憎しみは雪のように
@d-van69
憎しみは雪のように
3年前、私は陶芸を習うため、地元の公民館で開かれているカルチャースクールに通っていた。大林と言う名の講師は私よりも一回りほど年上の男性だ。隣県に工房を構え、飲食店や料亭などから依頼を受けて器を作るプロの作家さんだった。週に1回こちらに出張し、陶芸を教えてくれる。甘いマスクと柔らかな物腰は女性受けがいいようで、受講する人の大半はその講師が目当てと言っても過言ではなかった。
本気で陶芸が習いたくてこの教室に通い始めた私は、そんな不純な動機でやってくる女たちを軽蔑の眼差しで見ていた。ところが通えば通うほど、私は大林の魅力に取り込まれていった。
それでも相手は妻子持ちだし、講師と生徒という関係なのだから変な気は起こさないでおこう、と頭では決めていたはずなのに、心のほうはぐらぐらと揺れ動きっぱなしだった。
これが英会話や書道あたりならそうでもなかったのだろうが、陶芸は指導を受けるときに手が触れ合うのだ。太くたくましい手が私の手を包み、轆轤の上の、水でぬるぬるになった粘土を持ち上げ形作っていく。そして、上手にできたねと優しい笑顔で褒めてくれるのだ。ときめくなと言うほうが無理な話だ。
たまりかねて私は親友のマキコに相談をした。彼女は考える間もなく私の背中を押してくれた。妻子持ちだろうが講師だろうが、好きと言う気持ちには素直になるべきだと。そして、あんたを悩ませているのがどれほどのいい男なのか一度見てやるわと言って、彼女も陶芸教室に通うようになった。初日の帰り道、彼女はニヤニヤしながら、そりゃあんたが惚れるのも無理ないわ、と言ったことは今でも覚えている。
その後、親友の応援もあって私は大林と付き合うようになった。彼は県外から通ってきていた。だから会うのも私の地元と決まっていた。陶芸教室のあと食事をし、ホテルに行く。週1回の逢瀬はこの上なくスリリングで楽しかった。不倫と言う関係上、おおっぴらに出歩くこともできなかったが、それでも私は満足だった。こんな日がいつまでも続くとは思っていなかったが、終わりはあっけなく、それも予想外の形で訪れた。
深夜に鳴った携帯の着信音。液晶画面にはマキコの名があった。彼女とはラインのやり取りがメインで電話をかけてくることはめったにない。胸騒ぎを覚えつつ応答すると、大林が事故で亡くなったと知らされた。昼過ぎから降り積もった雪が夜になって凍結し、それで車がスリップをしたらしい。
翌日マキコは私の家にやってきた。お通夜やお葬式に行きたいという私を、彼女は冷酷なまでに止めた。愛人であるあんたがどの面下げてお参りするのかと言うのだ。それにもしかしたら大林の浮気に彼の妻が感づいている可能性だってある。顔を合わせて修羅場にでもなったらどうするのだとも言った。
確かに葬儀でそんなことになったら亡くなった大林も浮かばれないだろうと思い、不承不承親友の忠告を受け入れることにした。彼女はお墓参りもやめるようにと言った。家族や親族と鉢合わせするかもしれないからだ。それにも私は首肯するしかなかった。
あれからずっと、私の精神状態はどん底にあった。彼の後を追って死のうかと思うこともあった。でもマキコのおかげで踏みとどまることができた。彼女は慰めてくれたり相談に乗ってくれたりと、あれこれ世話を焼いてくれた。おかげで心の傷もずいぶん癒えたような気がする。
お昼過ぎから降り出した雪。夜には積もるとの予報だ。あのころは大林が亡くなった日のことを思い出してしまい、身動きをとることもできないでいたが、今ではもう平気だ。こうして久しぶりに公民館に足を運ぶこともできた。
今日私がここまで来たのには理由があった。過去に区切りを入れるという意味で、彼のお墓参りをしようと思い立ったからだ。3年も経過しているのだから、もうそろそろ大丈夫だろう。
ただ私は彼のお墓の場所を知らない。調べれば彼の家の電話番号くらいはわかるだろうが、まさか奥さんに墓地の住所を訊くわけにもいかない。カルチャースクールの事務室なら、何がしかの手がかりが得られるのではないだろうか。もしかしたらお通夜や葬儀に参列した人がいるかもしれない。そう考えたのだ。
ところが、対応に出た事務員の言葉に私は耳を疑った。
「大林さんが亡くなった?なにかのご冗談ですか?」
3年前、大林は亡くなったのではなく、一身上の都合でここの講師を辞めたと言うのだ。
辞めた後に亡くなったのではと訊ねても、そんな話は聞いていないと言う。
混乱する私はその足でマキコの家に向かった。真相を問い質すためだ。
彼女のマンションの前には見覚えのある車が停まっていた。思わず電柱の陰に隠れて見ていると、エントランスから出てきたマキコがその助手席に乗り込んだ。
私の中であの日の行動が甦る。3年前のあの日、私は大林といつものように陶芸教室のあとに食事ヘ行く約束をしていた。ところが急に予定が入ったからと言ってキャンセルになったのだ。仕方なくマキコを誘ったが、彼女にもまた用があると言って断られた。そしてその夜に彼の訃報が。
あの時からずっと、2人は私に嘘をつき通していたのだ。
走り出した車とすれ違いざまに運転手の顔が見えた。ハンドルを握っていたのは、笑顔の大林だった。
今度こそスリップしろ。天を仰ぎ、呪うように、降り注ぐ雪に囁いていた。
憎しみは雪のように @d-van69
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