ある田んぼ道で車を止めた。この辺りは田舎で、この時間だと人気もなく静まり返っている。

 智樹は車を降り、トランクに乗せていたスコップを下ろす。

 ここの一画には智樹の祖父が所有していた畑があるが、祖父が亡くなった後は農作業を行う者がおらず、放置されている。

 そこのすみに人が入れるほどの穴を掘り、車を振り返る。

 助手席には、胸にナイフが突き刺さったままの裕里の死体がある。ここまで来る道中、裕里の顔が見えるままであることに耐えられず、毛布を顔まで覆うようにかけていた。

 智樹が躊躇いがちに毛布を剥ぐと、生気を失った裕里が現れる。思わず目をそらす。

 車から引きずり出し、穴の中に落とす。裕里の持ち物も一緒にだ。

 田舎とはいえ人に見られるリスクを減らすため、夜のうちに終わらせたい。焦りで手が震え、何度も落ち着け、と自分に言い聞かせた。

 埋め終え、車を必死で走らせる。日が登り始める頃にようやくアパートまで戻ってきた。

 自室に戻ると、玄関先で倒れ込んだ。気絶するように眠った。

 

 それからしばらくは、バレるんじゃないかという怯えと、裕里を殺した罪悪感で人知れず苦しんだが、幸いバレる様子はなく、裕里の件は失踪として処理された。

 罪悪感も、もうあの嫉妬心に苦しまずに済むという安堵と一種の優越感に、取って代わられていった。

 心穏やかな日々を過ごせるようになった頃、裕里がいないことに一抹の寂しさを覚え、あの時の自分には、親友が一番に想ってくれていなかった悔しさもあったのだと気付いたりもした。

 そんなある日、町中で裕里を見かけた。

 

 智樹は思わず二度見した。自分の見たものが信じられなかった。

 きっと他人の空似だ。そう言い聞かせる。そうだ、そうに違いない。裕里がいるはずないのだから。

 しかし、それにしても見れば見るほど似ている………。

 すると、なんと向こうもこちらに気付き、声をかけてきた。

「よう、久しぶり」

 久しぶりに話すソレは、外見だけでなく、声もしぐさも、裕里そのものだった。

 服装も、あの時のまま。それに気付いた時、全身に怖気が走った。

 動揺し、上手くろれつすら回らない智樹だったが、裕里はそんな智樹そっちのけでベラベラと何事かを語りかける。話す内容すら、裕里のものだった。

 そして、「じゃあ、またな」と言い、あぜんとする智樹を残し、雑踏の中に紛れて去って行った。

 しばらくしてようやく頭が回るようになった頃、近くのカフェに駆け込み、熱いコーヒーを流し込んでようやく人心地ついた。

 あれは何だ?何だったんだ?ぐるぐると意味のない思考が駆け巡る。

 実は生きていた?いや、そんなはずない。確かに死んだのを確認した。それに、そうだとしても、あんな風に自分に話しかけてくるはずない。仮に裕里が生きていたとして、今頃自分は殺人未遂で捕まっているだろう。

 生きていて、記憶を失った。そんな都合の良い話があるか。それに、さっきの裕里の様子は、どう考えてもそんな感じじゃなかった。

 なら、さっきのあれは何なんだ。裕里の幽霊だとでも言うのか。

 震える手でスマホを持ち、メッセージアプリで裕里とのトーク画面を開く。適当にメッセージを送ってみるが、いつまで経っても既読はつかない。ある意味当然だ。

 裕里のスマホも、あの時一緒に埋めたのだから。

 いても立ってもいられず、カフェを出た。この混乱を最も手っ取り早く一人で片付ける方法がある。

 埋めたはずの裕里の死体を、確認しに行こう。

 

 深夜過ぎ、再びあの場所に戻ってきた裕里は、畑の土にスコップを突き立てる。目印も何も無いが、どこに埋めたか、決して忘れもしない。

 しばらく掘り返すと、それは出てきた。

 もう腐敗が進み、裕里の面影もほとんど無かったが、とにかく、確かにそこにあった。

 目の前のそれを眺めていると、今日のことは夢か何かだったように思えてくる。

 いや、きっとそうだ。心のどこかで友を殺した事実が引っかかり、あんな夢だか幻だかを体験してしまったのだ。きっとそうだ。そうに違いない。

 そう安心し、埋め直そうとした智樹の肩を、誰かが叩く。

 



「よう 待ってた」

 



 その後、智樹の姿を見かけた者はいない。

 親しいこの二人が同時期に失踪したことを、警察は関連があるのではないかと疑って捜査したが、結局何も判明せず、この件は迷宮入りとなった。

 

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